【「しつけ」はするもの?】 (2001/5)


この頃、家庭での「しつけ」の大切さが改めて問われています。

学級崩壊を始めとして、ルールを守れない子どもが増えた事、増加する青少年の犯罪、

成人式での大騒ぎなんて事もありましたよね。

マスコミを始めとして、 子どもたちの行儀の悪さ、礼儀のなさがいつも取り上げられています。


しかし、一言に「しつけ」といっても人によって捉え方が違うと思います。

「人に迷惑をかけない最低限の事」から

「生きる力を身に付けさせる」なんて学校の先生のような方までいるのではないでしょうか?

今回は、あえて辞書などの最初の方に出てくる「礼儀作法を身につけさせること」に

限定して書いてみました。

「しつけ」の定義をあまり大きくすると考えがまとまらないし、

読んでいる人にも伝わらないと思うからです。


では、みなさんはどのように子どもに「しつけ」をしていますか?

間違った事をしたときには、厳しく叱る。

何回も根気よく説明する。

「しつけ」は習慣だから、身に付くまでやらせる。

きっと、各家庭なりのやり方があると思います。

家庭での「しつけ」を否定する人は少ないと思いますが、本当に「しつけ」はするものなのでしょうか?


日々、多くの子どもたちを見ていると、親が「しつけ」をしていると思っているほど、

子どもには届いていないと感じる事が多くあります。

一番身近な例として「あいさつ」を考えてみましょう。

「あいさつ」は礼儀正しい子に育てるための基本だと思っている人も多いと思います。

上手く挨拶が出来ない子を「あいさつは!」と叱っている親御さんも良く見受けられます。

「あいさつ」の大切さや意味を懇々と説明している親御さんもいます。


では、「あいさつ」が上手く出来ない子どもは本当にダメな子なのでしょうか?

ひょっとしたら、したいと心では思っていても恥ずかしかったり、

タイミングが分からないだけかもしれません。

まだ「あいさつ」の必要性を感じていないだけかもしれません。

しようと思っていたのに、先に親に言われて意地になっているかもしれません。

子どもの気持ちなんかいちいち考えていたら、「しつけ」なんて出来ないと言われる人もいるでしょうが、

「しつけ」と称してやっている事って、本当に必要なのでしょうか?

それで「礼儀や作法」が、本当に身に付いていくのでしょうか?

誤解を恐れずに言わせてもらえれば、 僕は家庭で「しつけ」をする必要はないと思います。


本来「礼儀や作法」なんて自然と身に付くものではないでしょうか?

じゃあ、どうして「しつけ」の行き届いていない子どもが増えたのか?

簡単です。 「しつけ」の行き届いていない大人が増えたからなんです。

礼儀や作法が悪い大人が増えた事を子どものせいにしているだけなんです。

昔は、もっと「しつけ」に厳しかった。

自分もそのようにして育てられたおかげで 礼儀や作法が身に付いたと思っていいる方もいるでしょうが、

そのときの親の様子を思い出してみてください。

もし、あなたが、本当に親のおかげで礼儀や作法が身に付いたと考えているなら、

きっと親御さんも礼儀や作法が出来ている人だったんですよ。


「しつけ」は「する」ものではなく、親が日常生活の中で「みせる」ものなのです。

その姿をいつも見ていれば、 子どもには自然と礼儀や作法が身についていくものなのです。

「親の背中を見て子は育つ」って言うでしょう。

昔の人は、ちゃんと分かっていたんですよね。


タバコの吸殻を道に捨てている親がいくら 「ゴミを捨てちゃいけない」と言ったって無理なのです。

他所の親や子どもの悪口ばかりを言っている親が

「みんなと仲良くしなさい」って言ったって子どもの心に届いてるはずはありません。

自分より立場が上の人には、ヘコヘコしているくせに立場が弱い人に威張っているような親が

「弱いものいじめをしてはいけない」って言ったって子どもに通じるわけはありません。

「人の話を良く聞くように」と言っている親や先生が、

人の話も聞かずにおしゃべりをしている姿に子どもたちは気づいているのです。

子どもの話を聞いてやらない親が、いくら子どもに人の話を聞くようにと言っても無理なのです。

子どもは、バカではありません。

親を始めとした大人たちの矛盾を本能的に感じています。


力や言葉でねじ伏せて従わせ、例え上手く「しつけ」られたと感じていても

親や先生がいないところでは、どうだかわかりません。

むしろ押さえつけられている反動が出ている子も多くいます。

親に叱られる事で明らかに萎縮してしまい、

自信をなくしている子やストレスを貯めている子も見受けられます。

そして、以前に比べてこのような子が増えてきています。

外に見える「態度」だけで、その子を判断してしまうとその子の良さも見失ってしまいます。


当園には、毎年多くの中学生が来てくれます。

中には、学校からはみだしている子もいます。不良と言われていたり、不登校だったり・・。

(でも、何故か保育園には来てくれる子がいるのです)

学校の先生も、始めのうちは大変心配しています。

でも、しばらくするとその子たちの新しい面に出会います。

学校では見せなかった面が園児とのふれあいの中で顔を出すのです。


子育てをしていると素敵な事がたくさんありますが、心配な事、悩んでしまう事にも多く出会います。

でも、すべての子ども達には「力」があります。

大人はついつい 「子どもは劣っているものだから常に導いてやらなければいけない」

と考えすぎてしまいます。


「しつけ」は「見せる」ものだと書きましたが、子育ては聖人君子でなければ出来ないものではありません。

「しつけ」も、よほど礼儀や作法が出来ている家庭でしか身に付かないものでもありません。

現に、保育園には礼儀正しい素敵な子どもがたくさんいます。

もちろん、親御さんが礼儀正しく作法が良い時もありますが、褒められる親ばかりではありません。

では、どうしてでしょうか?

周りを上手く使っていると思うのです。 (意識しているしていないはあるでしょうが・・)

「あのおじさん、落ちていたゴミを拾ったよ、父ちゃんも見習いたいなー」

「あのお母さんの周りには、いつも楽しそうに笑っている人がいるわ、きっと良い人なんだろうなー」

「あの子は、誰にでもやさしいね」

周りには、見習いたい人がたくさんいますよね。良いところを持った人がいっぱいいます。

もちろん人間なんですから良いところばかりでなく欠点もありますが、

子どもには良いところ、見習わせたい行いを「気づかせて」あげればいいのです。

これだけでいいのです。

子どもは、そこから学んでいく力を本来持っているのです。

もちろん、自分もなるべく子どもの見本になれればいいのですが、そんなに無理をする必要はないのです。

「笑顔で挨拶されたら、一日気持ちよかった!」

「やさしくされたら気持ちよかったね!」

「あの先生の笑顔って素敵だね!」

「今の店員さん、感じよかったね」

「あの大工さん、良い仕事してるなー」

そう言い続けるだけで、子どもたちはどのような行いが人を幸せにするのか、

どのような事が素敵な事なのか、気持ちの良い事なのかを学習していきます。

「父ちゃんも、あんなところは見習いたいよな」

親がいつも手本にならなくてもいいのです。

ですから、最低なのは、人の悪いところ、欠点ばかりを言う親や大人なのです。

よほど出来た子どもでない限り、似たような大人になりますよ。


「しつけ」はするものではなく、親と周りの人の良いところだけを手本にさせるようにすればいいのです。

「気づかせて」あげればいいのです。

それでも出来ないときこそ、親として意見すればいいのです。

「しつけ」=「叱る事」とは安易に考えて欲しくないのです。

「叱る事」は大切ですが、叱る前にやらなければならない事もあると思うのです。


普通の子が突然キレル、良い子だと誰もが思っていた子が突然殺人を犯してしまう。

この頃の青少年の犯罪とそれにまつわる親へのバッシングで

「しつけ」について過剰に考えている方も増えてきています。

「しつけ」は確かに大切です。

でも、いろいろなやり方があります。 ただ、厳しくすれば良いわけではありません。

親が全責任を持ってやり遂げるものでもありません。

あまり背負いすぎると子育ての一番大切な「楽しむ」という事が出来なくなってしまいますよ。


でも、がんばって家庭でどうしてもやらなければならない事があるのです。

「しつけ」のように「みせる」だけではダメなものが家庭にはあるのです。

親でなければ出来ない事があるのです。

それは、基本的は生活習慣です!

早寝早起きはもちろん、起きたら歯を磨き、朝ごはんをちゃんと食べる。

お菓子やジュースを食べ過ぎず、熱ければ服を脱ぎ、寒ければ服を着る。

この頃は、このような基本的な事が出来ていない子が多く、そのために体に変調をきたしている子もいます。

体だけでなく、脳の発達にも悪影響があります。

いっぱい汗をかいて遊んで、お腹が減って3回の食事が待ち遠しく、夜は疲れてすぐ寝てしまう。

ちょっと前まで、当たり前だった子ども達の姿だったはずです。

しかし、今はとっても難しい事になってきました。

親御さんたちにこそやってほしいのは、 基本的な生活習慣を子どもたちに身に付けさせてあげることです。

一度身についてしまえば、それでいいのです。よろしくおねがいします。