少子化って?(2004/10)
タイトル:Re.少子化って?
保育の掲示板でのやりとりです。
>
上の子がかなり激しい癇癪を起こす子でしたので
> 他人の冷たい視線、哀れみの目、同情のまなざし、
> うちの子じゃなくてよかったわぁ〜なんて思ってそうなママさんの目・・・
> 色々浴びてきました(笑)。
> お出かけは毎回トホホでしたよ。
少子化にともない社会全体が、子どもや親に対して冷たくなってきていると感じているのは僕だけでしょうか?
子どもって本来駄々をこねたり走り回ったり癇癪起こすものではありませんか?
少なくとも僕の子ども時代(40年ほど前)は、社会全体がそう思っていたと思います。
なんてたってそこら中子どもだらけ・・。
どこに行っても子どもたちが群れを作って遊んでいました。
そこではワーワー騒いだり、喧嘩したり、いたずらしたり・・。
(どんないたずらをしたかはhttp://www.tcp-ip.or.jp/~meisyou/to/oi.htmに書いてあります)
良く回りの大人たちにも叱られましたが(近所の雷オヤジは今でも覚えています)
その根底には“子どもたちを社会全体で育てよう”という合意があったように思います。
ですから親自身ももっとのんびり子育てしていました。
昔をことさら美化する必要はありませんが、
この一点だけは、実際にその時代を生きてきた一人として切に感じます。
現在はどうでしょうか?
新幹線の中でもちょっと子どもがはしゃいだりするだけで、
露骨に嫌みなことを言ったり冷たい視線を送ったり・・(先日遭遇しました)
確かに人に迷惑掛けて平気な親もいますが、
それよりも子どもというものを世間が知らなすぎると思います。
(発達障害の子どもだっているのですから・・一番苦しんでいるのは親なんです))
世間が子どもに接する機会が明らかに少なくなったせいでしょうか?
親自身が困惑して引け目を感じている姿を見るたびに
「この国の少子化はなるべくしてなっている!」といつも思います。
そういえば以前新聞で「公園から滑り台が撤去」という記事を読んだことがあります。
理由は「滑り台があると子どもが集まりその声がうるさいという近所の苦情から」だそうです。
“子どもの遊ぶ声が苦痛”と捉えられる時代になってしまったんですね。
以前は、どこにでもあった子どもの声が、社会からなくなってきたひとつの表れだと思います。
もし僕が今の子どもだったら、きっと親は世間から冷たい視線で見られたであろうし、
ひょっとしたら育児ノイローゼにかかっていたかもしれません。
外国で子育てをした人に話を聞くと
親が恥ずかしくなるくらいに子どもを褒めてくれることが多いそうです。
それも見知らぬ人が・・。
お腹が大きなだけで「まぁなんてステキなお腹!」なんて言われた人もいるそうです。
もちろん、親が困っていたらすぐに手助けしてくれる人がどこにでもいたそうですよ。
それに比べて我が国はどうでしょうか?
経済第一、効率第一できたツケが少子化という形で現れていると思います。
少子化を女性の社会進出のせいにする人もいますが、完全な間違い。
専業主婦より働いている人の方が子どもを多く産んでいるって知ってましたか?
ホント、保育園のお母さんたちは子沢山って感じます。
(当園の平均出生率はゆうに“2”を超えています、まだみなさん現役途中なのに!)
少子化って確かにいろいろな原因があるのだろうけど、
社会が子どもたちや親を見る目って言うのも大きいと思います。
PS
ここに一つのデータがあります。
“財団法人こども未来財団”の「子育てに関する意識調査」(2000年度)では、
子育ての負担感が大きいと感じているのは、
共働きの母親より専業主婦の母親の方が遙かに大きい。
共働きの母親が29.1%だったのに対し、専業主婦は45.3%。
子どもの年齢が就学前の場合は、
肉体的負担感や自由がきかないことへの精神的負担感が大きく、
小学生になると経済的負担感が増してきているそうです。
このことから専業主婦の方が、社会から隔離されて
子育てを一身に任されてしまい悩み苦しんでいる姿が見えてきます。
本来子育ては、親だけで出来るものではありません。
ましてや母親だけでは無理です。
子育ては本来、専業・共働きにかかわらず家族を始め地域や社会みんなで行うものなのです。
