[子育てのあり方]('12/11.10)
 

 いつもおバカな話ばかり書いているので、たまには園長として子育てについて語ろうと思う。

保育業界で言われている親の子育てのあり方として「抱きしめる聞く見守る祈る」という言葉がある。
乳児期には、いっぱい子どもを「抱きしめて」
(やっぱり、この頃のスキンシップは大切なんだな)

幼児期から小学校低学年ぐらいまでは、いっぱい子どもの話を「聞いて」あげて
(この頃の子どもは、親にいろいろなことを話したくてたまらない、
しかし、子どもが話そうと思うより前に「今日、何した?・・しなさい!」
と親に先に言われるから何にも話さなくなるんだな)

そして、思春期が近づくと「見守る」時期が来て、
(この頃になると親の言うことが素直に聞けなくなるから、あえて見守ることしかできなくなるんだな。
でも、親と同じ事を他人に言われると聞いてしまったりするから子どもは不思議なものだ)

ちなみに思春期のことを「第二次反抗期」(第一次反抗期は二歳前後)というのだが、
父ちゃんに言わせれば「反抗期」なのではなく、「自立期」なんだ。
この時期に子どもは、もがきながら成長(自立)していく大切な時なんですよ。
だから2歳前後のイヤイヤ期もとっても大切な時期なんだ。
(ただ、手が掛かるだけではないんですよ)

最後は、もう「祈る」事しかできない・・、というものだ。
思春期以降になれば、子どもには、親が知らない自分たちの付き合いや社会が出来上がる。
こうなれば親がどうこうしようと思っても無理なんですよ。
また、この時期に無理矢理思い通りにしようとすれば、子どもの人格上に良い影響はない!
だから、もう子ども自身を信じて、無事を祈ることしかできないのだ。

父ちゃんはこの後に“あきらめる”というのも付け加えたぞ。
(あきらめると言っても前向きにあきらめるということで、
ここまで育てたのだから、後は、子どもには子どもの人生があり、生き方があるということだ。
言うなれば、一人の人間としてつきあっていく覚悟を持つ!と言うことだな。
自分の子どもだから親の言うことを聞け!なのではなく、一人の人間として尊重してつきあっていくと言うことだ。
そんな覚悟を持って「あきらめる」のだ。
でも、手をさしのべて欲しい時には、助けるぞ。(父ちゃんの場合は、お金以外だがな)

もちろん、これらの行為は、重なり合っていることもあるし、個人差もある。
もう、祈る事しか出来ない我が子を見ると、
その成長に感謝すると同時に“抱きしめて聞いていた”時期がとても懐かしいぞ。
(この時期の親御さんたちがいたら、大変な時期かもしれないが、このことを忘れないで欲しいな〜)


みなさんはヘリコプターペアレントという言葉を聞いたことがあるだろうか。?
もう自立しならなければいけない年頃の子どもに、頭上を旋回するヘリコプターのように寄り添い、
トラブルが起きたらすぐに“介入”してくる親のことだが、実はこうした保護者は日本でも珍しくない。
モンスターペアレントを超える「ヘリコプター・ペアレント」の“出現”に、
専門家は「子どもが自分で考え、決断する力が衰えるなど、悪影響が出ている」と警鐘を鳴らしている。

最近の大学は卒業式を午前と午後の2回だったり、二日間やったりしているのをご存知だろうか?
それは卒業式に出席を希望する保護者が多くなり、とても一回では大学の体育館におさまりきらないので、
同じ内容で二回三回とやっているようなのだ。

父ちゃんたち世代から考えると中学生の運動会でも親が来るのが恥ずかしかったものだが、
時代は変わったものだな。
まぁ、大学生の子どもの卒業式に出ることが悪いと言うことではないが、
子どもとの付き合い方を間違えている親も増えているように思う。

子育てには、その時々の子どもとの付き合い方がある。
それを間違えてしまうと(子どもの成長が見えないと)
親が良かれとしてやっていることが、子どもにとって重荷になったりしてしまう。

この頃は、子離れ出来ない親が増えてきたように思う。
よく「親離れできない子どもが増えた!」という人がいるが、
真の原因は、子離れ出来ない親が増えたからだと思うぞ。
お互い、注意したいものだな。

ね、たまには良いこと言うでしょう?

そうだ、ショウゴよ、ひとつ言っておくぞ。
父ちゃんもJNCCに出ようと思うから一緒に連れて行ってくれな。
出たな、こなきじじぃ!俺をひとりにさせてくれ!!(by ショウゴ)