待つこと

みなさんは、子どもにとって「待つこと」をどのようにお考えでしょうか。

何年か前に、みきちゃんが年中さんで途中転園してきました。

前の園は、早期教育に力を入れている市内でも有名な園ですが、 みきちゃんは自家中毒になってしまい体重が3kgも減ってしまっていました。

4歳児の3kgですから馬鹿には出来ません。 お母さんもかなり悩んでいました。

神経質そうな子でしたから、上手く園になれてくれるのかどうか心配しましたが、

以外に不安げな表情は一週間くらいで消えて、一ヶ月もするとすっかりうち解けて 何でも話してくれるようになりました。

お母さんのこと妹のこと、おじいちゃんの家に遊びに行ったこと、 いろいろと楽しそうに話してくれました。

クリスマス会の話になりました。

「クリスマス会はね、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれて、 スノーマンやトナカイと一緒に踊りまくるんだぞ」というと

「早くクリスマス会こないかなー」ととても嬉しそうにいってくれました。

そのときでした。 「前の園のクリスマス会はどうだったの」と言った途端、 みきちゃんの表情が硬くなって

「**園なんてだいっきらい、先生もみんなきらい!」 と言ったまま黙ってしまいました。

あまりの変わり様にびっくりしてしまい「どうして・・」と聞くことがやっとでした。

「だって待ってばかりだもん」

この言葉を聞いたときは本当に「ドキッ」としました。

きっと保育関係者なら、みんな心当たりがあるのではないのでしょうか。

園などで集団生活をすると、どうしてもいろいろな場面で待つことになります。

お便所でも待つこともありますし、給食だってみんなの分が配り終わるまで待ちます。

保育形態がどうであれ、 集団生活ですから家のようにいつも自分のペースでは出来ません。

ですから、保育者はどのようにしたらこの待つ時間を少しでも少なくできるのか、

待っているときにどうしたら退屈させないようにするのかを考えています。

もちろん、待つべき時は待つことが出来る子に育てることは大切です。

前にも触れた「新一年生問題」で言ったように、

何でも自由にやって自己中心的になるより、 集団の中で待つことの大切さを知ることも重要です。

しかし、その中で保育者は待つべき時と待たせなくても良い時を いつも考えていなければなりません。

ふと、ある園の公開保育(年中さん)を思い出しました。

その時の課題は、制作で(芋掘りの様子を作る)でした。

まず、自分でお道具箱を取りに行きます。 みんなが席に着いたら先生が紙を一枚づつ配ります。

その後、芋を折る折り紙を3枚づつ配ります。 これだけでも一人の先生が27人の子どもに配るわけですから、結構時間が掛かります。

その間、子どもたちはじっと黙って手を膝の上にのせて待っています。 やっと、お道具箱をあけてはさみなどを取り出しました。

これで作り始めると思えば、ここではさみや糊の使い方の注意です。

(この園では、自由にはさみなどを使わせてもらっていないなと思いました。 2歳児でもちょきちょきやっている所もたくさんあります。)

そして、芋掘りの様子はどうだったのかという話の後やっと作り始めました。

こうなってくると作る楽しみよりも待つ訓練のようになってしまいます。

出来上がった制作は、三個の折り紙で折った芋の上に自分が座っているという みんな似た構図になってしまいました。

同じように、芋掘りの思い出を作るという課題保育でも、 ある園は、先生が最初に少し説明をすれば、

後は子どもたちが自由にはさみや糊、 セロテープを使い、材料も廃材コーナー

(子どもたちが園や家でいらなくなった紙切れや箱カップなどをためておく場所)から、

いろいろなものを探し出してきてあれこれ工夫しながら作っていました。

出来上がった作品は、同じ芋一つとっても紙を丸めたものからおやつのカップ、 トイレットペーパーの芯まであってとても楽しめました。

なかには3人ぐらいで共同作品を作った子もいて (あまり上手く作れない子を二人の子が助けてあげていました)、

みんな自分の作った作品を誇らしげに説明してくれました。

「みんなでやった芋掘り、みんなで作った作品」。 楽しそうな作品や笑顔がそこにはありました。

同じ課題保育ですが、先生が違うとこうも違うものです。

話がそれてしまいましたが、集団生活と待つということは切り離せません。

どのようなときに待たせるべきなのか、 どのようなときには待たせないようにすべきかを考えていかなくてはなりません。

とかく、大人は自分の都合で子どもたちを待たせることが多くなります。 又、そういうときにじっと待つ子をいい子だと考えてしまいます。

その後、みきちゃんは、体重も戻り、元気な年長さんになっていきました。

そのころになると、前の園の楽しかったことや好きだったお友達や先生のことなどを 少しづつ話してくれるようになりホッとしました。

一番暴れさせてあげなければならない4歳児という時期に、 環境が合わなかったのかもしれません。

「待つ」と言うこと。 みなさんは、どうお考えになっていますか。