小牧市立応時中学校公開研究会 講演記録
平成18年11月18日
研究テーマ「確かな学力を培う学びの展開」−関わり合う学習を中心として−
講  師   東京大学大学院教授 佐藤 学 先生

この記録は、土井によるメモから作成したものです。従って、誤字脱字や主観的な解釈、誤解もあり得ます。文責はすべて土井にあり、学校や講師には一切責任はありません。そのため、引用や転載はご遠慮ください。また、問題の箇所は修正しますのでお知らせください。                               
 教育をめぐる状況の変化が激しい。教育基本法単独採決には暗澹たる気持ちになる。今後、日本の教育がどう進むのか。騒がれているが、誰も教育に対して責任をとろうとしない。教育再生会議もそうだ。中曽根内閣時代の教育審議会は、設置から内容まで国会で諮られた。しかし、今回は何も手続きを踏んでいない。これを問題と決めつけて、教員を競争させようとしている。教育バウチャー制度もそうだ。国の税金を私立学校に流そうとしている。競争して淘汰され、公立学校の多くは私立になる。高齢化社会に移行する中、これでお金が浮く回せる。すべてが乱暴だ。

 私たちのスタンスとしてどう考えればよいのか。結論は、そういうものに惑わされないで粛々と続ける。消極的なようだが、その結果が今日の応時中学校の姿だ。
 全国の学校改革を行っている学校で共通したことが起こっている。希望はこの子どもたち、先生たち、学校にあると確信している。
 原則的なことを話す
 学びの共同体としての学校の21世紀のビジョン。ここでの学校の役割・教師の責任は何か?優れた授業ではない。
 
 一人残らず学ぶ権利を保障し、高いレベルに挑戦できる機会を保障する。
 
 口で言うのは簡単だが実現は難しい。日本の教師のレベルは世界でもトップ3、潜在的な能力を持っている。それなのになぜ果たせていないか。しかし、現在、特に中学校では夜遅く、土日もがんばっている。
 先生の給料はかつては2割増、今は文科省の試算で4%、財務省で3%しか一般より多くない。ただし、一般職は超過勤務手当が入っていない。10数年前までは、日本の先生の給料は世界一だったが、今は時間給にすると最低だ。それなのにがんばっている。
 指導力が落ちていると何を根拠に言っているのか。この前に、経済同友会で講演を頼まれて行ってきた。向こうは、教育基本法反対を言ってほしかった。中国市場を失うからだ。危機感があった。
 そこでは、いじは問題ではないといった。いじめが原因なのは自殺の1%にすぎない。
違う。メディアのでっちあげだ。不適格教員の問題か?不的確教員は最大で500人、もっとひろげても千はいかない。70万人いる全国の教員の中の0.1%以下だ。学校の質は極めて高い。少々問題はあるが…。
 私の関わっている学校で、不適格の烙印を押された先生を引き受けている。どんな教師でもいい教育をしたいと思っている。中にはいる。つい体罰をする。でも日本の学校はすごい力をもっている。もっと誇るべきことだ。企業が学校経営から学ぶことだと思う。日本はまだトップレベルを維持している。ということを言うと痛快でしょう。
 今の行政は数値目標。確かに有効。むちゃくちゃ破壊された組織には有効だが、機能しているところには弊害が多い。東大の数値目標はは女性教員と外国人教員の比率だけ。後は作らない、堕落するから。数値目標によって解決した学校には出会わない。
 アメリカやアジアの学校にも行く。そこにはあったし、そういう状況だったが、日本には数値目標が必要な学校はない。日本は、かしこくやればよい。それが、「粛々」である。
 
 一人残らず学ぶ権利を保障し、高いレベルに挑戦できる機会を保障する。これは、まだまだ実現していない。これほどの努力しても、学校外で4割が本を読む時間がゼロ。
 荒れている学校、いろんな高校、数多く事例を見てきたが、学び続けている限り子どもは崩れない。学びに希望を失った子は簡単に崩れる。学んでいれば、周りが崩れようが、崩れない。失敗しても崩れない。崩れると、憎悪で結ばれる。
 グループ学習は仲良しでくむと学びが起こらない。それは憎悪で結ばれているから、学ぼうとしない。初めは中学校では失敗した。しかし、今は平気だ。一つのシステムがわかったから、持続できる、そのシステムは3段階ある。
 第一段階は、どの子にも対応できる教師、どの教師にも対応できる子どもになること。
 後者ができないとすぐつぶれる。中学から高校へ行っても、転校してもすぐつぶれる。よい教師ばかりでもだめで、そこまで子どもを育てないと学び続ける子どもにならない。 同様に、どんな校長にも仕える教師。以前は校長が替わるとみんなつぶれた。最近はつぶれない。今言ったのは、学びの共同体は、一人残らず学ぶ権利を保障し、高いレベルに挑戦できる機会を保障する
 この威力はご存じの通り。
 ある荒れた学校からスタートした学校は、年間の窓ガラス代が300万円。聞き合う関係から始まり、学び合うようにしたら半年で変わった。どの先生も顔が朗らか、教えるこ とが楽しくなった。学校改革では、人、お金、時間が足らないと言うが違う。ビジョンが足らない。どんな学校をつくりたいか、それがビジョン。目に見える形、それが拠点校。
これがあれば、10年間で1割が動いている。学校改革は可能だ。
 「学びの共同体づくり」にはお金を使っていない。このまま行けば日本の教育は世界のトップレベルになる。基盤になる。粛々と進めるというつもりでやろう。
 
 二つ目に重要なことは、一人残らず先生方が専門家として成長できる学校、教師としての使命を受け止め、働きがいと、職業生活の幸福感を感じる学校だ。
 教師の仕事は、社会の責任で支えられている。少しでも、子どもの幸福を願ってと思っている。少しでも地域発展を願っている。そこが崩れると教師がつぶれてしまう。徒労に終わってしまう。
 教師は大変だ。まずは、学校自体が支え合う職場にしないと。今の教師は定年まで勤める人は4割しかいない。互いが、働きがい、幸福、同僚性が必要だ。あとは市民が参加できる学校。
 多くの学校では、親と教師の信頼が成立していない。それは、教育をサービスにした弊害だ。教育はサービスか?違う。サービスにすると、あって当たり前と思うから不満が出る。苦情を教育委員会に言いに行く。東京では、小学校が中学校みたいに夜遅くなっていく。なぜなら、苦情処理の書類を作っているから。学校選択制もサービスの発想から出ている。
 教育はサービスではなく、責任である。お互いに分かち合う。それでこそ前に行ける。
サービスにすると、子どもは前に行けない。
 
 三つ目は、協力が大切。 授業に沿って具体的に話したい。
 午前中の公開授業全体を通して、改革のファーストステージはクリアしたと感じた。どの子も学びに参加している。どのクラスでもそうだった。期待以上だった。
 この段階になると、まず不登校が減る。この学校でも、最大時の2割程度にまで減った。中学校では、まず不登校を出さないこと。問題行動も出さない。
 
 課題は、質の高い学びがまだできていないこと。低学年は、「きく、つなぐ、もどす」を始めた段階。ジャンプのある学びができない。中学校はここを早くやる必要がある。様々な問題があるから、子どもも先生も疲れているから、半年ぐらいでペースに乗せて、1年半でクリアしたい。
 校長先生と会って、「あっ、できる」と思った。これは経験。学校へ入り、臭いを嗅ぎ聞こえてくる音を聞くと、不登校の数が1割程度の誤差でわかる。
 次にやるべきこと。
 林先生の授業について触れたい。始めの時点で、価値があると感じた。学びは場と関係で起こる。今日はできていた。
 さらに言うと、中2。ここは2年生がいい。聞くところによると、2年生は小学校の時に学級崩壊を経験していない。女の子がいい。保健体育は女子ばかりのクラスだった。これはすごい学校だと思ったのは、女の子の仲がいいから。
 一般的に学校は男の子の処理に追われる。男の子は、喧噪の中に転落していく。うるさくなったら危ない。
 女の子は、沈黙の中に転落する。黙ってノートを取るようになったら危ない。これは、小5ぐらいから始まる。不安だから。それが高校になるとノートもとらない。そんな女の子は学校が大好き。ものすごく明るい。絶望した明るさ。学校しか居場所がないから。優しい、だけど学ばない。
 初めはまじめにノートを取る。女の子の関係が悪いと、非常に深く本人も傷つく。先生は、深入りしていはいけない。女の子が一度信頼すると、裏切られたと思った時に徹底的に嫌う。男の子と女の子の仲がいい状態をつくれば、いろんな問題を越える。励ましてくれる。
 中学生はさなぎのような時だと思う。幼虫がさなぎに入る、思春期はそんな時期。中では大きな変容が起こっている。その時に指一本触れると死んでしまう。触れてはいけない、でも守ってやらなければいけない
 よくできる子はリストカットをしている。学びをやめた子は明るくなり、軽蔑し合う。複雑な関係だ。
 そこで思うのは、よく考える女の子を、ややぬけた男の子が上手に支える。逆に幼稚な男の子をしっかりした女の子が支えている。そうやって育った子は、高校に行ったら強い。そこを見てほしい。
 ここの中2はいい。丁寧にやれば伸びる。
 林先生の授業から学ばなければならないのは、先生の言葉かけと立ち位置。林先生は無駄な言葉がない。立ち位置は絶妙。グループを入れたりすると、懸念するのがおしゃべり。
おしゃべりが出る教室は先生がおしゃべりだ。無駄なことを話さない。テストの話をするのが最低。生徒はテストがイヤなのだから、無神経だ。関係のない話だ。
 今日は、無駄がない。グループで話し合うまでに6分。簡潔にポイントをつかむ。そこで手こずってはだめ。もう少し簡単でもよかったくらいだ。
 下手な教師はどこまで持っていくかを考える。そのために子どもに無頓着。
 創造的な教師は、どこまで行くかは考えていない。始まりを大切にする。よい教師は始まりを大切にする。どんなにできない子でも、始まりは取り組んでいる。そこで簡潔に課題を出す。無駄な話をしたらもったいない。
 立ち位置について話したい。座って聞くときは、内容が高度の時。その時は目線が一緒か下。子どもがジャンプできない時も、座って聞くのもいい。子どもがつながらない時は立ち位置を変える。子どもの前に立ち体を向ける。子どもの前で教師の体をさらさないととつながらない。
 よく子どもが発言しているのに背中を見せて板書する人がいる。子どもと目を合わせない。あれは良くない。
 荒れていた時、教師は後ろで腕を組み目を合わせなかった。しかし、それはマナーの問題。発言しているときは、正面から聞いてあげる。目をそらすと子どもが不安になる。
 聞く時に、遠くの子から見回して最後にその子を見て、それ以後は目を離さない。逆にすると、目を離した時に切れてしまう。
 これを毎日していると、だんだん話が聞けるようになる。今日は、関係が切れないように、無意識にやっている。学びが成立している時には、教師は下手に入っていかない方がよい。話し合いが成立していないのなら入っていく。
 グループ学習は、言っていれば学びの強制である。参加せざるを得ない。4人でくっついているとつながる。だから4人がいい。5人以上だと離れる子が出る。
 4人ですぐに学びに入らないと傷つく。だから教師が早く入ってつないでやる。できない子ほど自分の努力でやろうとする。人から学ぼうとしない。聞かないので、教師が入ってやる。
 
 学び合いと教え合う関係は違う。
 「できた人、教えてあげて」これが教え合う関係。「わからない人、聞くんだよ。」これが学び合う関係。
 教え合う関係は、待つようになる。「なぜ来てくれないの」というように。自分で援助を求める子を育てなければならない。良い方法は、「写していいよ」ということ。心配する先生もいるかもしれないが、大丈夫。プライドがあるから、2回は写さない。
 わからないときには聞く。これが学び合いになる。
 
 今日の授業で驚いたのは2回目の話し合い。「大豆は大豆」というレベルだったのに、
全体では深まる意見が出た。グループ活動はどこで入れるか、どこで終わるかが大事。学びが成立している間は続ける。それは夢中になっている時。今日の判断は的確だった。
 話が戻ってしまった。対応の仕方を学ばなければいけない。
 「聞く」、は3つできく。
 1 題材とどこで結びついているのか、どの部分を言いたいのか、それを文書、資料、  素材と結んで聞く
 2 他のどの子の意見とつながっているかを聞く。
 3 前の発言とつながっているかを聞く。
 これは聞き方の訓練。こうするとものが見えるようになる。そう聞いている先生と、そう聞いていない先生はすぐにわかる。
 聞いている先生は反応が遅いから。反応の早い先生は、その子の意見しか聞いていない。こういう聞き方ができないと、聞き合う子どもたちができない。今日は、「だれだれと似ているんだけど…」と、つながっていた。
 
 子どもと子どもとつなぐ。今日は、課題が困難なので、先生は発言はリボイスした。そうしてつなごうとした。だいたいわかるようになったら、途中から子どもにリボイスさせた。「今、中村君が言ったことはどんなこと?」あれぐらい織り込めばつながるようになる。「大豆が大豆」と言うでも、つなぎができているから、何とかなるという見通しが先生にはあった。そして、子どもとテキストをつなぐ。
 
 全体について2つ求めたい。
 一つは、低学力のこの大幅な底上げ、ジャンプのある学び、質のある学び。
 この学校は、潜在的に力があるのですごい学校になる。粛々と取り組んでいただきたい。
 まじめ、努力、反省すると学ばない。
 まじめがいけないのは、夢中にならないから。
 努力がいけないのは工夫しないから、挑戦しないから。努力した時点でやった気になってしまうから。
 反省は逃げだ。もっともがく必要がある。研究会もまとめない方がよい。 
 学びには、曖昧さに耐える強い意志が必要。その方が、いろんな角度から考える。
 
 グループ活動を入れるのは
1 ジャンプする学び。どんなに優れた教師でも、一斉授業ではすべての子に学ばせるのは不可能。1/3は聞いていない。すべてに参加させるためにグループにする。4人ならできなくても学ぶ。4人グループは男女混合にするべき。男ばかりだととんでしまう。女ばかりだと堂々巡り。学びのジャンプの条件は、隣と机を離さないといけない。
 
 もう一つ、個人作業の共同化。中学校は始めの方でプリント作業が多い。あれをグループでやればよい。グループの目的は話し合いではない。学びだ。意見が活発なところが学ぶとは限らない。
 話し合いが目的なら、個人で考えた方がよいが、学びが目的なら、個人作業を初めに長くやるともったいない。
 できる子には、できたことを話すことができる、教えることができるようにする。
 できない子には、じっとしているだけでなくどんどん聞かせればよい。漢字まで聞く子がいるが、それが重要。 
 低学力の子を教師が高めるのは無理。学び合いで伸びる。
 低学力の子は積み上げで分かっていくのではない。どかんと急にわかるようになる。部分的に分かっていることが、突然つながるから。
 これは一人ではできない。「どんどん聞いていいよ、写していいよ」これをみんなでやれば、1年ぐらいで底上げできる。     
 すべての子が百点は間違いだ。正規分布の中心軸を右にずらすこと、そして分布の幅を減らすこと。下が右に移ることだ。
 こうすると、できる子たちがグンと伸びるようになる。するとまた底上げ、またできる子が伸びる、その繰り返し。
 個人作業の共同化が大切。
 構造がシンプルだと子どもに対応できる。構造が複雑だと浅い。個人作業の段階でグループを入れるとはっきりしやすい。
 
 2つ目の課題、ジャンプのある学びをどう作るか。
 教えている内容がやさしすぎる。夢中にならない。学びをなめるようになる。教師をなめるようになる。ジャンプを目指すなら、課題を難しくした方がよい。
 4人でやるとよくわかる。
 ある授業で、興福寺で五重塔をバックに撮った記念写真を使った授業があった。カメラの高さいくつ、距離はいくつ、では五重塔の高さはいくつ?という問題だった。問題が複合されていて、本当に面白い。
 これに比べて、今日の英語は優しすぎる。より高い課題を設定しながら挑戦する。
 この思春期の時期の能力はすごい。夢中になれるのはこの時期。
 
 テストの文化はアメリカと日本だけだ。ヨーロッパはレポート中心である。テストも重要だけど入り込みすぎといけない。学力形成はテストねらいで失敗する。どうか、がんばらないでやってほしい。 

《 参 考 》
 応時中に来て6回指導いただいた富士市立岳陽中学校 前校長 佐藤 雅彰氏の講演
     http://www.tcn.zaq.ne.jp/akahj701/school/manabi/sato-masaaki.htm      
 東京大学大学院 佐藤 学 氏の助言と講演集   
http://www.tcn.zaq.ne.jp/akahj701/school/manabi/manabi-top.htm