[これで良いのか?]('08/8)
いよいよ’08年の中部戦も近づいてきた。
ここ数ヶ月ほどは、なかなか中身の濃い練習が出来ていたので、子どもたちの走りが良くなってきたのも手に取るように分かる。
今までだって、子どもの成績が良かったときなどは嬉しかったが、
今の嬉しさは、子どもと一緒に努力してきた成果が実感できているようで、これまでとはあきらかに違った。
本当に父ちゃん一家の新たなる伝説が生まれるのでは?
そう言えば、父ちゃんは、今まで、ちゃんとした親ではなかった。(やっと気づいたか!←母ちゃんの声)
新車を誰が乗るかで、醜い争いもしてきた。いつも子どもより自分のレースのことばかり考えていた。
あ〜反省。
これからは、もっと子どものことを考える良き父親になろう!
そんなことまで考えてしまうほど、子どもたちと一緒になって頑張ったここ数ヶ月間は、父ちゃんを変えていた。
そして、’08年2月中旬。ついに今年の中部戦が天竜川で始まった。
前日の練習では、ショウゴもタカも手応えを感じていた。
「今年はいけるぜ!」
自分がレースに参加できない悔しさよりも子どもたちへの期待の方が勝っているのが分かった。
しかし、実際のレースは、二人とも自分の走りが出来ずに
転倒を繰り返したり、遅い子を抜くのに手間取ったりという不甲斐ないレースだった。
「もうちょっと考えて走れよ!」「なんで遅いヤツと同じラインで行くの?」と期待していた分、ついつい文句も多くなってしまった。
ただ、走り自体は良くなっているし、こんな日もあるのがレースだ。
「3月の名阪でリベンジだ!」と気を取り直して次回に掛けた。
名阪は、近畿選手権だが、全日本第1戦の前哨戦なのでエントリーしていた。
もちろん、父ちゃんは、まだ鎖骨がちゃんと引っ付いてないので走らなかった。
この名阪スポーツランドは、一番近い全日本コースなので、ホントはもっと練習しなければいけない場所なのだが、
いつも荒れているし、中部戦のコースでもないのでほとんど練習にも来ていない。
案の定、コース奥の小さな二連やステップアップジャンプさえ、飛べない有様だった。
ショウゴに至っては、IBでそのジャンプを飛んでいないのは、ショウゴだけだった。
ノタノタと走る子どもたちを見ているとイライラしてきた。
「なにやってんだ?」「何であんなジャンプが飛べないんだ!」
口から出るのは、文句ばかりだった。
「うるさい、アキだって絶対に飛べんわ!」とショウゴが口答えをする。
「大バカもの、この鎖骨さえ引っ付けば、あんなジャンプ楽勝だわ!」
「どうしてラップタイムが4秒も遅いヤツを抜けんの?どうして遅いヤツと同じラインばっかりを走ってんの?」
あまりに不甲斐ない走りにイライラがつのる。
「うるさい、前のヤツがフラフラしていたんでぶつかりそうだったんだ!」とタカが反論する。
「大バカもの、俺ならコーナーふたつで抜けるわ!」
ショウゴもタカも口うるさい親に苛ついていた。
父ちゃんも今までの努力が否定されているようで苛ついていた。
子どもに期待を掛けるあまりに、結果との落差が益々父ちゃんを苛つかせた。
車の中で、親子三人が不機嫌そうに座っていた。
いつもは、ワイワイガヤガヤとバカな話で盛り上がっているのだが、シーズンが始まってからは、こういう日が多くなってしまった。
あんなに楽しかったレースが、いつの間にか変わってきていると感じた。
父ちゃんは考えた。
「俺が今まで目指していたのはこんなレースだったのか?」
「イライラしたり文句を言い合ったりするために今まで子どもたちとレースをやっていたのか?」
「これでは、子どもの成績が自分の評価だと思い込んでいるアホな親と一緒ではないか?」
「まるで、いつもバカにしているお受験ママと一緒ではないか?」
何が「父ちゃん一家の新たな伝説だ!」
父ちゃんは自問自答していた。
「俺は、こんな気持ちになりたくてずっと家族でレースをしてきたのではない。
ただ、子どもたちと一緒に走れることが楽しかっただけだ。」
目の前には、名阪名物のミレニアム二連ジャンプがそびえていた。
北風に向かいながらもライダーが気持ちよさそうに豪快に飛んでいく。
足助のコースで生まれて初めてモトクロスを見た時の感動を思い出した。
ショウゴやタカが、楽しそうに50に乗っているときの笑顔が蘇ってきた。
父ちゃんは決意した。
もうこれ以上、子どもたちに入れ込むのは止めよう!
そして、父ちゃんの手には、全日本第1戦(名阪スポーツランド)のエントリー用紙が握られていた。
何故か、その手は震えていたのだった!!!!
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