【体罰って何?】 (2001/1)

僕が入っているMLで「体罰」の事が話題になっています。

そこで、僕なりの考えをまとめてみました。

たいばつ【体罰】 読んで字のごとく「体に苦痛を与える罰」の事ですよね。

みなさんは、「体罰」をどのように考えていますか?


私たち人間には、「言葉」という素敵な伝達手段があり、 「体罰」ではなく「言葉」で伝えていくべきだ。

心の底から出た「言葉」は、子ども達の心にちゃんと届くものだ。

「体罰」を認める事は、正当な理由があれば暴力をふるわれても 仕方ないし、

与えても良いという暴力肯定につながらないか。

という考え方もあります。


しかし一方では、 言っても分からないときは叩くべき。

子どものうちは、それも教育のひとつ。

「愛のムチ」は、必要。

子どもが納得するような叩き方もあるはず。

「しつけ」のひとつとしては「体罰」も必要。

と思っている人も多いのではないでしょか?


僕自身が学生時代を思い出しても、 「体罰」を行う先生=嫌いな先生 だったとは限りませんでした。

むしろ好かれていた「体罰」教師もいました。

その先生は、体罰の基準がぶれない先生でした。

善悪の判断が、生徒自身にも納得できていたんですね。

それに「体罰」の良さのひとつとして、 短時間で済むというのもありました。

その先生もあとに引きずることなく、 実にあっさりしていたのを思い出します。

もちろん、そんな「体罰」教師ばかりではなく、 中には「今でも会ったら絶対勝負してやるっぞ!」って 思う先生もいました。

あの時は、小さかったから暴力に屈してしまったけど、 今なら暴力で返してやるって思いますもん。

(家庭でも、力でねじ伏せていると力関係が変わったときに どうなるか考えてみてください)

その暴力教師がいたせいで、他のおとなしい先生が標的になったり、

表向きの態度は良くなっても、 影で友達をいじめて鬱憤を晴らしている生徒もいました。


また、手は出さないが長々と説教をする先生、 気に入らない子を無視するような先生、

生徒を全然信用していない先生もいました。

もちろん、生徒たちには嫌われていました。


先生だけの問題ではなく、 親御さん自身も「しつけ」の中で悩んでいる人も いるのではないでしょうか。

「しつけ」と思ってやっていた事が、 他人から見たら「虐待」になる事もあると思います。

子ども自身も「体罰」を受け慣れると友だちへも暴力的になったり、

家では良い子で、外では暴れん坊なんてこともあります。

その一方で、手を出さない代わりに、 ひどい大声で、子どもをしかりつけ萎縮させている親もいます。

理詰めで責め、どんどん子どもたちを追い込んでいる親もいます。

このような子どもは、自信が持てずに内向的になるか、

親にも負けないくらい友だちにガンガン言う子に なってしまうこともあります。


「体罰」って、何でしょうか?

体に罰を与えることだけが問題なのでしょうか?

そこには、 それらを受けている子どもたちからの視点がないように思います。

子どもの心は、どのように感じているのでしょうか?

「体罰」って実は、心の問題ではないかと感じています。

愛情のある体罰なら良いと考えている人もいると思いますが、

いくら本人が愛情を持って叩いていても、 それが子どもに伝わっていなければ、

やはり単なる「暴力」になってしまうと思います。

そして、「体罰」は、 即効性があるために知らず知らずのうちに「癖」になってしまうものです。

特に教育者である先生たちにとっては、 ある意味「禁断の木の実」ではないのでしょうか。

また、人間は犬や猫ではないので言って聞かせれば分かるはずだと、

長時間理詰めでとことん追い詰めていくことも やはり一種の「暴力」だと思います。

叱る時に気をつけなければならないのは、 子どもを追いつめすぎないことだと思います。

子ども自身に考える余裕を残しておくことは大切な事です。


「体罰」って、誰が判断するのでしょう?

周りで見ている人?

先生や親?

それとも専門家?

僕は、それを受けた子ども自身だと思います。

叱られた子ども自身が納得できていれば体罰にはならないでしょうし、 心の傷にもなりません。

体罰は、親が判断するものでも、先生が判断するものでもなく、

それを受けた子どもだけが判断できるものではないでしょうか。

手を上げようが、言い聞かせようが、無視しようが、 叱られた本人(子ども)に、

「どうしてそのようにしなければならなかったのか」が 伝わっていなければ意味の無い行為ですし、

やっている人の単なる自己満足で終わってしまうものです。

どんな方法であれ、子ども自身が叱られることに納得でき、 心の傷にならなければ、「体罰」とは言えないのではないでしょうか。

(信頼関係が必要なのはいうまでもありません)

また、どんな方法でも心に傷として残るようなら、 立派な「体罰」だと思います。   

毎日子どもたちと接していると、 体に残る傷と共に心に残る傷を考えてしまいます。

みなさんは、「体罰」をどのように考えていますか?