ウサギが逃げた!

みなさんは、こんな事、感じたことはありませんか? 同じ園、同じ学年なのにどうしてクラスによって雰囲気が違うのだろう?

同じ事をしているようなのにどうして結果がこんなに違うのだろう?

これは、良しも悪しも先生が違うからではないでしょうか?

もちろん、クラスの雰囲気、においみたいなものは、子どもたち 一人ひとりの存在が関わり合って創り出すものですが、

やはり人的環境である先生の影響は計り知れないものがあります。

先生がどんなことに喜び、どんなことを悲しむか いつ叱り、いつ誉めてくれるか、

子どもたちは意識しているいないに関わらず すべてを見て、そして感じています。

楽しいクラスって、一人ひとりの存在感もあるのですが 集団としてのにおい、そして先生の色もしっかり出ているクラスなんですよね。

僕は毎年、隣の小学校の授業参観にいそいそと出かけていきます。 1年から6年までの24クラス、すべてを見て回ります。

卒園児に会えるのも楽しみなんですが、わずか1,2分であれ ひとつひとつのクラスの雰囲気が感じられるからです。


「隊長!」

「オーわたるか、元気か」

ある日、ウサギの世話をしていると、6年生になったわたるが声をかけてくれました。

「なにそれ」

「ウサギの餌じゃん」

「へーウサギか」

この後、この子たちが年長の時の話になりました。

「あの時はむちゃくちゃおもしろかったな。」

僕はすぐにあの事件(ウサギ大脱走事件)を思い出しました。

わたるだけでなく、この時の年長さんは事あるごとにこのことを言い出すからです。

「先生、大変!ウサギが逃げています。」 年中の先生が息を切らして事務所に入ってきました。

「分かった、今いく」と答えつつも、内心大げさだなーと思いました。

園庭を見てやっと理解できました。 7匹(羽)のウサギが走り回っているではありませんか。

捕まえようとする年中さん、ボーと突っ立ている乳児さん(3歳未満児)。

1,2匹は逃げたことはありましたが7匹全部は初めてです。

「キャー、そっちに行った!」「そこふさいで」先生たちも必死になっています。

ウサギたちは縦横無尽に園児たちの足下を逃げ回っています。

騒ぎを聞きつけて、いよいよ年長さんがやってきました。

先頭の子たちは、ウサギを「友」としているやつらです。 子どもたちを始め先生たちに安堵の表情が浮かびました。

「年長さんなら何とかしてくれる」 保育園では、一番しっかりしていて一番頼りになるお兄さんお姉さんです。

本人たちも、保育園の平和は僕たち私たちで守ると本気で思っています。

(でも、1年生になると、大きな鞄に大きな帽子をかぶった、

一番小さくて、いつも守られている赤ちゃんみたいになっちゃうのが不思議ですが)

しかし、さんざん追いかけ回されたウサギたちは、いつもの可愛い奴らではありません。

ものすごい勢いで逃げるウサギをすごい形相の年長さんと これまたすごい顔をした先生が追いかけ回します。

子ども同士がぶつかります。 乳児の先生は必死になってボーとしている乳児さんを集めています。

「あきちゃん、そこをとめてって言っているでしょ」 「なにやってんの!」と先生。

「もうちょっとだったのに、おまえがジャマをするからだ!」 喧嘩を始める子もいます。

もう、みんな先生でもなければお友達でもありません。 ほとんど、獲物を追いつめる動物のようになっています。

何分経ったのでしょうか。 やっと全部のウサギが柵に入りました。

ハアハアと息を切らしながら柵のウサギを見ていると、 なんだか大変なことを成し遂げたような満足感が、みんなの中に満ち足りていました。

「おもしろかったな」一人の子がつぶやきました。 「おもしろかった」みんなが頷きました。

しかし、僕には、ひとつの不安がよぎりました。 どうしてウサギが逃げたかです。

これだけのウサギがいっぺんに逃げたことを考えれば 年長さんがウサギの世話をしたあとに鍵をかけ忘れたのは明らかです。

「誰が、鍵をかけ忘れたのだろう、きっとこんな大騒ぎになって叱られるだろうなー」

僕は、こんな満足感をみんなに与えてくれて 「ありがとう」とお礼を言いたいくらいでした。

年長さんはおへやに戻っていきましたが、気になってそっと覗いていました。

お部屋の中では、興奮さめやらぬ子どもたちが自分たちの手柄話をしていました。

そして、何事もなく給食になってしまいました。

先生はあまりの興奮に注意をするのを忘れてしまったのでしょうか。 僕にはあえて叱らなかったのだと思いました。

きっと先生は、ウサギ当番の子も知っていたでしょうし、 その後のその子の表情も見たはずです。

こんな大騒ぎになって、きっとその子が一番びっくりしていたはずですし、 反省もしたと思います。

その表情を読みとって叱らなかったのだと思います。

「子どもが十分に反省をしているのに、他の子が同じ事をしないために あえて見せしめのように叱る。」

少し大げさな表現ですが、こういうことはあります。

子どもたちと毎日生活していると失敗や騒動は日常茶飯事です。 それをどのように処理し、解決するかは先生に掛かっています。

この先生はきっと、その時の子どもたちと同じ気持ち(満足感)だったのだと思います。

(単にウサギを追いかけ回しすぎて忘れたのかもしれませんが)

まぎれもなく、あの時の満足感は子どもたちの心に刻まれました。

それが6年たっても昨日のことのように楽しく話してくれるのでしょう。

雨漏りがするとき、ある先生はバケツを持ってきて 「ほら、音がするね、音楽みたいだね」 と言い、

ある先生は「もう、こんなに濡れちゃって!」と眉をしかめます。

子どもが花瓶を落として割った瞬間「何しているの!」という先生と 「大丈夫、怪我はなかった」という先生がいます。

ゴキブリを持って「先生、虫とった!」という子どもに 「早く捨ててらっしゃい」という先生と

「すごいわねー、でも先生その虫ダメなの」という先生がいます。

「お父さんはすぐタバコを捨てる、ゴミは捨てちゃいけないのに」 「お母さんは気分によって叱ったり誉めたりする」

いつも子どもたちは、先生だけでなくお母さんやお父さんもを見ています。

どんなときにどんな表情をするのか、どういう風に考えているのかを感じています。

だって、大好きなのですから。