【CR→CRF】
父ちゃんは2000年の全日本最終戦(HARP)でトーテリが乗るCRFを初めて見た。
その時はフォンセカも市販間近のYZ250Fで出ていてまさにモトクロス界の4st元年と言った感じだった。
(YZ400Fはすでに市販されていたが)
それから1年後いよいよCRFが市販された。父ちゃんは迷うことなく予約を入れた。
だって、4stは体にも環境にも優しいのだ。年寄りの父ちゃんには、最適だと思った。
忘れもしない2001年12月1日。
ピカピカのCRFを引っさげて父ちゃんは員弁のヤマハスポーツランドに現れたのだ。
みんなも気になるらしくチラチラと見たり覗き込んでいた。
父ちゃんがこんなに注目を浴びることはもうないだろうと思いながらもちょっと嬉しかった。
まずは慣らしだ。
思ったより軽くて乗りやすかった。4st特有のフラットなトルクも良かった。
ただ、サスはさすがに父ちゃんの体重では動いてくれなくてガチガチだった。
段々と慣れてきたので少しずつペースを上げていった。
フープスも3個いっぺんに飛んでみた。
CRの時もここは、3・2・2・1と飛んでいたところだった。(IAは4・3・1だが)
下からトルクがあるのでコーナー立ち上がりでも結構良い感じでフープスに入っていけた。
最初の3個も余裕だった父ちゃんは、4個いける気がしてきた。
IBの子たちでも4個飛ぶ子はそんなにいない。もう、誰求めることは出来なかった。
新品のCRFで父ちゃんは果敢に挑戦した。そしてCRFは簡単に4個飛んでしまった。
その勢いで次に待ち受けているコブも3個飛んでみた。
行けたと思った瞬間、フロントが最後のコブに突き刺さった。
何とか持ちこたえられると感じたのだが、やはりCRFは重かった。
アッと言う間に空中に放り出されてしまった。
父ちゃんは空を飛びながら考えた。
「俺はなんて事をしてしまったのだ、今日は慣らしのはずだったのに!」
前転宙返りをしながら、縦回転しているCRFがチラッと見えた。
父ちゃんはとっさに思った。「俺の上に落ちてこい、俺が受け止めてやる!」
「うぇ」←父ちゃんの落ちた声。
「ドスン」←CRFが父ちゃんの上に落ちた音。
「ぐぇ」←父ちゃんのうめき声。
気付けばCRFの下で死にかけたゴキブリのようにバタバタしていた。
やっとの事で這いだしCRFを見た。良かった、父ちゃんの上に落ちたおかげでレバーが曲がっただけだった。
すぐに何人かが寄ってきてくれて声をかけてくれた。
「大丈夫ですか、縦回転してましたよ、でも新車を転がすなんて凄いですね」
体のあちこちが痛くてヨタヨタとパドックに帰っていったらまた、みんなが集まってきて言った。
「さすがは中島さん、身を挺してCRFを守りましたね」
またまた注目を浴びてしまい父ちゃんは少し嬉しかった。
その日は、長男もCR80の慣らしだったが吹っ飛んでチャンバーをへこませた。
帰りの車の中で「あんたら二人はバカじゃないの」と散々母ちゃんに怒られた。
そして、父ちゃんはアバラが折れていてその後一月バイクに乗れなかったのだ。