入院だー(’06/10)

 今年(’06年)の7月の中旬に生まれて初めて入院というものをした。それも十日間もだ。

こんな無茶な生き方をして、20才の頃から公道でもバイクに乗っていて、尚かつモトクロスをこの年になってもやっているのに、

今までたいした怪我もせずに済んできた。

病気に罹ったって根性で治してきたから、入院なんて考えたこともなかった。
(薬だって、余程悪くならないと飲まないから、飲めば良く効くのだ)

7月の中旬に、「夏風邪なんてものは、根性で直す」と駄々をこねていたら、母ちゃん(嫁さん)に無理矢理、市民病院に連れていかれた。

そして、検査を受けている間には、立っているどころか座ってもいられなくないほど頭が痛くなってしまった。

頭が割れるように痛いとは、まさにこの事だと思ったぞ。

とても根性なんかでどうにかなるレベルではなかった。

もがき苦しんでいるうちに太い注射針で髄液を取られ(これがまた痛い!)検査の結果髄膜炎と診断され、即入院となってしまった。

ちなみに隊長の一番嫌いなものは注射だ。この世にこんなに恐ろしいものはない!

その時の担当した先生が、どこかで見たことあるしょぼいオヤジだと思っていたら、

実は、高校の時の同級生だったのだ。

思わぬところで、思わぬ時に出くわし、同窓会をやってしまったしょぼいオヤジたちだったのだ。

頭は痛いし、気持ち悪いし、本当に苦しかった。

しかし、本物の苦しさは、この後にやってきた。

診察室からすぐにベットに寝かされ、24時間点滴を打たれ、動くのもトイレまでだと制限された。

退院するまでの10日間ずっとベットの上で雲を見ている生活は、ボディーブローのように隊長を苦しめた。

日々の生活では、「無駄な動きや無意味な動きが多い!」「少しはじっとしていて!」と散々言われている隊長だ。

自慢じゃないが、小学校の通知票には、6年間ずっと「落ち着きがない」と書かれたぐらいだぞ。

そんな隊長が「動いてはいけない」と言われたのだからぞれはそれは地獄のような日々だったのだ。

食事制限もなく、「どんどん食べて体力をつけてください」と言われていたのだが、

段々とご飯の匂いを嗅ぐだけで気持ちが悪くなり、痩せおとろいていくいっぽうだった。

保育園の先生たちの給料もやらねばいけないし(即入院となってしまったので何の準備も出来なかった)

お泊まり保育もあったので、無理を言って7月の最後に退院をした。

本当は、あと2週間ほどは入院が必要だったようだ。

しかし、それは隊長に「死ね」と言っているのと同じこと

どんなに苦しくてもやはり家は良いもんだ。

根性でお泊まり保育をやり、根性で先生たちの給料をやったが、

結局、保育園の医務室で1時間横になっては、10分働くという生活を2週間以上も続けた。

なんとか一日働けるようになったのは、9月に入ってからだった。

本当に苦しかった入院生活だったが、始めこそ保育園のことばかり気になって仕方なかったのだが

段々と昔の子ども時代のことばかりが頭をよぎるようになってしまった。

隊長は、いつも前向きな“過去を振り返らない男”として有名だ。(母ちゃんに言わせば、“すぐに忘れてしまう男”ということだが・・)

実を言うとこの「隊長の生い立ち」というホームページも4〜5年前に「いたずら(3)」まで書き、その後は、ず〜と更新さえしていなかったのだ。

今回、ベットの上で雲を見ながら思い出したことを久々に書いてみたのだ。

特に極道オジーのことなんかここ数十年思い出したこともなかったのに、何故か頭の中をよぎってきた。

不思議なものだ。

しかし、“大のおばちゃん子”と言われた隊長なので、オジーのことだけではいけない。

次回は、今年100才になるお志んばあちゃんのことを書こうと思う。