【名阪だー!】

父ちゃんの2000年の全日本第2戦は、9月2,3日の名阪スポーツランドだった。

今回は気合いが入っていた。いける気がしたのだった。

理由は単純だ。

1週間前に名阪スポーツランドに練習しに行ったとき、ついに道路側の4連が飛べたのだ。

スタート側のテーブルトップと2連はすでに攻略していたので(本当は80でも飛ぶヤツがいるのだが・・)

やっと他のIBライダーに追いつけた気がしたのだった。


しかし、金曜日の夜に着いてみたらビックリ!

せっかく飛べた4連が、長いウォッシュボード(今はフープスって言うの?)と、でかい2連になっているではないか。

ウォッシュボードは嫌いなのだ。どうして、こんな山砂のコースにウォッシュボードなんか作るの?

何か悪い予感を覚えながら眠りについた。


そして、土曜の朝、長女のおねしょで目が覚めた。(なんてこったい!)

布団を車の横に干していたら目ざとく見つけた知人に

「中島さん、いい年こいて恥ずかしいっすよ」とさっそく言われてしまった。

朝からなんか縁起が悪いぞ。


予選はC組だった。

前回の名阪は、25台しかいないのに、予選グリットを決めるくじ引きではなんと22番を引き当てたのだった。

せめて今回(23台)は、15番以内ぐらいを引きたいと思い詰めていたのだ。

そんなふうに緊張している父ちゃんのところに芝山さんが来てくれた。

「中島さん、1周目は無理をせずに、視野を広くしてね!」

さすがは「美杉ボーイ」だ。

緊張している父ちゃんに的確なアドバイスをしてくれた。


そして、くじを引いてみれば驚きの29番!!

「おいおい、23台しかいないじゃないのか?美杉ボーイのたたりか?」

しかし父ちゃんは、こんな事でくじける男ではない。

良く見てみると、グリッドに着いているのは20台しかいないではないか。

3台も出ていない。「ついてるぜ!」


5秒前のボードが出る頃にはすっかり立ち直り、気合いの雄叫びをあげていた。

「よっしゃー!」という掛け声と共にクラッチを繋いだ。

「なんてこった!」また出遅れた。

しかし、ここからいつものように父ちゃんはがんばった。

転んでいる子を抜き、転びそうになっている子を抜き、壁に突っ込んでいる子を抜いたら、

15位にはなっているはずだった。(前の子に14位のサインボードが出ていた)

でも、ラスト1周でもなかなか前の子が抜けなかった。

(予選通過は7位、ラストチャンスは14位までだ)

最後のテーブルトップが見えてきたときには、すっかりあきらめていた。


天高くテーブルトップを飛んだら(本人はそう思っている)最終コーナーで転んでいるやつがいるではないか。

「神様ありがとう、美杉ボーイありがとう」

ジャンプしながら心で手を合わた。(父ちゃんは、ジャンプでは片手も離せない)

必死にバイクを起こしているヤツを横目に見ながら、14位でなんとかラストチャンスに残れた。


ラストチャンスを走るのは今回で2回目なので、だいぶ落ち着いて走ることが出来た。

スタートもそんなに遅れなかった。

真ん中ぐらいの集団で抜いたり抜かれたりしながら走るのは楽しかった。

満足した気持ちで帰ってきたら、かあちゃんが声を掛けてきた。

「父ちゃん、30台中17位だったよ、やったね」


家族はありがたいものだ。こんな父ちゃんにも応援してくれる。

しかし、最後の一言は忘れていなかった。

「全日本で、初めてレースしてたよね」


注:かあちゃんにとって、全日本で走っている子とバトルして

抜いたり抜かれたりしている父ちゃんをを見たのは初めてのようだ。