うるさい!

  以前、ちょっと気になる記事が新聞に載っていました。

滑り台が公園から撤去されたという記事なのですが、

理由が、近所の住民から「そこに集まる子どもの声がうるさい」 という文句が出たからだというのです。

実は、その滑り台は、前の公園からも見たような理由で引っ越してきたそうです。

保育園を作ろうとしたら、近所から反対の声が挙がり 窓ガラスを二重にしてやっと許可が得られたというのも聞いたことがあります。

もちろん園庭でも大声で遊べませんよね。


信じられない話ですが、 当市では子どもの声がうるさいとノイローゼになった園長先生もいました。

先日、子どもの夜泣きに対して、 住人(お隣さん)から家主側へ起こされた訴訟で、

原告側の損害賠償請求を全面的に認める判決が出たそうです。

訴訟は、苦情に対して適切な処置をしなかった家主側に対して起こされたものです が、

赤ちゃんの夜泣きをテレビやステレオの大音響と一緒の「騒音」として ひとくくりに考えるのもおかしな話ですよね。

テレビやバイク、車の音ならば、本人が気をつければ止めることもできますが、 夜泣きはどうすることもできません。

いくら家主に対する判決でも、 最後は小さな子どもを持つ家族に跳ね返ってくるのは明白です。

夜泣きが起これば、すぐに親は夜の公園か夜中のドライブにいけという判決なのです ね。

夜泣きの大変さは、経験した親でなくては分かりません。

きっと、裁判官は子どもがいないか、いてもすべて奥さんに任せきりの人では?

今の時代「赤ちゃんは泣くのが仕事」という格言?も通用しないようです。


私事ですが、うちの長男(11歳)も夜泣きがひどかったです。

何度近くの河原に行ったことか、夜中のドライブは日課のようでした。

こんな事をまたやるのかと思うと、二人目は考えてしまったのですが、 どうなることかと心配した次男(9歳)は、いつもぐっすり。

神経質な長男に手こずりながらも「日だまりのような子」でずいぶんと助けられまし た。

そして、「これなら3人目もいいね」と生まれた長女にはびっくり。

6歳になった今でも、夜中に突然「ギャッ!」っと叫び、 ぐるぐる回りながら足に当たるものを蹴飛ばします。

(我が家では回転乱舞と呼んで います)

長男と僕は枕を持ってすみっこに避難、 次男は指をしゃぶりながら丸くなってキックに堪えています。(その姿がいじらしく て・・)

そのキックが嫁さんのところにいくと止まります。

「痛いじゃん、もう!」という声と共に「バシバシ」という音。 長女は泣きながら正気に戻るのでした。

話がそれてしまいました・・。


いつから子どもの声が「騒音」になったのでしょうか?

いつから赤ちゃんの泣き声が「騒音」になったのでしょうか?

いつから子どもの声を「不快な音」と感じる人たちが増えたのでしょうか?

僕たちが育ったころは、 いつでもどこでも子どもたちのにぎやかな声が回りにあったように思います。

静かにすべき場所で騒いでいて叱られたことはありますが、 外で遊んでいて「うるさい!」と言われた記憶はありませんし、

赤ちゃんは、泣くのが当たり前だと思っていました。

だって、泣くことで意思表示をしているのですから・・。

少子化による子どもの数の減少、 そしてテレビゲームなどの流行で外で遊ぶことよりも部屋の中で遊ぶ子どもも増えて きました。

(そういえばファミコンの流行と肥満の子の増加・視力の低下は一致するそうです)

子どもの声を騒音と考える人が増えたのも、 子どもの声の中で生活することが減少してきたことが第一の原因ではないでしょうか ?

確かに、人によって不愉快な音はあります。

しかし、人類が存続していく上で必要な子どもの声や赤ちゃんの泣き声を 「騒音」としか考えられないような時代はおかしいように思います。

ひょっとしたら、子どもの声に限らず、

日本の社会や国民性が子どもや妊婦さん・老人などのように 弱者や生産性の低い?ものに対して厳しいのではないかと考えることもあります。


そういえば「AERA」の子育てに関する記事中にこんな一文がありました。

…将来の社会の担い手を育てているのに、 それに誇りを持てるどころか、肩身の狭い思いや屈辱を強いられる不条理。

二歳の息子のいる東京都の主婦(30)は、 「アメリカの西海岸で出産・育児を経験した。

妊婦時代は『なんて美しいんでしょう』とおなかをなでられたり、

子どもが生まれれば『なんてすてきでお利口な赤ちゃんなんでしょう』 と見も知らぬ人から、こちらが恐縮するくらい誉められたりした。

ちょっと子どもがレストランでぐずったりしても 『うちの子もそうだったから気にしないで』と気を使ってくれる

(もちろんそういうときにはこちらも早めに席を立つが)。

街全体が妊婦や子連れのお母さんにやさしい。 『母』という大変な仕事が社会的に認められていると感じた」


…マレーシアで幼い男の子を二人を育てている主婦(27)は、 「街なかで子どもを連れて嫌な思いをしたことがない。

銀行でもレストランでも、空港でもホテルでも、 人々は自然に子どもをあやしたり遊んでくれる。

マレー系の住民は子だくさんで、大家族で子育てをするし、 中国系は共稼ぎが多いのでお手伝いや保育園を利用する。

そういった子育て支援システムが整っている」…


少子化って意外とこんなところに原因があるという気もしますね。

みなさんは、子どもの声や赤ちゃんの泣き声、どう感じていますか?


PS

あれほど手をかけさせられた長男には、 今では良くお手伝いをしてもらい助けられています。

「ひだまりのような」次男は、僕に似て短気で怒りっぽくなり、 長女にパンチを食らわせています。

長女は、起きている限り楽しいヤツです。いつも家族を笑わせてくれます。

定年退職した保母さんがよく言っていました。

「子どもは、長い目で見れば親が掛ける手は一緒なの、 小さいときに手が掛からない子は大きくなったらかかるものよ。

子ども時代に散々手こずった子は、意外と大人になるとおとなしくなるのよ。 うちの子(3人)もそうだったわ」

トータルで考えれば一緒?ってことでしょうか。

まあ、うちの子どもたちもこれから山あり谷あり落とし穴?ありでしょうけど、

もう一生分の親孝行はしてもらったし、 後は自分の人生を楽しんでもらえればいいですけど・・。