母子分離?

一月ほど前、レースに行くために夜中の高速道路を家族で走っていました。

ルームミラーを見ると、嫁さんと子どもが3人、腹を出して重なり合って寝ています。

我が家には、このようなことがよくあるのですが、結構幸せを感じるときでもあります。

そして、前車のテールランプをボー見ながら走っていたら、ある考えが浮かびました。

毎日の生活は、あれをやったりこれをやったりとやらなければいけないことに 追い立てられていますが(無駄な動きが多い:嫁さん談)

このようなボーとしている時間になると、なぜか頭が冴えて、ナイスなアイデアが生まれます。

「俺って天才じゃん!」とそのときは思うのですが、 レースが終わる頃にはほとんど忘れてしまうオバカさんです。

そんな中で、考えたことです。(たいしたことではないのですが・・)

「この頃の世の中の考え方が、そして少子化対策が、 母子分離の子育ての方向に向かってはいないか?」

と心配している保育者は以外と多いものです。

母親が働くことを「親の自己実現とか母親が生き生きと働くことが子どものためにもなる」

という綺麗な言葉や流行で片づけていいものだろうか?

「子どもだけのためには生きたくない」というのは、親の我が儘でないのか?

それに、経済的理由の共働き。

そして、そのための乳児保育や延長保育。

「本来、子育てというものは、親にとっては、楽しいことであり、生きがいのはずで、

そのためには、やはり親子が一緒にいる時間が大切であり、 少しでも長い方がいいのではないか」とお思いの方もいると思います。

だから、「家庭の教育力、子育て能力の復活こそが目指すべきものであり、 園がその肩代わりをするのは、対処療法にすぎないのでは?」

「乳児、幼児を長時間預かる施設を増やすことよりも、 仕事を持っているお母さんが、子育てをする間、安心して仕事を休めるように、

元の職場、元の職種への復帰を保証することとか、 育児期間中は働いているのに近い金額の助成金を出すとか、

残業を少なくする などの施策の方が大切なのでは?」とお考えの方もいると思います。

しかし、その一方で、育児ノイローゼ、幼児虐待、 社会からの隔離感、家庭での子育て能力の低下などは、

親子が一緒にいる時間が増えれば解決できる問題でもないように思われます。

では、子どもが育つためには、どんな環境が良いのでしょうか?

どんな家庭が理想なのでしょうか?

私たち保育者は、どうすべきなのでしょうか?

まず、母子分離(親子のふれあいの減少)について考えてみたいと思います。

確かに、母親が働くと、親子のふれ合う時間が短くなります。

しかし、保育園に勤めていて、いろいろな家庭を見ていると、 母親が働いていることと、子どもへの愛情の大小は関係ないと断言できますし、

働いていることが即、子どもの成長に悪いとは思えません。

「母子分離の子育て」というと、時間的なことだけに注目がいきますが、 実は、「精神的母子分離」こそが問題だと考えています。

そして「時間的母子分離」が、即ち「精神的母子分離」になるわけではないということは 考えれば分かることと思います。

実際に働いているお母さんも、 「親子の触れ合いは、時間ではない」と思っているのではないでしょうか。

(もっと触れ合いの時間がほしいと考えているお母さんも多いとは思いますが・・。)

日々子どもたちと関わっていると、 「親子の触れ合いってなんだろう?」と考えることがあります。

時間的余裕があるはずの家庭の子が、愛情不足であったり、

片親でお母さんが忙しく働いているはずの家庭の子どもが、 多くの愛情の中で育っていることもあります。

子どもが育つために必要なものはなんでしょうか?

もちろん、よりよい環境も大切でしょう。

一流企業のお父さんと、専業主婦のお母さん、

そして郊外のしゃれこけた(方言です)一戸建てなんていう(いわゆる理想の家庭?)も 良いかもしれません。

しかし、子どもの育ちにとって最も必要で、欠かすことの出来ないものは 「その子を大切に思う心」に包まれて育つことです。

親御さんの子どもへの愛情

優しいおじいちゃんおばあちゃんの心

友だちの思いやり

その子のことを真剣に考えてくれる先生の心

いつも見守ってくれているおばさん、おじさん

しかし、子どもの回りにはいろいろな「心」が存在します。

お父さんは、お母さんをバカにしている

お母さんとおばあちゃんは仲が悪い

おばあちゃんは、近所の人の悪口ばかりを言う

隣のおじさんは、出前持ちの人に威張る

先生は成績だけで判断する

あの子はいつも意地悪をする

子どもは身近にある「心」で育つものです。

どんな「心」が子どもの回りにあるのでしょうか?

もちろん、一番大切なのは、親御さんの「心」でしょうが、 親御さんでは育てられない「心」もあると思います。

親御さんと離れることで育つ「心」もあると思います。

これは、年齢に関係なく存在するものだと考えています。

園での乳児さんを見ていると、親御さんがいるときとは違う子ども同士の関わり合いをします。

園での姿と親御さんといるときの姿。 どちらも、子どもの本当の姿であり、大切にしたいものです。

親御さんの子どもを思う「心」を中心にして、 いろいろな人の「その子を思う心」が多く存在することが必要なのではないでしょうか。

そのような環境で育つ子どもは、 その子自身が必要としている「心」に寄り添うことが出来ます。

甘えたいとき、叱ってもらいたいとき、話を聞いてもらいたいとき、 共感してほしいとき、

意見が欲しいとき、冒険したいとき、助けてほしいとき。

全てを親御さんがやろうと思うことには親御さんに無理が生じます。

全てを親御さんがやってしまっては、子どもに無理が生じます。

現在の親の子育て能力、教育力は本当に低下したのでしょうか?

そんなに、昔の親は子育てがじょうずでしたか?

皆さんの親はどうでしたか?

幼児虐待が、社会問題になっていますね。

連日のように、痛ましい事件が報道されます。悲しいことです。

しかし、虐待をした親は、自分も子ども時代に虐待や行き過ぎたしつけを受けた経験が あることが多いそうです。

単純に考えれば、今騒がれている幼児虐待も実は昔からあったことで、

ただマスコミが取り上げなかったり、社会問題にまで発展しなかっただけかもしれません。

しかし、なぜ現在は、マスコミに大きく取り上げられ、 社会問題にまで発展しているかというと、死亡事故が増えたからだと思います。

なぜ、今の親は子どもを殺すまで殴るのでしょうか、蹴るのでしょうか、 投げ飛ばすのでしょうか、食事も摂らせずに閉じこめるのでしょうか?

やはり最大の理由は、家庭が密室になってきているからだと思います。

もし、おじいちゃんおばあちゃんがいれば、 夫がいたら(夫婦で虐待していたなんてこともありましたが)

兄弟がいれば、 近所の人がいれば、信頼できる先生がいたら 防げた子どもの死亡事故は多いのではないでしょうか。

昔の親だって、カッとなって殴ったり、蹴ったりしました。 (もちろん良いことではありません)

でも、誰かの目がいつもまわりにあったと思うのです。

弟を叩く親に泣きながら止めに入った兄ちゃんがいたかもしれません。

襖の間から、そっと覗くおばあちゃんがいたかもしれません。

子どもの異常な泣き声に飛んできた隣のおばちゃんがいたかもしれません。

村には必ずいた、お節介婆さんの目があったかもしれません。

子どもの様子がおかしいと、心配する先生がいたかもしれません。

お天道様が見ているってのも・・。

僕は、夜中の高速道路で赤いテールランプをボーと見つめながら考えていました。

この頃、子育てに関してあらわれている諸問題は、親の子育て能力が落ちたからか?

本当は、親の子育て能力の低下ではなく、 「社会」と関わる能力が落ちたからではないだろうか?

「社会」と関わらなくてもやっていけるような環境の中での 子育てが間違っているのではないだろうか?

(お母さんが働いている、いないに関わらず)

昔に比べて裕福になり、便利な世の中になりましたが、

その分「社会」との関わりを持たなくても生きていけるようになったことの 影響が大きいのではないか?

そう考えたときに、「だったら、家庭の中に(社会)を持ち込めばいいじゃないか!」 と思い浮かびました。

「社会」とは、多様な人間がいて、多様な考え方があり、多様な価値観が存在するものです。

それでは、家庭に「社会」を持ち込む(精神的な意味も含めて)ために 出来る私たち保育者のお手伝いは何か?

やはり、子育てに関するストレスを軽減し、 子育ての楽しさを再確認できるように、

そして、自分の子どもだけではなく、お友達の成長にも声援を送っていけるように、

行事を始め日々の生活から提案し続けることだと思います。

親御さん同士で悩みを言い合ったり、おしゃべり出来る場所や時間の提供も必要だと思います。

人と上手く関われない親御さんへのフォローも必要だと思います。

子育てに悩んでいたら、「がんばれー」ってエールを送り、 一緒に考えていけるような雰囲気作りも必要だと思います。

こんなことをばかり言うと、 「安易に子育てを園に任せればいいという親が出てしまわないか?」 と心配される人がいるかもしれません。

しかし、僕はあえて言います。

「そんな人にこそ園に来て欲しいのです。」

このような考えの親御さんに、 「家庭で子育てを楽しんでください」といっても無理な気がします。

「子どもさんを可愛がってください、子育てを楽しんでください」 と言葉だけで言っても無理だと思います。

「公園に行って、お友達を作ってください、児童館も良いですよ」 と提案したら子育ての楽しさに気づいてもらえるでしょうか?

今の親御さんは人との関わり合いが下手になってきているのではないでしょうか?

(管理教育、偏差値教育の影響もあると思います)

子どもと違い大人の意識を変えていくのは、本当に大変なことです。

真剣に向き合いながら、徐々に信頼関係を作り、 手を取り合って子育てをしていく施設なりグループが必要です。

当園でも、毎年新しく入られるご父兄の中には「いったい何を考えているの?」 と思う方がいます。

その割合が、年々増えているような気はしますが、僕は心配していません。

今年、卒園していく子たちの親御さんも、そうでした。

しかし、今では、先生が片づけ忘れたおもちゃをそっとしまってくれたり、 運動会では、お友達や異学年の子たちにも声援を送ってくれました。

年長さん最後の「げんきっ子ビデオ3」を作っているといつも感じることがあります。

(この時だけは、入園式からの思いでの場面を編集して入れまくります)

入園式より、卒園式の方がお母さんが綺麗になっているのです。 (僕が熟女好みというわけでもありません)

きっと、子どもと共に経験したこの何年かで、親御さん自身も成長したのではないでしょうか。

(短い人でも3年、長い人だと10年という方もいます)

その内面の成長が、表情にまで表れているのではないでしょうか。

「育児は育自」って言葉がありますよね。

「子どもを育てると言うことは、もう一度人生をやり直せる、楽しめる」って人もいます。

これらは誠に本当の事で、子どもたちと接していると、 教えられることや忘れていた感動が甦ります。

僕などは、自分の子どもたちと園の子どもたちに「人間」にしてもらったようなものです。

(これは決して、子どもを産んだ方が産まない方より優れているという話ではありません)

しかし、「子育て=親御さんの成長」という図式が、 出来にくい時代になってきたとも思います。

ですから、子どもの成長だけでなく、 親御さん自身の成長の手助けも現在の園にとっては大切な役割となっています。

もちろん、園の替わりにそのようなことが出来る場があればいいですし、

そのようなことが出来ない園も確かにありますが、 園が子育ての一つの柱になって(もちろん、一番大切なのは親御さんの愛情です)

家庭に「社会」を持ち込みながら、子育ての楽しさ、すばらしさを感じてもらうように、

手を取り合ってがんばっていく時代がやってきたと思います。

子どもの成長だけを考えていた時代ではないように思います。

長くなりましたが、最後に、あっくんとゆうくんという兄弟のことを書いて終わりにします。

お母さんは、ゆうくんが小さいときに離婚してしまいました。

あっくんもゆうくんも0歳児から園にいます。 仕事の関係で延長保育にいたことも多くあります。

たまには寂しそうな表業を見せたこともありましたが、 息を切らしてやってくるお母さんを見つけると、

とってもうれしそうな顔をして抱きついていました。

予定の時間を過ぎるときには、必ず電話がかかってきて、 「遅れてすみません、すみません」と謝るお母さんです。

「そんなこと気にしないで良いですよ」と答えていましたが、 僕には子どもたちに謝っているような気がしてなりませんでした。

あっくんとゆうくんは、タイプは違うのですが、とっても子どもらしくて素直です。

そして、いつもこの二人の回りにはお友だちがいます。

友だちとの関わり方がとてもうまくて、みんなに好かれています。

お母さん自身が、そんなに社交的にも見えないし、 どうしたらこんなにうまい子育てが出来るのかと、それとなく聞いてみたことがありました。

「私は、本当にダメな親であの子たちには何にもしてやれないんです」 と恐縮していましたが、こんなことを言ってくれました。

「ゆうの時は、もう生きていくのが精一杯で、私自身にも余裕がなくって、 子どもなんて産むんじゃなかったと思ったこともありました。

でも、先生や園で知り合ったお友達に励まされながら何とかやってきました」

そう言えば、ゆうくんの入園当初は、いつも不機嫌な顔でお迎えに来ていました。

その後は、よく延長保育仲間のみきちゃんのお母さんと園庭で、 話しているのを見たこともありました。

現在のあっくんの担任とは、もう5年のつきあいです。

薄暗い園庭のすみで、二人でしんみり話し合っているのを見たことがありました。

この先生も二人の子どもを育てているので、お母さんの気持ちがよく分かったかもしれません。

あっくんがあまりにもヘボタレだったときには、 お母さんの前で先生が泣きながら叱っていたときもありました。

「仕事が忙しいので、普段なんか怒ってばかりだし、 お休みの日にもどこにも連れてってやれない」と言うお母さんですが、

ひとつ気になることを言いました。

「よく、みきちゃんのお父さん、お母さんを始め、友だちが遊びに来てくれるんです、

もう狭い家の中で、子どもたちは遊び回るし、大人たちはワイワイ騒いじゃって」

この家庭には、「社会」があるなって思いました。

実際の家庭には、お母さんと子どもたちしかいませんが、 子どもを信じ、いろいろな価値観を受け入れられるお母さん、

何でも相談できる友達や信頼できる先生、 そして子どもたちにもそれぞれの仲の良い友だちたち。

そう言えば、お母さんが忙しいときなどは、 必ず近くのおばあちゃんが行事などにも来てくれていました。

そして何よりお母さんの子どもたちのことを思う愛情。

子どもを思う愛情は、子どもを産めば誰でも付いてくるものではありません。

子どもと共に歩む中で振り回されながらも向き合って生きていき、 いろいろな人と関わり合いながら助け合う、

そんな中で育つものではないでしょうか。

(子どもがいなければ出会わなかった人は結構多いような気がします)

また、親の愛情がいつも子どものためになるわけではありません。

愛情という名の思い込みや押しつけも残念ながらあります。

子どもは親だけで育つものでもなく、育てるものでもないと思います。

(ですから、子育てに失敗したとき、親だけを責めるのは間違いです。)

そして家庭の中にも「社会」(多様な人間、多様な考え方、多様な価値観)が 存在してほしいと思います。