延長保育

当園は、AM7:00からPM7:00までが保育時間です。

もちろん、AM7:00からPM7:00まで園にいる子は一人もいません。

朝早い子はお迎えがだいたい早いですし、お迎えが遅い子は朝がゆっくりなど、 親御さんの仕事の都合にあわせています。

この延長保育を長年やってきた中で感じたことを書かせていただきます。

朝、一番早いのはまーくんとさきちゃんです。 7時ちょっと過ぎにやってきます。

それから、早出の先生と一緒に、 お花に水をやったり、三輪車を出すのが日課となっています。

朝からとっても張り切っている二人です。

いつ頃かしら、自分たちでやるようになったそうです。

「あいがとね」。 先生にお礼を言われている顔はとっても誇らしげです。

当園は、お迎えは「4時」ということになっていますが、 だいたい3時半頃から4時半頃の間にお迎えに来る親御さんが多いです。

お帰りのあとも、園庭で遊んでいたり、 お母さん同士の情報交換(おしゃべり?)も盛んですが、僕はこの光景が大好きです。

2階のテラスから(当園は事務所が2階にあります)よくボーとこの様子を見ています。

たくさんの子どもたちの笑い声、そしてお母さんたちの楽しそうな表情。

「何がそんなにおもしろいのかな?どんな楽しい話題かな?」と ついつい長居をしてしまいます。

園ではしっかり者で通っている子が、お母さんに甘えて困らせている姿、 お迎えの時とは違うお母さんの顔。

この空間には、園と家庭の狭間が存在しているようです。

どちらの生活も子どもにも親御さんにも大切なものだと思います。

ただ、この時間帯に怪我をすることも実際多いのです。

でも、怪我は子どもにつきものです。(別に開き直っているわけではないのですが・・・)

園なら、すぐに手当もできますし、大けがになるような場所でもありません。

本来なら家の周りでも近所の子や親御さん同士が このようにできる時間や空間があればいいのですが、

園庭でもいいのではないかと思うのです。

そして、わすかであっても毎日のこのような時間が、生きていく上で必要だとも思うのです。

(ただ、以前、お母さんがおしゃべりに夢中になっている間に、 子どもが友達の家に行ってしまったことがあったので、

「子どもが何をしているのかぐらいは把握していてください」とはお願いしていますし、

路上駐車をしている親御さんには、なるべく早く帰ってもらうようにはしています。)

子どもたちは、親御さんがお迎えに来るまでは、 お部屋で絵本を読んでもらったり、手遊びをしながら待っていますが、

5時近くになり、お部屋が寂しくなってくると、 延長のお部屋(乳児さんのお部屋)に移動します。

延長を始めて良かった点の一つとして、 親御さんの急な用事にもすぐに対応できるようになったことです。

(いつもより遅くなるときは電話を入れてもらっています)

延長を利用している子たちは、7.8人くらいの固定メンバーと、 その日の都合で遅くなる子たちです。

この子たちは乳児さんから年長さんまでいますが、いつも一緒なのでまるで兄弟のようです。

延長の先生は先任の先生が一人(だいたい乳児さんの先生)と あと一人は各先生が交代でやっています。

4歳児の子が帰っていくときに2歳児の子が「バイバイ、また遊んでね!」 と言っている光景は微笑ましいものです。

僕の3人の子どもも毎日7時まで延長でお世話になりました。

長男は、お兄ちゃんたちと遊べるのがうれしかったようですし、 3番目の長女は、赤ちゃんとの関わりが好きのようでした。

次男は、延長の先生が大好きで、どこかに遊びに行くたびに、 「先生にあげる」と言ってはきれいな石を拾ったり、花を摘んだりしていました。

延長保育は、普段の保育とは違い、できるだけ家庭的な雰囲気を大切にしていて、

テレビを見たり、好きな遊びをしながら親御さんのお迎えを待ちます。

その間の子どもたちの過ごし方を見ていると、 この時間が子どもたちの成長にとって悪い時間になっているとは思えません。

家に帰っても、一人でテレビを見ていたり、ゲームをやっているよりはいいと思いますし、

親子のふれあいの時間の減少による愛情不足になっているとも思えません。

確かに、親子でいる時間は短くなってはしまいますが、 子どももお母さんが一生懸命に働いているのは分かっていますし、

お母さんも少しでも早くお迎えにきます。

また、休みの日にはその分、濃密な時間を過ごしているようです。

だって、この子たちと話していると、お母さんやお父さんととの楽しい出来事を とってもよく話してくれるのですから。

家でのこと、公園に遊びに行ったこと、家族のこと、飼っている犬や猫のこと。

そして、お手伝いのことも実に楽しそうに教えてくれます。

「お皿洗いは、毎日僕がやっとるだに」とか

「サラダをお母さんと一緒に作ったよ、チーズも切るよ」

「お風呂にお湯を入れて、好きな色の薬を入れるだよ」と教えてくれます。

この子たちにとっては、お手伝いも親子がふれあう大切な時間になっているようです。

これは、何も延長の子たちだけではなく、保育園にいる子たちにも感じることです。

おもちゃで遊んだりテレビを見ることも楽しいですが、 お母さんと一緒にやる、お手伝いもとっても楽しい出来事のようです。

6時頃になってくると残っている子も半分くらいになってきます。

子どもの数がすくなるなると、僕たち大人からみると子ども自身も 寂しく感じてはいないかと心配になりますが、

子どもたちの様子を見ると、今度はおもちゃや先生を独り占めしたりと、 また違った感じで遊びだします。

驚くとともに、本来子どもというのはいろいろな面を持っていて、 その環境により適合する自分を出しているようにも思えます。

もちろんこの能力はよい面ばかりではありません。

いつもほっておかれて一人でいることが平気になってしまった子に、 みんなでする事の楽しさに気づいてもらえるのは大変な事です。

親子の触れ合いって何でしょうか?

愛情の深さって一緒にいる時間で計れるものでしょうか?

今日も薄暗い園庭で、遊ぶ4人の影が見えます。 5歳児のゆうくんと3歳児のみなちゃんとお母さんたちです。

お迎えが大体同じ時間帯なので、いつも薄暗い園庭で少し遊んでいきます。

お母さんたちは、きっと少しでも早く帰りたちと思っているでしょうが、 いつも4人で仲良く遊んでいきます。

「また明日ね、バイバイ」 かわいい声が聞こえてきます。

「すみません、今日はお迎えが5時半頃になります」

「後10分で着きます」 電話のお母さんたちの声は、いつもすまなそうです。

これは、園に謝っているだけではないように思えます。

一番に言いたいのは子どもに対してだと思うのです。

延長保育に対して、肯定的なことばかり書きましたが、もちろん負の面もあると思います。

経営上の面からのみやっているところもあるでしょう。

自分の時間ばかり大切にする親もいるでしょう。

子どもにとっても負担になるときがあるかもしれません。

でも、当園はこれからも延長保育をやっていきます。

「会社から園までは20分で来られるはずです」

「子どもさんに寂しい思いをさせないで」

そんな保母の言葉より、「いいですよ、お母さん、延長のお部屋で遊んで待っていますから」

「お母さんも大変ですよね、寂しい思いをさせないようにしています」 と言った方がきっと、

親御さんにとっても良いはずだという「思い」があります。

子育ての基本は楽しむことです。

子どもの成長と、それにまつわる諸問題に振り回されながらも楽しむことだと思うのです。

そして、しっかりと子どもと向き合いながら、 お互いが成長していく様が子育てというものだと思うのです。

そのお手伝いをするのが保育園の役割です。

延長保育は結局、対処療法だとお思いの方のいると思います。

本来は、そんなにお母さんが働かなくてもいい社会こそが必要だと お考えの方も多いのではないのでしょうか。

私たちは、目の前にいる一生懸命に生きているお母さんたちにどうしたら手助けが出来るか、

少しでも子育てを楽しんでもらえるために出来ることは何かと考えているだけです。

現在のポジションで今、出来ることは何かと考えているだけです。

それをやった上で、子どものことより自分のことばかり考えている親御さんには一言、 言わせていただいています。

薄暗くなった道を手をつないで帰る親子を見ると、思い出すことがあります。

まみちゃんのお母さんは、俗に言うヤンママです。

母子家庭で祖父母もいません。 髪の毛は金髪のロング、唇と瞼はいつも紫色です。 (写真を載せたいくらいですが)

7時30分から5時30分まで毎日お弁当屋で働いています。

まみちゃんも0歳児から保育園にいます。 しかし、このお母さん、先生達にすこぶる評判がいいんです。

爪や下着などいつも清潔ですし、何より子どもを大切にしているのが伝わってきます。

まみちゃんも延長の部屋にいるとき、たまに寂しそうな表情をすることもありましたが、

息を切らして走ってくるお母さんを見るととてもうれしそうでした。

そんな姿を見る度に「人は見かけによらないねー」と先生達は頷いていました。

「保育園の時はあんな格好じゃなかったのにねー」と昔を知っている先生も言っていました。

(当たり前の話で、そんな園児がいたら見てみたい気もしますが。)

理由は分かりませんが、中学時代にグレてしまったそうです。

すっかり立派な小学生になったまみちゃん、たまに会うとうれしそうに手を振ってくれます。

その姿を見ると、夕暮れの中を小走りでやってくる紫の唇と瞼を思い出します。