まずは、中学生のことです。
12月24日のクリスマス会に6人の中学生が、また手作りのおもちゃを持ってきてくれました。
子どもたちには、サンタさんのプレゼントと共に紹介させてもらいました。
去年、たくさんの中学生が園に来てくれて、変わったことがあるのです。
今まですれ違っても挨拶なんてすることがなかった中学生が子どもたちや先生に挨拶してくれるのです。
もちろん、卒園児の子たちとは、交流がありましたが、全然知らない子たちが挨拶してくれるのです。
不思議なものですよね。 朝、道行くこの子たちと挨拶するだけで、なんか一日が楽しくなっちゃうんですから。
すれ違う人たち全員と挨拶が出来るような地域になったら、どんなに楽しいでしょうか。
(自分「38歳」が子どもの頃には、 そんなことがある程度出来ていたような気がしますが)
僕は、もともと一匹狼の流れ者だったので、どこでも一人で生きていける自信がありました。
いつ死んでもいいと思っていましたし、 誰も気にとめてくれなくても当たり前だと思っていました。
豊橋港で美奈子先生に拾われて保育園に入ったのですが(「豊橋港の捨て犬」と言われています)
子どもたちと接するうちに、教えられたことがあります。
人間って、一人で生きていくことも出来るが、みんなと関わり合いながら生きていくのがどんなに気持ちのいい生き方だということを。
で、本題です。
今年度の大きな行事は、2月の最後の日曜のお遊戯会だけになりました。
(1月に保育参観が、各学年別にありますが、いつもの様子を見てもらって一緒に給食を食べるだけです)
そして、いよいよ1月の中旬より年長さんが練習を始めました。
みなさんは、お遊戯会(生活発表会など)が好きでしたか?
嫌な思い出になっていませんですか?
人前で、自分を表現するのが苦手だった子はいませんでしたか?
踊ることって立派な自己表現ですよね。
自己表現・・(自分を表現すること、自分の心情や考えを外に表すこと)と一般には考えられていると思いますが、
ここではもう少し広い意味で使いますね。
乳幼児期には、表出なのか表現なのか分かりにくいですし、
心情や考えを訴えたり、共感を求めるためのあらゆる行為なども考えるとよく分からないからです。
どうしてお遊戯会が好きな子と嫌いな子、 人前で踊ることが好きな子と苦手な子がいるのでしょうか?
確かに、踊ることが上手な子と下手な子はいます。人前で踊ることが好きな子と嫌いな子もいます。
そして、踊ること自体が好きな子と嫌いな子がいます。
普通に考えると、踊ることが得意な子は上手だし、人前でするのも好きだし、もちろん踊ること自体も好きと思うでしょう。
踊ることが不得意な子は下手だし、人前でも踊りたくないし、もちろん踊ること自体も嫌いと考えれるのではないでしょうか?
ここで、子どもと日々接している人は、この文章は???と思っているのではないでしょうか。
「ちょっと待て、そんなに簡単に言い切るな!」と言いたい方もいると思います。
子どもって、このような、 大人が考えるような方程式で生きているわけではないのですよね。
メチャ下手でも、人前で踊ることが大好きな子もいますし、上手なのに、あまり踊りたがらない子もいるのです。
そして、得意・不得意、上手・下手に関わらず人前での自己表現が好きな子と苦手な子がいるのです。
子どもは、本来自己表現が大好きです。
踊ること、歌うこと、作ること、話すこと、笑うこと、泣くこと、遊ぶこと、みんな立派な自己表現です。
自己表現がが嫌いな赤ちゃんなんていないでしょう。
赤ちゃんは、自分の生命を守るためにも愛情を受けるためにも、いつも自己表現しているのですよね。
これは、人間が本来持っている本能といってもいいと思います。
そしてもう一つの本能として、「人に認めてもらいたい」ということもあります。
赤ちゃんだって、お母さんが語りかけると笑うでしょう、「じょうずー」って言われると嬉しそうでしょう。
人と関わりを持つと言うことは、お互いを認めあうことなんです。
人との関わりを嫌う赤ちゃんなんて見たことないです。
お母さんとの関わりが嫌いな赤ちゃんなんているわけないでしょう。
「人見知り」は、また違う問題ですけど。
人間は本来、自己表現が好きだし、それを認めてもらうことも好きです。ですから、人前で自己表現することも好きなはずです。
(認めてもらう相手が、家族なのか他人なのかと言うこともありますが。)
ここでも「ちょっと待った!」と言いたい人がいるのではないでしょうか。
「自分は物心付いたときから、人前で何かするのは嫌いだった」「赤ちゃんは人見知りするのが普通だ」って思う方もいるでしょう。
赤ちゃんは、母親と自分だけの世界から、 初めての外の世界に接するのに不安があるのは当たり前です。
不安というのは、実体(外の世界が自分に危害を与えない、排除しない)が分かればなくなります。
問題は、その後なんです。
どうして、人前で自己表現をするのが嫌いになってしまうかなんです。
どうして、家族の前で出来ていた自己表現が他人の前では出来なくなるかと言うことなんです。
人に認められることが嫌いな子なんていないのにですよ。
まず考えられるのが、 「自分に自信が持てない」という事があるのではないでしょうか。
まだ、なんにもない段階から自分に自信を持てと言っても無理な話ですよね。
自信って、どうやって持つようになるのでしょうか?
やはり、家族や人から認めてもらうこと(承認される)しかないのではないでしょうか。
共感し合ったり、誉めてもらいながら育つものではないでしょうか。
その後の人生で役立つ、役立たないに関わらず(子どもはそんなことは意識していませんが)
誉めてあげることが認めてあげることが自信に繋がるのではないでしょうか。
これは、乳幼児期に一番大切なことですよね。
自分という存在がいかに大切か、 みんなに認められているかということを知ってもらうためにも。
二つ目は、「自己表現を否定される」ことです。
自分が一生懸命に描いた絵が「下手」と言われた、「直してきなさい」って言われた。
得意になって踊っていたら、「変な踊り」って笑われた、ポケモンを全部言えるのに、そんなものは役に立たないって怒られた。
こんな自信過剰の僕でさえ、音楽を歌うことや聞くことは好きなのに、人前で歌うことは嫌いなのです。
理由ははっきりしています。
中学一年の時の音楽の時間に、先生にみんなの前で「おまえは音痴だ」って言われたからなんです。
それまでは、友達の前などではよく歌っていて「おまえ音程がずれてるぜ」とは言われていましたが
気にせずに
(歌うこと自体が好きなので)歌っていたんです。
でも、中学1年以降、人前で歌うことが嫌いになりました。
ですから、乳幼児期に行ういろいろな自己表現を、どれだけ認めてもらってきたか、
否定されてきたかによって 人前で自己表現することが好きになるか嫌いになるかということもあると思います。
もちろん、性格的な問題もあるでしょうが、自分を表現するまでに時間がかかるか、すぐに出せるかの違いだけで、
自己表現自体が好き、嫌いとは関係ないと思います。
でも、ここで難しい問題があるのです。
「しつけ」との問題です。
子どもにとっては、何でも自己表現です。
友達のおもちゃを取るのも、ザリガニを殺すのも、お茶碗を持たずに犬食いするのだって立派な自己表現なのです。
どこまで認めて、どこからは認めない(叱る)かは、各家庭で決めるしかありません。
どんな子に育ってほしいかと考えるしかありません。
で、お遊戯会に話を戻しますね。
人前で踊ること(自己表現)が嫌いな子は、無理にやらす必要はありません。
ただ、子どもは本来踊ること(体を動かすこと)、音楽に合わせてリズムを取ることが大好きですので、
その子が表現しやすいような状態を作ってあげることは大切です。
いきなり難しいことをやって、 他の子との違いを感じさせるのではなくみんなで踊ること、リズムを取ることの楽しさが分かり、
自分の踊りだって、ちゃんと先生に認めてもらえる、恥ずかしいものではないんだと感じてもらうことは大切です。
こういう気持ちを持った先生と持たない先生とでは、練習風景もだいぶ違ってきます。
この子は、「最初から踊りが嫌いな子だ、人前で自己表現するのが嫌いな子」だと決めつけている先生と、
「どうして嫌いなのかな、何を不安に思っているのかな?」と考えながら接している先生とでは天と地ほどの違いがあります。
みんなが楽しそうに練習しているその横で一人つまらなそうにしている子がいます。
同じような光景でも、先生によってその場の雰囲気は全然違います。
「しょうがない子ね」といった空気が張りつめているのか、
ちょっとしたきっかけさえあれば一緒に出来る暖かい雰囲気なのかは一目で分かります。
いい先生は、子どもを理解しようとします。
ちょっとした仕草、信号も見逃しません。
その時にちょっとした言葉掛けや援助で出来るようになることも実際多いことです。
去年の「ゆかいな仲間」のゆーくん(3歳児)も最初はお遊戯の練習を全然やりませんでした。
でも、どこか違うところに行って遊ぶのではなく、わざと友達のジャマをしたり、見えるところでふてくされていたりしていました。
担任の先生は、気づいていました。
お遊戯が嫌いなわけではない、友達と一緒にやることが嫌いではないことを。
ゆーくんなりに出している信号を見逃してはいませんでした。
これは何もお遊戯の練習の時だけではありませんでした。
普段の遊びでも、うまく友達と遊べません。
どうやって関わっていいのか分からないようでした。
よく廊下の端で、一人で泣いているのを見かけたのもこの時期でした。
けっきょく、総練習までほとんどみんなと一緒に練習することはありませんでした。
でも、先生はいつでも入ってこれるようにゆー君の場所を空けて待っていました。
やりたくなったら、入りやすい雰囲気をいつも作っていました。
そして、総練習の日、初めてゆー君は少しみんなと一緒に踊りました。その時の先生の嬉しそうな顔は忘れられません。
本番の日には、はじめから最後までみんなと一緒に踊れました。
テンポが遅れてしまったり、反対に行ったりしましたが最後までがんばっていました。
普段から、友達と関われないことを悩んでいたお母さんも、客席で涙を流していました。
一度も練習しないくせに何とか出来たのも、ちゃんと練習を見ていたからなんです。
これが自信に繋がって、ゆー君はゆかいな仲間を卒業しました。
ゆー君の場合は、たまたまお遊戯会であっただけで、どんなことでもいいのです。
子どもたちが自分という素晴らしい存在に気づき、みんなに認められ、共感され、
どんなに必要とされているかを どれだけ感じる機会があるかということが問題なのです。
昨日、年中さんのお遊戯の練習をビデオに撮りに行きました。
ゆー君の今年のお遊戯は「タイミング」(ブラックビスケッツ)です。
(お遊戯の練習が始まったときから、担任の先生に一度見に来てと言われていました。)
そこには、みき先生の歌に会わせてニコニコしながら張り切って踊っているゆー君がいました。
その笑顔を見ていたら、1年前に廊下の隅で泣いている姿とダブってしまい、ジーンときちゃいました。
いい仕事をさせてもらっています。