【兼松のオヤジ】
父ちゃんはその昔、エンデューロの世界では結構ブイブイ言わしてた。
そのころはエンデューロも今よりずっと盛り上がっていて賞品も凄かったのだ。
毎回入賞していた父ちゃんは、自転車やらバーベキューセットやらをミニスカートのキャンギャルのお姉ちゃんからにこやかに貰っていたのだ。
今、考えると夢のような話だ。
そんな父ちゃんは力試しにモトクロスランド多度で行われていた多度チャンピョンシップにRMXで出てみたのだ。
もうモトクロスを止めてからだいぶ経っていたし、遊びの気分でトレールオープン(市販車改造アリ)と
レーサーオープン(NBライセンス以下のモトクロッサー)に出てみた。
その当時トレールクラスで無敵を誇っていたのがRMXでブイブイ言わしてた兼松のオヤジだった。
オヤジと言っても父ちゃんよりはだいぶ若いのだが、父ちゃんがすでに年寄りの世界なので立派なオヤジだ。
そんな2年連続チャンピョンの兼松のオヤジと父ちゃんは熾烈な優勝争いを毎回演じ、
ついに父ちゃんが1996年のトレールクラスチャンピョンをもぎ取った。
レーサークラスは、総合2位(出たレースは、ほとんど1位)だった。
気を良くしてしまった父ちゃんは、RMXでさえモトクロッサーに勝てたのだから
「俺がモトクロッサーに乗れば恐ろしいことが起こる!」と宣言してモトクロスの世界に入ってしまったのだ。
その時、兼松のオヤジは言った。
「中島さん、本気でMFJに出るの?トレールクラスでは物足りなくなったの?」
すでに自信過剰になっていた父ちゃんは胸を張ってイエスと答えた。
そして、モトクロス界衝撃のNBクラスオヤジデビューのはずだったんだが、誰も驚かないまま何とかNAに上がった。
その頃から、MFJのレースで兼松のオヤジを見るようになった。
もう、RMXではなかった。RM125でNBクラスを走っていたのだ。
トレールクラスにいればブイブイ言わせられていたのに、ここにも一人、道を踏み外した哀れなオヤジが出現したのだった。
今では、父ちゃんはIBクラスで、兼松のオヤジはNAクラスで小僧たちに蹴ちらかされながらもがんばっている。
このMFJの世界ではもう二度とあの頃のように二人で優勝争いをすることはないだろう。(ベリ争いなら可能性あり)
でも、父ちゃんは何故か嬉しいのだ。例え人に笑われても、幾つになっても夢を持って自分なりに“上”を目指している姿が好きなのだ。
父ちゃんの家には、「1」と大きく書かれた1996年のトレールクラスのチャンピョンプレートと
「2」と書かれたレーサークラスのプレートが飾られている。
しかし、それらは少し歪んでいる。
母ちゃんがアイロン台の代わりに使ったので熱で歪んでしまったのだ。
でも、父ちゃんは気にしていない。それは単なる通過点に過ぎないからだ。
きっと兼松のオヤジもそう思っているだろう。
二人のオヤジは、今日も小僧たちに蹴ちらかされながらもモトクロスを楽しんでいるのだ。
PS
しかし、兼松のオヤジは、“ナックナック”なんぞが出来るのだ。
ジャンプで片手も放せない父ちゃんから見るとそこだけは神様みたいに見えるのだった。