勉強部屋って必要なの?

僕は以前から、どうも日本の家族のあり方が、 欧米化しすぎていないか?という疑問を持っていました。

いつ頃から子どもには個室を与え、 親子が川の字になって寝るということが少なくなってしまったのでしょうか?

本当に勉強部屋(個室)って子どもにとって必要なものでしょうか?


「子どもの自立のためには必要だ」

「子どもにもプライバシーがある」って意見もありますが、 僕はちょっと違うんじゃないかと考えています。


子どもってどうやって自立していくのでしょうか?

自立した子どもに育てるにはどうしたらよいのでしょうか?

どのような親子関係が必要なのでしょうか?


子どもを自立させるためには添い寝は良くないと言う人もいます。

勉強部屋(個室)を早くから与えた方が良いという人もいます。

確かに、個人主義が発達した欧米などは、 赤ちゃんを子ども部屋にひとりで寝かせて、

親はリビングや自分たちの部屋でくつろいでいるって場面を映画やテレビで見ます。

赤ちゃんと添い寝をすると、赤ちゃんも隣りにお母さんがいないと寝付けなくなる し、

お母さん自身も体を休められないということもあるでしょう。

自立した人間として成長するためには、 「一人になれる環境が必要なのでは」とお考えの方もいると思います。

でも、こういう事と子どもの自立ということは、本当に関係があるのでしょうか?


本来、子どもというのは、親から離れて自立していくものであって、

もし自立できない子どもがいたら、それは親に責任があるのではないでしょうか?

要するに、親の方が子どもから自立できないわけです。

親離れ、子離れといいますが、 「親の子離れ」が出来れば、自然と「子の親離れ」も出来るのではないでしょうか。

(思春期の反抗期も、自立へのプロセスのひとつだと思います。)

もちろん、真の「人」としての自立は、親から離れるだけではないでしょうが・・。

ですから、「個室だ、添い寝」だということと「子どもの自立」は関係ないと思いま す。

むしろ、日本古来の良さ?である「肌身のふれあい」(スキンシップ)を、 無くしてしまっていないかと心配することもあります。

そして、子育てにとってこのスキンシップほど大切なものはありません。

欧米には欧米流のスキンシップの方法があるはずですし、

「独り寝だ、個室だ」という表面的な部分だけを真似ても 全てが一緒になるわけではありません。

彼らは、いわば会話によるスキンシップを大切にしているのではないでしょうか?

「愛している」って子どもにも奥さんにも 毎日何回も言っている日本人なんて見たことありますか?

家族で会話をしながらする食事を大切にし、 時間もたっぷりとっている日本の家庭ってどのくらいあるのでしょうか?

違う人種でひとつの国を作る欧米って、 話すこと(議論すること)をとっても大切にしてきた人たちではないでしょうか?

ですから、親子のスキンシップもなしに、 勉強部屋に子ども専用の電話があり、

学校から帰ってきたらずっと勉強部屋に閉じこもっているとか、 夕食は外で食べているとか(塾などで)なんて、

自立以前に「人」として育つかどうかも心配です。

まして、日本の家によくあるような、 リビングを通らないでも、自分の個室に行けるような家の造りだったり、

密室になっていたりすれば、むしろ害の方が多いと思います。

(欧米では、このような作りにはなっていないし、 親の部屋には鍵がかけられるが、

子ども部屋には親が自由に出入りするものだとも聞いたことがあります)

この頃問題になっている子どもたちの「引きこもり」だって、 引きこもる個室がなかったらどうなっているのでしょうか?


家族というものは、毎日顔を合わせ、一緒の生活空間で過ごすものです。

他人にはとても見せられないところや言ってはいけないことだって、 家族なら許される場合が多いでしょう。

子どものプライバシーって、どのくらい必要なのでしょうか?

必要以上に与えることでかえって家族の絆までもなくしていませんか?


寝るときって、なんか素直になれませんか?

うちは、10時になると親子5人で電気を消して川の字になって寝ます。

嫁さんが昔話をしたり、子どもたちが今日の出来事を話してくれたりします。

長男(5年生)は、僕の耳を触りながら、 次男(3年生)は左手の指をしゃぶり、右手は僕の背中を触りながら、

そして長女(年長さん)は、嫁さんのおっぱいをまさぐりながら寝ます。

僕はこの時が好きなんですね。

寝るときってリラックス出来ませんか?

そんな時間を家族で過ごせる事って素敵だと思うのです。

だんだんと生意気な口を利くようになった長男も、 この時ばかりは「父ちゃんのみみー」と寄り添ってきます。

いつまで続けられるか分かりませんが、我が家の大切な時間だと思います。

子どもたちが寝静まると、嫁さんと僕はテレビを見ながら園の仕事を始めます。

「あんたはいつも口を開けて子どもと寝とる」と嫁さんは言いますが・・。


人は育つ課程での人とのふれあい、距離感みたいなものが、 その後の人生にも大きく影響するではないでしょうか。

精神的な距離感もあると思いますが、 特に乳幼児期は「ふれあいによる距離感」こそ、 親子関係の距離感(絆)になると思います。

中・高校生ぐらいになっても、 形こそ変わるかもしれませんが、このようなことは必要でしょう。

それが会話によるものなのか、添い寝なのか、 共通の趣味なのか、生活をする場所の密着度なのか、

それぞれの家庭なりのやり方があるとは思います。

幸い、我が家は狭いので子ども部屋を作る余裕はありません。

嫁さんは、密かに増築を考えているようですが、

嫁さんより給料が低いくせに、 モトクロスに人生を注ぎ込んでいる「甲斐性なし」がいますので、実現は不可能で しょう。

子どもたちがどうしても個室が欲しいと言い出したら、 八畳のおもちゃ部屋に仕切を二つ入れて3つの空間を作ってやろうと思います。

どうしても、一人になりたかったら、その「独房」にいればいいわけです。

(現在も勉強机は、リビングにありますし)

家族といるより快適な空間があることがいけないのです。

家族は、一緒に生活してこそ家族なのです。

個室を与えても、出来るだけ顔を合わせようとしている家庭もあると思います。

しかし、どんなやり方にしろ顔と顔をつきあわしたスキンシップがない限り、

家族の絆は生まれないし、育たないと思います。 まして、人とのつながりなんて・・。

そして、家族の絆もなく人とのつながりも持てない人間には、 「自立」なんて事は出来ないのです。

だって一番大切な基礎が出来ていないのですから。

立つべき土台が出来ていないのですから。

これらが出来てこそ初めて「人」として自立できるのではないでしょうか。

勉強部屋って本当に必要なのでしょうか?

個室がないと勉強って出来ないのでしょうか?

一人になる空間が、家の中にあることがそんなに大切なのでしょうか?

子どもたちが成長するにつれて、 僕はゴムのようにふにゃふにゃになった耳を触りながら考えています。