運動会やお遊戯会・作品展などの行事は子どもの育ちにとって必要なものでしょうか?
園のピーアールや親の自己満足だけのものでしょうか?
僕は以前、中学生の塾の講師をしていました。
だんだんと仲良くなっていくと毎年必ず、気になる子がいることに気づき始めました。
「本来ならもっと明るくてもいい子なのに。
なぜ、大人の目ばかり気にするようになったの、どうしていつもオドオドしてるの。」
中学生って、こちらが大人ぶったり、先生面をしなければ以外と本音を話してくれます。
ひろみつは、体格も良くて、顔もおとなびています。
野球部のキャプテンもしているのにどうしてか、いつもオドオドしていました。
このぐらいの年齢なら、もっと自信過剰でもいい、生意気でも不思議でない。
いつもどうしてかと気になっていました。
3年の塾の合宿の時に、みんなで雑談をしていて、保育園や幼稚園時代の話になりました。
他の子たちは、楽しげに思い出話を語ってくれましたが、
ひろみつは、「俺、園が、大嫌いだった。」と言って黙ってしまいました。
ひろみつの園は、鼓笛が有名でした。 いつも、市のお祭りの時は、その練習の成果を発表しています。
このために入園させるという親も多いと聞きます。
ひろみつはすこしづつ、話してくれました。
10月の発表のために4月から毎日練習させられたこと、
そのころから体が大きいので、大太鼓をやらされたことなど。
しかしショックだったのは、次の言葉を聞いたときでした。
「俺の大太鼓のところには、いつも先生が裏についていて、間違えるたびにつねる。
ドン!って叩くところを、どうしてもうまく止められなくてドンドってなちゃう。
そのたびに後ろからつねられる。俺は、一生懸命にやったんだけど」
こんなことを4月から10月まで毎日やっていたのか。
僕は、少しひろみつの心の痛みが分かったような気がしました。
行事って、本当に必要なものでしょうか?
僕は必要なものだと思います。 中学生が、昔話を楽しげに語ってくれた多くは、お遊戯会などの行事のことでした。
(毎日お母さんと手をつないで登園した事、なんてのもあったな)
同じ様な行事なのにどうして、子どもによって、良い思い出になったり、
自信をつけるきっかけになったり、
性格さえも変えてしまったり、 嫌な思い出になったりするのでしょうか?
すべては、先生をはじめとする私たち大人の責任ではないでしょうか。
子どもは、本来いろいろな表現をする事が大好きです。
誉めてもらえれば、自信になりますし、 否定されれば、その表現活動自体が嫌いになります。
当園は、行事が多くて有名ですが、必ず行事の前に全職員で話し合うことがあります。
1,子どもが楽しんでやっているか。(一番大切)
2,ご家族が楽しめるか。(一番簡単)
3,先生自身が楽しんでいるか。(一番難しい)
これを行事3原則といって、いつも問いかけながらやっています。
また、この3原則が出来ない行事は、止めるか大幅な手直しをしています。
私たち保育者は、子どもの持っているいろいろな面を伸ばしてあげる義務があります。
けっしてコンプレックスを持たせたり、否定してはいけません。
ポケモンの名前をいっぱい言える。 ザリガニが持てる。
アリとお話が出来る。
お家の方が、あまり誉めないようなことでも、まず先生が認めてあげる。
それができて、始めて子どもの心の中を覗くことが出来ます。
行事は、子どものいろんな面を引き出す良い機会だと思います。
ただし、先生がどのくらい子どもたちの心の成長を
大切に考えているかに懸かってはいますが。