絵の思いで

隊長は絵が好きだった。

小さいときから、いつも紙や地べたにも絵を描いていたように思う。

小学校2年生の時には交通安全のポスターが市長賞を取った。

(これは、横断歩道で傘をさしている子や走っている子を真上から描いたものだった)

3年生の菊の絵は、自分で育てた菊を斜め下から描いてこれも何かの賞をもらった。

自分では、好きだから描いていただけなのだが、いつしか先生や周りの大人から才能がある、

ここを直せばもっと良くなると期待をかけられるようになった。

5年生の頃には、鉛筆での下絵というものを描かずに、いきなり筆で川に掛かる鉄橋などを描くようになっていた。

紙に描くときには、線で輪郭を描かなくてはいけないのに、どうして実際のものは輪郭がないのか、 見えないのかをいつも考えていた。


テレビを近くで見ると3色だけの点々で出来ていたのを発見したときの驚きは今でも覚えている。

(今、眼鏡をかけているのはこの時が原因ではなく、中学生の時に隠れて11PMを見ていたせいだ)

光の当たっている色や影の色、水面のきらめきが描けなくて何日も川を見つめていたときもあった。

中学生になってからも写生大会などではいつも金賞を取っていたように思う。


中学2年生の時に美術の先生が変わった。

ある日、静物画を描いているときに先生が隊長の絵を見に来た。

そのころの隊長の絵は、細い線を何本も描きその中から自分の線を見つけるという描き方をしていた。

先生は、「こんな弱々しい線ではダメだ」と言って3Bの鉛筆で力強い線を隊長の絵に描いた。

それまで隊長は、絵というものは自分の好きなように描くだけで、人が自分の絵をどう思うかなんて考えたこともなかった。

何か自分の大切な物を否定されたような気持ちだった。その技法も好きになれなかった。

この先生は好き嫌いが生徒に対してもはっきりしていた。

一学期の美術の通信簿は、初めて「5」でなく「2」がついた。とてもショックだった覚えがある。

そして、「5」をもらった子の絵を見た。

「なんだ、こんな絵でいいのか」

それは、単に輪郭が太く力強いだけだった。隊長は、二学期からは、その先生好みの絵を描いた。

そして「5」をもらった。

3年になったら、なぜかその先生はいなくなって、また新しい先生がやってきた。

隊長はすぐにその先生の好みを発見し、それに合わせた絵やものを作った。

高校になった頃には、8時限で描く絵を6,7時間は遊んでいて残り1,2時間でチョイチョイッと先生好みに仕上げて「5」をもらっていた。

結局、小学校から高校卒業までで、通信簿で一番良い点がつかなかったのはあの時だけだった。


隊長は、春の山が大好きだ。

色合い的には秋の紅葉が美しいかもしれないが、春の山には生きていく力みたいなものが新緑の中に感じられるからだ。

紅葉はきれいだが、葉が死んでいく色に感じてしまう。

山もよく描いた。

遠くから見た山、近くで感じた山、夏の靄がかかった山、空気の存在を忘れさせてしまうくらいの透明感の中にたたずむ冬の山。

絵を描いているだけで幸せだった。粘土をこねているだけで時を忘れた。

でも、今ではどんなに山に感動しようとも、近くに紙と鉛筆があろうとも描きたいとは思わなくなってしまった。

あの時のことがなくても、絵は描かなくなっていたかもしれない。

才能も周りの大人が騒ぐほどあったとも思えない。

しかし、隊長はあの時に、「5」と引き替えに、なにか大切な物をなくしてしまったように思っている。