[発見だ〜!]('08/5)

 髄膜炎で入院するし、歩けないほどの肉離れはするし、鎖骨は折れるし、

目には注射を打たれるし、保育協会の会長になってしまたりと

ここ数年の次々と身に降りかかる不幸にもめげず、父ちゃんは日々明るく生きていた。

そして、ひとつの事を発見した。

不幸自慢が続いたので(笑)、今回は、こんな生活の中で気づいた幸せについてだ〜。


父ちゃんは、24歳でモトクロスを始め、26歳で結婚していったんモトクロスをやめたが、

すぐにkx80を買ってエンデューロに挑戦し始めた。

中部地方では、ずいぶんとブイブイ言わせたものだ。(と、本人だけは思っている)

その後、36歳でモトクロスに復帰して、38歳で国際B級。

もうずっと、なにがしらのレースに出ていた気がする。

「バイクに乗る事」=「他人と競争する事」だったのだ。


そう言えば、GS650やFZX750で峠を攻めていたときだって、他人と争っていた。

イヤイヤ入った消防団だって、走法や早出し競争には燃えてしまった。

運動会は、父ちゃんのためにあるようなものだった。

父ちゃんは、根っから人と競争する事が大好き人間なのだ。


そんな父ちゃんが、ずいぶんとレースからも遠ざかってしまっていた。

この頃は、自分のバイクをさわる事もなく、ただひたすらショウゴとタカのバイクの整備に明け暮れていた。

今まで、余りよく見ていなかったが(それも問題だ!)やはり練習すればするほどバイクも傷む。

ショウゴのCRFだって2年目、タカのCRFは、三年目だ。

父ちゃんのCRFに至っては、4年目だ。


父ちゃんのCRFが新車で来たときは嬉しかったな〜。

ツルツルピカピカのフェンダーをいつまでも撫でていたものだ。

ついに“ワカパイ号”なんて名前まで付けてしまったし・・。かわいいCRFだったな〜。

それがいつしか“タレパイ号”になり、今では、りっぱな“おばさん2号”だ。
(1号は、もちろん母ちゃんだ)

あ〜、無情。


しかし、ザラザラの鮫肌のような“おばさん2号”のフェンダーをさわっていて気づいた。

あれ?タカのCRFとそんなに変わらないじゃん!

そうか、そういえば、もうずっとこの“おばさん2号”に乗っていないではないか!
(ついでに1号ともおひさだ、もう元気もないぜ)

バイクは乗らなければ痛まないという事に初めて気づいた。
(人間は、乗らなくてもあちこち垂れてくる・・)

父ちゃんにとってバイクとは、常に乗って当たり前の存在だった。
(若いときは母ちゃんとだって・・)

言い換えれば乗ってこそのバイクなのだ。
(あ〜あの頃は若かった!)

バイクに乗ってレースに出る事こそが父ちゃんの生き方だったのだ。


でも、痛まないという事はなかなか良いものだ。

出来る事なら、新車のCRFをそのまま飾っておきたいくらいだ。

いつまでも“ワカパイ号”。永遠の“ワカパイ号”。未来永劫“ツルツルピカピカ”・・。

う〜ん、良い響きだ。
(母ちゃんも若いときに冷蔵庫に入れておけば良かった!)


そして、レースに掛かるお金も全然違う。

父ちゃんのエントリーフィーがないだけでも、1レースがだいぶ安くなる。

オイルやガソリン代、消耗品の交換。タイヤだって変える本数が少ない!

怖い思いして2連を無理に飛ばなくても良いじゃん!

ラップされるときに「どけ〜!」とか「ヒャ〜!」と騒がれる事もない。


あ〜なんて平穏な日々。


お金もかからないし、痛い思いもしなくてすむ。

子どもや母ちゃんに馬鹿にされる事も少ないような気がする。気だけだが・・

う〜ん、こんな生活も良いかも!


そして、こんな平穏な日々を過ごしている父ちゃんのお腹は、ドンドンと出ていったのでした。