[広島の親子]('08/1)


 弘楽園の二日目、やっとこのガチガチでデコボコのコースにも慣れてきた。
その時に、全日本でも活躍するようになったIBの親子が、隣に車を止めた。
この親子とパドックが隣同士になるのは、ずいぶん久々のことだった。
きっと、このIBの子がまだ80の頃だったと思う。

父ちゃんも全日本で初めて弘楽園を走るので、はるばる広島まで練習に来ていた時のことだった。
80のショウゴも初めて弘楽園を走る。
タカに至っては、65だったのでナホとあちこちを探検して遊んでいた。

とにかくコースを覚えなければならないとバイクを降ろしたらすぐに練習を始めた。
しかし、父ちゃん達よりも速く準備が出来ていたのにこの親子はなかなか練習を始めなかった。
まだ小学生のあどけなさが残っているので当時のショウゴとそんなに変わらなかったと思う。
その子が、スポークの増し締めから各ボルトのチェック、エアクリーナーの交換と一つ一つ丁寧にやっていた。
オヤジは、その横で整備する姿を眺めているだけだった。
時々、困ったり確認したい時にだけオヤジが教えるという感じだった。

その時はとにかく「すごいな〜」と感じたのを覚えている。
バイクの整備だって、少しずつでもショウゴに教えないといけない!と思いつつも
ショウゴにやらせてボルトがねじ切れてもいけないし、何より自分ひとりでやるより時間が掛かってしまう。
保育園では「子どもは失敗をして学んでいきます、親が先回りをし過ぎずにゆったりと見守ってやってください!」
なんて偉そうに言っているのだが、一番出来ないのが父ちゃんなのだ。
なかなかコースで走れない父ちゃん一家は、まず走ることが一番で、時間があった時にだけ時々整備、
だいたい時間がないので最低限の整備をオヤジだけがするという具合だった。

ショウゴも今でこそエアクリーナーぐらいは替えられるようになってきたが、まだ一人でタイヤ交換も出来ない。
隣では、今では立派な青年になった子が、あの当時のように一人で黙々と整備を始めていた。
少し白髪が増えたオヤジは、これまた当時のように椅子に腰掛けてその様子を眺めていた。
きっとこの親子は、ずっと二人三脚でこうやってきたのだと思う。
その結果が、IBでも全日本の決勝を走りポイントも取るくらいまで成長したんだろな〜。

ショウゴも80の時は、この青年とほとんど同じくらいの速さだったが、今ではとてもついていけない。
「スポークってどっちに回せば締まるんだった?」と無邪気に聞いてくるショウゴを見て
この差は、偶然なのではなく、必然だったな〜としみじみと思う父ちゃんでなのであった。