10月1・2日は、広島の弘楽園で全日本第9戦があった。
いつものように夜の7時まで保育園の仕事があった父ちゃんたちが豊橋を出発したのは8時を回っていた。
今回は、次男のタカがジュニアクラスにエントリー出来ず、部活に行ってしまうのでショウゴとの二人旅だ。
母ちゃんも仕事が忙しいと来てくれない。
ここからだとどんなに頑張っても広島まで7時間は掛かる。途中で力尽きて寝てしまえば、朝までに着けるかどうかも心配だった。
しかし、今回のIB2とIBオープンは予選が3クラスしかない。大嫌いな弘楽園だが、これは魅力だ!10位以内で予選通過だからだ。
と言っても全日本での予選最高位が13位なのでこのままでは逆立ちしても無理なのだが、
いつものように5クラスもあるのと比べれば気分もルンルンしてしまう父ちゃんなのだった。
でも、ルンルンだけでは広島は遠かった。やはり、途中で力尽き2時間ほど寝てしまった。そして着いたのが朝の5時半頃。
ちょうどゲートが開いた時だった。すでにパドックはいっぱいでなかなか車を駐める場所さえない有様だ。
坂の下のような所になんとか駐めさせて貰ってバイクを下ろし始めれば6時になっていた。
ここで子ども思いの父ちゃんは考えた。土曜日のNBオープン決勝に出るショウゴをもう少し寝させてやろう。
でも、一人で用意するのは大変と思い小声で「ショウゴ、着いたぞ」と呼んでしまった。
ショウゴはすぐにムクッと起き「分かった父ちゃん」と言って手伝ってくれた。
「成長したな〜」と思ったぞ。お前は父ちゃん似だな!やはり二人でやると早いものだ。
7時の受付・車検までには、まだまだ時間があるので一寝入りしようと考えていると、「父ちゃん、コースの下見に行こう!」とショウガが誘うではないか。
確かに、今までだって下見に行くことはあったが父ちゃんが行くから仕方なしに着いて来ているという感じだった。
歩いて登るラムソンジャンプはやはり巨大で長かった。
今回も飛ぶのは止めようと心に誓った父ちゃんだったのだが、ショウゴは、一人ブツブツ言いながらライン取りを考えていた。
いきなりレースで飛ぶのは危険だからと思いとどまらせ、その後に続く長いコースを二人で歩いて回った。
「父ちゃん、ここはアウトの方が速いけど、後ろに付かれたらインを開けてはダメだ」とか
「ここのコーナーはどうしてもダラッとなってしまうんだよな」とか説明してくれる。
「成長したな〜」と改めて思っていると、「でも、父ちゃんはどこを通っても遅いから関係ないな」と生意気なことを言う。
こういうところは、やっぱり母ちゃん似だな。
受付・車検に行けば、いつもの行列もなく(やっぱり3クラスは違う!)すんなりと終わってしまった。名阪なら受付するだけで30分も待つことだってある!
益々気分が乗ってきたところでIB2クラスの予選が始まった。
いつものようにスタートで遅れた父ちゃんは思った。「みんなメチャ速いじゃん!」
そうなのだ、確かに参加する人数は減ったのだが、減ったのは、どう考えても遅い子たちなのだ。
これではクラスが減っても意味はなかった。IB2・IBオープンを19,17位で終わり、一気に気持ちが落ち込んでしまった。
こんな年寄りが若人の集いの全日本に出ること自体が間違っているのか?(今回も最年長だったし・・)
でも、結果表を見ればひとつ年下の“年より友の会”98番さんは頑張っていた。いくら地元とはいえ、その頑張りは拍手したいくらいだった。
しかし、自慢じゃないがひと月前の名阪では、父ちゃんの方が速かったのだ。
「父ちゃんだって、頑張ればきっと98番さんくらいにはなれるはずだ!」と自分の実力を忘れて一人盛り上がってしまった。
そして、ショウゴのNBオープンの決勝が始まった。今回のショウゴは気合いが入っているようだった。
5月の弘楽園では、6位だったが自分の走りが出来なかったと悔しがっていた。
第1コーナーに2位で入って行った時にはビックリしたぞ。
父ちゃんなんて自慢じゃないが第1コーナーでは、いつも目の前にアリの大群のようにバイクが見える。もう数える気力も一瞬で失せる瞬間だ。
しかし、やはり地元勢は手強い。第1コーナーを回る頃にはインからぶつけられてあっという間に7位に落ちていた。
でも、ここから頑張った。4位に上がりそのまま、ラスト1周までなんとか踏ん張った。でも、やはり最後には速い子に抜かれて5位でレースを終えた。
長い一日もやっと終わりに近づいてきた。残すところNAオープンの決勝だけだ。
どっと疲れが出てきた父ちゃんは、一刻も早く後かたづけをしてお風呂に行きたかったのだが、
レースが終わったばかりの汗だくのショウゴは「父ちゃん、次のNAオープンを見ていく」と言い張る。NAの子の走りが見たいというではないか!
変わったな〜。自分以外のレースに興味関心を示すなんて思いもよらなかったぞ。
NAクラスと言ってもトップを争うような子たちは、タイムだってIA並みだ。やっぱり、美杉の秘蔵っ子岡野くんが勝った。
夕暮れせまる中、やっと片づけが終わりお風呂に向かった。先に風呂に入って湯船につかっていれば、筋肉質の若者が入ってきた。イチモツも立派だぞ。
湯気でよく分からなかったが、よく見ればショウゴだった。だてに部活ばかりやっているわけではないな。
昔はボタン電池のようなチンチンも立派になって!成長したな〜。
晩ご飯をゆっくり食べた二人は、パドックに帰ってすぐに死んだように寝てしまった。
全日本の朝は速い。特にIBクラスなんて朝一に練習走行があるから大変だ。
毎回予選落ちの父ちゃんにはまるで関係のない世界だが、やはり一緒に走ったヤツらは気になる。ついつい早起きしてしまうのだ。(年のせいかもしれん)
ぼんやりと練習走行を見ているといつの間にか横にショウゴがいた。
こいつは、今まで父ちゃんのレースはおろかIAクラスでさえあまり見ずにゲームをやったりゴロゴロしていたヤツだ。
それがどうだ。自分から起きてきて練習走行を見ている。「あ、リョウスケだ!」同年齢のリョウスケを見つけては喜んでいる。
「やっぱり決勝に残るヤツらは父ちゃんとは雲泥の差だな〜」と朝早くから余分な感想まで言っている。
決勝には、サイティングラップがある。(選手紹介と共に1周の下見が出来る)
サイティングラップ(IB2)では目の前を予選を通ったライダーたちがゆっくりと通っていく。父ちゃんのようなヘボタレライダーから見ると彼らは輝いて見える。
父ちゃんも一度で良いから悠然とコースの下見をしたいものだ。その時、ショウゴが言った。
「父ちゃん、オレもあと2年経ったらここにいられるかな?」
あまりに突然の言葉だったので一瞬答えに詰まってしまった。そうか、お前も順調にいけば1年半後にはIBだよな。
「あと3秒縮めればIB予選通過タイムだ」
そう言うとショウゴは、黙って頷いていた。その後もIBのライダーのライン取りを見たり、IAクラスの信じられない走りに見入っていた。
ショウゴを全日本に連れてくるようになったのは、いつ頃からだろう?
レース場には、母ちゃんのお腹の中にいた時からだから、全日本にも歩き始めた頃にはいただろう。
でも、父ちゃんが走ろうがIAが走ろうがあまり興味を示さなかった。父ちゃんが命がけで飛んだ2連の時だってタカと崖滑りをして遊んでいた。
父ちゃんが、「頑張っているオヤジの背中を見ろ!」と思っていても、サーカスの熊がバイクに乗っている程度にしか考えてなかっただろう。
バイクに乗ることは大好きなようだったが、人の走りまでは感心がないようだった。
あまりに近くにバイクの世界があったためか、好きで始めた子たちのような欲はなかった。
生まれた時からバイクがあり、4歳でレースに出ていたのだから仕方がないと思う。父ちゃんも自分のことで精一杯でショウゴにあれこれ言う暇もなかった。
そのショウゴが、ついに欲を持ち始めた。速く走るためにはどうしたらいいかを本気で考え始めた。
キター・キターー・キターーーー、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!って心の中で叫んだぞ。
やはり、子どもは信じて待つものだな。
一応園長の父ちゃんは、「子どもを信じて待ってやってください、口を出しすぎると子どもは自分で考え、判断することをしなくなります」なんて
偉そうに保護者に言っていたのだが、本当にそうだと改めて思ったぞ。同年齢の子は、IAクラスの池谷くんを始め、IBクラスも多い。
でも、長いモトクロス生活なのだから急ぐ必要はない。父ちゃんなんてバイク(ハスラー50)に乗ったのが20歳の頃だ。
24〜26歳までモトクロスをやり、結婚して一時期バイクから離れ、母ちゃんがショウゴを生んでいる間にKX80を黙って買ってエンデューロを始めた。
また、モトクロスに帰ってきたのは36歳だ。そして、44歳の今でも全日本に参戦してお笑いを取っている。
速さだけで勝負出来る時期は、そんなにあるものではない。ショウゴには、勝ち負けだけではないバイクの本当の楽しさを味わって欲しいと思っている。
今回の広島の二人旅は、とっても疲れたが、それ以上に得たモノが大きかった旅だったのだ。