保育園に勤めているといろいろな素晴らしいことやビックリすることに出会います。
その中の保育園記録とも呼べる様々な出来事を一部紹介させていただきます。
6ヶ月で入園したミキちゃんは、1歳のお誕生日が来る頃に突然、もうオムツはいらないと言い出しました。
他の2歳の子たちのようなパンツが履きたいようです。
お母さんに相談したところ、まだ家ではパンツのトレーニングはしていないとのことでしたが、
次の日から園ではパンツで生活するようになりました。
先生たちは、失敗してもそのやる気を大切にしたいと考えていましたが、
その日から一度も失敗することもなく、 結局ミキちゃんは1歳になったばかりで
園でも家でも完璧にオムツにさよならしてしまいました。
しかし、こんな記録もあります。
コウちゃんは3歳児(年少さん)の時、一日に3回うんこを漏らしました。
この記録を当時の担任に確認したところ、
「いいえ、4回です。それもピーピーではありません、コンモリうんこを4回しました。どうしたらこんなに出るのか不思議でした」
と 懐かしそうに話してくれました。
ショウ君は、2歳で、年長さんの50ピースのパズルをスイスイやってしまいます。
パズルさえやっていれば機嫌がいいという感じです。
お父さんにそのことを言ったら、 家でも朝起きたらすぐにパズルをやって遊んでいると話してくれました。
(寝るときには自分で枕元に用意しておくそうです)
そして、もっと凄いことを教えてくれました。
1歳の頃から10,15,30ピースとやってきたショウ君は、すぐに50ピースまで出来るようになったそうです。
2歳7ヶ月の頃、ショウ君が50ピースのパズルを二つ抱えてお片づけをしようとしていたところ、
転んでパズルがバラバラに混ざってしまったそうです。
さすがのお父さんも呆然としていると、 ショウ君は当たり前のように二つの版を並べて、
山となったパズルの上から一つづつ拾っては並べはじめました。
しかも、裏になっていても絵も確かめずに正確に並べていったそうです。
ショウ君はパズルを絵で会わせてやっていたのではなく、形を覚えていて、その場所も分かるようでした。
手にしたパズルを次から次へと絵も確認せずに並べていく2歳の我が子を見て、お父さんは震えが止まらなかったそうです。
「俺は天才を育ててしまった、天才の親になってしまった、どうしよう!」
こだわりの天才もいました。
2歳児で入園したアヤノさんは、いつも毛布を抱いていました。
トイレに行くときも給食の時も遊ぶときも両手でしっかり抱いていました。
お母さんも心配して何とか違うものでごまかそうとしましたが、その毛布がないと大変なことになるようでした。
それは、アヤノさんが生まれたときからずっと使ってきたものだそうです。
いつも両手がふさがっているので、自分でも大変なようでした。
(これで体操なんかもやるのですから、その姿には楽しませてもらいました)
先生がアヤノさんに提案しました。
「この毛布をくるくる巻いてリュックのようにしてあげようか?」
アヤノさんは「うん」と頷いてくれました。
毛布のリュックを背負ったアヤノさんはとても嬉しそうでした。
両手を使える喜びに満ちているようでした。
そして、芝刈りに行ったおばあさんのように毛布を背負って体操やお絵かきをやっていました。
ミナちゃんは、年少さんで入園したときに、すでに絵本がすらすら読めました。
お友達に絵本を読んであげるのが大好きで、いつも仲良しの子たちに読んであげていました。
運動会の頃には、先生の替わりにみんなに読んであげる事もありました。
その抑揚のついた心のこもった読み方に先生たちはただただ「凄いね」と感心していました。
年中さんのタイチは、お金の計算が得意でした。
「15円+45円は」と先生が言うと即座に60円と答えます。
そのボーとした顔で計算をするのですが、 目がくりくりするのが面白くて僕もよく「タイチ、15円+15円+30円は?」とやっていました。
即座に60円とボーとした顔で目をくりくりさせながら答えていました。
1歳児のナホちゃんは、3歳児(年少さん)のお遊戯会の踊りを9曲全部踊ることが出来ました。
とにかく踊ることが大好きで、泣いていても先生が「森のこびと」を歌い出すと、泣きながら手足を動かして踊り始めます。
そしていつの間にか笑顔で踊っているのです。
先生たちは面白がって次々に歌います。 ナホちゃんはますます喜んで踊りまくります。
他の0歳児や1歳児の子たちも集まってきては、隣でわけの分からない踊りを始めていました。
2歳児の時には、4歳児(年中さん)のお遊戯が気に入って踊っていたそうです。
もちろんほとんど踊れたそうです。
ヤヨイちゃんは、8ヶ月で「お鼻がフン」(鼻をかむこと)が出来ました。
(年長さんでもなかなか出来ない子がいますが)
2歳児のタカちゃんは、いつも左の親指をしゃぶっていましたが、ある日先生に「もう園では、しゃぶらない」と突然に宣言しました。
びっくりした先生はお母さんに家でもそのようにしているのかと聞いてみましたが、
お母さん自身、指しゃぶりは気にしていないので止めるように言ったことはないとのことでした。
「私も小学校まで、左の親指をしゃぶっていたんですよ、そういう遺伝子でもあるのかしら?」と笑っていました。
そして、タカちゃんはその日から園では指をしゃぶらなくなりました。
ただ、お昼寝の時だけは何かモゾモゾしているので、
「タカちゃん、指、しゃぶってもいいよ、見えないように毛布を掛けてあげるからね」と先生が言うと、
毛布に顔を隠して指をしゃぶりながら寝たそうです。
でも、それからも園ではお昼寝以外は止めてしまいました。
ユウジは、年長さんで3桁の足し算が出来ました。
園でもよく、自分で問題を作って一人でやっていたそうです。
回りの子たちは、ユウジが何をやっていることさえ理解できないそうでした。
3歳児で入園したエミちゃんは、トイレでおしっこが出来ませんでした。
おしっこがしたくて、もぞもぞし出したと思ったら、急に外に裸足で飛び出して園庭で用を足したときには、先生たちもびっくりしました。
お迎えに来たおばあちゃんに、トイレで何か怖い思いでもしたのかと聞いてみたところ
「いいや、この子はいつも庭でおしっこをしとる、それも砂利の上が一番好きじゃよ」と教えてくれました。
おばあちゃんの子育てのおおらかさに驚きながらも「狼少女じゃないんだから」とエミちゃんのかわいい顔を見ながら思ったものでした。
2歳児で途中入園したユウスケはとにかく足の速い子でした。
入園した日の事は今でも覚えています。
主任先生がびっくりした顔で事務所に飛んできました。
「今日、入ったユウちゃん、すごいよー、球より速いんだもん」僕たちは何を言っているのかピンときませんでした。
「足がどばやいのよ、自分で投げたボールより速く走って、そのボールを取っちゃうんだから」
やっと理解は出来ましたが、「ホントかな?」と園庭を覗いてみると一人、やけにちっちゃいくせに
ちょこまかと素早く走っている子がいました。
「凄いねー」と事務所の先生たちはただただ感心していました。
「大きくなったらオリンピックに出るんじゃない?」誰かがつぶやいたその言葉にも納得出来るものがありました。
さて、この凄い子たちは、その後どうなったでしょうか?
1歳でオムツがとれたミキちゃんは2歳児になる頃にはおしゃべりミキちゃんになっていました。
給食の時も先生が話しているときもいつもしゃべっています。
オムツがとれたときには「すごーい!」と拍手で迎えられたのですが、
今では「ミキちゃん、今は先生のお話を聞くときよ」と叱られています。
コンモリうんこ4回のコウちゃんは、2歳児の頃は毎日うんこを漏らしていました。
3歳児(年少さん)の頃には1週間に1回ぐらいになりましたが不滅の1日4回という記録を作りました。
4歳児(年中さん)の頃は一月に1回ぐらい、そして5歳児(年長さん)の頃には、ほとんどなくなりました。
漏らすたびに先生はそっと連れだして、パンツを代えていました。
お迎えの時に「今日は大丈夫でした」と言うと、お母さんはいつもニコニコして「えらかったね」とコウちゃんの頭をなぜていました。
「今日は失敗しちゃいました」と言うときもニコニコして頭をなぜていました。
おかげでコウちゃんは、この事をコンプレックスに感じることなく卒園していきました。
卒園式の日には、ニコニコしているコウちゃんの横で、1日4回パンツを代えた先生が目を真っ赤にしていました。
天才パズル少年のショウ君は3歳くらいになったら、ぱったりとパズルをしなくなりました。
あれほど夢中になっていたのに、飽きてしまったようです。
お父さんは「いい夢を見せてもらったよ」と遠くを見つめるような目で言っていました。
5歳になったショウ君は今ではミニ4駆に夢中です。
日曜日になるとお父さんと近所のおもちゃやさんのコースで腕を競い合うそうです。
「僕もプラモデルが好きだったもんで、こうして遊べると嬉しくてね」と嬉しそうに話してくれます。
「ショウの作る車は速くて、本気で競争しちゃうんだよな、あいつ才能あるわ」と頷くお父さんを見ながら
「次は何に夢中になるのかな?」とふと思ってしまう僕でした。
両手毛布女のアヤノさんは、2歳児の最後の頃より毛布を背負わなくなりました。
心配して聞いてみたら、嬉しそうに「ここにあるじゃんね」と教えてくれました。
そこにはパンパンに張った園の鞄がありました。お母さんが毛布を半分に切ってくれたそうです。
年長さんの頃にはすっかり毛布の存在を忘れていましたが、ふと聞いてみました。
アヤノさんはニコニコしながら「ここだよ」とポケットから手のひらぐらいに切った毛布を見せてくれました。
「いつも持っているんだよ、寝るときもね」と話してくれました。
小学校4年生になったアヤノさん、今度会ったらまた聞いてみるかな。
絵本スラスラのミナちゃんに、一度先生が聞いたことがありました。
「お母さんが字を教えてくれるの?」
「ううん、でも毎日寝るときにお母さんが絵本を読んでくれるよ、お母さんは絵本を読むのが大好きで、ミナも大好きじゃんね」
絵本をみんなに読んであげているときはとても生き生きとしていたミナちゃんしたが、給食の時間になると止まってしまいました。
その隣では、字の存在自体に気づいていないミーちゃんが嬉しそうに何でも食べていました。
年長さんになる頃には、自分で絵本を読める子が増えてきて、もうみんなに読んであげることはなくなっていましたが、
給食は少しずつ食べられるようになりました。
(ミーちゃんもやっと字の存在に気づいて片言で読めるようになっていましたが、ちょっと太めになってきました。)
「大きくなったら何になりたいの?」と僕が尋ねると「おかあさん!」としっかりした口調で答えてくれました。
きっと、子どもに絵本を読むのが大好きなお母さんになるんでしょうね。
お金の計算大好きタイチは、おばあちゃんに手伝いをする度にお駄賃を貰っていました。
10円、5円と貰っていたので、頭の中にしっかりとお金の単位ができあがっているようでした。
ただ、15円+35円がすぐに出来るタイチですが、6円+5円は出来ません。
1円玉は貰ってないようでした。たいちの頭の中には10円玉と5円玉しか入ってないようです。
このお金への執着心が生きて、 やがて社長にでもなるかもしれませんが今は鼻を垂らしてニコニコしています。
天才踊り少女のナホちゃんは、3歳児になったら踊らなくなってしまいました。
人の目を意識するようになってしまいました。
乳児さんの頃には、みんなの前に立って先生と一緒にやっていた体操も今では、手足を少し動かすだけでやらないときもあります。
「4ヶ月から保育園にいるんだもの、こういう時期もあるんだよね」と先生たちは全然心配をしていないようです。
つまらなそうにしているナホちゃんの横で、新しく入った3歳児は、はりきって体操をしています。
その姿は、みんなでやる楽しさに満ちているようです。
しかし、先生たちには確信があります。
1歳児の頃、おもちゃを取られて泣いているナホちゃんの横で先生が「♪もりのこかげでドンジャラホイ!♪」と歌い出せば、
泣きながらも踊りだしてしまい、 最後には笑顔でフィニッシュのポーズをしていた姿を覚えているからです。
「この子がこれで終わるはずがない!」と誰もが思っています。
今年のお遊戯会が今から楽しみです。
8ヶ月で「お鼻がフン!」のヤヨイいちゃんは年長さんになりました。
もうみんな当たり前のように鼻をかめますので、誰もヤヨイちゃんが8ヶ月で出来たことを覚えていません。
ゆびしゃぶり中止宣言のタカちゃんは、1年生になりました。
お母さんによれば、家では今でもゆびしゃぶりをしているそうです。
「きっと、あのときは大好きな先生にかっこいいところを見せたかったんじゃない」とお母さんは笑っていました。
そういえば、園ではいつも張りきっているタカちゃんでしたが、家ではごろごろしている事が多いと聞いたことがあります。
タカちゃんにとっては、園や学校では思いっきり頑張ることが楽しくて、家ではごろごろしながらお母さんに甘えることが楽しいんでしょうね。
年長さんで3桁の足し算スラスラのユウジは、中学の時に僕が塾で教えた子です。
年長の時、一人で紙に計算を書いてやっているユウジに「ユウちゃん、それって面白い?」と聞いた先生に
「これをやると、お母さんが喜んでくれるじゃん」と答えたと聞いたことがあります。
それを聞いたときには、僕には理解できました。
小さいときにお父さんを亡くしたユウジは、とてもお母さん思いの子でした。
一生懸命に働いているお母さんをいつも見ていたので、何とかお母さんを喜ばせたい、助けたいといつも考えているような子でした。
教育熱心な感じのお母さんではありませんでしたが、ユウジはよく勉強していました。
この地方で一番レベルの高い高校に入ったときには、お母さんと二人で挨拶に来ました。
嬉しそうな二人を見ながら、 「高校では、自分のためにやりたいことを見つけてほしいな」と少し感じたのを覚えています。
「名古屋大学に行きたいじゃん」と言っていたユウジですが結局は入れずに不本意な私大に行きました。
当時の塾の子たちが遊びに来たときに、 ユウジもバイトの合間を縫って顔を出してくれました。
「大学は面白いか?」と言う僕に「バイトをしていたら終わったという感じ」と答えていました。
今年4年生になったユウジですが、まだ就職が決まらないと言っていました。
狼少女エミちゃんは、すぐにトイレで出来るようになりました。
モゾモゾし出すと園庭を見つめるエミちゃんですが、トイレがおしっこをするところと言うことがやっと分かったようです。
この子たち以外にも園には、楽しいくて凄い子たちがいっぱいいます。
保育園は、まさにワンダーランドです。
みんな、その子らしくのびのびと育ってほしいと願っています。
球より速いオリンピック少年のユウスケは小学校1年生になった今、松葉杖をついています。
先日、**先生が事務所に、少し疲れた顔でやってきました。
「この2週間、何度もお休みをもらってすみませんでした」
「いろいろな病院に行ったのですがやっぱりペルテス(原因不明の病気だそうです)だと言われました」
ユウスケのお母さんはうちの先生でした。
足がちょっと痛いからとお医者さんに言ったら、ペルテスの疑いがあるとのことでしたので、あちこちの病院に調べに行っていたのです。
「そんなことは気にしなくていいですよ」と園長先生、それからユウスケの様子やお医者さんのお話などを話してくれました。
「今日は、腰につける装具の型どりをやってきました、ユウスケは少しひどいようですが(股関節の壊死している部分が多いそうです)、
それを3年ぐらいつけていれば歩けるようにはなる」とのことでした。
「でも、激しい運動はもう無理だって、あんなに野球やサッカーが好きだったのに」
**先生の目は、少し光っていました。
「大丈夫!速く走らなくても出来るスポーツはいっぱいあるよ、モトクロスなんかどう?俺が鍛えちゃうよ!」
僕は励ますつもりで言いました。
「それは全然フォローになってない、なってない!」すかさず○○先生の鋭いツッコミがありました。
「歩けるようになるんだから大丈夫よ」
○○先生には、重度の障害を持って、 いつまで生きられるか分からないと宣告された子どもがいます。
当たり前の話しですが、保母さんも働くお母さんです。
うちの場合ですと、36人の職員のうち家庭を持っている人は26人います。
みんなそれぞれの家庭の事情を抱えながら一生懸命に働いています。
「保母を続けていけるのは、みんなの助けがあるからよ」とは園長先生の口癖です。
○○先生の鋭いツッコミのおかげで、みんな笑ってくれました。僕もつられて笑ってしまいました。
**先生も目に涙をいっぱいためて笑っていました。