19世紀末音楽の考察

「世期末から新世紀へ」

19世紀末から20世紀のはじめには、西洋音楽史の流れの中に大きな変化がもたらされた。ワーグナーはその楽劇の創作を通じて、今までのいわゆる機能和声その他の音楽上の表現手段を極限にまでおしすすめたものであった。いわゆる「後期ロマン派」の活動である。オーケストラの編成は巨大なものとなった。こうした傾向は、さらにドイツではマーラーやR.シュトラウスなどの新しい世代にうけつがれ、かれらは大編成の管弦楽によって、交響曲「マーラー」や交響詩「R.シュトラウス」を作った。R.シュトラウスは標題交響曲や楽劇の世界でも活躍している。この二人は歌曲の世界でも印象ぶかい作品を残している。

「1890年代から1910年代の音楽 後期ロマン派の残照」

19世紀末から第1次世界大戦までの第1期の音楽は、ワークナーに代表される後期ロマン主義の延長線上に成立する。マーラー、ドビュッシー、スクリャービン、シェーンベルク、ラベル、バルトーク、ストラビンスキー、ウェーベルン、ベルクといった1860年代から1880年代生まれの第1期の作曲家たちは、成熟しきったロマン主義と世期末の精神的風土のなかで、なによりもまずワーグナーの劇的、官能的、内面的な音楽を体験してそこから決定的な影響をうけた。これからの作曲家たちの初期の作品には、崩壊しつつある調性構造、色彩的な半音階法、文学や演劇との内的結合、巨大なオーケストラの旋律、無限旋律や示導動機など、まぎれもないワーグナーと後期ロマン派の音楽語法の特徴がきざみこまれている。しかし同時に新しい世紀の到来は、こらからの作曲家たちの意識に微妙な変化ももたらし、20世紀の多様なイズムとスタイルによる音楽も作られはじめる。第1期のおもなイズムとその提唱者たちを列挙すれば、「印象派」ドビッュッシー「表現主義」シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン「民族主義」ストラビンスキー、バルトーク、「神秘主義」スクリャービン「騒音主義」ルロッソなどがあげられる。この第1期の5つのイズムのなかで、音楽様式としてとくに重要なのは、「印象主義」と「表現主義」という2つの対比的なイズムとスタイルである。「印象主義」が人間の外界から内部にもたらせる印象を素早く音によって描写しようとするのにたいし、「表現主義」は、人間と外界との間の接点をひとまず消し去って自己の内面に沈潜し下意識的な欲望や衝動を音によって外におしだそうとする。ドビュッシーは、刻々と移りかわっていく自然とむきあい、繊細なラテン的な感性にもとづきながら、水と光と風の流麗なイメージの世界を作りあげる。そのためには、五音音階、教会旋法、平行和音、自由なテンポとリズム、細分化されたオーケストレーションなどの作曲技法が用いられた。これにたいしてシェーンベルクらの第2次ウィーン学は楽派の作曲家は、自分の暗い内面に注目し、不安にみちた苦悩や幻想をゲルマン的な精神でとらえそれを外界に投げ出す。そのためには、するどい不響和音、無調、急激に変化する旋律などの作曲技法が用いられた。はげしいリズム法と原色的な管弦楽法による「民族主義」機関銃や汽車の騒音を利用した「騒音主義」色彩と音響の融合をめざす「神秘主義」も、非合理的な内面の表出に力点をおいているという意味では、広義の「表現主義」のなかに組み入れられる。しかし、ロシアのストラビンスキーとハンガリーのバルトークの「民族主義」の思想は、ドイツ、ロマン主義の絶対的優位と中央ヨーロッパ音楽の支配をくずしはじめたという点で、長い西洋音楽の歴史のなかでも注目にあたいする。ストラビンスキーは初期の三大バレエ作品でロシアの民謡とリズムを用い、バルトークはマジャール民族の「農民歌」の採集と研究を通じて、非中央ヨーロッパの音楽の可能性を追及したのである。インドネシアのガムラン音楽にひかれたドビュッシー、スペインのリズムにひかれたラベルも同じような問題意識をもっていたと考えられる。このようにして第1期の作曲者たちは、ドイツ.ロマン主義の圧倒的な影響のもとに作曲活動を開始しながらも、ドイツ.ロマン主義の絶対的な覇権をじょじょに崩壊させようとした。この過渡期の音楽の作曲技法な特色は、従来の西洋音楽の支柱ともいうべき調性構造と拍節構造の弱体化という事実にある。ドビュッシーの全音音階や五音音階や平行和音、ストラビンスキーの復調、スクリャービンの「神秘和音」シェーンベルク派の無調ブゾーニの「三分音」は無調の崩壊現象をいっそうはやめて新しい可能性をもった空間を作り、ドビュッシーの小節線から自由なリズム、ストラビンスキーやバルトークの民族音楽のリズムは、単純な拍節から解放された新しい可能性をもった時間を生みだした。

参照書/音楽の友社「西洋音楽史」;船山隆 著

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