平成18年人権啓発指導者養成研修会報告(西日本会場)      

平成18年11月14日〜17日
於 新梅田研修センター

この報告は、研修会を受講した土井によるメモから要約・作成したものです。従って、誤字脱字や主観的な解釈、誤解もあり得ます。文責はすべて土井にあり、主催者や講師には一切責任はありません。そのため、引用や転載はご遠慮ください。また、問題の箇所は修正しますのでお知らせください。

   文責 土井謙次(syaraku@tcp-ip.or.jp

 
カリキュラム1(14日 13:35〜14:05)
      法務省の人権擁護機関の取り組み

カリキュラム2(14日 14:05〜15:35)
      子どもの権利について考える

カリキュラム3(14日 15:50〜17:20)
      情報社会と人権

カリキュラム4(15日  9:30〜12:50)
      人権啓発研修等でのワークショップの必要性と危険性

カリキュラム5(15日 13:50〜15:20)
      国連改革と人権

カリキュラム6(15日 15:35〜17:05)
      外国人と人権

カリキュラム7(16日  9:30〜11:00)
      犯罪被害者の人権を考える

カリキュラム8(16日 11:00〜12:45)
      これからの同和問題・人権問

取組事例発表 (16日 13:45〜15:05)
      長崎県の県民運動 ココロねっこ運動

カリキュラム9(16日 15:20〜16:50)
      高齢者の人権を考える

カリキュラム10(17日  9:30〜11:00)
      障害者の人権

カリキュラム11(17日 15:20〜16:50)
      路上生活者と人権
 
    
期 間 平成18年11月14日〜17日
 
会 場 新梅田研修センター
 
主 催 法務省人権擁護局
    (財)人権教育啓発推進センター
 
対 象 都道府県、市区町村人権教育・啓発担当者 96名
 
 
カリキュラム1(13:35〜14:05)
法務省の人権擁護機関の取り組み
大阪法務局人権擁護部長 浜辺幸二
1 組 織
 法務省の下に人権擁護局(6局の一つ)がある。人権侵犯事件の調査・処理,人権相談,人権尊重思想の啓発活動などを行っている。
 全国に法務局が8つ、高等裁判所のある所にある。その下に42の地方法務局があり、計50ある。さらにその下に支局が288ある。 
 
※ 法務省HP http://www.moj.go.jp/     法務局HP http://houmukyoku.moj.go.jp/homu/static/ 
 法務局には人権擁護課、支局には総務課、総務係などがいる。これとは別に、人権擁護委員が全国に14,000名いる。人権擁護施策は、公務員と人権擁護委員が両輪となって進めている。
 
2 法務省の人権擁護機関の取り組み
 毎年啓発の重点目標を決めている。H18年は「育てよう一人一人の人権意識 思いやりの心・かけがえのない命を大切に」とし、子どもの人権をいかにして守っていくかをメインにしている。毎年12月10日の人権デーを最終日とする1週間を人権週間と定め、自治体と協力して啓発活動を行っているのがもっとも大きなイベントである。
 今年から新たに、北朝鮮人権法が6月に施行された。北朝鮮による人権侵害に対する国民の関心を高めるのが目的で、12月10日から1週間、北朝鮮人権侵害問題啓発週間ということに決まった。※ 参照  http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken103-1.html 

 国、自治体はふさわしい事業を実施するとするとなっている。法務省が中心だが、連携してやっていきたい。拉致問題を解決するための取り組みをしていきたい。各自治体には9月に文書で通知した。
 ※参考  長島昭久 WeBLOG 『翔ぶが如く』 改めて、北朝鮮人権法の成立を期す  http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/06c9870364972e4043c70859c905f932

 啓発活動は子どもをメインにしている。18年は「SOSミニレター」を始めた。全国小5〜中3の1割の児童生徒(60万人)に8月頃から学校の協力を得て、教育委員会経由で配布した。子どもたちにはいろんな相談機関があることを知らせたい。相談の一つの選択肢となればよい。今後は、追加配布を検討している。
 さらに、人権110番を開設している。8月の後半から2学期の明けぐらいを強化週間にしている。その週だけで、大阪で97件、近畿管内では250件の電話があった。
 ミニレターの中からは10数件、人権侵犯事件として立件した。それぞれ、学校や教育委員会を訪問して調査した。中立公正だが、あくまで子どもを救うことを視点としている。 
 もう一つ、高齢者福祉施設における相談所を開設した。待っているだけではなく、出かけていくのは初めての取り組みである。
 人権作文や人権教室は何十年も続けている。人権擁護委員が紙芝居などで啓発する例が多い。人権擁護法案の成立を願っているが、国籍条項、マスコミの取材規制が問題になっている。法務省としては、来年の通常国会で提案したい。 
 法務省の審判は任意で、強制力がない。ある程度の強制力を得るために法制化したい。
 人権擁護委員の活動が見えないと言う指摘を受けている。何をしているのかがわからないと言われる。私たちは、活動実績のない人には遠慮してほしいと言っている。新任の人権擁護委員の中には「行政から名前だけ貸してほしい」と言われた人もいる。それではいけない。自主的な活動、主体的な活動が必要である。確かにボランティアだが、受けた以上は仕事をしてほしいと思っている。
 
3 啓発の拠り所
 人権擁護施策推進法が平成8年に成立した。
 ※ 人権擁護施策推進法  http://law.e-gov.go.jp/haishi/H08HO120.html 

 同和問題だけでなく、人権問題全体にわたって啓発活動をしようというもので、大きく効果あるものにしたい。人権侵害の被害者救済は国の責務。自治体と一体となって進めたい。
 平成10年からネットワーク協議会を編成しだした。これを立ち上げるときに問題になったのは、関東と関西の違い。関東は関西ほど同和問題がひどくない。関西で立ち上がるのか、法務局が主導権をとることができるのか心配したが、今は都道府県レベルで50、支局単位で190ほど編成されている。   
 地域人権啓発活動活性化事業は ネットワーク協議会の意見を聞いてすすめてほしい。
 法務局も利用できることは利用してほしい。法務省としては、今後も中立公正で進めていきたい。

☆★☆ 感  想 ☆★☆
 人権行政の組織と主な内容の話であった。こうした研修では、全体のベースとして押さえておく必要があるだろう。
 ただ、どれぐらいの人がこれらの事業について知っているのだろうか。人権を担当している自分でも、よく知らないことがいくつかあった。
 納税者が知らなくてすむ行政の内容もあるだろう。しかし、人権は人の意識に関わるものだ。それは、まず知ってもらわなければ話にならない。
 さらにやっかいなことは、中途半端な知識は弊害を生むことである。極端な男女共生論、過剰な個人情報保護など問題になっている。
 人権はまず正しく知り、そして正しく行使することが大切だ。
 


 
カリキュラム2(14:05〜15:35)
子どもの権利について考える
   山梨学院大学法科大学院教授    
子どもの権利条約総合研究所事務局長
                                   荒牧 重人
http://read.jst.go.jp/ddbs/plsql/KNKY_24?code=1000098733


 人権を仕事にする人は幸せだ。人権を仕事にすると、その人自身がよりよい自己実現ができる。今日は国連の児童権利条約とユニセフ子どもにやさしいまちプロジェクトの話をする。
 「やさしいまち」とは何か。いろいろ相談に乗るが、教師と話をすると「親が…」、保護者と話をすると「先生が…」と折り合わない。町ぐるみで、親がだめならそのかわりに、学校がだめならその代わりになるのがやさしいまち。救済と参加を目的とするまちづくりが子どものためになる。

 子どもを取り巻く厳しい現実がある。いじめは、1980年代半ばに、例のお葬式ごっこがあった。教師も荷担しており、社会問題になった。その10年後、大河内君の事件があった。特に愛知を中心に、いじめ防止のためのいろんな取り組みをした。いじめからの緊急避難のための欠席も認めようということになった。
 そしてさらに10年後、いじめが社会的問題になっている。「いじめはどこにでも起こりうる」というのが文科省の見解だ。それはどこにでも起こりうる。
 今の社会、ストレスをどこかにぶつけるかは当然起こりうる。いじめは許されない行為というだけではだめ。それをいじめられている子に言っても、その子は救われない。子どもは、いじめられる子にも問題があると言う。それでは問題は解決しない。
 いじめは人権侵害であるととらえないと前に進まない。
 調査すると、「何もしないでがまんする」がトップ。相談するは下位。実際に、いじめている子どもにも、人権というとらえから指導しないといけない。
 何でいじめが起こっているかという冷静な分析もなしに、マスコミは学校や教育委員会をたたく。それぞれ別のケースだ。それを分析しないで、一律にたたかれるので、学校は黙ってしまったり、隠したりすることになる。

 全体的に一番の問題は、子どもたちの自尊意識・自己肯定感が低いこと。調査では自分のことが好き、まあ好きは50%程度しかいない。自分を好きでない子が、自分の人生を主体的に生きられるか?「どうせ自分なんて」と思うなかで、主体的に生きることができるか。この自尊感情と人権意識・権利意識は密接に関係がある。
 子どもの思い、願いと大人の考え、行動のずれがある。大人は安全とか言っているが、子どもが一番不安に思っていることは友達関係。そんなことにびくついている。このことにどこまで対応できているか。そのずれを子どもを当事者として位置づけて自分自身の問題として解決するようにするにはどうすればよいか。ずれをなくすには、丁寧に子どもと向き合うことがしかない。
 「子ども」は発達心理学者が使う用語。「子供」は大人のお供という語感を嫌う。
   子どもの人権;権利が制限される場合強調して使う。
   子どもの権利;通常はこれは使う。子どもの権利の固有性を意識している。
 以上が前置き。
 
1 子どもの権利(人権)を考える 
(1)子どもの権利を言うと子どもがわがままになるか?
 いつもこの話が出る。権利のことを言うとわがままになるか?そもそも、子どもはそこまで権利について知っているのか?権利のことを教えないで、なぜわがままになるといえるのか?関係のないことを結びつけて論じている。(最近多い論理方法である。)
 この論理には根拠がない。子どもの権利をしっかり学習している学校ではお互いを尊重し合うようになる。やってみるとわかる。やってる教師が驚くほどである。
 「子どもの権利を言うなら義務も言え」と言う人がいる。しかし、子どもの義務って何だ?「権利があれば義務がある」と刷り込まれているが、それは国の義務のことをいったもの。子どもの権利に伴う義務はない。学生に言っても「権利があれば義務も…」という。「子どもの義務」という、具体的な検討がないため、議論にならない。
 人権はもっとも基本的な大切にするべきこと。これは憲法に書いてある。「社会のルールを尊重する義務がある」という人がいるが、法と道徳を混同している。人権は法だ。
 子どもに対する信頼がない。信頼がないところでいい関係は作れない。子どもが持っている権利を、無理解や無関心で大人が奪ってはならない。
 
(2)今、なぜ、子どもの権利か
 子どもを守り、子どもの自己実現を保障するためである。また、子どもの権利侵害に対して、効果的な救済や回復支援するためである。さらに、子どもの権利についての誤解や混乱に対して、意識改革をしていくためである。
 女性の歴史を思い出してほしい。以前からセクハラと呼ばれる現象があったがなくならなかった。しかし、セクハラを女性の権利侵害としたから、現在解決の方向にきている。問題の解決には、「権利侵害」としてとらえることが重要だ。いじめ問題も同じ。
 子どもは選挙権がない。しかし、このことについて合理的な説明ができない。20歳よりしっかりしている16歳をたくさん知っている。
 権利は獲得するものだ。女性に選挙権が与えられた当時は、多くの批判があった。権利は行使しないと身に付かない。
 
(3)子どもの権利のとらえ方
 子どもはかけがえのない価値をもった存在と言われる。では、どういうかけがいのないものをもった存在か?どういう向き合い方をすればよいのか?
 積極的にかけがえのないものを見つけようとしないと見えてこない。国際的には、子どもは社会を構成するパートナーと言われる。しかし、私たちは子どもをあてにしているか?今まで、あてにしてこなかった。 
     
2 子どもの権利条約の意義と内容
 子どもに関わる世界共通の基準であり、この条約の考え方が基本。国際的に遵守が求められている。憲法の人権を補完するものであり、時には憲法より上位となる。
 ※ 子どもの権利条約 日本ユニセフ協会抄訳 http://www.unicef.or.jp/kenri/syouyaku.htm 
   「児童の権利に関する条約」全文 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html 
 
 死刑廃止は国際的な動向。世論が支持しているからと日本は言い訳するが、国際的には「世論は根拠にはならない」と言われる。
 子どもの人権も同様。
2条、差別の禁止。ここで種族・障害が入った。重い内容である。
3条、子どもの最善の利益を求めている。
6条、生命に対する固有の権利。この6条から具体的な内容にはいる。命を最初に持ってきた。生存(サバイバル)、発達を確保等、リアルな国際状況のもとに作られている。
 国際協力でとよく書かれている内容である。
12条、自分に関わることについて子どもの意見を尊重。言いなりとは違う。表現の自由はゼロ歳児から認められる、保護者が代わって権利を行使、代弁する。
 自分に関わること;学校のカリキュラムについてまでやっているところがある。年齢に従って相応に考慮すべきである。
  
13条から社会的な権利が書かれている。具体的な場面に踏み込まないと、いつまでも抽象論におわる。
 批判の一つに、「開発途上国向けの条約」というものがある。しかし、それは日本の子どもたちへの影響を下げるためだ。
資料2 児童の権利委員会の最終見解   http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/0402/pdfs/0402_j.pdf

 権利条約を締結すると、その国は児童の権利委員会に定期的に状況を報告しなければならない。この資料は、日本の第2回の報告に対して審査し、委員会の最終意見をまとめて採択したものである。
 現在、3回目の報告に対する審査をしている。日本にとって国際的な優先的な課題が書かれている。
 国際水準から見た日本、都道府県、各市区町村の課題を見るのもよい。日本は人権後進国と言いたくない。しかし、他の国と比べても意味はない。ただ、こうした条約と比べることはよいことである。
 例えば、見解14によると、日本は独立した監視をする機関がないのが問題とされている。また、15・18・20では広報義務を課している。この条約について、子どもも大人も両方知らなければだめだということである。
 27、28では、児童の意見を尊重することを求め、意見を表明する機会をつくることを求めている。
 ※ これは社会科教師にとって一つのテーマといえよう。意見を持ち、自分の口で述べる子どもを育てること。そのために機会をつくることが国際的な約束なのである。 
 
3 子どもの権利とユニセフのプロジェクト「子どもにやさしいまち」
 「子どもにやさしいまち」とは、権利条約を守ろうとしているまちのことである。
 基本的要素は、2条(差別の禁止),3条(子どもの最善の利益),6条(生命への権利、生存・発達の確保),12(子どもの意見の尊重)の4つの一般原則である。
 自治体で、子どもの権利条例をもうけている市町が増えている。多治見や川崎などである。
 次世代育成行動支援計画に子どもの権利を入れているか?これは義務づけられている。
私が関わったところは、1子どもの権利、2子育ち支援、3子育て支援 を書いている。
特に2の子ども自身が育っていることが支援されなければだめだ。多くの市町で子ども未来局とかいろいろできており、総合的に展開している。
 アセスメント、影響評価の場を制度としてもつことも大切な要素である。さらに、予算。18歳未満にどれだけお金をかけているか?そしてアドボカシー(救済条項)、これらが入っていることが、子どもにやさしいまちには必要である。
 
4 日本における子どもの権利保障の取り組み−子どもの救済と参加を中心にして−
 最近は、相談窓口がずいぶん充実してきた。子ども自身から子どもから電話や面談できる窓口がいくつあるか。データが自治体にあるか?子どもは聞くだけでも安心する。 話を聞くだけで6〜7割は解決する。
 そこには、1秘密が守られる。2共感してくれる。3一緒に解決策を見いだしてくれること。この3つが必要だ。子どもは救済の対象ではなく、自分で解決するのが本筋である。
 救済制度が始まっている。
  ※ 川西市 子どもの人権オンブズパーソン http://ww.city.kawanishi.hyogo.jp/post/kdm_onbs/index.htm 

 子どもが安心してSOSを出せる。助けてと言う子どもに寄り添うことができる。権利を侵害する相手を罰するだけでは解決しない。立ち上がって立ち直っていくプロセス まで寄り添えることが大事である。最後はあそこにいけば解決する等、意識が定着している。いじめの問題も解決する。
 スクールカウンセラーは、秘密を守るといいながら、担任と連携しなければという矛盾を抱えている。オンブズパーソンは、監督権限もない。スクールカウンセラーはつい診断をしてしまう。まず受け止めてもらいたい。
 参加の問題も子どもの権利としてとらえてほしい。皆さんの所にある児童館では、子どもの意見を聞いているか?聞いているところは利用率が高く、事故が少ない。子どもの実感を大切にしている。
 「私たちの学校」「私たちの町」そうした実感を持たせることがよいまちづくりの基本。これは、子どもたちの権利を考えることにより実現に近づいていくのである。
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 権利条約を結んでどうなるのかと思っていたが、国として定期報告を出すこと、それに対して「児童の権利委員会」による審査、および採択があることを始めて知った。 短時間にいろいろな要素を詰め込みすぎたために、早口で聞き取りにくくかったが、それでもいい話であることが分かる。荒巻氏の子どもに対する温かい愛情がほとばしるような話であった。時間がある時に、またゆっくり聞いてみたい。
 
 
 
カリキュラム3(15:50〜17:20)
   情報社会と人権
インフォメーションコーディネーター 杉井鏡生

 私は元々雑誌編集者。会社でOA化を推進してきたが、開発者と利用者が噛み合わなかった。それをつなぐ仕事を始めた。
 人権についても、人と人とをつなぐ仕事。ITの普及に伴う問題、表現、個人情報保護について取り上げたい。最近では、過剰反応も起きている。個人情報保護の保護と言う言葉がまずかったかも。「個人情報尊重」ということばがよかった。
 介護は弱者を保護する視点に立ちがちである。そうではなく、弱者の自立、自己決定を尊重すべきだった。個人情報尊重という考え方に立ちたい。
 個人を尊重する社会、それが人権社会である。
 
1 広がるインターネットの利用
 総務省の調査では05年8529万人。67%がインターネット人口である。インターネットの状況、環境が代わってきた。そのなかで人権を考えたい。
 かつては、光と陰といっていた。インターネットは人権を向上させるのに役立った。自分の意見を表明する機会ができた。これは人権の向上である。
 ネットワークが高度になったおかげで、家にいながら作業ができる。障害者が社会に参加できる。問題が起きるからITがだめではなく、もっと活用できるようにするために、そこで出てくる問題を解決しなくてはならない。
 その立場から話したい。
 
2 情報社会で配慮が必要な人権問題
 次のものがある。
1 表現の自由の抑圧・抑制。これがもっとも大事だ。もっと発言して、建設的に進むようにすることが人権の取り組みになる。
2 プライバシー侵害、信用毀損。表現の自由に対する配慮が必要である。ネット上の会話は飲み屋の会話とは違う。悪意がなくても被害を与えることもあり得る。
3 Web上の差別、名誉毀損。よく話題に上がるが今のところ無法状態である。
4 ウィルス等による被害。セキュリティ対策は被害に遭わないためだけではない。知らないうちに他を攻撃する場合がある。システム障害が起きることもある。
5 電子商取引での消費者の権利侵害。誇大広告、説明不足など。業者は自己判断できるだけの情報を流さない。いかに情報を出し、公正に取り引きするかが重要。
6 肖像権、著作権、人格権の侵害
7 社内のセクハラ、不正な監視、健康障害などの労働侵害。 
8 情報格差の発生(デジタル・デバイド)。視覚障害者にとって、かつては読み上げソフトで読めるHPが多かったが、最近のは進みすぎて読めない。
9 市民・生活者の知る権利の侵害 
 
 ここでは、表現の問題と個人情報保護を扱う。
 ネットにおける犯罪・人権侵害の状況は、この半年間でどうか。相談件数では、詐欺、悪徳商法が多く10,583件。ネットオークションに関するものが7,310件、ネットオークションは基本的に良いことで、いわば社会のリサイクルだ。しかし詐欺などの犯罪が増えている。名誉毀損、誹謗中傷が3,629件。相談件数の総数も増えている。
 これらは表現の自由と他の権益のバランスが崩れる時に起こることが多い。
 実際にどんな問題が起きているか?
@ 少年事件の犯人の顔写真がWeb上に掲載 → 法務局 少年法第61条の趣旨から削除を要請
 「プロバイダ責任制限法」というものがつくられた。この中の「名誉毀損・プライバシー関係ガイドライン」では、人権を侵害していると判断されるものは、プロバイダが削除をしても責任が問われないものだ。
 ※ プロバイダ責任制限法関連の情報 http://www.isplaw.jp/ 
A 1996年にアメリカは通信品位法(CDA)を制定した。「品位に欠ける通信」は削除出来るとしたが、品位に欠けるというのは曖昧であるとして、ACLUなどが違憲であると訴えた。判決は違憲だった。
 
3 表現をめぐる人権侵害の対処の考え方
 事件発生!緊急避難として送信停止。これがプロバイダ責任制限法による、ノーティス&テイクダウン。人権擁護機関による削除要請など、違法情報を遮断するために必要最小限の防止措置が決められている。
 削除はあくまでも緊急避難であり、発信者が人権侵害に気づかなくてはだめだ。それには発信者の人権意識の向上が必要であり、相互理解と社会的な合意形成の環境整備が急がれる。
 また、状況に応じた適切な紛争解決の仕組みを作ることが急務で、裁判に行く前に気軽に相談できるしくみづくりが求められる。
 
4 個人情報と人権
 ニュースとなった個人情報漏洩事件は、
2003年 57件 
2004年 366件 
2005年 1032件 
 2005年は、法律で制度が変わったから増えたように見える。
 相談機関窓口での個人情報の苦情は、個人情報の漏洩・紛失は25%、不適な取得が48%。これはどこで情報を手に入れたのかという問題である。
 個人情報の取り扱いにより、次のような人権侵害が起こる。
@ 無断で情報が収集・蓄積される→行動や思考が筒抜けになる。
A 個人情報が無断で公開される→私生活がさらけ出される。
B 情報の漏洩や紛失→架空請求、振り込め詐欺に使われる。
C 無断で第三者に提供される→迷惑な勧誘や売り込みに使われる。
D 情報が勝手に利用させる→不要なDMが来たり精神的な安定が害される。
E 間違った情報が訂正されない→信用既存や経済的損失を被るおそれがある。
 例えばどんな事件が起きたか?
 1998年再々委託先のアルバイトが住民基本台帳データを売ってしまった。ここで損害賠償責任が発生し、宇治市が一人損害賠償1万円、弁護士費用5千円を支払った。
 別の例。信用情報センターが、同姓同名の会社社長を破産宣告してしまった。企業として大きな損害を被った。裁判所は500万円の損害賠償の支払いを命じた。
 3例目。電話帳掲載によるプライバシー侵害。電話帳に掲載しないように求めたが載ってしまった。裁判所は損害賠償の10万円の支払いを命じた。
 
5 情報化社会における個人情報の課題
 個人情報は個人の生活の質を維持するのに欠かせないものである。一方、企業活動を維持するためにも個人情報は欠かせない。ITの普及により、個人情報の利用や取り扱いにともなう影響が大きく変化(速度、量、複写)した。情報社会の進展に伴うプライバシー観も変化してきた。
 ホームページ閲覧やアンケート、会員登録やショッピングなど、バラバラな情報も名寄せすれば個人が丸裸になる。
 
6 個人情報保護法の目的と理念
 個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする。
 ※ 個人情報の保護について http://www5.cao.go.jp/seikatsu/kojin/index.html 

 個人情報保護における組織の役割として、人権侵害を起こさないための組織としての管理責任を問われている。
 従来から求められるプライバシー権として、収集制限、安全管理
 新たに求められる個人情報の権利として、利用管理、本人対応管理(開示、訂正、利用停止、苦情への対応など)                          
 
7 忘れがちな労働者の人権問題 
 次の点にも留意しなければいけない
○ 従業員管理のためのモニタリングの問題
・ 個人情報保護法における個人の権利利益の保護と労働者のプライバシー尊重との調整が必要となる。
・ モニタリングには所内規定の明示と公正な運用が不可欠となる
○ 労働者の個人情報取得の問題
・ 業務上不要なセンシティブ情報の取得は禁止する。
・ 情報の取得および利用にあたっては、雇用側と被雇用者の立場上の力関係を配慮する。
 ※ 厚生労働省の2つのガイドライン
  「労働者の個人情報の保護に関する行動指針」の解説 
            http://www2.mhlw.go.jp/kisya/daijin/20001220_01_d/20001220_01_d_kaisetu.html
  「雇用管理に関する個人情報の適切な取り扱いを確保するために事業者が講ずべき措置に関する指針」(個人情報保護法のガイドライン)
    http://www.mhlw.go.jp/topics/2004/07/tp0701-1.html
 
 
8 個人情報保護法をめぐる過剰反応
・緊急連絡先や同窓会名簿、町内会名簿の取りやめ。必要なものは必要。管理の問題。
・事故の際、家族からの安否確認に対して回答を拒否された。個人情報保護と人名のどちらが大切か?
・エレベーター事故 加害者の連絡先を教えてくれなかった。個人情報保護というが、一手間かければ円満な解決につながった。バランスよく判断することが求められる。
・個人情報の有効活用。製品事故のため緊急連絡の必要性があったが、古い顧客情報を消去してしまったために、連絡できなくなってしまった。広い意味で個人を大切にすると言う判断が必要だった。
 個人情報は役に立つために使う。だからきちっと管理する。    
 
9 市民の情報基本権
 市民の自立的な社会参画の実現を担保するために
  ○ 知る権利 ;情報アクセシビリティ
      個人が情報で社会参画するためには特に重要
  ○ 知らせる権利 ;表現の自由、伝達の機会
  ○ 知られない権利;プライバシー
 
10 人権向上のための情報化の役割
 情報アクセシビリティを高めることが必要である。
 ・情報バリアフリー(ユニバーサルデザイン) 
 ・情報公開
 ・分かりやすい情報の提供
 ・市民参画の拡大;コミュニケーションの活性化による
 ・情報格差の是正・解消;人権向上につながる
 情報化によって実現できなかった人権向上ができるようになっている。だからこそ、トラブルを起こさない、または、起きたものを解決することが必要である。
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 インターネットは悪者になりがちだが、人権意識向上のための大きな武器であるという考え方は新鮮だった。 
 ほぼ想定内の内容だった。ネット上の人権保護は、これまでに想定されていなかった分野だけに、早急な対処、すなわち法制化が望まれる。その時に、常に問題になるのが「知る権利」と「知られない権利」の対立だ。個人的には、一部のマスコミが犯している人権侵害について、もっと突っ込んでほしかった。
 
 
 
カリキュラム4(9:30〜12:50)
人権啓発研修等でのワークショップの必要性と危険性
宇都宮大学教授  廣瀬隆人
 ワークショップの是非を体験的に学んでほしい。私の専門は成人教育学。生涯学習というといきなり広いが、実は今日も成人教育。学校の現職教育も成人教育。みなさんと一緒に考える時間を作りたい。せっかくなので、良好な人間関係を作りたい。成人教育の特徴は、周りの人とよい人間関係ができると学習効果が上がることだ。困ったときに助けてくれるのは周りの仲間。よい関係を作っていただきたい。
 ワークを始める。自分自身、ワークショップは違和感があると思っていた。実はそれが正常だ。今の違和感を大事にしてほしい。それが参加型学習の限界と効果を考えるもとになる。
 ファシリテーターにはうまい下手がある。私は下手な方。そう思ってほしい。うまくやろうと考えるより、担当者が工夫することによって効果的に始められるようにしたい。 きっかけは、食べるものから始めるとよい。好きな食べ物、昨晩食べた食べ物の紹介でもよい。自己紹介よりも有効。自己紹介はつい構えてしまう。
 やってみよう。(2分ほど)はいやめ!(観察;盛り上がってなかなか終わらない)
 「やめてください。」と言ってもすぐには終わらない。せかさずに、待つ。
 おもしろい方法がある。
 向かい合わせの人と話をするときに「同時にしゃべってください。」と言う。これはストレスがたまる。
 周りから見ると、コミュニケーションしているように見える。しかし、お互い何も聞いていない。
 そうすると、次に交互にやるときにしっかりと聴き合うようになる。頭ではわかってると思っていることでも、体験しなければわからない。
 向かい合って同時に話し合うワークは、視線をそらさずにすることがポイント。
 
 最初のテーマは違いを受け入れる。しかし、本当に違いは受け入れられるか? 実は受け入れられないことはいっぱいある。「みんな違って、みんないい」とはなかなか思えない。学校の先生は、よく「共通理解」という。実はかなり困難だ。いきなり理解しろは無理。共通理解のためには、共通情報と共通行動によらなければ理解はできない。
 もうひとつ。互いの良質の関係がないとコミュニケーションはとれない。どうやったら可能か、その方法をやってみたい。
 その前にこれ(プリント)を見てほしい。何と書いてあるか、4人で話し合って考えてほしい。(観察;みんな分からない。)
 正解は、「○○○」(「なーんだ」という声が多数。ネタバレになるので記載せず。)
 
《共通点を知る》
 (5×6のマスを書いたA4の紙を配布する。)
 マスの1列目に好きな飲み物を書いてほしい。銘柄まで書いた方がよい。(数分後)2列目は好きなおかず。具体的に。(数分後)3列目はご当地の食べ物。ブランド名まで書くこと。(数分後)4列目は好きなお菓子。(数分後)最後の二つは、子どもの時(小中学生まで)に遊んだ遊び、テレビの人気者などを10個書いてほしい。
 みなさん、正解のない回答欄に30個も書いたことがないのでは?
 (終了後)順に回して、納得するものに○をつけよう。
 (グループ内で回しながら、なるほどと思えるものに丸を付けていった。多いものは4〜5個の○がついた)
 ○を見てどう思うか?人は、共通点があるとうれしいものだ。
 地域性があるが、同じようなものがある。遊びなど、名前は違っても同じような遊びもある。違いがあっても、自然と同じだと言うことに安心感を持ったり、了解したりしている。職場の中でも、忘年会とかよくやるのはどうしてか?同じ体験をすることにより職場の人間関係が円滑になる。たくさんの同じを見つけることが、人権学習につながる。
 ドイツの幼稚園へ行った。そこには多文化な子どもたちがいた。宗教も文化も違う。月に1回、同じ遊びをする。同じ探しを何度もする。違っているからこそ、同じを探していくといい。
 次は、二人一組(新しい組)で、表を見て話し合う。(話が続き盛り上がる。初対面の人と思えない。)
 同じものがたくさんあると違いを受け入れられる。
 「共生」は理屈として正しい。しかし、そんなにかっこいいものではない。「自然との共生」という人ほど、クーラーの部屋で語る人が多い。美しい言葉に入って逃げている。むしろ、少しの現実に入り込む方が大事。
 やってみるとよい。好きなことを語る時間がなかったほどかもしれない。
 
《参加型の必要性》
 どうして参加型か?相手が大人であることを意識すべきだ。子どもと同じように教えてはいけない。人権の担当になると、わかっていなくても、わかったふりをしなくてはならない。なったからには何かやりたい。
 みなさんが人権の担当になったことはラッキーだ。深い理解のある人は、わからない人の気持ちが分からない。
 住民の意識を変えようと思うよりも、自分が人権を学んで、どう変わったかを振り返ればよい。自分は曲線(試行錯誤しながら)で学習したのに、教えるときには直線(結論だけ)で教えてしまう。成功体験のある人は、自分でうまく言ったことを強要しようとする。
 人権学習では、わからなかった自分がどうわかっていったか、自分はどうしたかが
財産。自分の言葉に置き換えればよい。
 こんな例があった。
 職場に女性しかいない。「今日は誰もいないの?」「はい、誰もいません」これで男女共同参画といえるか?
 また、「主人」と言う言葉を問題にする人がいるが、ほとんど実態はない。夫を家来だと思っている人はいない。
 「啓蒙」が「啓発」に替わった。なぜ替わったかを、担当者として知っている必要がある。言葉をどうするかは考えてほしい。
 
《人権学習プログラム企画立案の視点》
 企画立案のポイントはたった一つ。
 「絞る」こと。目標を絞る、対象を絞る、内容を絞ること。 
  考えることは、“つかみ、なかみ、ふりかえり”=入り口をどうするか、中身をどうするか、振り替えりをどうするか。
 これは講話にも使える。学校の授業も同じ。
 参加型学習の研究者は、講義・講話を大切にする。講義・講話を大切にするための参加型学習と考えている
 一般の啓発のための講演会は、「質問はありませんか?」と言う意味がない。あの沈黙はむなしい。どうだった?近くの人と言い合うだけでいい。
 社会教育主事講習のコーディネートもしている。8月の3時間講座なので、暑い・つらい・眠いの三重苦だ。先生には、2時間分話してほしいと言っている。休憩をとる以外の残りはグループでじっくり話し合わせる。最後の10分間に質問させると、質の高い質問が出る。
 
《ワークの問題点》
 グループ構成により学習効果が異なる。参加者のやる気があることが前提。二人非協力的な人がいると成立しない。 
 ファシイリテーター研修を受けた人が、「これは聞いたことがある」と言った。催眠商法で、テクニックは同じだ。ファシリテーターは職員がやったほうがいい。言葉巧みにやろうとしないで、おっかなびっくりやった方がよい。
 参加型学習は効果がある。だからこそ危険だ。担当者は、良さも悪さも知ってやること。人権学習で大事なのは、やはり知識。少ない知識でもしっかりと飲み込んでおくことが大切。
 
《最近のニュース》 
 次のワークは、黄色いポストイットに、最近気になるニュースを2つ書いてほしい。それをグループで集め分野別に分ける。次に青いポストイットに類別した固まりごとにタイトルを付ける。我がグループは、「いじめ」「虐待」「子育て」「介護」「夫婦別姓」になった。
 
《参加型学習の危険性》
 参加者がじっくり話し合う時間がないこと。ファシリーテーターの言うとおりにやっているだけでは、楽しかっただけで終わる。
 ファシリテーターとしては、思った通りに展開させようと言う気持ちが出る。しかし、あまり操作的でない方がよい。目的ははっきりさせる必要はある。それには、自由にものを考えたり話し合ったりする時間を保証する必要がある。
 はじめに、「違和感あっていい」「参加しなくてもよい」「こんな方法もありますよ」「やってみてはどう」でだいたい参加する。
 
《大人の特徴》
1 大人は不安、プライドが混在している。否定してはいけない。
 「わからない」「みんないっしょですよ」
2 大人は人権のことについて一定の自分の考え方を持っている。経験や語りたいことがある。だから、講座の中では大人の経験を資源として活用して学習した方がよい。
 経験を共有するのが成人教育の基本。言いたいことより、聞きたいことを大切にする。過去の経験を大事にする。 
 性同一障害など一般に受け入れられない。成人はなかなか受け入れないが教えてくれる。学生はそうではない。教えてくれないので、やっていてつらい。
3 大人はすぐに役立つことを教えてほしいと思っている。 
 ここにある肌色クレヨン。5ドル。考える教材になる。ただ、すぐに役立つことだけ学んでいるとすぐに役立たなくなる。
4 担当者が説明したようには聞いていいない。
 自分がどう聞こえたかで判断する。話はそもそも誤解されるもの。
5 大人は同意されると安心する。最初から否定されるとだめ。
6 大人は正しいから行動するわけではない。一緒に行動してくれる仲間がいるから 行動できる。みんながいるからできる。グループになると行動しやすい。だから参加型。グループにする。
7 大人は、聞いて学ぶのではなく、語り合って学ぶ。自分でしゃべって学ぶ。
 いきなり講演ではなく、しゃべらせてから講演をした方がよい。よくやるのは、1枚のパンフレット、ポスターを作ってくださいという。形に変えることによって学習の効果を高めることができる。
 看護士の研修会。ものすごく勉強する。書かなくてよいというと「書かなくてよい」と書いてある(笑)。しかし、課長研修は別。 
 看護士は、学んだことを職場で説明しなくてはならない。だから。大変ですねというと、当たり前とこたえる。教えることは、それを学ぶのにもっとも良い方法だ。アメリカのコンハイザーの言葉。成人だからこそ、学習の効果を確かめられる。
 
《ふり返り》
 わたしたちは、ふり返りに注目している。ふり返りをすると、行動に変わりやすい。だからたっぷり時間をとる。
 ふり返り方は、アンケートから振り返りカードに変える。
 大同協でも紹介されている方法。A4の紙に、わたしが学んだことは「  」、仲間に伝えたいことは「  」、次に行動したいと思うことは「   」と書いてある。
 「  」だけ書かせて、それを参加者で回して共有する。
 またはA4の紙に、色の違うポストイットを張っておく。色ごとに、学んだこと、伝えたいこと、などテーマを決めて書き、それをコピーする。
 さらに、問いごと(色別)に集めてそれをコピーする。
 今回のワークの振り返りも、集めて張り付けて持って帰ってもらう。家に帰っても振り返りができる。
 どんないよい研修でも、帰りの電車で半分も忘れる。家に帰るときにはほとんど忘れる。復命所を書く段階で少し思い出すが、綴じた段階で埋蔵文化財。(笑)
 中国では、「聞いたことは忘れる。やったことは忘れない。」と言われ続けている。ただ、話し合いを入れるだけでもよい。簡単にできて、じっくり話し合えるのがよい。
 
 先ほどのワークを分類すると、「いじめ・自殺、同和問題、子ども、虐待、マスコミ、高齢者」 
 マスコミで危険なことは、毎日新しいニュースが出てくること。=忘れてしまう。マスコミの報道と人権問題も最近話題になっている。こうしていると感覚がとぎすまされていく。
 そして、第一に「私は」からはじめたい。たとえば、教育。議論しても空中戦になる。
 ある人は「やっぱり親が悪い」という。私は、「そう。その親を育てた親はもっと悪い」といってやった。言われた人は自分のことと気づかない。
 大阪の「動詞から広がる人権学習」これはすばらしい。
 ※ 動詞から広がる人権学習 
http://www.pref.osaka.jp/kyoisityoson/chiikikyoikushinko/jinkenkyozai/osirase.html
 同様に、「自分」から始めたい。それは、人と話すことでわかる。
 
《鏡のワークショップ》
 最後に、鏡のワークショップを紹介する。「今の子どもに足らないもの」を書かせる。
 「体験、ふれあい、コミュニケーション、挨拶、礼儀など」が出てくる。 
 その後に、「気づいたことはないか?」というと、気づく。それは、大人のこと、自分たちのことだということに気づく。
 PTAでやってみた。「学校の先生に足らないもの」を書かせる。まとめると、何人かの人が気づいた。「自分の足らないものだ。」だから自分を変えようと言う話になる。
 まちづくりも同じ。「今の職員に足らないもの」を書かせると、「今の住民に足らないもの」になる。
 なぜか、目が前にしかついていないから。自分には見えない。だから話し合いをする。
今の地域に足らないこと。4人で話し合ってほしい。(話し合う。すっかりうち解けているので、とてもスムーズだ)
 
《ボランティアと人権》資料参照     
 「ボランティアは勝手なことをするな」など、人権無視の要綱が多い。ボランティアは安価な労働力と化している。
 「ボランティアするぐらいなら、自分の家のことをやれ」これも人権的におかしい。男性には言わない。女性は、「家のことはちゃんとやらなくてもいい」ぐらいのかまえでいい。人に強要する事ではない。
 自分の家のことを完璧にする人に限ってボランティア活動をしない。「家のことをしない。」と言われてこそ一流のボランティア。(笑)
 
《ステレオタイプと偏見》  
 人権学習教材「ステレオタイプと偏見」。
 ある人権を主張する人は、他の人権を軽視する人が多い。失敗はある、フォローが大事。「デパートのお姉ちゃんじゃないんだから」と言う発言をした人権の講師がいた。 この資料を見ると、ちゃんとした知識が必要であることがわかる。知識がないと説明ができない。
 最後に参加型の人権学習を進めるための留意点10のポイントをあげてほしい。最後に、印刷して配布する。終わる。 
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 おもしろい。村第二課長を少しスリムにした感じだ。話は軽妙だが、背景はしっかりしている。しかも余裕がある。ジョークも自然で、聴く者をリラックスさせる。遊び心もたっぷりだ。活動に対して、その後に必ずそのねらい、理論的裏付けをしてくれる。だからこそ応用ができるし、やってみる気にさせてくれる。
 最後に、参加者が考えたワークショップのポイントをまとめてみる。
○ 参加を無理強いをしない、○ 振り返りの時間をもうける、○ 情報を共有し共通行動をとってもらう、○ 自分で考えたり、互いに話し合ったりする時間をもつ
○ 自分のこととして聴く、○ 本音が出るように仕組む、○ 自分の意見を押しつけない、○ 活動の目的を明確にする、○ 相手の言ったことを受容する、○ 「つかみ」を工夫する、○ 時間を守るが無理に終わらせない、○ 講義があってこそのワーク
○ テーマを絞る、○ メンバーの違いを受け入れる、○ 「違和感」を大事にする
  
 
 
カリキュラム5(13:50〜15:20)
国連改革と人権:人権理事会の設立と国連人権機関の今後の活動
中央大学法科大学院教授 横田洋三
はじめに
 今日は国連の機構改革の話をする。
 今日本で問題になっている子どものいじめ、女性差別・外国人差別をなくす、同和地区出身者に対する差別をなくすなど、こうしたものは国連の場で議論されている。そのために、差別撤廃条約をむすぶ。国籍法を変えなければ女性差別撤廃条約を結べない。国内の措置をとってはじめて条約に加盟できる。同和問題も、職業と世系(新しい用語;中国語から日本語に取り入れた)に基づく差別として話し合われている。
 アフリカにも部落差別との共通点がいろいろある差別がある。動物の革を扱った子孫、アフリカには狩猟民族の子孫が差別を受けている。今は別の職業に就いていても、その子孫と言うだけで差別を受けている。
 周りで起こっている人権問題は、国際的に扱われているものの現れ。人権は、日常生活の中で、人を苦しめたり、差別したり、無視したりするもの。国際的になくそうという方向で取り組んでいる。従って、国連の場でどう扱われるのか、国連がどうかわろうとしているのについて知ることには意味がある。
 国連の改革。安全保障理事会の常任理事国の改革、当面は凍結になった。日本のメディアはそれで報道しなくなった。しかし、実際には大きな改革が行われている。
 たとえば北朝鮮による拉致音問題。小泉首相が訪問し、平壌宣言をした。実際に被害者が日本に帰ってきた。
 国連での会議が始まったが、北朝鮮側の非難はすさまじかった。日本のメディアは全くそのことについてふれなかった。横田さんのご両親は、訴えた。国連で取り上げられ、北朝鮮非難決議の中に拉致問題が含まれた。
 さらに、米国でも拉致問題を訴えた。ブッシュ以下高官が人権問題と受け止めた。しかし、日本は人権問題としてとらえていない。
 イスラエルによるパレスチナ人に対する人権侵害、ポルポト政権による200万人の殺戮など、国連の人権問題として扱っている。国際的に人権問題としてとらえるためにどうすか。
 公務員になるためには必修科目がある。まず、組織構造。憲法は、義務以外は、人権に関するものだ。人権というが、しかし、憲法で人権をとらえることで止まってしまっている。たとえば、アパルトヘイトになぜ関心がないか。日本国憲法は国内のみ。だから北朝鮮の拉致問題は憲法の範囲外と見なされる。在日韓国人、在日中国人の問題は今もある。内容に入ろう。
 
 人権理事会設立の経緯
 ※ (国連)人権理事会 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken_r/index.html 
  ハイレベルパネル報告書
    国連機関の問題点についての報告書が2004年12月に出された。 
 1 安保理、2 平和構築活動、
 平和維持活動は戦争をやめさせて、非武装地帯をつくり、国連軍により監視するもの。ある程度貢献したが、問題の解決にはならない。国連軍が撤退するとまた紛争が始まる。キプロスなど、もう何十年も駐留している。
 平和構築活動は、それに対して根本的に解決しようとするもの。武器を放棄させて、通常の生産活動に従事させよう。そのために仕事を与えよう。産業を興すために、お金を出そう。世界銀行、国連開発銀行、JAICAなどは、安定していることを前提に貸すためにお金を貸すところがない。
 武器を取り上げると共に、職業を与え、そのためのお金を早めに持ってくるのが平和構築活動。これを提言した。
 3 人権機関の活性化、4 事務局改革
 この3番目にハイレベルパネルはページを割いた。53の加盟国が入っている委員会がある。人権委員会のこと。アメリカの主張が反映された。アメリカが人権委員会の選挙で落選したため。
 イスラエル非難決議など、アメリカが反対しても通ってしまう。また、リビアの委員が委員長になってしまった。キューバも人権委員会のメンバー。これは改革しなければだめだ。非政治化して、将来は人権理事会に格上げしてもよいという一文が入った。これがハイレベル報告書。
 これを受けて、事務総長としての改革案を昨年出した。
 1,2,4はハイレベルパネルの報告のまま。しかし、人権については、将来を人権委員会を廃止して人権理事会を作ってと書いてあった。なぜか?安保理改革はアメリカが反対している。なぜか?アメリカは安保理改革は反対だが、日本だけが入るのは賛成している。
 事務総長は、2期10年で、あとわずかなので実績を作っておきたい。イラクでの支援の不正が行われた。不正の中の一部に、事務局長の息子が関わったという噂が出た。
 その汚名をつけたまま引退はできない。国連改革、しかも人権をやったんだといたい。アメリカ政府の意向を受けるには、人権改革だと思った。人権理事会が去年の3月から話が出て、今年の3月にできあがった。国連の人権の活動が目に見えるようになった。
 アメリカは最後は反対投票をした。アメリカは、53カ国は多すぎると考えた30を主張した。途上国は60カ国を主張した。妥協案として47カ国になった。13アフリカ、13アジア、8がラテンアメリカ、8が西欧、5が東側
 これで、イスラム諸国の多いアジア・アフリカが多いので、日本、韓国、中国、インドネシア、インドスリランカが当選した。かなりのイスラム教国が当選した。アメリカは理事にもなっていない。はじめがイスラエル非難決議。
 イスラエルはヒズボラを押さえきれないレバノンを攻撃を加えた。女性、子どもをといった一般人を巻き込んだ。アメリカはますます人権理事会に愛想がつきた。
 成立からうまくいっていない。
 私は人権小委員会に属している。職業の差別、ハンセン病の差別、の報告書を書いた。さらに貧困と人権、先住民族の権利の4つを書いた。
 人権理事会ができたので人権委員会がなくなった。人権小委員会は消滅したのかわからない。人権理事会がどうするか決める。なくなる決定もないし、存続の決定もないといわれた。最後には報告書を出した。
 宿題が出た。人権理事会は何をやったらよいか。人権小委員会でやってきたことを継続してほしいと案を出した。
 人権理事会は年3回、年10週間開かれることになった。来月6月に結論が出る。
 
 北朝鮮の人権も国連で扱っている。総会も非難決議を採択している。キューバやスーダン、コンゴ、ミャンマーにもやっているが、これもストップした。人権委員会で扱うが、今後どうなるかはこれから決める。これらの国は声を潜めている。
 逆に言うと、人権侵害国は今の国連改革を歓迎している。今後、人権問題が進展するかどうかわからない。
 まだまだ人権理事会ができたことによってわからなくなったことはいろいろある。経済社会理事会があつかった人権問題はどうなるのか?婦人の地位促進の委員会はまだ活動している。先住民族の権利回復の専門家会議も経済社会会議にある。
 自由権規約委員会 女子差別撤廃条約にも委員会がある。すべての条約には委員会があり、監視している。これもどうなるかわかっていない。
 人権については、NGOが関わっているが、NGOを選出するのは経済社会理事会。現在進行形の人権関連の国連機関は新聞で注目してほしい。
 今日をきっかけに、国際的な動向に関心を持ってほしい。
 自由権規約をもとにした委員会に、個人が訴える手続きを認めている。しかし、日本はその議定書に批准していない。日本は裁判所が機能しているのからだ。現在、外務省、法務省、裁判所が検討してる。いずれ、批准するのではないか。
 個人の通報が2万通にものぼる。非公開なので、訴えた後どうなったかはわからない。一応、各国に善処するよう求める。
 
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 一つわかったことは、条約を結ぶと縛りがあるということだ。条約にはそれぞれ委員会があり、報告書の提出を求め、審査し、注文する。ただ、国連機構改革のなかで、委員会の存在が微妙になってきた。そういう話だった。
 国連の裏話としてはおもしろ部分もあったが、人権の講座としてはやや違和感を感じた。

 
 
カリキュラム6(15:35〜17:05)
外国人と人権〜多文化共生時代における自治体・企業の役割を中心に〜
NPO法人多文化共生センター理事 
IIHOE研究主幹       田村太郎
※ 多文化共生センター http://www.tabunka.jp/
                      IIHO     http://www.iihoe.com/
 
多文化共生センターは、阪神淡路大震災の時に外国人へ情報を提供していた団体が発展した。全国5カ所に事務所がある。東京、京都、大阪、広島、兵庫にある。東京はフリースクールをやっている。中学や高校に行けない外国人の子どもたちの世話をしている。
 日本に来た日本語が分からない子どもは全国で2万人いる。実際には、不就学の子どもたちも多くいるようだ。愛知県の調査では3割ぐらいが不就学。
 日本も児童の権利条約に批准している。児童権利条約では就学義務をうたっているが、日本は抵触している。文課省は外国籍者は就学義務はないといっているが、国際法が優先するはずだ。在日コリアの人は学校に行かないで働いている子どもが多かった。今もいるし最近増えている。これは、国際問題になりつつある。
 もうひとつ。IIHOE(人と組織と地球のための国際研究所)とは、CSR(Corporate Social Responsibility 企業の社会的責任)のサポートをしている。第三者評価、企業の経営者と市民の間のディスカッションなどを行っている。CSRの上位10社のうち5社はうちがサポートしている。CSRは生物と人が二本柱。生物とは環境だが、だいたいできてきた。これからは人。
 ※ CSRって何?  http://www.ecology.or.jp/se/daiwa/01.html 
 たとえば、偽装請負が多いが法的に禁止されている。人件費を安くするためだ。
 企業も放置できない。中国人ばかりのラインは研修生制度を活用している。1年間は研修。2年は技能実習生。研修の実態はない。これが全国でまかり通っている。
 請負は最低賃金を守らなくてはいけない。厳しい条件の中での単純就労、12時間。たとえば、液晶画面にミスがないかずっと見ている。ブラジル人の父と母が交代でやっている。2ヶ月契約だので、保険は不要なので安い。1日休んでまた再契約。こういった家族の子どもは落ち着かない。この子たちの通う学校では、1年のクラスの半分が入れ替わっている。
 研修生制度は、最低賃金以下で雇うことができる。つらくなり8,000人失踪している。大会社は下請けが雇っているので知らないというが、これは通らなくなってきた。それが、CSR。今日はこの二つの話をする。
 
1 「人の多様性」とCSR
・ CSR=企業の社会的責任
・ 多様性の配慮、管理職の女性比率、障害者雇用率、文化的少数者への配慮
・ 取引先、顧客の多様性
 愛知県がひどい。9割が法令違反だ。愛知県では、県内の事業者に対して外国人の雇用適正化を図ろうとしている。
 
2 日本で暮らす外国人の現状
 現在200万人登録(90日以上)、非登録 20万人。単純労働に、80〜100万人従事している。
 90年入国管理法改正により、高度技術者を歓迎したが失敗した。日系人の受け入れを認めたがこちらは増えすぎた。単純労働者が急増し、しかも間接雇用。研修生、技能実習生、最近は農業、漁業も多い。船で魚を捕るのも外国人、市場で運ぶのも外国人、すしを握るのも外国人、全部外国人の場合もある。
 日本の場合は見えるところにはあまりいないが、見えないところは外国人だのみ。地元へ帰られたらどういう資格か見てほしい。
 間接雇用、2ヶ月の雇用契約を繰り返し、10年住んでいる人がいる。7年前に結婚し、5年前に出産した。こうした人たちの子がいよいよ就学年齢を迎えた。
 現在、全自治体の半分に日本語指導が必要な外国人の子どもがいる。今後、さらに急増するだろう。
 その他、次のようなことを考えなくてはならない。
・顧客としての外国人の配慮;自動車購入、住宅ローン。交通事故も多い。
・外国人は車買っても保険に入らない;事故をすると母国に逃げ帰る。
 外国人にも消費者教育や交通安全教育が必要だ。
・豊橋信用金庫では、発想を変えて外国人向け住宅ローンをやっている。
 外国人を納税者に変えていく発想の転換が必要。
 
3 外国人労働者の就労実態
 外国人労働者は増え続けて、多様化している。最近は、中国、ペルー、フィリピンが増えている。日本はすでに多言語、多文化社会になっていることを認識すべきだ。地域別に見ると、東海地方はブラジル人が多い。
 入管法改正の流れがネットで公開されている。経済産業省は外国人をもっと入れたい、厚生労働省はいれたくない、法務省はどちらでもよい。省庁が違うと発想が違う。
 平成5年の改正で、ビザとしては日本人の配偶者等となり就労できるようになった。これが2世。3世は定住者扱いだ。
 ※ 国際法の観点から見た入管法改正案(政府案)http://secure.amnesty.or.jp/refugee/AI2rev.pdf 
 日本は法律で決まっていることが意外と少なく、実際は規則で決めている。 
 定住者資格が広がり、元難民や日本人の子どもを育てている外国人の親(フィリピン人)も認められた。
 また、研修生が増えている。労働災害も在留資格を聞かないようにしている。このことは多くの外国人は知らない。企業も知らない。研修生も事故が起きれば労働災害を適応する。当然雇い主は反論するが…。
 新潟中越地震?の時の避難所は外国人だらけだった。安く使っているがばれたくないので、外部との接触を断ちたい。だから接触させてもらえない。人権侵害が見られる。
 中曽根内閣の時に、留学生10万人計画があった。そのほとんどが日本でアルバイトをしている。一方、高度人材は減っている。資料 現在の「外国人労働者」
 初めは観光で来て途中で就労している人が20万人。政府はこれを半減しようとしている。しかし、入管職員3,000人では摘発は無理だ。結果、隠したりしてより状況がひどくなる。不法滞在者の中には、会社の倒産、日本人と結婚し離婚、など罪がない場合もある。
 高度人材19万人いるが、多いのはエンターテイナー(フィリピンパブのダンサー)が6万人いる。パウエル国務長官が批判したため減少はしたが…。
 私は阪神大震災の前はフィリピンの人対象にビデオレンタルをしていた。レンタル以外にいろんな相談をしていた。ほとんど女性。男性語の方言でしゃべる。
 単純就労は認めないと新聞には載っているが、実態はたくさんいる。実際はいないことになっているので対策はとられていない。しかもすでに永住している。特別永住者は旧植民地出身者かその子孫に限られているはずだが、H12年には15万人、今は30万人いる。住宅ローンは永住者資格がいる。そのためにここ5年間永住資格申請が増えている。ここ数年で特別永住者を抜くだろう。この人たちのサポートは、国ではなく、自治体とボランティア。
 2006年3月総務省が「多文化共生の推進に関する研究会報告書」をまとめた。
  ※ 多文化共生の推進に関する研究会報告書 http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/pdf/060307_2_bs1.pdf
 日本国政府がやっと半年前に出した。多文化共生推進プランは予算化していない。交付税措置のみ。都道府県あたり2千万円はいっているはずだ。しかし、健康保険がない、失業保険がない、昇進もない、研修制度の悪用、偽装請負、児童労働(親といっしょに働いている)事件事故が起こって初めて明るみになる。
 自治体は、児童労働は絶対するなと指導すべき。就学のサポートをすべき。転居が多い。間接雇用なので源泉徴収できない。そのため、住民税がとれない。
 愛知県では日本語教員が169人いる。その人件費を愛知県が出している。世界的には冷戦構造が崩壊して、労働力移動がより激しくなった。中国はとうもろこし輸入国になった。中国では子どもが都市へ出稼ぎに行っている。
 コンビニに朝弁当ができているためには、5時に工場を出ている。ではいつ作っているか。夜中だ。日本人が作るか?みんな外国人だ。
 工場ではよく指が飛ぶ。労災の手続きをしてあげた。連絡がくるのはみな夜中だ。あまり続くので、電話番号を変えた。
 私たちの便利な生活が、外国人労働者を引きつけている。自由貿易は人を動かす。
 人の移動を引き起こす2つの要因は「労働人口の減少」「より安い労働力」
 
4 これからの多文化共生社会へ向けて 
 3つの方向性が必要だ。
1 基本的人権:不公正の是正、機会の機会均等
   日本語習得の機会の保証、多言語での環境づくり:災害時、医療、福祉、司法
2 文化的、民族的少数者の力づけ
   母語、母文化の保護・継承、文化選択の自由;自己表現、アイデンティティ
3 地域社会の変化
  異文化理解、多文化共生の視点、ボランティア活動を軸とした接点づくり
 
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 おもしろかった。内容よりも、この田中太郎という人の生き方が…。バイタリティの固まりだ。どうやって収入を得ているのかわからないほどの多彩な活動、過去の経歴、不思議だ。体中からオーラが出ているのがわかる。
 さて、内容は教育現場にも大きな影響があるものだった。日本は、今後ますます外国人労働者が増える。そして、子どもたちも増える。日本語を話すことができれば心の問題として何とかなる。しかし、日本語が話せないとなるとシステムの問題になる。
 また、地域のコミュニティに巻き込んでいくことも必要となろう。昭和の時代には想定していなかったことが起こりつつある。

 
 
カリキュラム7(9:30〜11:00)
犯罪被害者の人権を考える
帝塚山大学心理福祉学部教授    
大阪大学名誉教授         
大阪被害者支援アドボカシーセンター
三木善彦
※ 大阪被害者支援アドボカシーセンター http://www.h6.dion.ne.jp/~ovsac/
(いきなり手品をしながら話を始めた。言葉の内容に合っているからすごい。)
 ビデオを見る。
 全国犯罪被害者の会 http://www.navs.jp/ 岡村勲弁護士 被害者基本法の力になった。全くの八つ当たりでガソリンをかけられた人の例。NHKスペシャル「犯罪被害者はなぜ救われないのか」2000年10月14日放映
 現在は医療費は無料になった。しかしそれだけ。犯人から慰謝料はない。慰謝料を受け取れるのは14%。子どもが犯した事件に対して親が支払わないケースも多い。精神的、経済的損失は補填されない。
 ある女性はストーカーにつきまとわれて、灯油をかけられて火をつけられた。何回も皮膚移植をして、つぎはぎの顔になった。親子に「あなたも悪いことをするとあんな顔になるのよ」と言われ大変傷ついた。警察は、犯人の住所など、プライバシー保護で何も教えてくれない。
 違う女性が、刺されて一生車椅子生活にさせらえた。しかし、加害者は一銭も支払わない。
 19歳の女性がバンドの練習の後片づけ中、暴力団員の流れ弾に当たり即死状態。母親は一晩で髪が真っ白になっていた。組長を訴える民事裁判をした。組長に不利な証言を引き出した。その時はいいことを言っていたが、16年ぶりに出所したがまた犯罪を犯した。逆恨みされて仕返しにくるかもしれないとおびえなくてはならない。
 その母親に大学に来て話してもらった。朗らかに話をされたので「心の傷は癒されたのか」と言ったら、「いいえ。一生消えない」と言った。一発の銃弾がすべてを壊したが、後は何もない。
 私は刑務所に出入りし、心理療法をしていた。みんな加害者だが、ある時、被害者の存在に気がついた。被害者は何ともなっていないことに。
 NHK番組。富山・大久保恵美子さんの会 「泣きたいだけ泣けばいい」から始まった犯罪被害者の会は、会員400名にもなる。  http://www.fesco.or.jp/winner_h16_204.html 
 PTSD(心的外傷後ストレス反応)阪神大震災で話題になる
・再体験  ;忘れたいと思っても思い出してしまう。恐怖の再体験。悪夢。
・神経過敏 ;物音に驚く、不眠、動悸、食欲不振、血圧上昇、
・麻痺、回避;手の感覚、暑さ寒さを感じない、対人関係を回避・孤立、偏見、
 偏見「娘を殺されて、よくそんなに踊れるわね。」「息子が殺されてお酒を飲んでいるわ。」「被害者にも何らかの落ち度があるから。」  

《事件後さらに被害者が傷つくこと》
・司法制度の不備、・捜査関係者の対応、・不適切なカウンセリング、・メディアの姿勢
・友人知人の言動、・近隣の人の中傷、・職場関係と人間関係、・非科学的捜査、・司法関係者の言動、・裁判傍聴のシステム、・家族間の不和、虐待・司法解剖 

《被害者対策の歩み》
1980 犯罪被害者等給付金支給法成立
                  http://www.npa.go.jp/higaisya/shien/kyufu/seido.htm 
2000 全国犯罪被害者の会設立
2000 改正刑事訴訟法・犯罪被害者保護法成立
2004 犯罪被害者基本法可決      http://www8.cao.go.jp/hanzai/kihon/hou.html 
 参照   HP 被害者のこころ   http://www.jvar.jp/ 

《 被害者支援の広がり 》
・警察の被害者支援・情報提供、・法律の制定と整備、・犯罪被害者支援センター
・メディアの協力、・精神科医等の専門家による治療と支援、・知人や友人の励まし
・職場での配慮、・被害者同士の支え合い、・家族同士の支え合い
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 今回、もっとも怖い講義だった。テレビなどで聞いてはいたが、確かに日本はあまりにも犯罪被害者に対して冷たかった。加害者の人権には配慮するが、被害者の人権には配慮がなかった。 
 2004年にやっと犯罪被害者のための基本法ができて、翌年、犯罪被害者等基本計画が策定された。具体策はこれからだ。
 奈良の小学2年生誘拐事件の時には、警察がかなり家族をバックアップしたと聞いている。それは法でできることではなく、ちょっとした配慮がほとんどだ。
 女性警官の派遣、マスコミとの間に入る、マスコミを避けるための裁判所への送り迎え、情報提供など、気遣いでできることだ。
 一方、マスコミはどうか?犯罪を視聴率稼ぎの商品扱いしていないか。犯罪被害者のプライバシーを侵害しているのではないか。マスコミには自重するシステム、いやそれ以前の自制心はないのか?ひどい報道を流したスポンサーの商品ボイコットなど、力技を考えなくてはならないようにしてほしい。ただ先生によると、今では警察や弁護士、被害者の会が間に入ってくれる場合が増えているそうだ。
 マスコミだけでなく、一般国民も、まずは、被害者の苦しみを理解することだ。そこから始めたい。
 

 
 
カリキュラム8(11:00〜12:45)
これからの同和問題・人権問題
京都産業大学文化学部教授 灘本昌久
http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/index-j.html
 同和問題の新しい論点について、カタログ的に紹介をしていきたい。詳しくはHPや著作を見てほしい。
 京都部落史研究所(1977年より年間3千万円予算、10年計画)で研究してきた。京都市編纂の時に、部落史が公害等に置き換わることになった。その時に、部落史をしっかり研究しようということになった。場所代、人件費も入っているので、少ない予算だった。
 当時は、著作についてお金がついたが、これだけの人にお金がついたのはすごい。大阪にもあるが、そちらは運動が主。京都は研究が主。その後、京都部落問題研究資料センター(http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/)へとなった。
 1970年代は近世起源論全盛だった。政治起源説で正解だった。しかし、京都では、一から見直すことから始めた。部落解放同盟も階級闘争を放棄した。
 それ以降は、政治起源説以外も認められるようになってきた。
 京都には149地区同和地区があった。順番に踏査して資料を収集し、京都部落史全10巻にまとめていった。
 同和地区に対する偏見は、外の人間だけでなく、中の人間も持っている。第1巻が出たとき、新聞に出た。すぐ電話がかかってきた。ほめられると思ったら、抗議の電話だった。「こんなことをほじくり返してどうするの。」しかし、調べてみると、ふつうの所だったことがわかった。
 調査は、たいていは歓迎されない。追い返されたこともあった。
 その後、京都産業大学に移った。(中略)
 現在火を噴いていることは昔からわかっていること。力でマスコミの口を塞いでいただけ。奈良県の職員、給料だけもらって5日間しか出勤していない運動がらみの事件はひどい話だ。同和問題は終わったので、行政としては手を引くという立場もあるだろう。また、新しい差別として再生産されているケースもある。
 
○ 被差別部落起源論
 従来は江戸時代。士農工商の身分制度ができたときを起源とされていた。そもそも江戸時代は武士が君臨し農民が苦しめられたというのも古い。江戸時代は庶民が力を伸ばした時代。1800年には識字率世界最高だった。
 被差別部落の起源を検証すると、1394年まで軽くさかのぼる。京都の久瀬地区。江戸時代の初めではない。なぜできたかというと、村という共同体ができたのが室町から戦国にかけて。その過程で、村にいられなかった人(水害で田畑を失った人、障害、病気など)がはみ出された。そう人たちが集まって生活を始めた。そういった賤民集団の一部が清目、河原者といわれ、江戸時代にえたというわれたのが現代の同和地区。夙(しゅく 宿とも書く)といわれる中世の賤民集団もあった。同和地区と間違われて差別は最近までも続いていた。江戸時代には幕府や藩からは平民扱いされていた。
 こうした賤民集団はたくさんあった。茶せんという集団もあった。夙の人たちが同和地区を差別した資料もある。多くの賤民集団が以前からあった。今では教科書も中世起源説をとっている。
 そもそも、差別の起源は、村社会の中に入れなかった人、すなわち政治起源ではなく社会起源というのがより正しい。北陸には藤内(とうない)という賤民集団がいて、同和地区と同じような仕事をしていた。
 多くの賤民集団の中で、同和地区だけがクローズアップされた。
 
○ 現状認識
 日本の部落解放運動、同和事業は積極的な役割を果たした。世界の中でもまれに見る成果を収めた。アメリカの黒人差別もなくなりつつあるが、まだスラムがある。
 日本人にはホームレスが3〜4万人だが、アメリカは300万〜400万人。スラム人口が多く、地域によっては、失業率は80〜90%。
 アメリカの識者に、「日本は同和地区があり、麻薬が広まっていないか?」「麻薬地区の学校には銃が持ち込まれているか?」と言われたことがあった。銃では1年で20人あまりしか死者はないと言ったら、「それならニューヨークの週末だけだ」と言って感心された。
 京都の部落地区(南禅寺の近く)は、以前はスラム状態だったが、ガイドブックを持って旅行者が歩くようになったのが20〜30年前。ずいぶんなくなってきた。
 昔ながらの差別は全体的に弱くなってきた。貧困層も少なくなってきた。京都市内の同和地区の1/3〜1/4は貧困層。しかし、差別の結果ではなく、文化的・経済的再生産の結果がまだ残っていると見るべき。
 高学歴になると、大企業に入る人が多い。大企業は1980年代に差別がなくなった。地区がいやで出ていくと言うよりも、転勤等で生まれ育ったところから引き離される場合が多い。結果として、統計的に貧困者の割合が自動的に増えて行く。こういう認識を持つべきだ。
 
○ 部落民のアイデンティティ
 1980代後半〜1990年代前半には、部落民意識は薄れていくと感じた。もともと基盤が薄い。しだいに、のっかった行政などは成立しにくくなるだろう。かつては、部落民意識を育てていた時代があった。当時は一致して運動するために必要性があった。
 今は、自然に意識がなくなるのは仕方がないと思っている。部落民意識を育てる教育はマイナスが大きいと思う。
 
○ 特別対策か一般対策か
 1950年頃、雑誌『オールロマンス』に「特殊部落」という小説が載った。
http://www.jinken-net.com/old/tisiki/kiso/douwa/tisiki20.html 
 これをきっかけに差別対策は行政の責任だという運動が始まった。しかし、実際の小説の内容は朝鮮人の話だった。部落の人は一人しか出ていない。
 京都の同和施策は、部落に対してだけ。朝鮮人は対象にしていない。朝鮮人も歴史的・社会的に差別されている点では同じ。 
 基本法には個人的には反対。もっと対象を広げた弱者救済対策をとるべきだと思っている。これからは、同和地区だけを対象にした特別対策はやめた方がよい。
 
○ 差別表現論  
 従来の行きすぎた運動が1990年代にあった。『破戒』は最後にはテキサスへ行くような話になっていった。そんなことは原文には書いていない。部落民意識を隠してけしからんという話に利用していた。
 
○ 被差別の痛み論批判
 「被差別の痛みは差別されたもんにしかわからん」という考え方。確かにそうだが、差別された者の話が正しいかどうかは別問題。間違っている。
 
○ 運動と行政の関係について 
 これまでの解決は運動と行政の手柄。しかし、度が過ぎたり、方向を間違えるとだめ。見直しは常に意識しないといけない。
 見直しをやってこれば、今日の運動と行政の醜態はない。
 善悪の区別は被差別部落はないと言わざるを得ない部分がある。(無料パスの話など)
 今後も、理論的な見直しもしているので、人権行政を進めていただきたい。
 
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 同和問題というと、イデオロギー的に固まっている人の話を聞く場合が多かったが、今日は、きちっと現実を見て、調べた事実から話をされているのが好感が持てる。
自分の不勉強から、意味が分からない部分も多かったが、灘本先生のHPを見て勉強したい。
 
 
取組事例発表(13:45〜15:05)
長崎県の県民運動 ココロねっこ運動
長崎県こども政策こ子ども未来課  岡田さん
http://www.pref.nagasaki.jp/kokoro/index.shtml
 CD「スタート・ライン/平原綾香」CBCイメージソングを聴く。
 県民の声を「ココロねっこ運動」公式テーマソングにする。作詞 平原綾香、作曲 平原まこと、編曲 沢田 完にお願いする。
 事前に、メッセージを募集した。「語り合うこと、信じること」平原まこと、「いつだって大尊敬」平原綾香からのメッセージももらっている。
 この運動の県民への運動の浸透度は、認知度 9割・理解度 4割・実践度 2割。
私は、3月までは教育委員会、4月からこども政策局、こども未来課・こども家庭課が新設され、そこに異動した。今年は、届けたい人に届く運動、運動実践者の拡充をめざした。
 ココロねっこ誕生の背景は、こどもの凶悪事件、17歳の犯罪が増加したのを背景に、2001年に運動を開始。2002年週5日制開始した。
 豊かな実は太い幹に、太い幹はしっかりとした根に、大地に育つ。それを“ココロねっこ”と言う言葉で表現した。  
 当初は重点目標が必要だ。あいさつ運動など、具体的な行動目標を立てた。
 昨年は家庭、キーワードを「食卓」とした。また、「我が家のきまり」をつくろうキャンペーンを行った。
 学校では心の教育、家庭ではしつけ。それ以前の基本的な事項が「食環境」「住環境」だということになった。この二つについて述べたい。

《 食環境 》
 ニワトリ症候群という言葉がある。「孤食、欠食、個食、固食」頭文字をとって「コケココ」になるからだ。
 アンケート調査の結果で、「食事の時はテレビを消すか?」に対して、88%はいつもつけている。ココロねっこ出前講座は、生ゴミ微生物元気野菜に取り組んだ。すでに子どもに変化が表れている。

《 住環境 》
 団らんを阻害する環境は何か?宮崎勤の住環境は、家をリハウスした結果孤立してしまった。その他、家庭の問題として、父親の家庭不在、夫婦仲が悪い、愛情のかけ方がおかしい、コミュニケーション不足などが問題になっている。
 そこで長崎の子どもを育むための緊急アピール(H17,7)を出した。
 ・あいさつをしましょう
 ・家族一緒の食事を大切にしましょう
 ・父親も子育てに参加しましょう
 ・子どもに声をかけましょう
 ・地域行事に参加しましょう
 ・子育てしやすい職場環境をつくりましょう
 推進体制の整備として、長崎っ子を育む県民会議が行動指針を策定し、近日HP掲載予定だ。
 広報啓発活動としてはメディアの利用、ホームページ、交通機関の協力、各施設間の協力を行っている。その他、ロゴの著作権フリー化等にも取り組んでいる。
 魯迅の言葉に次の名言がある。このように活動していきたい。
「もともと地上には道はない。歩く人が多ければそれが道になるのだ。」

☆★☆ 感  想 ☆★☆
 これだけアイデア豊かに、行動力抜群の行政マンもめずらしい。これは、何人かの人に聞いた共通の感想である。
 内容的には決して人権ではなかったが、行政マンの仕事ぶりとして、たいへん刺激を受けた。どうせやるなら、これくらいやらなければ

 
 
カリキュラム9(15:20〜16:50)
高齢者の人権を考える
−喜楽苑4苑のノーマライゼーションの取り組みを通して−
社会福祉法人尼崎老人福祉会理事長 市川禮子
http://www.kirakuen.or.jp/
 1982年に社会福祉法人を設立した。法人理念はノーマライゼーション−地域の中で1人の生活者としての暮らしを築く−というもの。地域密着、小規模、多機能、全室個室ユニットケアが今の主流だが、24年前からこの方向をめざして実践していた。
 最初の施設、特養ホーム喜楽苑の運営方針は、「高齢者の人権を守る」。昔はは認知症の人がつながれ、鍵をかけられていた。もう一つは、「民主的運営」。公費で運営する以上、ガラス張りの運営をする

【「人権を守る」取り組みの具体化】
 人間の尊厳を守ることだ。たとえば、言葉を直す。問いかけ・自己決定、目線は下か水平、
四床室でも部屋に入る時は「失礼します」など社会生活を送る上で当たり前のことをする。 
 プライバシーの保障;カーテンでしっかり仕切る、風呂、好きな話をしてあげながらおむつ交換をする。同姓交換が原則。
 市民的自由社会参加の尊重;お酒・たばこ何でもOK、買い物、通院・往診、美容院、地域の老人会に参画、思い出の家具を持ってくる(仏壇、桐箪笥)、夜の居酒屋で一緒に歌を歌う等。
 旅行;出身地の九州へ帰る。墓参り、母校へ行ったら昔の話を話された
 結局、個々の人生に思いを寄せる介護が必要だ。

【「民主的運営の具体化」−地域と共に−】
・役員の役割と職員のチーム労働
・入居者自治会の重要性;善意で肩を抱いたら「いつも肩を抱かれるのはうっとおしい」と言われた。そういった声を吸い上げた。
・3つの家族会の重要性;家族の協力を得ることも大切
・ボランティアの支援   
・喜楽苑地域福祉事業推進協議会;地域の多くの団体が参加している。保育所、小、中、高校、大学との交流もある。

【ハードから人権を守る】
(1)いくの喜楽苑
 全室個室を目指した。小さな単位のユニット。完全な個室は否定されたので準個室にした。カーテンを引き戸に替え、中から鍵もかけられることにより、自立への意欲が高まった。(もちろん職員は開けられる)
 写真により人生をたどるコーナーもつくった。

 
(2)高齢者・障害者地域型仮説住宅(通称;ケア付き仮説住宅) 
阪神大震災と高齢者・障害者の問題を解決するために、1995年4月・5月開設(尼崎市・芦屋市)した。6棟78人で3年2ヶ月運営した。  
 基本は、できることは自分でやる。できないことだけ手伝う。「いつでも一人になれるし、いつでも人と出会える暮らし」を合い言葉にした。
 入居者に「こんな安心な暮らしはない」と言われた。個室にトイレと洗面、キッチンは共同。若い障害者も知的障害者もいた。それぞれのハンディを補い合っていた。種別を越えた方が、協力し合えていいのではないかと思った。

 
(3)あしや喜楽苑(芦屋市潮見町) 1997年1月開設
 「福祉は文化」−地域の文化の拠点に−、地域交流スペースをつくり、地域住民が1ヶ月3千人が集った。コンサートや落語、ダンス、ファッションショー、子どもたちの演奏など。
 また、地域の人材育成も行った。ホームヘルパー養成講座、受講生交流会、ボランティア感謝の集いなど。さらに、入居者の個展、遺作展など、来訪者は年間1万人を越えた。
 病院で管だらけで死ぬよりホームでの終末医療をと、死ぬ3日前まで歌を歌っていた人もいた。
 ある時、重度の認知症のピアニストが入所した。ショパンが引けるようにまで回復し、コンサートまで開いた。
 ケアとはおむつ交換や食事だけではない。 限られた時間、毎日毎日が若い人たちより格段に重要だ。いかに充実した日を過ごすか、それが高齢者の人権を守ること。

 
(4)すき間のケアを−南芦屋浜復興公営団地シルバーハウジング等へのLSA派遣事業等の実践−
 24時間の生活支援に取り組む。すぐに駆けつける状況をつくる。1日80軒の安否確認も行った。生活支援型グループハウスだ。

 
(5)全室個室ユニットケア けま喜楽苑 2001年開設
 生命力をしぼませない「施設」づくり−外山教授のいう「5つの生活の落差」をなくすことをめざした。その落差とは、「空間の落差、時間の落差、規則の落差、言葉の落差、役割の喪失の落差」
 そのために、特養を地域のケア付き住宅に替えた。
 ケアのテーマは、個室。個室だと、部屋を飾るようになる。個性的な部屋づくりをするようになる。結果、家族の訪問数が倍になり、滞在時間も倍になった。個室なので、一緒に歌を歌ったりいろいろできる。
 また、セミプライベート空間も活用されている。朝食、ちょっとした雑談などに使われる。他に、坪庭のある和室もある。バーもありビールも飲める。
 食事、介護、排泄の三大ケアも、けまではいいことばかり。そのため職員も変わる。
職員は重労働から解放され、優しくなれる。しかし、職員も地域に入らなければやっていけない。
 これからは、ケアの場でなく生活の場だ。寄り添うケア、もとの生活に戻すケアが必要だ。
 高齢者の人権、認知症患者の人権は大きく変わろうとしている。縛っていた時代から本人が語るケア。
 クリスティーン・ブライデンさん(オーストリア)40代の認知症
http://www.creates-k.co.jp/christine/who_will_l_shimane.htm 
  『私は私になっていく』       
 クリスティーン・ボーデン
 『私は誰になっていくの?』http://www.toshiba.co.jp/care/benri/books/book07/07book08.htm 2003年認知症元年。デンマークでは特養をやめて住宅にした。
 ノーマライゼーションとは、障害者や高齢者など社会的に不利を受けやすい人々が、社会の中で他の人々と同じように生活し、活動することが社会の本来あるべき姿であるという考え方をいう。これが高齢者の人権の基本。

☆★☆ 感  想 ☆★☆
 ほとんど知らない世界の話だった。布袋中時代、福祉の担当として毎週のように特養に行っていたが、確かにあれは病院だった。今日の話を聞いた後では、生活の場とは言えなかったことを痛感した。最後に聴いた重度認知症の元ピアニストの50年ぶりのピアノ演奏は感動ものだった。その演奏を引き出したのが新しいケアだったのだ。生きるとは、人生とは、そして死ぬとは考えさせられる時間だった。
 ただ、これからの大量の高齢者を、こうした夢のような施設へ受け入れることは、物理的に大きな困難があることが予想される。高齢者になっても、ますます格差社会が広がるような気がしてならない。
 
 
カリキュラム10(9:30〜11:00)
障害者の人権−国連障害者の権利条約採択に向けて−
東京大学大学院経済学研究科特任助教授 長瀬 修
http://www.bfp.rcast.u-tokyo.ac.jp/nagase/
 いろいろ質問する。「関西人か、違うか?」「男か、女か?」「気前がいいかどうか?」「若いか、若くないか?」「障害者か、違うか?」
 この最後の質問の意味が、どのレベルのものなのかを考えていきたい。
 今日は国連障害者の権利条約採択に向けて話したい。
 私自身は、学生の頃のサークルで障害のある子どもたちと遊ぶようになってから、八代英太の秘書、国連事務局障害者班などと障害者と関わってきた。
 
【障害者と障害者の人権】
 社会モデルという言葉がある。障害者が問題なのではなく、障害者とされている人を取り巻く社会、環境の問題という意味だ。
 ※ 社会モデルについては、「障害学」の到達点と展望―「社会モデル」の行方―        http://www.arsvi.com/2000/021116hr.htm 参照。
 たとえば、「集中して講義を聴くことができない」のは本人の責任か?弱視の学生のために拡大資料を準備できるか?それを当然と考えることができるかどうか、負担が増えたと考えるのか。同じ、資料を提供するとしても態度として違ってくる。障害者にとっても、自分がいるのが当たり前か、自分が目が見えないのが問題で教員が資料を拡大しなければならないで申し訳ないと考えるのかによって、居心地が違ってくる。
 この居心地の良さが広い意味での人権の配慮である。
 大学としても、これまでなされてこなかった。これからは、いろいろな障害のある学生がいて当たり前。その学生が悪いのではなく、ごく普通に対応する。それが社会モデルである。合理的配慮がないのは、障害者への差別と考えるのが社会モデルの基本だ。
 合理的配慮の例;スロープや車椅子用トイレ、電子データ、手話通訳、分かりやすい資料、点字資料、勤務時間の変更など。
 知的障害の場合の分かりやすい資料とは、単にふりがなをつければいいのではない。
精神障害が職場にいる場合は、服用する薬の関係で、勤務時間の変更が合理的配慮になる。従来は、特別扱いしないのが障害者への配慮と思われているが、そうではない。合理的配慮がないのは差別であるというのが定着している。
 二つ目が文化モデル。
 障害者が生きていること自体、一つの文化として位置づける。
 かつて聾学校では手話は禁じていた。口で話せるようにするためである。当時は善意だったが、今では手話が言語であることを認めた。
 「聞こえて、見えて、話せることがまとも」と考えるのではなく、障害も文化と考える。
 2004年の障害者基本法改正による障害者施策への障害者自身の参画促進(中央障害者施策推進協議会へも障害者自身の参加)するようになった。
 ※ 障害者基本法改正について  http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kihonhou/kaisei.html 
 「私たちを抜きにして、私たちに関することを決めないで」という考え方である。 
 
【東京大学のバリアフリーの取り組み】 
 東京大学では、知的障害の人10名の環境チームや、図書館での仕事などで障害者を雇用している。
 2002年にバリアフリー支援準備室発足、2004年にバリアフリー支援室が発足し、障害学生支援、障害教職員支援、障害者雇用の方針、多様性の増進、職域拡大、視覚障害者のヘルスキーパーなどを行ってきた。
 知的障害者の雇用は現在では13名。そのうち環境チームは10名いるので目立つ。 始めは違和感があった。学内広報を見てほしい。
 ※ 学内広報1338「バリアフリーの東京大学」 の実現に向けて(U)
      http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1338/index.html 
 総長が姿勢を示そうということで、表紙のように一緒に掃除をしてもらった。これにより学内ではかなり定着してきた。
 しかし、自閉の人といっしょに仕事をすることは、きれい事でなくお互いの課題である。一般就労の課題として、仕事以外の場面での支援、受け入れ側の負担感、受け入れ側の支援体制、社会性やマナーの欠如、職場としてどこまで対応すべきかがある。
 雇用促進法を利用して、多様性の実現を目指そうとしている。
 ※ 改正障害者雇用促進法 http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha01/ 
 障害者雇用によるインパクトは、新しい風をおこした。学生とふれあう機会も設定した。教室に来てもらい互いに紹介し、外で清掃実習をした。学生は大喜びだった。
 
障害者の人権の基本】
 障害者の人権の基本は、「障害者であることで殺されないこと」である。ナチスドイツは、「障害者安楽死計画」として、ガス室で20万人殺していた。これが後のユダヤ人虐殺に応用された。
 次に、「障害者であることで不利に扱われないこと」、さらに、「障害に応じた配慮を得ること」である。合理的配慮の提供は義務であるという考え方である。
 
【国連の障害者権利保障】
 国連の障害者権利保障は、1987年に最初の提案があり、1981年の国際障害者年を経て、1987年に初の条約提案があった。1989年にはスウェーデンが障害者の権利条約提案し、2001年国連総会で決議(メキシコ提案)した。2002年に第1回特別委員会、そして2006年暫定合意、現在詰めの交渉が行われている
 今思えば1987年に実現しなくてよかった。なぜなら今回のメリットとして、障害者が参画できるようになったことだ。官庁だけが決めると骨抜きの条約にする。障害者団体が加わるとそうしたことがなくなる。
 ※ 障害のある人の権利に関する国際条約(修正議長草案の仮訳)
    http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/rights/adhoc8/working_text.html 
   障害者権利条約を考える  http://www.nginet.or.jp/box/UN/UN.html 
 日本政府は第24条 統合インクルージョンに反対していたが、文科省答弁で賛成した。
 ※ 第24条は今後の特別支援教育を占う意味でもきわめて重要なので全文を引用する。なぜなら日本が批准すれば、憲法と同等の履行義務が生じるからである。

第24条 教育
1 締約国は、教育についての障害のある人の権利を認める。この権利を差別なしにかつ機会の平等を基礎として実現するため、締約国は、次のことを指向する、あらゆる段階におけるインクルーシブな教育及び、インクルーシブな生涯学習を確保する。
 a 人間の潜在能力並びに尊厳及び自己価値に対する意識を十分に育成すること、並びに人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。
 b 障害のある人が、その人格、才能及び創造力並びに、精神的及び身体的な能力を最大限度まで発達させること。
 c 障害のある人が、自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。
2 この権利を実現するため、締約国は次のことを確保する。
 a 障害のある人が障害を根拠として一般教育制度から排除されないこと、並びに障害のある子どもが障害を根拠として無償のかつ義務的な初等教育及び中等教育から排除されないこと。
 b 障害のある人が、自己の住む地域社会において、他の者との平等を基礎として、インクルーシブで質の高い無償の初等教育及び中等教育にアクセスすることができること。
 c 個人が必要とするものに対する合理的配慮
 d 障害のある人が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を一般教育制度内で受けること。障害のある人の個別的な支援ニーズを[十分に満たすため][一般教育制度が十分に満たすことができない環境においては]、締約国は、完全なインクルージョンという目標に即して、学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境において、効果的で個別化された支援措置が提供されることを確保する。
3 締約国は、障害のある人が地域社会の構成員として教育に完全かつ平等に参加することを容易にするための生活技能及び社会性の発達技能を習得することを可能としなければならない。このため、締約国は、次のことを含む適当な措置をとる。
 a 点字、代替スクリプト、コミュニケーションの補助的及び代替的な様式、手段及び形態、並びに歩行技能の習得を容易にすること、また、ピアサポート及びピアメンタリングを容易にすること。
 b 手話の習得及びろう社会の言語的なアイデンティティの促進を容易にすること。
 c 盲、ろう及び盲ろうの人(特に子ども)の教育が、その個人にとって最も適当な言語並びにコミュニケーションの様式及び手段で、かつ、学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境で行われることを確保すること。
4 この権利の実現を確保することを助長するため、締約国は、手話又は点字に通じた教員(障害のある教員を含む。)を雇用するための並びに教育のすべての段階における教育に従事する専門家及び職員に対する訓練を行うための適当な措置をとる。その訓練には、障害への認識を組み入れ、かつ、適当なコミュニケーションの補助的及び代替的な様式、手段及び形態の使用並びに障害のある人を支援するための教育技法及び教材の使用を組み入れなければならない。
5 締約国は、障害のある人が、差別なしにかつ他の者との平等を基礎として、一般の高等教育、職業訓練、成人教育及び生涯学習にアクセスすることができることを確保する。このため、締約国は、合理的配慮が障害のある人に提供されることを確保する。

 
 インクルージョンとは、普通校が多くの子ども(あらゆる障害のある子)のニーズを満たすように変わることなので、今の学校教育体制が大きく転換することになる。
 
 条約草案を紹介する。
(ここでは省略する。前述の仮訳を見ていただきたい。特に第2条の定義は重要である。)
 本年12月、国連総会で採択へ向かう予定である。
 国会で批准するために、国内法制の見直しが必要である。女性権利条約は6年、子どもの権利条約は5年かかった。今回日本が引っかかるのは教育、インクルーシブ教育である。現在、統合の方向にあるが、聾学校等も選択肢として残してほしいという要望が保護者から出ている。合理的配慮の提供義務も、多くの予算が必要となる。
 障害者差別禁止条例が千葉県で作られた。自治体レベルでの初の制定である。数十回、数百回のタウンミィーティングを開いて議論している。
 ※ 障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例
    http://www.pref.chiba.jp/syozoku/c_syoufuku/keikaku/sabetu/syogaijorei.html 
 千葉県条例の差別の定義は参考になる。
 日本は障害者にとってはある意味で無法地帯。弱視ためのの資料など努力をしている学校もある。しかし、法的には全く根拠がない。学校の善意のみ。苦情の窓口すらない。
 合理的な配慮を法的に位置づけないといけない。枠組みがないまま、学校の善意だけで動いている。 
 今回の権利条約、千葉県の条例、2009年障害者基本法の見直しを生かしたい。
 アメリカでは1990年ブッシュ大統領時代、包括的障害者差別禁止法(Americans with Disabilities Act;略称ADA)という法律を通した。
 法律ができたことによって、自発的にやろうと言う動きが大学や企業で見られた。合理的な配慮の提供が、障害者を差別しない方法だと日本人が考えることを法制化により期待したい。これまでは、十分認識できていなかった。日本が変わっていく。 
 
 最初の質問に戻ろう。障害者って何なのか?どこで線をひくのか?それは国や時代で動いていく。障害者でないと思うことで重要なことは、障害者と違う部分をつくってしまうことは、その人を排除すること。自分がその側にまわらないようにと思っている。  男・女と違って、障害者である・ないというのは自由に出入りができる。あまりがんじがらめにすると、自分が障害を負ったときに自分を苦しめる。
 健常とは何なのか? 障害者の生き辛さは、社会や環境の取り組みによって大部分解決できる。社会や文化のあり方そのものに問題がある。
 
Q インクルーシブ教育とは?
A 地域の学校の中ですべての子どもが行ける権利を保障する。教育環境の整備が重要。そのためには、人的配置も含む。ようやく日本も目指すようになった。
Q 本格的な障害者差別禁止法は?
A 必要。合理的配慮がないのが差別と定義する。その中身をはっきりさせる。
Q 特別支援教育と条約の関係、影響は?
A 90年代から日本は統合教育に反対してきた。ようやく移行するということになった。文科省は承知はしていたので、徐々に切り替えるように意識をしてきた。はっきり言ったのは今年の6月。
  実際に地域での教育に変えていくとなると、普通教育の課題が大きい。個別の・子どもがきっちと見られるようにならないと障害者は教室ではみることができない。本当の課題は普通の教育を学校の中でどう実現するかが課題。課題は非常に大きい。それをやろうと努力をしようということがようやく決まった段階。
 
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 最後の課題はあまりにも大きい。「障害者を普通教室に受け入れることの難しさよりも、普通教室で普通の教育をすることの方がもっと難しい。」これは、皮肉としてでなく、現在の教育に対する痛烈なメッセージととらえるべきだろう。
 「自殺者を出すような教室では、障害者を見ることはできない。」これも納得できる。本当に一人一人について細かく見ることができなければ、さらには、それが当たり前と思えるような教育文化をつくらなければ、条約の批准はできない。
 そこをクリアしたとしよう。インクルーシブ教育は可能か?
 今の学校の標準的校舎建築はどうか。エレベーターは?スロープは?車椅子用トイレは?避難経路は?教員養成や現職教育はどうか?教科書会社・教材会社はどうか?そもそも人々はインクルーシブを理解しているか?そして公立小中学校と私立学校の関係、盲聾養護学校の関係はどうするのか?
 あまりにも日本の課題は多い。
 
 
カリキュラム11(11:15〜12:45)
路上生活者と人権−ソーシャル・インクルージョンの視点から考える−
                   環境省顧問、前環境省事務次官
                  バリアフリー支援室アドバイザー  炭谷 茂
【私の人権観】
 「人に優しく、人を大切に、人に対する思いやり」である。しかし、情緒的だけでとらえると誤る。基本的な人権の尊重は憲法に書いてあるだ。さらに13条には、個人の尊重と幸福の追求が書かれている。
 ※ 日本国憲法第13条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 幸福追求権の条文があるのはそれほどない。世界でもアメリカの独立宣言、一部の州に見られるのみである。
 国際人権規約はA(社会権規約)、B(自由権規約)の二つからなる。
 ※ 国際人権規約  http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/index.html 
 ここにも書かれている。人権はあくまでも法的なものと考えるべきである。
 人権はあらゆるものに優先する。しかし、各省の白書に人権について書かれている部分は一部。厚生労働白書にもない。これが日本の実体。
 
【留意すること】
 1 人権は実体である
 実の体。人権というのは実際に存在するもの。人権は抽象的なものではなく、実際のものとして存在する。
 例えば障害者の問題として、例えば医療の現場での自己決定権として、抽象的ではない。
 この研修会は、人権問題に多方面からやっているのですばらしい。人権啓発といえば、標語の募集や作文募集、絵画コンクールなどがあるが、これらはあくまでもスローガンと考えるべき。
 2 人権は個別的、具体的に考えなければならない。 
 3 人権は無視をされる。常に向上させるようにしていかないと自然に消えてしまう。
 憲法12条は、「人権は不断の努力によって守っていかなくてはならない。」と書かれている。19世紀のオーギュスト・コント(社会学者)の本の中に、「人権は恣意的に曲げられる。」と書いてある。フランス人権宣言でさえ、男性しか相手にしていない。植民地も相手にしていない。
 
【人権問題の数々】
 これまでの人権問題を心配してきた。例えば、いじめ。なぜなくならないか?
 京都大学の木原先生は、7200人の高校生を調査した。6割の生徒がいじめの加害者であり被害者。そのほとんどが人とのつながりがないという人。また、TVゲームなどとの接触が長い子が多い。これらは見事な相関関係がある。
 孤独死は、H16年、東京の都営住宅や公団住宅で1日に1.2人が孤独死している。警視庁の調査では、3千人というデータがある。全国ではおそらく3万人はいるだろう。
 自殺も年間3万人。刑務所から出てくる人も3万人。児相の相談件数も3万件、中国残留孤児も3万人。
 これらに共通する原因がある。「排除と孤立」という視点である。人権問題のキーワードは、社会から排除されているか、孤立しているかどうかを見る必要がある。
 よく、人権では排除ではなく、差別という言葉を使う。差別は心理的、内面的。中心は人間の心理。排除は外面的、行動的。
 フランスでは昨年の秋、夜間外出禁止令が出た。外国人差別からきた問題。ヨーロッパの排除は明らかな排除。日本はむしろ見て見ぬふりをするという排除。やや異なるが、新しい人権問題は排除と孤立がある。
 
【日本のホームレスの現状】
 ホームレスの人数の推移
 1999年3月16,000人、10月2万人、2002年には24,000人、2003年25,000人という結果がある。ホームレスの調査は難しく、実際には3万人はいたと思う。以前は都市部に限られたが、今では全国に分散化し、全都道府県に拡散している。
 都市部では、大阪市6,600人、東京23区5,900人、名古屋1,800人、川崎800人、横浜500人 。大阪市が最多である。
 かつて日本の4大寄せ場と呼ばれた地域がある。東京の山谷、大阪の釜ケ崎、横浜の寿町、名古屋の笹島。これらは、建築土木の日雇い労働者を集めたところ。これがホームレスの土壌である。
 
【ホームレスの背景】
 産業構造の変化による。ホームレスは、弥生時代のムラの時代から常に存在した。浮浪者、ルンペンなど呼び方はいろいろだが、常に存在した。しかし、現代のホームレスは根本的に違う。景気がよくなったとしても解消することはない。特別な施策を講じない限りなくならない。なぜなら経済構造の変化のためである。
 1960年〜70年代の高度経済成長期は地方から都会に多く人が集まった。しかし、今は土木建築は衰退した。公共事業から情報化社会へと変化した。仕事がない。ホームレスにならざるを得なかった。また、かつては住み込みの仕事が数多くあった。新聞配達などその典型だ。今は住み込み制度そのものがなくなった。
 日本のホームレスの一つの特色は高齢化で、平均56,7歳だ。これでは働き口がなく、景気がよくなってもなくならない。
 背景の二つ目は、地域とのつながりが薄くなったことである。大宝律令にすら、人簿とは助け合えと書いてあり、日本ではそうしてきた。しかし、今ではすっかり薄れてしまった 
 三つ目が家族の変化である。昔は大家族で、たいてい居候がいた。今は、大家族がない。ホームレスで家族とのつながりがない人が76.9%にもなる。
 この3つがホームレス出現の背景である。
 直接的な原因は、失業、サラ金、ギャンブル、アル中、精神障害、離婚、がある。外国もホームレスが存在するが、背景は同じようなものだ。
 
地域社会からの排除
 ホームレスは地域社会から嫌われ者になっている。以前は、「好きでやっている」と冷たく見る人が多かった。ホームレスの3類型がある。
 第一 6〜7割は仕事をしたいが仕事がない。本当は自立をしたい。好きでやっているのではない。以前息子が調査したら、実際にみんな気持ちよくインタビューに応じてくれた。
 第二 高齢者・精神障害である。本来適切な病院や施設にはいるべき人たちで、1〜2割いる。  
 残りの自主的にやっている人は1割。サラ金から逃れた人が多い。
 
【政府の対策
 従来政府は、ホームレスは地方自治体の責任だといっていた。小渕総理がH11年2月に大阪市の磯村市長の陳情を受けて動き出した。ただ、磯村市長の「よそから大阪へ来ているから 」というのは疑問だが…
 それによりホームレス対策協議会がつくられた。その時、私が副委員長をやっていた。
 政府は、自立支援センター をつくった。3〜6ケ月、健康チェックし、ハローワークでの斡旋を行った。予想は6割が自立できるだったが、やってみると予想通りだった。
 しかし、4割弱は再びホームレスに戻った。病気、アル中、精神的な問題が原因である。ホームレスの3累計の構成とほぼ符合する。
 
【欧米の状況】
 アメリカは最大のホームレス数。1990年当時で46万人いた。ただ、日本とはホームレスの定義が違う。欧米では「夜に定まった住居のない人」を指し、慈善団体のシェルターに入っている人や親戚の家を転々とする人、簡易宿泊所の人も含む。従って数が増える。
 日本は野外生活者をカウントする。英語で言うと、rough sleeper。
 日本との違いは日本は女性が3%なのに対して、アメリカでは1/4を占めること。これはDVの被害者が多い。また、黒人が40%、ヒスパニック11%、インディアン8%。また、日本のホームレスは高齢化しているのに対して、アメリカは若者が多い。
アル中や精神病、薬物中毒の人間が多い。半数は薬物中毒だ。
 1987年 マッキーニ法 ホームレス対策の法律が作られた。
 ※ マッキーニ法を始め、諸外国の対応は次のサイトが詳しい。
  第1章 野宿生活者の現状と対応状況 http://www.npokama.org/syurou/honpen/hon1.htm 
  第3回 ホームレスの自立支援方策に関する研究会(議事要旨)               http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s9909/s0922-2_16.html 
 イギリスでは、定義が違うが、ホームレスは最盛期には15万世帯(24万人)いた。現在は9万世帯に減った。しかし、日本の定義に当てはまるホームレスはわずか500人。なぜ少ないか?ブレア政権が社会的排除対策室をつくっている。政府全体に命令できる。対象はホームレス、外国人、若者の失業者(ニート)、若者の薬物中毒者である。余談だが、ニートはブレア政権がつくった英語である。
 フランスは外国人排斥運動が多くホームレス排斥も多い。ホームレスには失業者、薬物中毒も多い。そこで、1998年 社会的排除防止法を作った。ソーシャルインクルージョンの理念である。
 EU全体では、2000年 社会的排除対策のための国内計画の策定を義務づけ、2010年までに解決を義務づけている。
 
【ソーシャル・インクルージョンを具体化するCANの手法
 CANとは、「コミュイニティ アクション ネットワーク」のことだ。
 CANは、ロンドン東部のスラム街の再開発をした。CANは福祉を事業としてやる。
お金は区から取ってくる。労働者は失業者を雇う。カフェもやるが、その従業員も失業者。バレー教室を開くが、教師に元バレリーナの失業者を活用した。福祉を事業ととらえたために、建て直しに成功し、社会的企業となった。
 CANはあくまでニーズ本位であり、またあらゆるものを活用し、いろんな所かお金を取ってくる。重要なのは、住民参加で、排除されそうな人を雇うことだろう。
 
【あいりん地区(釜ケ崎)でのまちづくり】
 H14年5月10人に集まってもらった。オープンな運営を心がけ、輪が広がり、ボランティアも増えた。
 やるべきことは明白で、「住まいづくり」「仕事づくり」だった。
 仕事は、環境産業、公園の指定管理者になった。古着のリサイクルも始めた。
          
【ソーシャル・インクルージョンの理念実現のための社会福祉のあり方】
 ソーシャル・インクルージョンとは、社会から排除、疎外されてきた弱者や少数者を社会を構成する一員として迎え、多様な価値が認められる、豊かな社会を構築しようという動きである。
 これまでの福祉は、貧困と病気を扱ってきたが、今後は排除と孤立も重要である。ノーマライゼーションと方向は同じだが、違いは、マイナスをプラスにかえること。一つの面の中で対応すること。住民の参加が必要だ。  
 従来の領域では限界がある。これまでの社会福祉は「お金を出す、サービスをする」ことだ。新しい社会福祉は、「仕事、教育、住まい、環境、生活の創造」である。
 なかでも仕事。人とのつながりができるのが仕事。ソーシャル・インクルージョンは仕事が重要。雇用も授産施設も重要だが、この二つだけでは不十分。それがソーシャルファーム。
 ※ 「ソーシャルファームと障害者の雇用- 英国の経験」
                 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20050116/kouen1.html 
 ソーシャルファームとは ビジネス的手法で仕事をつくっていこうというもので、イタリアのトリノで始まる。今ではヨーロッパ全体に1万社ある。
 仕事;リサイクル、有機農法、サービス業など    
 北海道でソーシャルファームの研究会を開いている。帯広でも共同学社をやっている。もう、すでに日本にもある。ヤマト福祉財団もそう。
 ※ ヤマト福祉財団 http://www.yamato-fukushi.jp/   
 仕事がホームレス対策の決め手である。
 
☆★☆ 感  想 ☆★☆
 人権はモラルではなく法である。従っていじめは犯罪である。日本人はこの認識が甘く、法整備も遅れている。当然といえば当然であるが、認識を新たにした。
 ホームレスに対する自分の見方は誤っていた。ホームレスは、産業構造の変化によって生まれた必然であることをまず理解しなければならない。産業構造の変化はイギリスでもあったであろうが、イギリスのホームレスは500人、日本が2万〜3万人というのは、やはり何かが必要だ。 
 それにしても講師がすばらしい。人として尊敬出来る。
 
 
班別意見交換(13:45〜15:25)
 グループ別に別れて意見交換を行った。これまでの実践例を紹介しあいながら、人権担当者としての日頃の悩みを共有し、解決策を話し合った。最後として、有意義な会となった。

☆★☆ 全体の感想 ☆★☆ 
 さすがに国レベルの研修会だけあり、どの講師の話もすばらしかった。知らない世界の話も数多く、自分自身が啓発された研修会であった。
 ただ、短期間に余りにも多くの情報を得たために、消化不良で、理解できていないことも多い。それぞれ、Web上に資料が公開されているため、そうした資料で肉付けしながら自分なりに理解し、咀嚼していきたい。
 おそらくこの研修には多くの費用がかかっているだろう。ここで学んだものはその成果を知らせる義務がある。自分なりの方法で伝えていきたい。