An article of Bungei-shunju journal

パタゴニアカップin奥志賀

 1998年3月7−8日

だらだらと書いてあります。適当にひろい読みして下さい。

 今年のシリーズレースの最終戦は、奥志賀でのパタゴニアカップとなった。先日、短信でもお伝えしたように長年このレースを支えていただいた山本小屋のオヤジこと山本教雄(のりお)さんが先日お亡くなりになり、一面ではさびしいレースとなったが、それを打ち消すように多くの参加者が集まってくれた。全クラス合わせて出走数92人だから、今シーズンの二番目の人数だった。(山本教雄さんの紹介文が、今年の2月の文芸春秋の182−196ページに、「長野オリンピック異聞:堤義明を脅した男」という題で掲載されています(右図)。興味があれば読んでみて下さい。志賀高原の土地開発やオリンピックをめぐるややこしい状況も紹介されています。)


 1月18日の暴風雨(!)のなかで開催された蔵王坊平でのカルデロンカップにはじまり、北はニセコモイワから南は兵庫県・ハチ北まで、9会場で開催されたシリーズレースが今年もこのパタゴニアカップで終わる。一つ一つのレースでの勝敗のほかに、順位に従ってポイントを取得し、その合計点で競うのもシリーズレースの楽しみである。もちろん、男子は20位まで女子は10位までしかポイントがもらえないから、これは上位選手だけの楽しみだが、今年から35歳以上のマスターズクラスができたので、多くの選手がポイントゲッターになった(マスターズでは選手の数が少ないのに20位までポイントをふったので、たいてい完走すればポイントをもらえた)。選手はほとんど趣味でレースを楽しんでいるので、そうそう沢山のレースに出場するわけにはいかず、多くのレースにでたものがシリーズ通算の上位になる傾向は否めないが、予算や休暇をやりくりして健康にも注意してあちこちを転戦するだけでもエライというべきだろう。

Many participants of the clinic

 パタゴニアカップに話を戻すと、イベントは前日7日(土)のクリニックに始まった。天候は吹雪。白馬のレースの前日の湿り気を帯びたドカ雪ほどひどくはないが、結構な降りである。しかも場所が奥志賀だけに寒い。風が強く当然のようにゴンドラは止まっており、大洞ゲレンデでは下部のリフトがほそぼそと動いている。しかし、参加者は結構な数であった。昼からは例によって第6リフトのかかる緩斜面でのポールトレーニングとなったが、滑りの悪い雪で練習になるのかと思ったが、直線的な小回りセットをすると意外に楽しめた。速い切り返しに追いつかずに、跳ね出されると深雪に捕まってコースアウトとなる。


Beer speed drinking tournament Nezuko Geta

 夜になると、当然ウェルカムパーティーだ。昔は、奥志賀といえばビール速飲みトーナメントだったが、ここ2年ほどなぜかおこなわれず、TAJニュースにも「少し寂しい」と書かれていたが、そのことばが神に届いたのか今年は復活。主催者側からの指名で8名によるトーナメントになった。いやー、やっぱり盛り上がります。ニセコからはるばる遠征のタカナシや、名門ヤマケイグループのハネダも健闘したが、メチャメチャ強かったのは会場の厨房からコック姿で登場した現地長電代表のニシハラ氏であった(左図、左側)。「悠揚迫らざる」という雰囲気でしたね。以前は、ほぼ同時に飲み終わったときなど取り直しがあって、ここで健闘した選手は、たいてい次の日は潰れてましたが、今年は取り直しなしということで大変健康的でした。これに続くビンゴでも、パタゴニアグッズ山盛りの賞品に会場は大いに沸いたが、最近ビンゴに強い小生は、Puffball Gearと称する真っ赤な化繊綿入りヂャンパーをせしめたのだった。私事でございますが、先週の朝日プライムでは同じくビンゴで立派な特産ネズコゲタ(右図)などいただいて、いやーありがたや。インターネット上のメーリングリストのメンバーもちょっとしたオフミーティングになったりしていました。


Racers waiting for jump inspection

 明ければ、予報通りの大快晴。この辺も白馬パターンでした。ポールセットのために一番のゴンドラであがって、まっ平らにピステンのかかったほどほどの堅さのバーンを、カービングスキーでぶっ飛ばすと、レースも何も忘れて滑っていたいほどの楽しさでしたね。旗付け・線引きなど、慣れた仲間で分担しながら、淡々と準備が進みます。インスペクションでは、ジャンプの試走がポイント。今回のジャンプ台は、場所はいつもの急斜面のところですが、思い切りなだらかなコブのような形に仕上げられ、スピードに乗ってきちんと踏み切ると、ちょうど最低飛距離ラインを越えるぐらい飛ぶし、恐がって踏み切らなければ全然飛ばずになだらかに滑り続けられると言う、技量に従ったこなし方の出来るものでした。右図はジャンプの試走の順番を待つレーサー達。たくさんいますでしょ。


 ビギナークラスは、下の緩斜面だけで行われましたが、ポイントに出場しても上位に入れそうな人もチラホラ見受けられ、来年が楽しみです。また前走のカトーカイチョー、皆の緊張をほぐそうと自ら先陣を切って転んで下さってありがとうございました。計時機械の動作不良か、一部3回滑ることが出来た(滑らされた?)人もいましたが、ここまではおおむね順調。ビギナーが終わって、計時機械をポイントクラスのスタートまで移動して再調整となりましたが、ここで問題発生。何度トライしてもうまく計時ができません。暖かい日の射す青空の下とはいえ、レースを控えて長時間待つのはつらいもの。さすがに歴戦のテレマーカー達は文句一つ言わずに待ってくれました。結局、途中の配線の接触不良個所を見つけて、ようやく12時半に前走スタート。この待ち時間にワタシはちょっと用があって、一度ゴンドラで登って降りてきましたが、朝あんなに素晴らしかった斜面が、もうこの時には大コブコブ斜面になり果てていました。

 今回のポイントクラスのコースの目玉は、GSコースの中にセットされた「3段ウォッシュボード」!クラシックレースで良く見かけるものよりは波長が長いものの、スピードが乗っている分、あおられ方も激しかった(らしい)。ジャンプ台のところにいたので、実際には見ることが出来ませんでしたが、前走のタケチャンにはじまって結構ぶっ飛んだ方々がいたらしい。とくに血気にはやるマスターズのおじさん達が、派手に飛ばされた由 、伺っております(自分は出なくてよかったと安心)。今年、素晴らしい滑りを見せたのは、なんといっても朝日プライムのイシキダ選手。今年は教師業が忙しかったのか、最終戦に初めて姿を現しましたが、ペナルティー(両足の前後の開きが少なかったり、ターン毎の前後足のいれかえがなめらかでないと、1ターンあたり1秒がタイムに加算される。これがペナルティー)が少なくなった滑りといい、安定した外向傾といい、昨年と比べて目立って良くなっていました。本戦のパタゴニアカップは残念ながら一走だけで終了し、ペナルティーを考えずにタイムだけで速かった上位40名で、別のレース「長野電鉄杯」が行われたのは過去二年と同じ。

nurse

 今回のレースの最後の目玉は、仮装レース。そもそも奥志賀では、上古の時代、仮装レースが普通であった。これは、普通のレースに仮装で出てしまうというもので、昔のレースがいかに親睦の精神にあふれていたかを示すものである。今は一児の母となってしまったサッチャンの、当時のピーターパン姿など思い出すだけで...嗚呼。ま、それはさておき仮装レースである。集計ができるまでの場つなぎとして企画された節もあるが、参加各選手の力の入りようは大変なものであった。一番喜んでいたのは、なんといってもリフト番のおやじさんだった。なにせ、ネズミさんは来るは、ネコさんは来るは、東ドイツ軍の長いコートに自動小銃をかついだヤツは来るは、みの傘姿の農夫は来るは、果ては、マウンテンバイクまでかついでリフトに乗るは...よく乗せてくれたね。それがみんなテレマークスキーをはいているのだからおかしい。さすが本職の強み、看護婦さんもすごかった。でも看護婦さんのスカートってあんなスリット(右図)入ってなかったような...ジャッジを勤めてくれたみなさんが、その場でハイっと手を挙げて採点して、確か高得点を得たのは、マウンテンバイク組と、ワイルドターキーのボトルの着ぐるみを自作したイーヌマ氏(下左図)だったと思います。他にもいたらゴメン。


Wild turkey

 参加者は多いし、クラスは多いし、レースは二つあるしで、えんえんと表彰式が続きましたが、皆さん寒い中を最後までつきあってくれました。最後には、今度、アメリカ・ユタ州のソルトレークシティー周辺(奇しくも次回の冬季オリンピック開催地)で開催されるテレマークスキーのFISワールドカップ最終戦に遠征する選手達へのカンパにも、大枚の札ビラが飛び交い、いやーにぎやかな大会でした。結局、時間が無くてシリーズレースの集計結果の発表と表彰はできませんでしたが、5月末の山形県月山での親睦キャンプで表彰式が行われ賞品が授与されるとの方針が発表されたのでした。ただし、来ない人には賞状だけだそうですから悪しからず。



ツアー・イベント一覧にもどる