入院だー!(2007/4)  

今年(’06年)の7月の中旬に生まれて初めて入院というものをした。それも十日間もだ。

こんな無茶な生き方をして、20才の頃から公道でもバイクに乗っていて、尚かつモトクロスをこの年になってもやっているのに、

今までたいした怪我もせずに済んできたのだから、一番本人がビックリしていた。

今まで病気に罹ったって根性で治してきたから、入院なんて考えたこともなかったのだ。
(薬だって、余程悪くならないと飲まないから、飲めば良く効くのだ)

実は、入院の五日前に、美杉で練習走行をしていた。

'06CR85を綺麗なうちに売り払い、'04CRFに乗り換えたタカを朝から、からかって遊んでいたのだ。

15才になれば、自動昇格でNBに上がれるので、85で芽の出ないタカは、さっさと85をあきらめ、CRFに慣れる道を選んだ。

まぁ、ショウゴがCRFに乗り始めた時より背丈もあるのだからと乗せてみたのだが、

これがなかなか器用なヤツですぐにそこそこ乗れるようになってしまった。

「85よりこっちの方が乗りやすい!」「もう、父ちゃんより速い!」などと寝ぼけたことまで言い出す始末なのでちょっと遊んでやっていたのだ。

しかし、寝ぼけたことを言うだけ合って、午後には、あきらかに85時代よりもタイムも上がっていた。

父ちゃんのいつもの練習なら、午後には疲れ果ててボーとコースを見ている時間が長くなるのだが、

この日は、「父ちゃん一緒に走ろう!」とタカがすぐ言ってくるので、おちおち休んでもいられなかった。

そうこうするうちに雨が降ってきた。

「もう止めようぜ」と言えば「父ちゃんは、オレに負けるのが怖くて逃げる気だ!」と騒ぐので

雨の中を延々と二人でバトルをしてしまった。

朝から、風邪気味だったのだが、そのうちに頭まで痛くなってきた。

すると「仮病を使ってまで逃げる卑怯者に成り下がったか」とバカなことを言い出すので止めるに止められない。

ジャンプの着地で頭がガンガンしだしたが、乗れば乗るほど速くなっているタカを見ていると、人の良い父ちゃんはついつい相手をしてやったのだった。

月曜日も頭が痛かったが、仕事を休むわけにもいかず、結局無理して金曜日までずるずると仕事をしていたが、どうも調子が悪い。

夏風邪なんてものは、根性で直すと駄々をこねていた父ちゃんだったが、異変に気づいた母ちゃんに無理矢理、市民病院に連れていかれた。

しかし、検査を受けている間には、立っているどころか座ってもいられないほど頭が痛くなってしまった。

「頭が割れるように痛い!」とは、まさにこの事だと思ったぞ。

とても根性なんかでどうにかなるレベルではなかった。

もがき苦しんでいるうちに太い注射針で髄液を取られ(これがまた痛い!)検査の結果髄膜炎と診断され、即入院となってしまった。

ちなみに父ちゃんの一番嫌いなものは注射だ。怖いもの知らずの父ちゃんだが、注射だけは怖い!!

その時の担当した先生が、どこかで見たことあるしょぼいオヤジだと思っていたら、実は、高校の時の同級生だったのだ。

思わぬ所で、思わぬ時に出くわし、同窓会をやってしまったしょぼいオヤジたちだったのだ。

髄膜炎というものは、頭は痛いし、気持ち悪いし、本当に苦しかった。

しかし、本物の苦しさは、この後にやってきた。

診察室からすぐにベットに寝かされ、24時間点滴を打たれ上に、動くのもトイレまでだと制限された。

退院するまでの10日間ずっとベットの上で雲を見ている生活は、ボディーブローのように父ちゃんを苦しめた。

日々の生活では、「無駄な動きや無意味な動きが多い!」「少しはじっとしていて!」と散々言われている父ちゃんだ。

自慢じゃないが、小学校の通知票には、6年間ずっと「落ち着きがない」と書かれたぐらいだぞ。

そんな父ちゃんが「動いてはいけない」と言われたのだからぞれはそれは地獄のような日々だったのだ。

食事制限もなく、「どんどん食べて体力をつけてください」と言われていたのだが、

頭は痛いし、目が回るし、ストレスは溜まるしで、

ご飯の匂いを嗅ぐだけでも気持ちが悪くなってしまい、痩せおとろいていくいっぽうだった。

保育園の先生たちの給料もやらねばいけないし(即入院となってしまったので何の準備も出来なかった)

お泊まり保育もあったので、無理を言って7月の最後に退院をした。

本当は、あと2週間ほどは入院が必要だったようだ。

しかし、それは父ちゃんに「死ね」と言っているのと同じこと。

どんなに苦しくてもやはり家(保育園)は、良いもんだ。

根性でお泊まり保育をやり、根性で先生たちの給料をやったが、

結局、保育園の医務室で1時間横になっては、10分働くという生活を2週間以上も続けた。

なんとか一日働けるようになったのは、9月に入ってからだった。

恐る恐るバイクに乗るようになったのは、10月以降。

まるまる二ヶ月以上もバイクに乗らなかったのは、20才でハスラー50に乗って以来初めてだった。

もう二度と経験したくない恐ろしい出来事だった。

健康のありがたさがこの歳になってやっと分かったぞ。

みなさんもお体には気をつけてくださいな。

PS

保育園関係者にも髄膜炎で入院していたことが広まってしまった。

「髄膜炎って、子どもが罹ることが多い病気ですよね?」と聞かれると

みなこ先生(母ちゃんだ)は、すかさず「うちの園長、頭の中が子どもですから〜、ホッホッホ〜〜!」と

人の不幸をダシにしてお笑いをとることを忘れなかった。