[続けられる理由は?]('10/12.8)
ある人からメールをもらったぞ。(いつも読んでいただきありがとうございます!) 「父ちゃんは、どうしてその年までレースに出られるのですか?
私は、まだ30代にも関わらず嫁にレースを止められてしまいました。
何か秘訣がありましたら教えてください」
まぁ、この年までレースに出られるのは、一にも二にも母ちゃんのおかげだな。
といっても実は、父ちゃんも一時期レースを止めた時がある。
23歳で初レース(当時は、ノービスクラス)、
25歳でジュニアクラス(NAクラス)に上がったところで母ちゃんと結婚。
保育園で通園バスを運転しなければならなくなった時に
「怪我をして運転できなくなったら大変!」ということでレースを引退したのだ。
といっても当時は「俺はバイクと結婚したんだ〜」といきがってはいても
「練習しなければ・・、何位以内に入らなければ・・」と自分で自分にプレッシャーを与えて
結局、そのプレッシャーに押しつぶされていたんだと思う。
母ちゃんとの結婚が、いい言い訳になったんだな。
朝夕は通園バス、昼は保育園の手伝い、夜は中学生の塾の講師と忙しかったせいもあり、
一時期、バイクの事も忘れていたのだが、母ちゃんがショウゴを生むために入院しているうちに
急にムラムラときてしまい、kx80を黙って買ってしまったんだな。
「こんなちっちゃなバイクで遊びでエンデューロに出るだけだから怪我もしないよ」と言い張って
エンデューロ界に衝撃デビューとなったわけだ。
(といっても当時は、エンデューロも盛り上がっていてなかなか入賞すら出来なかったが・・)
そして、母ちゃんがタカを生むために入院していた時に、またまたムラムラしてきてしまい、
RMX250を買ってしまったんだな。
この頃になると毎回3位以内には絡むようになってきて(まだ高校生の頃の内山くんと争っていた)
遊びで出た多度のモトクロスレースでもモトクロッサーを相手に勝ってしまったものだから
「俺がモトクロッサーに乗ったら恐ろしい事が起きるぜ!」とMFJのモトクロスレースに戻ってきてしまった。
その後、何も恐ろしい事が起きなかったのは、みなさんもご存じの通り。
バイクに乗り始めた小さなショウゴに「父ちゃん、一緒にA級になろう!」って言われたのもついこの前の気がする。
そのショウゴもIBを4年もやっていてもラムソンジャンプさえ飛べれないありさま。
父ちゃんは、日々衰えて、今では走る屍(しかばね)・・。あ〜、あの頃に戻りたい・・。
話がずれてしまった・・。
「どうしてその年までレースに出られるのですか?」
決まっているではないか!もう母ちゃんに媚びて媚びて媚びまくるのだ。
バイクに乗せてもらうためには、何でも言う事を聞く。
ちんけな男のプライドなんか捨ててしまえ!
バイクが死ぬほど好きならば出来るはずだ。
例え夫婦喧嘩になったとしても勝とうなんて考えは持ってはいけない。
(父ちゃんの場合は、勝とうと思っても勝てないが・・)
いいか夫婦喧嘩に「勝たない、勝てない、勝ちたくない!」だぞ!!
(亭主関白協会より http://www.zenteikyou.com/zsangensoku.html )
しかし、これだけでは、まだまだ足りないぞ。
母ちゃんもショウゴを生む時に「父ちゃんは、バイクに乗せておかないときっと悪さをする!」と思ったそうだ。
そんな危険な香りを出せる男にならないといけない。
でも、まだまだだぞ。
こんなのは、序の口だ。
決め手は、「この人からバイクを取ったら惚けてしまうのでは?」と母ちゃんに思わせなければいけない。
もう日々の生活の中でボケかかっているフリをするのだ。
パンツを裏表に履くなんて当たり前。時には、前後を間違えて「しっこが出来ない〜」と大騒ぎ。
さっき食べた夕食の内容を忘れるのも日常茶飯事。
ただし、食べた事まで忘れるとホントのボケだから気をつけるように!
父ちゃんが偉いのは、母ちゃんの前だけではなく、
仕事であれ、母ちゃんのいないモトクロスの練習であれ、惚けたフリが出来る事だ。
モトクロスジャージを前・後ろに着てしまうことも当たり前、
レースでさえブレストガード(プロテクター)を前後反対につけて
「なんか首回りがきつかったな?」とさらりと言って子どもたちを驚かせ、オヤジたちと話し込んでレースに遅れる。
母ちゃんを騙すためには、まず子どもたちからだぞ!
これだけ出来れば、母ちゃんも「父ちゃんの最後の砦はバイク、バイクを止めればすぐに惚ける!」
と本気で心配してくれる。
時には、あまりの迫真の演技に自分でさえ、心配になる時があるぞ。
まぁ、一言でまとめれば、「バイクが死ぬほど好きな、危険な香りのする惚けたじじぃ!」ってことだな。
しかし、一番大切な事は、嫁さんを大切にする事だと思うぞ。
バイクを少しでも長く乗りたい人のために
最後に亭主関白協会の「愛の三原則」を書いておこう。
これが全国亭主関白協会の憲法ともいえる「愛の三原則」だ。
「ありがとう」をためらわずに言おう。
「ごめんなさい」を恐れずに言おう。
「愛してる」を照れずに言おう。
妻が一番聞きたい言葉。なあに、最初は心など入れる必要はない。
気持ちは後からついてくる。
この言葉が潤いとなって、家庭内に会話と笑顔が復活してくれるだろう。
国内はもとより全世界に広めなければならない。
相手を変えようとすれば、夫婦喧嘩の日々、自分が変わろうとすれば愛と平和の日々。
日本のいや、世界の明るい未来は、私たち、通りすがりの普通の亭主が、 愛の三原則を実行することで明るくなるのだ。
亭主が変われば日本が変わる!晩酌の発泡酒が普通のビールになるまで私は頑張る。
全国亭主関白協会 会長 天野周一
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