天保暦(てんぽうれき)

 わが国最後の太陽太陰暦である.1844(弘文元年)より1872年(明治5年)まで約30年間しか使われなかった.渋川景佑(高橋至時の子)が中心となり,山路諧孝,足立信頭が加わってできた.もちろん中国の暦法を踏襲するものであるが,西洋の天文学を取り入れたため,当時の中国の暦法を上回り,現在に至るまで,世界最高水準の太陽太陰暦と評価される.しかし他の暦と比較して複雑になってしまい,一般人にはわかりにくいものとなってしまった.現在,旧暦といえばこの天保暦をさすが,後述のように,全くその通りではない.世界ではいまだに太陽太陰暦を使っているところがあるが(別に太陽暦が優れているというわけではない),暦法にこの天保暦を採用している場合もある.
 この暦法の要点は次のとおりである.
  1. 太陽と月の黄径が一致する時を朔(朔)とする.(朔というのは俗に言う新月である.)
  2. 黄径0°を春分点とし,30°ごとに区切った点を,12節気(24節気の中気)とする.
  3. 時刻は京都南中時を採用する.さらに不定時法を用いる.
  4. 朔を含む日を1日とする.
  5. 冬至11月,春分2月,夏至5月,秋分8月とする.
  6. 閏月は中気を含んではならないが,中気を含まない月が閏月とは限らない.
 この2,6番がこの暦を複雑にした.つまり地球の楕円運動により,中気が偏り,一ヶ月に2度起こることもあれば1度も起こらないことが普通となる.また閏月は遠日点に近いほど確率が高くなり,近日点付近で無くなった.
 また時刻は南中時(不定時法)を用いるため,時間間隔は一定ではない.これはこの暦の改悪点であった.
 現在使われている旧暦は3を除いてこの原則を使っている.

 2033年には上記のルールだけでは,閏月が決まらないことが起こる,ということが計算でわかっている.