2歳児の様子(10月)

2歳児の様子を主任(みなこ先生)が書いてくれました。


「みどりのおようふくのお兄ちゃん、きょうくる?」

朝、部屋に入ってきた子の第一声でした。

昨日、中学生との交流あそびがあり、

2歳児クラスにも1・2組それぞれ6〜7人の緑色の体操服を着た男子、

女子生徒が遊びに来ました。


3年前から、家庭科の授業の一環として交流が始まりましたが、

保育者としての自覚を持って行う、大学等からの保育実習生には見られないような、

うんと子どもに近づいたお兄ちゃん、お姉さんぶりがとても微笑ましく感じられました。


はじめは照れくさそうに突っ立ったり、友だちとわざと大きな笑い声を上げていたのが、

何にでも興味津々の、恐れを知らぬ2歳児たちに手を引かれ、

ままごとのところでごちそう攻めに合ったり、絵本を持ってトコトコと近寄ってきて、

何気なく膝に座る女の子に絵本を読んであげたり…。

いつの間にか、あの硬い表情が、

私たち保育者よりもずっと深く子どもと共感しあえるぐらいの、屈託のない笑顔になっていました。


後日、生徒さんたちから感想を頂きました。

“本当に、子どもがよく転ぶことにはびっくりしました。

私は、転んだのを、計4回も見ました。

勢いよく転んでも、ぜんぜん泣かないのにもびっくりでした。

それに遊びに集中しちゃうと、こっちが話しかけても全然聞いてくれないし、

ボールで遊んでいて、遠くにとんでいっちゃったりしたら、

バーって走っていって周りの子とぶつかってしまってまた転んだりと、

本当に見ていてこわかったです。

だから子どもの事故死は多いんだなあと感心するぐらいでした。

大人がちゃんとそばで見ていないと、とても危険だと思いました。

まだなにもわからない子どもたちを、私たち大人がきちんと、

あの小さな命を大切に守ってあげないといけないんだなあと、大きな責任感がわきました。

これからは、あの子たちの役に立って助けてあげたいなあと思いました。”


“…初めてぼくの顔を見る子たちが、ぼくと友だちのように遊んでくれたこと。

昔のぼくはどうだったんだろうと思えてきた。

もう一度こういう機会があればなぁー。

保父さんの仕事もやってみたいなぁー。

最後にこんなにすばらしい家庭科の授業があって思い出になりそうです。”


誰よりも目を輝かせて子どもと遊んでいた女子生徒は、

不登校気味の女子グループのひとりだと、後で家庭科の先生から伺いました。

卒園児もたくさんいました。

ほんの10年ちょっと前はでここで遊んでいたのに、

その顔には、あどけない面影と、

数年後には本当の大人になるであろう頼もしさが同居していました。


15歳という、半分大人で半分子どものこの時期に、

こんな風に思える体験が出来ることは、とても有意義なことだと思いました。

どちらにとっても素敵なひとときだったと思います。

帰りに2歳児たちが、窓から手をふっていました。

「またね」「明日も遊ぼうね」。



【11月の様子】

今日は『なかよし保育』の日。

3〜5歳児が園じゅうを自分たちの遊び場として、好きな場所へ出かけて遊ぶ日です。

もちろん2歳児のクラスにも遊びに来ます。

子どもたちにとって年上の子は興味津々のようで、

保育者から今日がその日だと聞くと、おやつもパクッと平らげ、ワクワクそわそわ。


そして、それぞれのクラスに3〜4人ぐらいずつのお兄さんお姉さんが入ってきました。

ゆりちゃんとひで君のお兄ちゃんたちの顔も見え、

兄弟はお互いに見つけるとニコッとして手をつなぎました。

2組は兄弟ぐるみでなかよしのようで、早速4人を含めた数人の子で粘土遊びが始まりました。


2歳児だけの粘土遊びなら、ゆっくりじっくり時間が過ぎていきます。

「せんせー、これー。」と、自分たちなりに握ったり丸めたりつまんだりして

出来たものを保育者に見せようとします。

ところが今日はそうはいきません。

ひで君のお兄ちゃんのしょう君は、

はりきっていろいろなものを次々に作ってみんなに見せてくれます。

2歳児の子たちは、

しょう君の手つきや出来上がったものを唖然とした顔でじっと見つめ、何とか真似しようとします。

その先からしょう君はまた、違ったものを作り始め…。

次々と受ける刺激に、2歳児たちの気持ちが加速度的に高まるのが分かり、

異年齢の子とかかわることの意義を感じました。


しょう君は、5歳児クラスの中ではなかなか自分の思いがうまく表せず、

遊びも他児にリードされ、自分の思いが生かされていないことを不服に思っているようなところがある子でした。

しょう君にとって、2歳児のクラスは、

時には自分の存在感を味わえる居場所となっているのでしょう。


そんな風に思っているところへ、

2歳児の子の中で、いつものように保育者に「先生、これー」と見せようとする子がいて、

保育者がやはりいつものように「わぁ、まるいおだんご、パクッ」と返しました。

すると他の2歳児の子もとたんにわれ先に

「これー」「できたよ」と保育者の方へ思いを向けてしまい、

しょう君は何となくおいていかれたような表情を見せたのです。

保育者はそんなしょう君の様子に“しまった”と思い、少しずつ手を引こうと試みました。

保育者がその場から離れた後、またしょう君の声が聞かれるようになったものの、

先ほどの、集団の中でのリーダー的なしょう君の存在感は薄くなっているようでした。

同じ年齢の中でもひとりひとり様々な発達段階があること、

そしてその姿を大切にする保育にとって、異年齢の子とかかわり合うことは、

自分の存在感を味わうことのできる重要な機会になっていることを改めて感じました。

同時に、ひとりひとりが存在感を味わいながら遊びが展開されていくために、

保育者は、子ども集団の性質をみきわめ対応を変えていく必要があることも痛感しました。

遊びも、人との関係も次々に生まれては消えて(変化して)いくはかない瞬間の連続で、

その時その時に子どもが達成感や存在感をいかに味わえるかは、

そばで見守る保育者の姿勢にかかるものが大きいと、この時思いました。