峰の原ワイルドターキーカップ報告

1997年のワイルドターキーカップ(テレマークスキーによるスラロームレース)が3月29日に開催されました。28日にはクリニック、30日には有志による根子岳ツアーも行われましたので、TAJによるイベントの一例として紹介します。

3月28日(金)クリニック

 朝から快晴に恵まれた峰の原スキー場で、クリニックを行いました。初心者クラスと、ポイントレース組に分かれて、午前・午後とじっくり練習をしました。特に、レース組は「100キロたかはし」とよばれる高橋さんや山口さんなど本格レーサーも参加されており、へたなレッスンよりどんどん実戦というわけで、いくつかのセットでポールをくぐっていただきました。特に午後は気温が上がり、雪が水気を帯びてしまい、強烈なブレーキがかかって大変滑りにくかったのですが、高橋氏はその体重が有利に働いたのか、すいすいと美しいカービングターンを披露されておりました。

3月29日(土)ワイルドターキーカップ

 天候は曇り。雨の到来を心配しながら準備をはじめる。時間の関係で、フリーゾーンのラインを引けないままにインスペクションを開始してもらったので、わかりにくい点があったかも知れない。ジャンプ台は、いつものように2つだが、位置的にはいつもより少し上に設営されていた。気温がそれほど低くないので、雪面は柔らかい。

Ski base treatment at the start  スミノフカップ(初心者用のタイム申告制レース)がジャンプ台の下の部分で行われている間に、ポイントクラスの選手たちは徐々にスタートに集まってくる。選手達はならんでスキーのソールの最終チェックをしている。ここで山崎競技委員長から重大発表があった。何とメカのトラブルでデュアルレースが行えないのだ。せっかく早起きしてコースを2本作ったのに。結局、一走目を赤コース、二走目を青コースで行うことにし、前走の山崎・松本組だけがデュアルで出走した。二人ずつ出走しても結局は全体のタイムレースなのだが、やはり相手がいると興奮する。見る方も見応えがある。この点は残念だった。

Ski base treatment at the start  気温が高い分、雪がべとついているせいか、スキーが思うように走らず、出走順の早い選手が次々に転倒する。10番目以降ぐらいからしっかりしたコースが出来、滑りやすくなったようだ。ジャンプ台が二つあり、ゴールから全体を見渡せるので、目立ちたがりの選手にはまたとない舞台となっていた(残念ながら往々にして、破滅へとつながっていたが)。前の選手がジャンプを無事通過するのをゴールの係員が確認してから、次の選手を出すようにしたので、少しレースの時間は長くなったが、進行はスムーズだった。

 無事、男子43名、女子6名のレーサー達が滑り終え、選手達も協力して撤収が行われるころには、風が次第に強まっていた。集計をする部屋の窓から眺めると、いつしか雨も降りだし、夕方にはちょっとした嵐となった。明日のツアーもこのぶんでは中止か、これで心置きなくパーティーで飲めるなと思ったのは私だけだったろうか。峰の原の集会所で行われたパーティーには、選手以外の仲間の皆さんも大勢参加していただき、ヒューブラインの皆さんがサーブしてくれるドリンクにも、次々に手が伸びていた。奥志賀優勝の高橋は残念ながらDNFに終わった。世界戦から帰ってすぐなのに参加してくれた小笠原は、2本ともラップをとり、二走合計ペナルティー1というすばらしい成績で優勝した。女子では、黒川の優勝。駒米は旗門不通過でDNFとなった。スミノフでは、特に男子で、上位4人が申告タイムと実際のタイムの差が1秒以下という接戦となった。優勝の池田は、何と差が0.1秒。

Series champion シリーズレース最終戦のワイルドターキーカップの結果が出たので、シリーズの合計ポイントが計算され、上位者の表彰が行われた。奥志賀までで、100点をとって1位だった中島(なかしま)が1位をキープした。三角巾で腕を吊った姿もすっかり定着した感がある。女子は黒川が7戦出場中、1位が5回、2位が2回という成績でチャンプとなった。

3月30日(日)根子岳ツアー

 前夜は嵐だったはずなのに、妙に窓の外が静かだ。鳥の声も聞こえる。そんな馬鹿なとカーテンを開けると、二日酔いの目にもまばゆい青空が広がっていた。パーティーではツアー中止宣言を出してしまったが、こうなっては行くしかない。各ペンションに電話を入れ、9時半にパークセンター集合という予定を伝えてもらう。

Traces of telemarkers 集まったメンバーは、言い出しっぺ側を入れて27名。八幡平の焼山ツアーと同じく、あくまでも有志によるツアーだが、安全は大切だ。途中で行方不明がでないように、各自に番号をわりふって、おりおりに「番号!」「イチ」「ニ」「サン」...とやって確認する。これがなかなか面白い。癖になりそう。単独行を好んでしばしば行方不明になりたがる10番の人もいたが、おおむね秩序は保たれた。ただ、山岳会と違って、やはりテレマーカーは自己主張が強いのか、ご覧のようにトレースは一本にはならず、あくまでもバラバラ...

At the peak of Mt. Neko-dake ゴルフ場を過ぎてしばらくは、天気も良かったが、しだいに雲が出てきてしまう。北側の谷間から、モクモクとガスが上がってきて、斜面は濃い霧に包まれてしまった。こういうときには、20mぐらいの間隔で林立している表ダボス・山頂間の標識群が大変ありがたい。トレースもまとまってくる。根子岳山頂付近は、風も強く寒い。ちょっと下がった樹林のなかで昼食をとる。下りもおおむねガスの中なので、頻繁に止まっては、「番号!」をやる。10番の人は現れるたびにヤッケの色が違っていて、さすがおしゃれである。薄手のヤッケを重ね着して、こまめに調節する作戦とか。雪の方は、多少引っかかるが、それほど重くない。ただ、下の方に来ると、笹の上に薄く雪がかぶった部分があり、ここの上にスキーが乗ると、トップが急に落ちて突き刺さり、見事にひっくり返る。まるで落とし穴である。

 無事スキー場に滑り込んで、ツアーは終了。ゲレンデを滑り降りてレストランで休憩することにするが、ゲレンデの雪は、もうとても雪とよべないほど氷のかたまりと化していて、おまけにガスは濃いし、人は多いしでひどいめにあった。ゲレンデスキーヤーの方が山スキー屋よりよっぽど忍耐強いようだ。オールジャパンが裏磐梯へ行ったおかげで、シリーズの最後をのんびりと楽しむことができた。もし、今年も峰の原でオールジャパンをやっていたら、2年続けて中止に追い込まれるところだった。結果論だが、よかったよかった。


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