スーパーオヤジ(2006/6)  

先日のレースで久々にガミガミオヤジに会った。

といっても以前に書いたオヤジたちではない。ニューガミガミオヤジだ。


ある草レースでのことだ。

次にあるナホのレースをスタート場所の後ろで待っている時だった。

そこに前のジュニアクラスが終わって帰ってきた。

その時、1台のKXにすごい剣幕で近づいてくるオヤジがいた。

そのオヤジは、わめきながら持っていた手袋を子どもにぶつけた。

レースが終わったばかりの子どもの顔はみるみるこわばっていった。

スタート前なので多くの子どもたちや大人も何事か?という顔をしていた。

そのオヤジが手袋で子どもの頭を叩きながら言っていることを聞くと

どうやらゴール直前の争いであきらめたことに怒っているようだった。

実際には、そのレースを見ていないし、各家庭には各家庭の子育ての仕方があると思っているので

黙って見ていたが、あまりにしつこく怒っているので段々とイライラしてきた。

手袋でヘルメットを叩いているので、オヤジなりには考えているかもしれないが、

大声でいつまでもガミガミ怒っている姿はみっともないものだ。

こうなれば、どう考えても子どものために叱っているのではなく、自分の気持ちを発散しているだけだ。

自分より弱い子どもだからこんな態度に出られるんだろう。

「オレにもガミガミ言ってみろ!」と段々と戦闘態勢に入りつつあった父ちゃんは、言ってやりたかった。

しかし、ここはスタートを待っているヤツが沢山。

みんなも見ている。

意外と恥ずかしがり屋の父ちゃんは、こんな時はついつい人目を気にしてしまう。

その時、オヤジの一人がさっと横を通りすがりながらガミガミオヤジの背中をトントンとなだめるように叩いていった。

ガミガミオヤジは、それでも手袋でヘルメットを叩いていたが、やがてバイクを蹴倒してパドックに帰っていった。

子どもは、泣きながらバイクを一生懸命に立てていた。

その時、父ちゃんの裏から声が聞こえた。

「にいちゃん、がんばりや!」

次のレースを待っているオヤジが声を掛けたのだった。

「がんばれ、がんばれ!」

隣にいた母ちゃんも声を出していた。

その子どもは、こくんと頷くとバイクを押してパドックに向かっていった。

その後ろ姿を見ながら父ちゃんは、恥ずかしかった。

父ちゃんは、曲がりなりにも園長だが、あの時考えたのは、「このオヤジなら勝てる!」だった。

もし、周りに人がいなかったら「お前は自分より弱い子どもだから偉そうにしてんだ、子どもの気持ちを考えてみろ!」

と叫んでバコバコにやっつけて満足していたかもしれない。

でも、これだって自分の気持ちを満足させたいだけだろう。

あのガミガミオヤジと本質的には同じだ。

その子にとっても目の前で自分の親がやられて気持ちのいい話ではない。

子どものことを考えている気になって、実は自分のことしか考えていなかった自分が恥ずかしかったのだ。

それに比べてあのオヤジたちはどうだ?

いきり立っているオヤジを少しでも冷静にさせようとしたオヤジ。

「にいちゃん、がんばりや!」と子どもに声を掛けたオヤジ。

父ちゃんは、この二人のオヤジをスーパーオヤジと名付けて師と仰ごう。

素晴らしいオヤジたちだった。


子どもは親を選べない。

あの子は、一生あのオヤジの子どもだ。

だからあの子にとって大切なことは、「君を応援している人が世の中にはちゃんといる」って伝えることだ。

虐待をうけた子が「お母さんごめんなさい」と言いながら死んでいったと聞いたことがある。

子どもは、どんな親でも親が大好きだ。

子どもというものは、親が怒っているのは、やっぱり自分が悪い子だからと考えてしまう。

叩かれたり、罵られたり、無視されたりしてもやっぱり原因は、自分にあると考えてしまう。

だからこそ、子どもの目の前で親をやっつけることよりも

子ども自身に親以外の価値観で接して応援してあげる人が必要なのだ。

実は、一昔前ならこんな人が子どもの回りにいっぱいいた。

お節介おばさんやうるさいジジイもいっぱいいた。

この頃でこそ虐待だ!虐待だ!と騒ぐが、昔の親だって虐待なんて日常茶飯事だ。

では、なぜ今ほど死亡事件が起こらなかったと言えば、

そこまで追いつめられる前に多くの人が親や子どもに声を掛けたり、相談にのったり、手助けをしていたからだ。

人間は有史以来、みんなそうやって子育てをしてきたのだ。群れで生きてきたのだよ。

親だけで子育てなんか出来ないのだ。

子育ては、「親でなければ出来ないこともあるが、親では出来ないことも多い!」とよく保育園の保護者には話している。

現在起こっている様々な問題の多くは、社会から子育て力が落ちたことが原因だ。

当たり前のことだが、子どもは親が中心になりながらもやっぱり社会で育てるものなのだ。

子どもは多くの価値観の中で、多くの人たちと関わることで、自分なりの価値観を見つけ、自分の生き方を探せるのだ。

子どもは、親が思っているより賢いのだ。

自分自身で選択する能力を持っているのだよ。

だから子どもは親に聖人君子を求めているわけでもなく、また、そうなる必要もないと思っている。

あのガミガミオヤジだって良いところはあるだろう。

親の悪いところは、その時々に周りにいた人が補ってやればいい。

でも、やっぱり子どもには、親として大切に思っていることだけは伝えてやって欲しいな〜。

怒りすぎたと思ったら素直に子どもに謝って欲しいな〜。

子どもは、親が大好きなんだからきっと許してくれると思うぞ。

そうすることで子どもが成長していく過程でも、自分が悪い時にはちゃんと謝れる大人になれると思うぞ。

やっぱり親は子どもの鏡なのだ。