集団生活(2)

この頃、あらためて集団生活の大切さが強調されるようになってきました。

学級崩壊を初めとして、人とのつながりが出来ない子や集団のルールが守れない子が増えてきたこともあります。

では、しっかりと集団生活を経験させればこれらの問題は解決するでしょうか?

しかし、それだけでは無理だと思いますし、場合によっては違う問題が発生するでしょう。

「ひとりひとりの個性を大切にし、その子にあった教育をする」は、画一的な教育やいきすぎた一斉保育の反省から生まれました。

(一斉保育自体が悪いわけではありません、一斉保育でも十分に個性は育ちます)

では、どのような集団が、子どもにとって必要なのでしょうか?

一言で言うと「気持ちの良い集団」だと思います。

「楽しい集団」でも良いのですが、 そうすると「子どもが楽しければいい」と勘違いする人もいると思うので、

あえて「所属していて気持ちの良い集団」としました。

一昔前なら、近所の悪ガキたちが集まった 異年齢の集団も「気持ちの良い集団」だったでしょう。

学校に行くのが楽しいようなクラスもあるでしょう。「近所のサッカーチームがいい」という子もあると思います。

見た目には厳しい集団でも、 一人一人の子どもたちの間に信頼関係が結ばれていて、

その子の居場所がしっかりとある集団なら「気持ちの良い集団」と言えるでしょう。

でも、そんな「気持ちの良い集団」でも、自分の好き勝手ばかりは出来ませんよね。

やはり、集団には、ある程度の辛抱・我慢がつきものです。

では、どうして辛抱・我慢し、集団のルールを守っていても気持ちが良いのでしょうか?

それは、ちょっと待っていたり、ルールを守ることで、一人では味わえないような楽しさがあるからこそ出来ると思います。

辛抱・我慢・ルールが先にあるわけではなく、より大きな楽しさや達成感を得るためには

お互いが少しづつ協力しなければならない、その過程での、辛抱・我慢・ルールであるからです。

辛抱・我慢・ルールばかりを強調すると、見た目にはまとまった集団に見えたり、お互いが協力しあったりしているようには見えていても、

子どもたちの間にはストレスが貯まり、 見えないところでの陰湿ないじめなどの、はけ口を探すようになります。


僕が中学の頃から校内暴力が激しくなり、その解決策として管理教育が生まれました。

しかし、その結果が陰湿ないじめへと繋がってしまいました。

そして、個性を大切にした教育になり、学級崩壊の問題へとなっています。

もちろん、こんな簡単な図式では言い表されませんが、 反省すべき点があるとすれば、

どんなやり方にしろ、成功した形だけを真似しても、何の解決にもならないということです。

厳しい指導に耐らえれる子どももいるでしょうし、出来るだけ好きにやらした方が力を発揮する子もいます。

子どもと近い関係にいることが得意な先生と、少し離れた関係の方がうまくいく先生がいます。

それぞれの環境で、お互いの持ち味を発揮できるような集団があるはずです。

そのようなクラス・チームのような集団にいてこそ、子どもたちは健全に育っていくのではないでしょうか。

ですから、私たち大人は、「気持ちの良い集団」こそを作っていかなくてはならないのです。