平成17年度 道徳教育を推進するための中核となる指導者の養成を目的とした研修
(ブロック別指導者研修)(東海・北陸ブロック)
          記録 尾張教育事務所指導第三課 指導主事  高 田 和 明

あいさつ 『道徳教育ブロック研修について』
       独立行政法人 教員研修センター 総務部長   清 水 勇 行

 
○ 昨年度までは中央での研修2回4日間、各都道府県ごとであったが、本年度からは中央での研修1回、各ブロックごとの研修となる。
○ よりよい生き方を実践する人間の育成をめざし、その基盤となる道徳性を養う教育活動=道徳教育
○ 道徳・規範意識・社会性というものは子どもたちの自発的に任せるだけでは育たない。ここに大人が育てていく役目を担っていく。昨今、いじめや不登校の問題、本来での社会体験の不足など豊かな人間性を育むべき様々な課題に対応していく。治安の悪化などに見られる社会全体においても物事の是非や善悪の判断などの規範意識や社会性が欠落している。このことから命を大切にする、他者を思いやる気持ち、そうした心を育むことが大切。子どもたちの道徳性を育む。
○ 教育活動全体や道徳の時間において児童生徒がいっそう魅力を感じるようさらなる工夫・改善を加えることが必要。高等学校においては、人間としての在り方・生き方に関する研究に焦点をあてた実践が求められている。

行政説明 『道徳教育推進のための施策等について』
        文部科学省初等中等教育局教育課程課第一係長  本 田 史 子

 
● 中央教育審議会の動向について
 ○ 中山文部科学大臣あいさつより『私は、知識や技能を詰め込むのではなく、基本的な知識や技能をしっかりと身に付けさせ、それを活用しながら自ら学び自ら考える力などの「生きる力」をはぐくむという現行の学習指導要領の理念や目標に誤りはないと考えています。』
 ○ ねらいが十分達成されているか必要な手だてが十分講じられているか、ここに課題がある。
  −学習指導要領の見直しに当たっての検討課題−平成17年2月15日
                        中央教育審議会総会(第47回)配布資料
  1 「人間力」向上のための教育内容の改善充実
   @社会の形成者としての資質の育成
A豊かな人間性と感性の育成
B健やかな体の育成
C国語力の育成
D理数教育の改善充実
E外国語教育の改善充実
2 学習内容の定着を目指す学習指導要領の枠組みの改善
 @各教科等の到達目標の明確化
 A国民として共通に必要な学習内容の示し方
 B授業時数等の見直し
  3 学ぶ意欲を高め、理解を深める授業の実現など指導上の留意点
@個性や才能を伸ばす教育の推進
A補充的な指導の必要な児童生徒への教育の在り方
B教科書、指導方法等の改善
  4 地域や学校の特色を生かす教育の推進
   @地域や学校の特色を生かす教育の推進
A学校と家庭、地域社会との関係の在り方
 
 ○ 中央教育審議会の初等中等教育に関する検討体制
   総会−初等中等教育分科会−教育課程部会−豊かな心をはぐくむ教育の在り方に関する専門部会 ※道徳・特別活動審議
                 義務教育特別部会と相互連携
 ○ 専門部会での総論的意見
  ・豊かな心と確かな学力は二項対立的なものではない。確かな学力の中心になるしなやかな心の力を育てることが必要。
・まずは、自尊感情をもって自分を大切にする。次に、社会の中で助け合って生きることを身に付けさせる。自助、共助、そして、充実した人生という順序立てが必要。
  ・他の人とのかかわりに関すること 自尊感情は、家庭や社会との関係性の中で育まれる。社会との接点を意図的に作ることが必要。
  ・自然や崇高なものとのかかわりに関すること 生命に対して、実感をもって理解できない子どもがいる。どうやって生命を実感させるか。外部講師を活用するなどにより、授業を工夫することは可能である。
● 道徳教育推進状況調査について
 ○ 道徳の時間の授業時数 小学校 35.3単位時間 中学校 33.6単位時間  と前回調査より増加。しかし、一部には依然として確保されていない状況がある。
 ○ 道徳の時間を「楽しい」あるいは「ためになる」と感じている児童生徒が「ほぼ全員」又は「3分の2くらい」いると考えられる学校の割合、前回に比べて増加。
  とくに中学校第3学年では10.9ポイント増加。
 ○ 道徳の時間の指導を一層充実させるために各教師に求められることは、「児童生徒の悩みや心の揺れ等を含め考えていることの的確な把握や理解」「教材の分析、魅力ある教材の選定及び開発・活用等の工夫」「体験活動を生かす工夫」「児童生徒が自らの成長を実感し、課題や目標を見いだせるようにする支援」。 
 ○ 平成16年度における児童生徒の問題行動等の状況については、暴力行為の発生件数(公立の小・中・高等学校)学校内30,022件 4.0%減 学校外4,000件 2.8%  減 いじめの発生件数(公立の小・中・高等学校及び特殊教育諸学校)21,671件  7.2%減 不登校児童生徒数(国公私立の小・中学校)123,317人 2.3%減 全体的に減少。ただし、小学校の暴力行為が1,890件[前年度1,600件]と増加、高等学校のいじめが2,121件[前年度2,070件]と増加。不登校児童生徒については依然12万人いる。
● 新・児童生徒の問題行動対策重点プログラム(中間まとめ)より
 ○ 文部科学省は当面の対応として、@生徒指導体制の整備、A情報社会の中での有害情報対策、B社会性を育む教育の充実及びC家庭教育の一層の充実を柱とする諸施策を取りまとめた。
  1 学校で安心して学習できる環境作りの一層の推進(特に、生徒指導の組織体制の整備・関係機関との連携の強化等について)では、教育相談体制の充実を図る。  2 情報社会の中でのモラルやマナーについての指導の在り方等の確立(特に、有害環境対策等の推進について)では、学校等における情報モラルやマナーに関する教育の推進方策が必要と考え、これらの学校・地域等の取り組みを支援するための手だてを講じる。
  3 命を大切にする教育等の充実(特に、社会性を育む教育等の充実について)では、学校とともに地域の関係者等の支援を得ながら、社会性や対人関係能力を育むための教育の推進が重要であると考え、@社会性を育む体験活動の充実A伝え合う力と望ましい人間関係作りのための指導の推進B命を大切にする心を育む教育の推進という対応策を重点的に実施する。
  4 家庭教育への一層の支援の充実では、各家庭において基本的生活習慣の確立等をはじめ家庭におけるしつけや基本的マナーの育成などを徹底することが重要であり、これらの各家庭の取り組みを支援するため、家庭教育への情報提供の一層の充実を図る。
  関係省庁や関係機関等とも連携・協力するとともに、有識者等からの意見を聴取するなどして、学校、家庭又は社会等の各関係者がさらに取り組むべき対策を検討していく。
● 道徳教育関係施策(平成18年度概算要求)については、
  平成18年度要求額 618,178千円。
 @児童生徒の心に響く道徳教育推進事業
  学校教育全体の中で自他の生命のかけがえのなさ等を積極的に取り上げ、命を大切にする心などを育むための指導方法、教材開発等について実践研究を行い、その成果の普及を図る。
 A伝え合う力を養う調査研究
  児童生徒が互いの考えや気持ちを伝え合う力を高め、生活上の問題を言葉で解決する力を育てるとともに、相互理解や望ましい人間関係づくりを進めるためのカリキュラム等の在り方について、実践調査研究を行う。
 B豊かな心を育てる地域推進事業(新規)
  全国のモデルとなる子どもたちの豊かな心を育てる幅広い教育活動を展開し、その成果を普及する。
 ○道徳の内容をわかりやすく表した「心のノート」を作成

課題協議1 『道徳教育の現状と課題』
        文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 永 田 繁 雄

 
● 道徳教育は子どもたちの稲を育てるようなものだ。子どもたちが自分で育てる。根っこは上から出ている長さの2倍・3倍あります。その根っこの力を育てるのが、いわば心の力を育てる道徳教育なんだと感じている。キーワードにしているのは、「道徳教育はスローフード」子どもが自分で自分の心を耕す。教師はそのためのしっかりとした応援をする。それが道徳教育。ファーストフードで身に付く、たとえばゲームをやったり、あるいはしっかり教え込んで身につける部分も一部はあるけれども、子どもが自分の生き方として生み出していく、その支援が道徳教育。
  ファーストの根をさぐればすべてスロー。子どもたちをすぐに変えようとするな押しつけ的な教育が席巻してしまう不安があります。道徳教育は腰を据えなくてはいけません。
● 新・児童生徒の問題行動対策重点プログラム(中間のまとめ)1 最近の児童生徒による重大な問題行動の概要(報道による情報を含む)を読む。山口県立光高等学校 爆発物傷害事件で加害生徒は無遅刻・無欠席であり、真面目でおとなしい生徒だった。
 東京都板橋区管理人夫婦殺害事件で加害生徒は、真面目でおとなしく口数の少ない生徒、福岡件福岡市高等専修学校生包丁刺殺事件での加害生徒は、言葉遣いが丁寧でき ちんと挨拶のできる、真面目で友人関係上も特段の問題がない生徒であった。……読 売新聞6月25日『真面目との落差』を読んだとき、ちょっと胸が痛くなった。真面目であったことが引き金になっているとしたら、もしそれだけで考えるとした大きな間 違いである。子どもたちが真剣に真面目に取り組むことは悪いことなのか?そうじゃない。……『まじめの崩壊』千石 保 著の引用。 一所懸命自己実現に取り組む「巨人の星」が「キン肉マン」に変わった。「真面目に」という言葉が「まじ」という言葉で代用されたり、「きまじめ」「くそまじめ」、つまり真面目が否定的になる。子どもたちのいわば前向きな生き方が否定的にとらえられ、自分たちで自分たちのムードをつくってしまう恐れがある。正確な調査はないが、真面目を肯定的にとらえる割合が、小・中・高で7:5:3と低くなっていくですから、小学校 高学年「心のノート」には「まじめであることは、わたしのほこり」というページがある。私たち教師が、それを一番応援することができる。とくに道徳教育は前向きな心の力を育てしなやかな心を育てるから後ろ向きにならない。まず、ここをポイントに考えてみたい。
● 新聞記事『小学校の校内暴力最悪 対教師32%増』さらに『もがく先生』『毎日が騒乱』(毎日新聞)引用。確かに前よりも深刻になってきているのは事実。そしてこのように警鐘を発して、早い時期から手を打っていく。道徳教育は先手の教育ですから、子どもたちの感動とか心を作っていくことでこのような問題が起こらないようにしていくのが、基本的なスタンス。
● 子どもたちの心の成長と二極化(!)の問題。
○ 『「自分嫌い」な子供たち』(産経新聞 平成17年7月18日)引用。中学2年生では、自分のことが嫌い63%となっている。自分の居場所がない。友達が嫌いでなく自分が嫌い。そんな傾向がある。もうひとつは子どものなかに自分の好きなものが描けないという問題がある。集団の中での居場所づくりともう一つは自分の好きなものを増やしていくことが重要なきっかけであり、道徳教育にかかわる。
○ 『学習時間の二極化進む』(日経新聞 平成17年6月10日)引用。小学校4年から高校生まで家でほとんど勉強しない、という割合が3倍・4倍と増えているのに家で2時間以上勉強する子どもも2倍・3倍と増えている。実際に、私の所属する国研でも教育課程実施状況調査、いわば学力到達度調査をしているが、中学生数学でも二山でるものがある。かなりの学力が身に付いている子どもとそうでない子どもと二山になりかけている。
○ 体力が1980年頃から下がりはじめ、90年から急激に下がり、今また小学校低学年が深刻な数値となっている。体力は落ちるのに栄養が行き渡り体が大きくなり重くなる、体がコントロールできなくなる先に心がコントロールできなくなる。キレる・むかつく現象は起こりうるべくして起こってしまう。
 子どもたちの体力は20年前の体力に比べると10分の1に落ちている。150m10周で1500m、大方の世代が20年前ゴールしたときには1周遅れる。
 
● 子どもの 心と体の力 が弱くなっている?
 ○ 継続する力=「手間」
  ・今は、コンビニ社会。1997年と1981年の子どもたちの絵を比較してみると絵を描く時間が速くなっている。じっくり腰を据えて手間をかけることを忘れている。手間とは体験。体験豊かな子どもは道徳性が高い。道徳性が高い子どもが学力が高い。ひとつの関連性がある
 ○ 想像し共感する力=「恥」
  ・「恥」をイメージをするならば「耳」に「心」。つまり相手の思いを感じ取る。相手の思いに立って共感する。想像する。「聴く」は「心」にまっすぐ「耳」を傾ける。子どもたちだけでなく、私たち大人が子どもの思いにたてるかどうかが道徳教育には大切
 ○ 自分らしさを描く力=「志」
・「志」という字は、ただの「心」に「士」。「士」は歩いている人、あるいは立っている人。その言葉から連想できるように、「志」は前向きな心。ただの「心」ではなく心に力がある。子どもたちが夢を持ち、力が入る「志」にまで、子どもたちの心を揺さぶってやりたい。
 ○ 子どもたちの心は「手間」「恥」「志」といった面で二極化している。その結果、学力不安を起こしている。OECD・PISAの「読解力」問題 落書き(高校2年生)の問2「ソフィアが広告を引き合いに出している理由は何ですか」を引用。あなたの言葉で書いてください。これが読解力。自分の言葉、自分の意見を持ちなさい。
読み取って自分の生き方に還元できる考えを生み出しなさい。ところが書けない。
意見を持たない。意思表示、あるいは相手の思いに立って自己表現すること、これがなければ自己実現に向かえない。ここに大きな課題があると感じざるを得ない。
● 道徳教育を考えるときに大切にしたい方向
 ○ 「確かな学力」も心の力が支えている。「豊かな自己イメージ、プラス志向」自分が好きなもの、やりたいもの、得意なこと、あるいは自分がまだできていなくて課題としているもの、つまり「志」そしてもう一つは「学び合い、分かち合い」相手の思いに立つということ。これはコミュニケーションといったらよいのか「合い」がある。 アメリカのキャサリン・ルイス氏が、なぜ日本の学力が高いのかを調べた結論は、学び合いの風土、教室に生活があるということ。海外はジプシー生活、教室移動が一日中行われますが、日本はクラスがしっかりしている。だから朝の会もやるし帰りの会もやるし、給食当番・清掃当番など目標がたくさんある。そのような学級風土をもっている国はほかにほとんどない。子どもたちの心の居場所から始まる、いわば「合い」の文化がある。『国語教育者 故大村はまさん最後の詩』(読売新聞 平成17年5月6日)を紹介する。
 
   優劣のかなたに
 
   優か劣か              ほんとうに 持っているもの
   そんなことが話題になる、      授かっているものを出し切って、
   そんなすきまのない         打ち込んで学ぶ。
   つきつめた姿。           優劣を論じあい
   持てるものを            気にしあう世界ではない、
   持たせられたものを         優劣を忘れて
出し切り              ひたすらな心で ひたすらに励む。
生かし切っている、 
   そんな姿こそ。           今は できるできないを
                     気にしすぎて、
   優か劣か、             持っているものが
   自分はいわゆるできる子なのか    出し切れていないのではないか。
   できない子なのか、         授かっているものが
そんなことを            生かし切れていないのではないか。
   教師も子どもも
   しばし忘れて、           成績をつけなければ、
   学びひたり             合格者をきめなければ、
教えひたっている、         それはそうだとしても、
   そんな世界を            それだけの世界。
   見つめてきた。           教師も子どもも
                     優劣のなかで
   学びひたり             あえいでいる。
   教えひたる、
   それは優劣のかなた。        学びひたり
                     教えひたろう
                     優劣のかなたで。
 
 ○ 三重構造になっていることを
  見失ってはいけない。道徳の時間だけで道徳教育をやっているわけでは決してない。
 ときどき、「心の教育」という言葉を「道徳教育」ではなく前面に出すマイナス事例がある。
  心の教育 豊かな心を育てる



 
 道徳教育 道徳性を育てる


 

 
道徳の時間 内面的な力としての
       道徳的実践力を育てる

 
 
 
  「道徳教育」という言葉を使うと教師全員が共通理解できない。その言葉は使いたくない。……道徳教育をやるんだったら、つまり子どもたちの生き方教育を考えるんだったら「道徳教育」という言葉を使おう。
○ 道徳教育は、主にもっとできると思う自分にかかる。これでよいと感じる、いわわば今の心の安定を作る教育(主に「心の教育」)と、もっとできると思う自分、前向きな心を育てる教育(主に「道徳教育」)は重なってはいるけれどイコールではない。『ほめるな』伊藤 進 著 を紹介する。逆上がりができた。「よくできたね」「えらいね」「すごいぞ」とほめたら、これでいいとなってしまう。しかし、そこにとどまらない。ほめた次を考えろ。ほめることは、これでよいと感じる自分を作る。だけど、逆上がりができて、それでおしまいというよりも、「空中逆上がりをできるようにする」「連続逆上がりも先生やってみよう」「よし、頑張ってみよう」ということ。つまり不十分な自分を感じさせる。それは、前向きな課題を生む。しかし、ここで気をつけなければならないことは、「連続逆上がりもやってごらんよ」とけしかけることではなく、子どもが言ったら「なるほど」と言えるようにしていく。よく決意表明をさせるなという言い方をします。道徳の時間で「これからどうしたいか言ってごらん。」「このあとどうしたいか言ってごらん」は決意表明であって、道徳の時間で、子どもたちがこれからこうしたいと自分からいうのは違う。
● 心の教育、道徳教育充実の方向と重なる様々な教育の課題(例)
 (1) 体力向上と食育の充実への取組
 (2) キャリア教育の一層の推進
・ 最近は小学校でも大事な視点。高校でキャリアガイダンス。中学校で職場就労体験、いわば進路指導的なもの。それにつながる小学校段階では、自分らしさをどう形成していくかにかかわっていく。東京大学 源田教授は、学生の聴く姿勢を感じないと言う。「のけぞって聞くな、前のめりに聞け。」という。「相手の目を見て聞け。それがコミュニケーションだ。」という。企業は採用するとき何を基準とするか。第1位は学力ではない。一定量あれば考慮しない。第1位コミュニケーション、第2位がチャレンジ精神。これが弱くなっているのがニート問題。……中教審で重要なキーワードにしていることは、「学ぶこと」「働くこと」「生きること」。まさに道徳教育。学びから逃げれば働くことから逃げる。自分の生きることにイメージが描けない。キャリア教育は道徳教育と重なる重要な課題である。 
 (3) 特別支援教育のこれからの方向
・ ノーマライゼーション、インクルージョン。障害のある人もない人もお互いに巻き込まれている。包含関係。包摂されている。これは、一番理想的な言い方としては障害者・健常者という言葉がなくなっていくこと。だれもがともに生きられて、社会につながる学校を作っていく。したがって、特別支援教育は学校段階、小さな社会で求められるものがある。実際に道徳教育の題材に星野さんや乙武さん、耳が不自由な人の題材とか、目の不自由な人の題材とかいろいろでてくる。星野さんや乙武さんのように自己実現していく人の題材のときに、障害のある人も頑張ればこうなれるんだよねという一面的な理解を子どもたちに自然に持たせていないかどうかも大事な視点である。 
 (4) 奉仕活動・体験活動等の充実
 (5) 人権教育の指導方法等の充実
 (6) 上記の他の様々な取組(例)
   ・ 学校における読書活動の推進
・ 子どもの居場所づくり
・ 不登校の増加の実態への対応 
● 「心の力」をはぐくむ「学習」としての道徳の時間の特質を考える
 ○ 道徳の時間が特設されて47年。参考資料『教科等の好き嫌い「とても好き」「ま  あ好き」の合計)』から、
      小4生 58.4% 小5生 49.3% 小6生 42.8% 
      中1生 40.3% 中2生 39.2% 中3生 37.2%
 このグラフをみてドキッとするのは道徳は低空飛行。なんで子どもたちにとって、好きになれないのか。とくに小学校6年生。一番嫌い。この最大の理由はなんなのか。道徳の時間がほかの時間に転用されているからではないのか。今週は修学旅行がある。じゃ、グループを決めてごらん。これは信頼・友情? あるいは今朝ボールがなくなった。ちょうど4時間目が道徳だ。さあ、みんな正直に言いなさい。……それともう一つは、小学校段階で低学年から同じやり方をしていないか。子どもたちが「いつも…」「どうせ…」「やっぱり…」とつぶやいていないか。いつも先生がやる。どうせ気持ちばっかり聞くんでしょう。共感的追求だから必要なんだけれども。やっぱり、そうだよね。思ったとおり。意外性も子どもの心のゆさぶりもない。そういうことになっていないかどうか。
 ○ 道徳の時間は、教師が最も「○○しく」なる時間。「厳しく」なる時間。「苦しく」なる時間。「優しく」なる時間。道徳の時間をいい意味で体質改善していく必要がある。道徳は、これでなくちゃ駄目というタブーが多すぎないかどうか。まず、本質といったときには道徳の時間らしさを生かして授業に「楽しさ」と「面白さ」を作る。道徳の時間は、共によりよくなりたいという「心の力」を引き出す時間。これは、いわば本質的なもの。内面的な力を育てる。「心の力」は根っこ。見えないところの力は数値的に評価しない。掘り出さないとわからないようなものを評価できない。じゃあ、どうするか。葉っぱと上にでているもので評価するしかないけれど、しかしこれも慎重にならなければならない。根っこが深いからといって葉っぱがたくさんできない。ストレスがある地べたの植物は風雪に耐えるから、葉っぱとか少ない。だけど、根っこは深い。2・3倍深い。それが、スローフード。じっくり根を張る。一朝一夕に評価しない。見えないのだから。そして「心の力」を引き出すために揺さぶる。深く掘れるようにするために土を揺さぶる。そのためにどうしたらよいか。授業には子どもの学習となる「しなやかさ」が必要である。「しなやか」というのは、いわば教師の受け止めに弾力があるということ。「弾力」。ただの柔らかさとは違う。子どもたちにしなやかな心の力を持ってもらうならば、教師自身が授業の中でしなやかにならなければならない。よく道徳の時間は指導案どうり、子どもの2番目の発問がこうなったから、発問のときにこんな発言がでたから、ちょっとここで3番目の発問、中心テーマの発問だけれど角度を変えた方がいいかもしれないという対応をしているだろうか。最初から発問ありき。つまり各駅停車。次の駅で気持ちを聞いて。気持ちを聞きすぎれば乗り物酔いするだけ。もっと、子どもが多様な自分を考えたいような、取り組めるような感覚をしているだろうか。子どもが自分の思いになっているかどうか。
 
  @ 教師が「共感的理解」の構えをもつ〜「受け止め、聴き、待つ」姿勢で
    道徳の時間は子どもの目をみて待っている時間が長い。子どもが建前的な内容も真剣にいっている場合もある。「ぼくはできる。」「やりたい。本当にそう思う。」なんて言わない。
A 子どもにとって「問題追求的」な学習とする〜「こだわり」を大切にする
子どもにとって学びたい題材、内容あるいは方向になっているかどうか。
新聞記事より   車内の忘れ物 昔−サッカー  今−ほがらか天国
                 昔−カサ    今−マナー
   公的空間の私的汚染。恥ずかしくないのと叫びたいけれど「恥」が壊れてしまう。
新聞記事より  コンビニ・スパーで捨てられる食事の量、カロリー計算すると300万人分捨てる。「あれ」「ぐら」「なぜ」「どうして」こういう良い意味で鋭い導入を。いつも思いつくわけではないけれど、その後、学習となっていく。その後、どう問うかによって、また学習の方向が決まっていく。「なんでこんなに余ってしまうんだろうね。」これは総合的な学習や社会科の追求問題。
「え、みんなどう思う」「もったいない」「うちも恥ずかしいけれど」自分たちとつなげて、自分ごととしてそのときの気持ちとか考えを問うていくと道徳に入っていける。
B 子どもの「共感的追求」を基盤にする〜「心の体験」を大切にする
タイのティムラックさんの書いた環境作文 「それは日本人のエビだ。」を読んで。「君はどう思う」ではなく「ティムラックさん、どう考えたと思う」これが共感的理解。「いったい心の中で何を叫んでいるんだろうね。」ティムラックさんは自分じゃない。つまり普通だったら、教室の中だったら体験できないことを体験する。それが道徳教育の重要なポイント。体験できないことに特に目を開いていく。これが「心の体験」。自分のこととして、その人の立場にたって共感的な追求をする。共感の立場を必ずどこかに設ける。そこから感動したりあるいはそこから批判的にみたり、あるいは意見を次々述べたり、ディベートしたり、葛藤の中でいろいろな対立をおこしたり、いろいろな展開はあるけれど、必ず道徳的な行為にまず立ってみることが重要。
C 子どもの「多様な価値観」を生かす〜「違い」を学び合いのチャンスに
多様な価値観を一面的に考えていることはないだろうか。これも重要なポイント。例:女の子が始発で電車に乗った。おばあちゃんが乗ってきたとき、何とかしなくちゃ。あるとき、やっと譲ることができた。女の子は譲ることができるようになり、おばあちゃんが乗ってきたときには毎回譲り、「おばあちゃんの特等席」となった。ところが、ある日足に怪我をした男の人が乗ってきた。迷うわけです。先ほどの迷いとは違う。1回目の迷いはおばあちゃんに譲ったほうがいい、でも譲れないという不安、怖さプラスとマイナスです。ここでは、おばあちゃんが待っている。でも、この人は足に怪我をしている。今譲ってあげたほうがいいのか。これは、葛藤です。おばあちゃんに譲ることもプラス、怪我をした人に譲ることもプラス、だから真剣にぶつかるわけ。起承転結としたとき、この場面が「転」心が一番、ぐらぐら動いているところ。結局、女の子は男の人に席を譲りました。おばあちゃんが乗ってきたとき、小さな声で「おばあちゃん、ごめん。今日は席がないの。」小さな声で言うことにも意味があり、ここにも多様化がある。ここは分析的な多様さ。最初の多様さは、段階的な多様さ。譲りたい、譲れない。でも、もう少し頑張れば譲れるようになれるかな。段階的。そして、「転」の場面では対立的な多様さ。どっちにしようかな。抜き差しならない状況。そして、最後は分析的な多様さ。このように道徳の時間には、教師は、子どもがどの多様さを求めているのか、何を一番になるのか、子どもの生き方として何を一番深めたいと思っているか、ここを中心に授業を作る。決して最初の発問を何にしようかな、次の発問は、これかな。3番目……。こういう授業づくりはしない。「何を子どもが考えたいか」ということから入っていく授業づくりが大切である。 
● 道徳の指導案を、子どもの「学習」の視点から見直す
指導案が子どもの言葉を前面に出しながら、結局は教師がコントロールするだけの授業にしていないか見直していく必要がある。
 @ 指導過程を子どもの学習過程として、柔軟に考える
 A 学習活動の工夫を絞って位置付け、楽しさをつくる
 B 子どもの反応する授業から発言する授業へと、面白さをつくる
  ・ 「面白さ」これは心を動かす。ドキッとしたり、あれっと思ったり、なるほど、わっすごい、ああ違うな、こんなふうに感嘆詞がでてくるのが面白さ。
  ・ とくに中心的な発問のところは詳しく、しかも構造的に書く。こういう段階、こういう違い、こういう分析的な視点、さきほどの多様さ。このようにしてこそ、   授業の一番の高まりが見えてくる。それがそのまま板書にも見えてくる。
  ・ 教師が何かしないと反応しない。刺激がないと反応しない。そうではなく、子どもの意識が授業を作る。子どもの考えがこういうところで違いや対立が出るは   ずだということをしっかり予習して、引き出す授業をつくる。 
 C 一人一人を生かす指導上の留意点を考える
・ 留意点が読解になってはいけない。子どもの多様な考えが出てくるように、いかに揺さぶるか、いかに仕掛けるか、いかに手を打つか、支援的な立場で記述。
・ 「気付かせる」「捉えさせる」「つかませる」などの理解を促す表現が多く見られるとき、押し付け的、教え込み的な感覚が強い授業となる不安もある。
・ たとえば、次のような内容を書き込んでいくことが中心となる。
 ア 子どもが陥りがちな問題点での対応
 イ つまずき、混乱しがちな点への対応
 ウ 資料の効果的な生かし方
 エ 学習活動の細かなレベルでの工夫
 オ 板書、教材教具の生かし方
 カ 子どもの姿を看取る観点や方法、生かし方など
 D 本主題や指導の過程等での評価の観点を考える
  ・ 授業で学習しているのに評価がないということはない。では、今の副読本に書いてないのはなぜ。評価して子どもを変えようとする視点が強くなりすぎると、教え込み、ファーストフードになりすぎるから、評価が書いてない。しかし、ファーストフードにならない評価がある。それは共感的姿勢。評価は、子どもの違いを受け止めるということ。
● 道徳の時間の基盤を踏まえながら、指導の可能性を広げる
(1) 読み物資料を中心にして、多様な道徳資料を生かす       「資料を拓く」
  @心に響く読み物資料を中心に据える
A資料を多様に選択し、開発する…(資料のジャンルを広げる、自作や開発を試みる等)
(2) 資料での追求を軸にして、指導方法を多面的に発想する     「方法を拓く」
  @資料での追求を促す発問を軸にする
A指導過程や指導方法を多様に拓く…(多様な追求の筋道や指導方法、活動の工夫を考える等)
(3) 学級担任の計画的な指導を中心として、多角的な指導体制をもつ 「人間を拓く」
  @学級担任が指導することを中心とする
  A多様な指導体制を一部に織り込む…(協力的指導、校長や教頭の参画、地域講師の協力等)
(4) 1時間1主題を軸とした上で、指導時間を柔軟に考える     「時間を拓く」
  @1時間1主題の計画的指導を軸にする
A指導時間の組み方を多様に発想する…(45分を超える指導、複数時間扱い、他 教科等との関連を図った指導等)
(5) 教室での授業を通例としながら、指導場所を柔軟に考える     「空間を拓く」  @教室の中で行う授業を中心とする
A主題に応じて効果的な指導場所を柔軟に考える…(教室空間の工夫、教室以外で の授業等)
★@を基盤として、その指導の充実を大事にした上で、Aの工夫を広げることを大  切にしていく。
○ 指導の可能性を広げるというのは、ストライクゾーンを大きくとるという意味ではなく、そこに投げる球を多くするということ。言い方を変えれば、これはやってはいけないということを、本当にやったらいけないのかどうかを考える。タブを減らす。エンカウンタはどうか。集団コミュニケーションゲームのようなものはアメリカから入ってきた方法で片手以上ある。教師が行う道徳の時間がアメリカには基本的にはない。道徳の時間として開発されたものではない。しかし、方法的には、「方法を拓く」としたら、織り込んでいく可能性はある。100か0ということはない。…構成的エンカウンタには手順がある。構成的までいくとかなり辛い部分がある。エンカウンタ的な方法は日常的にやっている。みんなで相談し、小グループで相談し、違いを引き出させるとか協議することであるから、そこにどういう題材がかかっているかによる。エンカウンタの題材あるいはねらいがしっかりしていれば授業に生かすことができる。……子どもが4人で遊んでいた。鬼ごっとしていた。小さな男の子が「僕も入れて」と中に入った。しかし、すぐに、その男の子は遊ぶのをやめてしまう。なぜかというと、ぜんぜん鬼にしてくれなから。また、遊びが止まってしまう。4人の子どもたちが迷い始めたら、「さあ、どうやって考える?4人や5人のグループで教室で話し合ってごらん。」これも立派なエンカウンタ。つまり、これからどうしていくという題材が隠れている。ねらいが道徳的な心の力を養う、いわばねらいに適うものであれば使うことができる。100か0ではない。方法を柔軟にということ。
  ○ @から逃げない。@は本質や特質を学ぶための大事なポイント。@心に響く読み物資料を中心に据える。読み物資料は計画に位置づけられ、安定している。そして、年間35時間やっている基本的なベースである。まず読み物資料。そこに
   プラスα、時に一定の割合でいろいろなものを盛り込んでいく。道徳のよい資料が見つかりませんというのは、残念ながら読み込み不足、計画的にやってないことを意味している。……次年度はNHK「道徳ドキュメント(小学校高学年用)」 がスタートする。ビデオにとって生かしてほしい。いろいろな資料を組み合わせる。
  ○ 時間を拓く。2時間続きも一定量必要。とくに中学生では。
● 子どもの「学び」を豊かにするための実践的指導力を高める
(1) 資料提示の工夫 想像、共感をかき立て、子どもを道徳資料の世界へ引き込む
(2) 発問の工夫   子どもの心を動かし、多様な考えを引き出す
(3) 話し合いの工夫 子ども相互に多様な考えを学び合い、深め合う
(4) 表現活動の工夫 一人一人の考えが引き出され、一層深められる
(5) 書く活動の工夫 個別化の中で個性的な考えが深められる
(6) 板書の工夫   子どもの思考を深める共通の「ノート」として生かす
(7) 説話の工夫   教師の願いを織り込み子どもと共に育つ姿勢で伝える
○ 七つの引き出し。読み物とひとつの絵だけで子どもの想像がふくらむ。最初か らビデオをたっぷり見せたり、次々出すと、子どもは想像よりも解釈だけになってしまう。お話資料、紙芝居、絵、写真で想像がふくらむのは情報が少ないから。くれぐれも絞って使うことが大切。また、役割演技と動作化は違う。役割演技がここ は本当に深まるのかどうか吟味しなければならない。子どもの心の中の言葉を語らせるのに役割演技をしたらたまりません。「子どもはなんて言っているだろう?」 というところだったら使える。やはり絞って使う。
  ○ 板書に授業が映ってくる。だからこそ、構造化したい。右から左への川流れ的板書を超えた構造的板書。精神的な発問を中心にして作っていく。指導案を横?縦?にしただけの板書ではいけない。もっと子どもの心の形を映し出すような、構造にチャレンジしていかないと子どもの学びになっていかない。教師の指導だけになってしまう。
● 道徳の時間と「体験」や体験活動との関連を押さえる
 ○ 道徳の時間を孤立させない。しかし、道徳の時間が体験活動に埋もれてしまうこともいけない。総合的な学習の時間と結託している道徳の時間が間違っているケースがある。総合的な学習の時間にやったことを深める時間が道徳になっている場合があるが、これはやめるべきである。何故かというと、総合的な学習の時間は体験の時間、道徳の時間は話し合い時間と分けてしまう。むしろ、総合的な学習の時間でボランティアの体験をしていたら、道徳ではマザーテレサ。しっかり独立してしかるべき。そうしないと響き合わない。巻き込まれる。ここにポイントを絞っていただきたい。
● 道徳の時間の評価の在り方や方向について押さえる
(1) 陥りやすい点、捉え違いやすい問題
△指導方法や指導計画についての評価を評価の中心と考える
△子どもの学習状況の変化を道徳的実践力の変化や日常の行為の変容と結びつけ過ぎる
  △若干から数名の子どもの変化を学級全体の子どもの変化と考える など
(2) 道徳の時間における評価の構え
@子どもについて、子どものための評価から出発する
A教師が共感的理解の姿勢をもって評価する
B学習状況の評価を生かした個別的な評価を重視する
C子どもによる記述や自己評価を効果的に生かす
 ○ 評価に関する最大のキーワードは、(2)のA。評価は「子どもがみんなこうなった」という評価基準(ひょうかもとじゅん)でするわけではない。評価規準(ひょうかのりじゅん)も使っていない。何故なら、子どもが個性的な考えを出して生き方を支援するのが道徳であるから、評価は個別的・記述的に進める。 
● 子どもの教材「心のノート」の活用をうながし、広げる
 ○ 大人がプラス志向に受け止めて、楽しむ気持ちで生かしてみよう
 ○ 少しの共通理解と、大人一人一人の創意工夫を組み合わせよう
 ○ 押し付けない。決めつけない。「心のノート」に花丸。そして教室に掲示。花びらの数が違う。もし花丸をつけるなら完全に同じものを。もうひとつは抱え込まない。……一緒に用いる機会を生かして一人一人が違う個性的なノートになるような支援を。
● 道徳教育で子どもに「生きることの楽しさ」を伝えよう
 ☆ゆめは「となえる」だけではなく「かなえる」ためのもの
 ☆教師(大人)から伝えよう!「生きることの楽しさ」を…
 

演 習1 『道徳教育の問題点・課題の分析整理
         −生命の尊重をテーマとした教育の実践−』
        文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 永 田 繁 雄

 
○ 命は語源をたどれば「生きの力」あるいは「生きる力」。「いかずち」体から出てくるエネルギーを意味している。それは、一度なくなったら生き返ることはないはずなのに、いろんな割合で生き返るというふうに解答する子どもが増えてきていることはご存じのとおり。しかし、これは調査によって全く違う。もし学校で、記名でやったのと無記名でやったのとでは全く違う。
@ 道徳教育全体の目標
    1−(1)    3−(2)   3−(1)
    1−(2)            4−(5)(6)
  生命の尊重は道徳3−(2)の内容だけではない。1−(1)健康や3−(1)自  然愛、4−(5)家族愛などは大きくかかわる。生命に対する畏敬の念を道徳教育にしっかり据えたのは平成元年の指導要領から。ガラスが割れたりとか、校内暴力が流行語になるような状況がこのときにあったから。やはり、生命尊重が学校・家庭・地域で行われていかなければならない。
A 生命の多様なイメージを
    偶然性  有限性  連続性 (神秘性) (発展性)
「心のノート」(中学校用)にある言葉。生命は必ず変わっていくもの。よく例に出されるのが、わりと嫌われがちな毛虫とか青虫が、どうしてあんな綺麗な蝶になるんだろう。そこまで自分を変えていける生命の力とは何だろう。そういう神秘性。
生命に対するイメージを、私たち大人がしっかりと多様に発想してこそ、子どもたちに多様な角度から命のイメージを豊かにさせられる。そうすれば子どもは命をむげにしないようになる。
B 資料や人を拓く
  ゲストを呼ぶ。命の先生。生命尊重にかかわって仕事をしている方が、ぜひ学校の中にはいってきていただきたい。
新潟県中越地震で優太ちゃんを救出した場面の写真。これは授業で生かしたと思った方も多いのではないか。(産経新聞 平成17年3月30日)
自分たちが体験できない命の追体験ができる。このように資料を拓くことが大切。
C 授業での配慮
 ・個の実態 〜 クラスの中にどんな背景をもった子どもがいるか。 
 ・人権(事件)−(事故)
  新聞記事はタイムリーでよい。しかし、事件には一定の社会的評価がかかわっていること。
D 3つの場の充実
 ・事故を見つめる機会の充実
 ・共感・かかわる場の充実
 ・いのちの体験活動の充実
  ホスピス、介護体験、幼児と交わる体験とか、動物とかかわる体験とか。ある荒れた中学校では、生徒会と相談して飼育活動を始めたところ、すっと子どもたちの荒れが引いた。こんな力ももっているのだ。
 

課題協議2 『豊かな心を育てるこれからの道徳教育』
        京都教育大学名誉教授(前京都教育大学副学長) 小 寺 正 一

 
1 現代社会の倫理的特性
 (1) 価値観の空白化  流動性
  ・生きていく上で一人一人が拠り所にしている価値をまったく持たない、からっぽにしたままで生きているのではないかということ。拠り所がないので空白化。
・価値観の多様化。いろんな考え方があり、いろんな生き方がある。どのような生き方にも意味がある。ということは結果的にその人生はある意味で相対的に捉える。逆に言えば、最後はこれで決まりという絶対的な価値観がない。いろんな見 方のできる社会はいい社会。しかし、それぞれが相対的な値打ちがない。多様化の行き着く先はどれでもよい。ということは、どれもこれも同じことというのだから、自分の生き方を真剣に考えてしまわなくなるのではないのか。人間の行為 とか、行為の積み重ねとしての生き方、本来その人の価値観の表現であったものが、価値観を空白化にしたまま生きていく、真剣に考えない。
・同棲とは言わず、「異性と協同生活をしている」と言う。空白化の時代では、言葉ひとつにしても、それは状況や事態そのものを表現しているだけで、即物的。 その言葉に特別な価値判断をからめて「これ、いいよね」とは示したくない。
・そのとき、そのときの自分の職業=フリーアルバイター。フリーターは、職業的な流動性が高い。自分が社会に貢献するときにこの仕事でと、きちっと決めていない。そのときそのときの状況で。流動性の高い生き方。これは、社会の変化の早さにある。変わり身の早さが求められている時代。
 (2) 極私的倫理意識  感覚性
・絶対的な価値基準はない。そのときその場で主観的な極めて私的なものを拠り所にして決めている自分がどう思うか、どう感じているかが判断の基準ということ。個人の趣味のことなら、個人の主観的なもので判断しても構わない、しかし人間関係などの社会的なものまで極めて個人的な私的なもので切り捨てられる、評価される傾向が強くなっているのではないか。社会的な広がりを、他人と理性 的に話し合って、共有できる考え方を持たないままで、極めて私的なもので判断 していく、それも社会的な事柄まで判断していく、という意味で感覚性。今はフィーリング性重視。フィーリングが合うか、合わないか。やはり、これも社会の変化の早さが有力な原因ではないか。
 (3) 個独主義     閉鎖性
  ・他人に理解してもらえるような、みんなが共有できる価値観はないだろうし、自分が感覚で、ときには生理的な基準で決めた自分の判断が他人に理解してもらえるかどうかは分からない。たぶん理解してもらえないだろう。それで、個独主義。主観的なものを拠り所にしている個人が他者とのつながりを意識せずに、それぞれが独立して存在する。大勢の人が空間的にはいっしょにいたとしても、実質的にはつながりがない。人が点在しているだけ。人は人、自分は自分という考え方。 当然、人間関係は希薄。だからフィーリングは非常に豊かであるが、情念で人を結びつけるような関係は鬱陶しい。どろどろした演歌は嫌いな学生たちは、もう少しあっさり行こうよと言う。
  ・寂しさの漂う孤独ではなく、個独。人々は孤立化、閉鎖性を強めている。
  ・アメリカではコクーン(cocoon[k???n]かいこなどの繭)という。つまり自分一人しか入れない空間を作る。コクーニングという言葉がある。物理的個室に心理的密室。
  ・極私的な倫理意識とか、個独意識が強く表れるのは、生産活動の場所ではなく消費生活の場所の方が顕著。自分の感覚で一人でやっていけるもの、自分の判断だけでやっていけるのは消費生活。  
 (4) 消費的な生活意識 遊戯性
  ・大多数のものにとっては、大勢の人と協力してやっていかないと、社会的・人間的つながりをもたないと生産活動はできない。自分の感覚で、自分一人でもやっていけるような消費生活のほうに魅力を感じている。いやいや人付き合いしないとできないような時間はできるだけ早く切り上げ、自分の部屋で自分の趣味に取り組むほうがはるかに楽しい。生産活動しないと生きていけない人間が、意識は消費生活に向かっている。こうした傾向が強くあるのではないか。
2 学校における道徳教育
 (1) 生き方を確立するための支援活動
  ・道徳教育というとある種の拒否反応。よい生き方・正しい行為の仕方を一方的に教えて、それに従いように教え導く教育という意識があるのではないか。たとえば、お年寄りに親切にしなさい。しないといけません。というように教えることが道徳教育というとらえ方。結果的に押しつけがましい、受ける側としては鬱陶しいという印象をもたれることもあるのではないのか。道徳教育というと堅苦しい、窮屈、押しつけがましいと捉えられているのが、まだ社会にはあるのではないだろうか。「道徳は窮屈だ、そんなものに真正面から取り組むのは、」という意識を家庭や地域が持っているとそれから先には進みにくい。
 (2) 道と徳
  ・「道」は人間としてだれもが歩く道。もう一つは、目的に向かって通じているもの。今いるところからどこか行きたいところがあるとき「道」が必要。「道」は、今と行くべき所を結びつけるもの。現実と理想をつなぐものということもできる。
  ・「徳」は身に付いている品性、そのものに備わっている特性 行為・働き・能力。
中国の古い時代のこの漢字の意味は「能力」を指す言葉。できる。できない。
ですから「徳は得なり」能力ですから獲得するもの。会得するもの。習得するもの。そして身に付けておけば損はしない。徳をする。
  ・道徳という「道」が非常に狭くて、足を横にずらすことのできない細い道だったら非常に窮屈なものとなる。そして、能力の発揮の仕方も、決まり切った一つの型しか許されていないなら、その通り歩かないといけないから、これも窮屈だろうと思うが、道徳の「道」はそんなに狭いものではないだろう。結構、幅がある。 道徳の「道」もゆったりとした幅のある道である。結構、人間の通る道は幅がある。いろんな生き方があって、すべて道徳的。両脇を超えない限りはすべて道徳的だと言ってもよいのではないか。人を押しのけたり、突き飛ばしたりしてはいけないだろうが、そうでなければいろんな歩き方があって、能力の発揮の仕方があってよいのではないだろうか。もちろん、みんなといっしょに楽しく歩ける能力や、時には困っている人がいたら、さっと手を差し伸べる能力に余裕があれば、ますます言うことはないだろう。道徳教育において幅がきちんと示され、それぞれにどんな値打ちがあるかということもきちんと示され、歩き方にもいろんな歩き方があってどんな値打ちがあってどんな意味があるのかそれを正確に示していけることが、学校における道徳教育である。そして、その示された多様な歩き方のうちから、どこをどう歩いていくか選ぶのは彼ら彼女である。そこまでは強要できない。……幅が一部分しか示されなかったら選択肢が限られてしまう。道徳教育は「道」と「徳」について、それぞれどんな意味があるのか示すこと、見取り図を示すこと。
 (3) 家庭や地域社会との連携
  ・体験活動などで学校外で、地域の方々に直接ご指導をうける機会が多くなっている。そういう機会に保護者や地域の方にそれぞれの生き方を見せてもらうということは、「道」に幅のあることやいろんな生き方があることを直接リアルに示してもらうよい機会だし、児童生徒諸君が自分のことを考えていく上でものすごく役に立つ。家庭や地域との積極的な連携が期待される。
  ・学校における道徳活動は、生き方を確立するための、自信をもっていくための支援活動。そのために「道」と「徳」についてきちんと示してやる。家庭や地域と連携をしながら……。
3 豊かな心・豊かな人間性
(1) 豊かな心 (豊富、安定)
  ・「豊か」にはたっぷりある、ボリュームがあると同時に安定しているという意味が含まれている。豊かな心を作ったのに、それが急激にしぼんでしまってはいけない。豊かな心を育てて、その心を安定した豊かな状態で持ち続けられるようにしたい。
  @ 感 (価値あるものを認め尊重しようとする心=価値感受性)
   ・感じ取れる心。「きれいだなあ」
  A 情 (相手、周りに配慮を働かせる情意)
・周りに配慮を働かせる情意としての心、<なさけ>としての心
  B 志 (自らを高めようとする心)
・自分自身の値打ちを認め、そして受け取り発信する。自らをもっと高めていこうとする、高めようとする。
  C 本人のもの、その人らしさの根源・おおもと
   ・「感」と「情」、そういう心が何かを感じたり考えたり判断したり、これこれのことをしようとする、決意しようとする精神作用のもとになっているもの、本人のもの、これは人に移植するわけにはいかない。そしてそれはその人らしさの根源。ある人が、こう思っているからその人らしい振る舞いが出てくる。言動がでてくる。とすれば、心の教育は、本人のものである「感」と「情」と「志」を、いろんな機会を利用して児童生徒諸君一人一人が自分の力で豊かに力強く、そして安定した状態で持ち続けてくれるような条件整備をする教育だ。支援としての教育。心そのものを教えることはできないが、一人一人が自分で自分らしい心を作り上げていく、それをサポートしていくのが心の教育。値打ちのあるものを値打ちのあるものとして認め、尊重し、周りとの関係に情意を働かせる、そういう心を学び、なおかつ自分をもっともっと高めていこうとする「感」「情」と「志」そういうものをしっかり育てれば、いわゆる「確かな学力」を築いていくための基盤ができていくこととなるだろう。
(2) いま育てたい心
  @ 柔らかい感性
・現代の社会は多様で刺激のきついものが氾濫しすぎている。それらすべてのも のに反応すると疲れやすいし、しんどいし、繰り返すうちに鈍感になってしま う。だから、逆に柔らかな感性を取り戻したい。とくに素晴らしいこと、美し いことに対して、学校の中でもじっくりと余裕をもって値打ちのあるものに真 正面から向き合ってもらう時間をどこかでつくっていただく必要があるのでは ないだろうか。
A 意欲的な心
 ・激しい社会の変化に対応できる意欲的な心。「やる気」。日本は大きな変革期。社会の様子が大きく変わろうとしている。これまで経験したことのない未知の社会状況に陥るかもしれない。変化し続ける社会。だから、我々は一生涯を通して、そのときそのとき新しい社会条件に対応して自分に必要なものを早く学  び続けなければならない、そのことを生涯学習の時代といっている。若いときに学んだ知識・技能で一生涯やっていける時代ではない。節目節目での研修・学習が不可欠だ。
B 逞しい心 我慢できる心
 ・社会の豊かさは、同時に社会の仕組みが複雑であるということ。複雑であるから、一人一人の好みに応じたものを提供してくれる。ところが複雑なものは疲れる。「今は我慢のしどころや」と考えてぐっと耐える逞しさ、そういう心も必要ではないか。困難に出会うと早々と見切りを付けて他の方向に目を移してしまうことが多くて、…そういう意味で強い意志を。ちょっと気に入らないことがあると自分の弱いところにはけ口を求めたり、いじめの構造。すぐに「むかつく」と言ったりしないで、次の機会、もっと先のチャンスをうかがいながら、しなやかに耐える逞しさ、我慢強さも必要ではないか。「耐える」とか「我慢する」というとネガティブな響きもあるが、私は、次の飛躍のためのエネルギーを蓄えることだと考える。
C 思いやる心(おもいやり) 
   ・「心」という言葉は、ときに「おもいやり」とほとんど同じ意味に使われることがある。「心ない仕打ちや」と言ったときの「心」は「おもいやりのない仕    打ち」、相手の配慮がないと言っている。周りに情・なさけを掛けていく。そういう周りに配慮することを抜きにして考えることはできない。
   ・「意欲的な心」と「逞しい心 我慢できる心」、それらが道徳的な心、「思いやる心」と結びつかなければならない。物事に意欲的で少々の困難にもめげない、逞しい心をもったいじめっ子は、先生方にとって最悪のケースでしょ。思いやりの心をきちんと育てていくことが今後の教育に必要。
4 豊かな心の育成(人間らしい豊かな心を育てる)
(1) 学校教育の転換期
  ・学校教育の中心は知識・技能の伝達に置かれていた。明治5年学校教育制度を発足させたこと自体が、明治政府が欧米の近代的な知識・技能を早く国民に普及し、伝達・啓発していきたいところから学校を作っているわけ。その結果、百何十年の間にこれだけ高い社会レベルを作ってきた。そのことは大成功であった。ただし……心の教育は、それに対する少しの方向転換を言っているのではないか。
  ・知識・技能を効率よく伝達していくためには、必要な知識・技術をいくつか大きな単位に分割して、ユニット化してそれで学習する方法がうまくいく。それが教科学習。教科の「科」はユニットを意味する。病院の内科・外科。「科」がつく。大学時代に学科に分かれていたのは、学ぶ領域がある程度ユニットして分けてあった。教えるときにユニット化してあれば教科。伝えるという点では、この方法がうまくいったが、そういう操作に馴染みにくい心。心の教育とか人間の生活を全体をトータルに捉える力の育成、それは学校教育の中でやはり後回しにされてきた、あまり重視させなかった歴史があるのではないか。
・なぜ、力を入れないまま経過してきたのか。じっくりと値打ちのあるものに丸ごと向き合って、ゆっくり心の成長に期待するというのが後回しにされてきた。学校でそうした風潮があったのではないのか。…まるごと主義で、心の教育をバラ ンス良く進めていく、そういう視点も軽視しない時期に来ていると捉える。
(2) 「道徳の時間」で価値の自覚を深める
  ・価値と向き合う。自分の生活に即して、その価値の値打ちを捉えて、その価値を自分の生活のためにより実現していくために、より高めていくためにどうしたらよいのか、そういうことを道徳の時間でじっくりする。価値と心で向き合う。この繰り返しの中で道徳的な心が育っていくのではないか。価値を媒体にして心を豊かにしていく。
(3) 体験活動等で心を磨く機会を
  ・日頃体験しにくいことを、意図的に取り組んでいる。人間関係が幅も狭いし深みもない。だから、乳幼児期の子どもと中学生が幼稚園にいったり、高齢者を訪ねられたりすることが多くなってきている。年齢の違ういろんな人と付き合う体験を重ねて、相手の違い、歳の違いに応じてそこでの心の表し方や心の使い方が違うというを体験していく。言葉遣い一つにしても違う。
・高齢化社会が進んでいるのに児童生徒の家庭の多くは核家族。ということは、高齢者の心理にふれてない。高齢者と生活を共にする体験をすることで、年取ると体の動きがゆっくりになるし、昔は動けたのに動けないことをかなしく思っていることを生でふれていく。
・「百聞は一見に如かず」心を育てるためには「百聞百見は一験に如かず」百回見たり聞いたりするよりも一回体験のほうがよい。それのほうが育つべきものがある。豊かな心を磨き上げるには体験活動。
(4) 教科学習でも心を動かす機会を
  ・いろんな学習の機会があって、人と一緒にグループを組んで学習したり向き合ったりするところであるわけなので、そういうところで心を育てるという観点を意図的に加えていただく。心を育てるためだけの独特のカリキュラムはないいろんな活動をする中で心が育ってくる。そうすると教科学習でもいろんな活動をしているはずなので、活動の中で心が育つような機会をうまく組み込む。教科学習で、ただただ技能習得の活動をしているわけではなく、人間関係もあれば、自然との関わりもあるわけなので、心を動かしながら、働かせながら知識・技術を獲得するという学習形態を時には作ってもらってもよい。
  ・小学校生活科。一人一鉢栽培。三人三鉢。たとえば、そこまでいくなら、五人三鉢、三人五鉢は。しかし、そんなことしたら鉢に苗を植えるときだけ、そのときだけとっても一対二対応にならない。三人五鉢だったら、一人だけは一鉢しか植えられない。二人は二鉢植えられる。普通はそんなことされない。バランス悪くて問題児ができそうだから。が、あえてそこでどうするか。三人で話し合って、三人とも納得できる案を考える。これは、直接的には自然とのかかわりの学習、栽培活動だが、グループで取り組むのだから、グループ内でお互いへの配慮の仕方を考える機会を組み込んでいく。そういう要素を意図的に組む。物理的な不平等をみんなが納得できる、あるいは実施できるよう、そういうものにするときに働かすのが人間の心ではないのか。現に我々の社会はみんなが均等に平等に生きているわけではない。極端な言い方をしているが、教科学習、総合的な学習の時間の中に心を育てられるきっかけがいくつもあるのではないか。
(5) 心を表し伝える力の育成を
  ・豊かな心を育てたとしても、心として内側にあるだけだったら、内側に止まっていて行動・行為としてあらわれない限りそれはほとんど意味がない。自然が大切だと思う心が育ったとしても、そこに表れてなかったらもっていないのと同じ。ということは、思いやりの心がいくら豊かであっても、それを形にあるものとして表し、表せるような方法を身につけていない限りもったいない。心の教育は内面の心を育てるだけではなく、その心をきちんと外に表す、外のものときちんと関われる、そういう方法・手段をきちんと身につける正確に周りに自分の心を伝えることができる力を育てていくことも心の教育の中に含まれている。中学生の「心のノート」では<心と体のドッキング>で必ずふれているはず。
  ・心を言葉や態度で周りに伝えることは結構難しい。ただ、多くの場合はその心をどういう形で表現したら相手に伝わるかというのは、ある程度、定番化した、パターン化した、形式化した表現形式があるので、それに従う必要があるだろう。日本の社会では相手に敬意をもっている場合は頭を下げてお辞儀をする。敬意を表す方法が決まっているわけである。
  ・心の教育をすすめて豊かな心を内面にたっぷりと、そして安定した状態で育てたらそれを適切に表現するための方法があるということを教えて、その方法で習熟するような機会を、やはりこれも体験活動等で通じて用意していただく必要がある。ある程度パターン化した表現形式を教えて、これは文字通り教えるしかない   と思うが、習熟、洗練していただく機会を用意していただく必要があるのではないか。
  ・心の表現形式は、社会的にある程度固定化している。マンネリになっているからマナー。マンネリになるぐらいでないとマナーとして使えない。みんなが認められる。心の伝え方は、実践しながら経験的に体験的に身につけていく部分がある。そこまで視野に入れて、心の教育が考えられるのだろう。

協 議 1 中央指導者研修を受講した指導助言者からの伝達
         静岡県浜松市立藤塚西小学校   教 頭   池 島 義 浩
         愛知県新城設楽教育事務所設楽支所指導主事 
石 田 雄 吉
 
● 小・中学校部会協議
  「学習指導要領の趣旨を生かした道徳の時間の充実への取組」
      文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官 永 田 繁 雄
 <どんな授業が良い授業か>
 @ 楽しい授業…活気がるだけでなく静かに考える、内面を見つめる
 A 自分と関係のある授業
 B 予想が外れる授業
 C 発問が少ない授業…子どもの考えの自由度が増す
 1 気になる道徳の時間の指導をどう考えるか
 (1) 道徳の時間の特質が生かされた授業になっているか
・学級の問題の直接的な話し合いの場となっていないか。
・資料の読解に比重が大きすぎる指導となっていないか。
 (2) 教え込みの強すぎる展開が多くなっていないか
  ・子どもに分からせ、つかませようとする指導が多すぎないか。
  ・1時間で目に見える変化をすることに期待しすぎてないか。
 (3) 指導が硬直化していないか
・基本的な指導過程の趣旨が理解されているか。
・同じ指導方法で年間全体を指導するという偏りがないか。
 (4) 体験的な活動の時間幅が広くとられていないか
・車いす体験、活動の時間をとって、道徳の時間の特質が弱くなっていないか。
 (5) 実習的・練習的なコミュニケーション活動を中心とした指導に終始していないか
・構成的グループエンカウンタなどを中心的な題材として進めるような活動に終わっていないか。
 2 道徳の時間の学習指導案のポイントを押させて創意工夫する
 ○「気付く」「とらえる」「深める」のようにいろいろな学習過程の表し方があるが、主題や資料によって柔軟に考えることが大切。
  ○学習活動の工夫として、発表して、話し合っていく際に役割演技や動作化をして工夫してほしい。
  ○個性的な考えが引き出されるような発問をする。羅列にならない板書を工夫する。
  ○指導上の留意点の欄が「気付かせる」「つかませる」等の理解をうながす表現が多く見られる。押し付け的、教え込み的な感覚が強まる不安がある。子どもが陥れがちな問題点への内容とか、混乱しがちな点への内容とか、資料の効果的な生かし方、教材・教具の生かし方、そういった点を記入することが大切。
  ○本主題や指導の過程等での評価の観点を考える。心情面の高まりや学び合いの姿など数値に表れない面での評価を積極的に行うことが求められている。
 3 一人一人の心に響くための実践的指導力を高めよう
  (1) 資料提示の工夫…想像、共感をかき立て、子どもを道徳資料の世界に引き込む。見せることばかりだと想像はしない。あえて不親切にすると想像が膨らむ。読み物資料に拘らず、大きな絵を提示したりプロジェクターで絵を映したり。ただし、見せることばかりでは。 
  (2) 発問の工夫  …「なぜ」と理由を聞いたり、気持ちばかり聞くのは避ける。
             目を見て発問し、頷く。
  (3) 話し合いの工夫…子ども相互に多様な考えを学び合い、深め合う授業は、ピンポンではなく、バレーボールにしたい。そのためには、常に            教師を軸に発言が展開しないように。「いい考えだね」も避ける。
            座席配置で自分の意見・立場を明確にする工夫を。 
  (4) 表現活動の工夫…一人一人の考えが引き出され、一層深められる。
役割演技、動作化、疑似体験活動、劇化等の違いを押さえる。
  (5) 書く活動   …個別化の中で個性的な考えが深められる。
            最初から授業の流れが見えるワークシートは、子どもを引っ張ることになる。
            書いた量で評価しない
吹き出しや手紙の形式を工夫して、書く場面や書く回数を柔軟に考える。
(6) 板書の工夫  …子どもの思考を深める共通の「ノート」として生かす 
          考えの違いが映し出される工夫をする。
            右から左への時系列、川流れ的板書を超えた構造的板書を大切に。
            板書は教師の気持ちが表れた一つの作品。
 4 創意工夫を生かして魅力のある道徳授業づくりを
  《道徳の時間で陥りがちな発問での問題》
  ○「〜してしまったことはないか」などといわゆるマイナス経験を問うと、告白的で暗い導入となる。話し合いの前向きな雰囲気を大事にした答えやすい発問を工夫する。反省からはじまることは避けるべき。
  ○「〜はどうしたか」「〜は何か」など、答えが一つに閉じられた発問を繰り返すのではなく、発言の内容が多様になる、自由度のある開かれた発問をするように努める。 
  ○発問を多くしてしまい、教師が引きずりすぎるような授業は避ける。1時間の発問の数を絞り込み、一つの発問から子どもの発言を幅広く引き出す。
○「〜はなぜか」と理由や原因を問うことばかりを繰り返す話し合いでなく、主人 公に身を置いて考えられる機会をつくり、共感的に追求できるような発問を大事 にする。
  ○「〜の気持ちはどうか」と心情を問うことのみを繰り返して、平板な授業になることなく、発問に見通しをもたせて、できるだけ子どもにとって必然性のある共感的な発問になるようにする。
  ○終末では、「どんなことが分かったか」「これからどうしたらよいか」等と理解を語らせたり、決意を求めたりするのではなく、各自の体験に目を向けたり、教師の願いを語ったりする。それによって、子どもが自ずとこれからの自分をかたりたくなるような雰囲気をつくったりする。

● 課題協議  「今求められる道徳教育」
                   昭和女子大学教授   押 谷 由 夫
 1 道徳教育は、学校を人間教育の場にすることである
  (1) 教師と子どもの絶対的信頼関係
   ・教師の子どもへの絶対的信頼…「どの子もよりよく生きようとしている」
                  「どの子もよくなる」
   ・子どもの味方になる    …子どもの立場で考える
   ・共によりよく生きようとする姿勢を見せる
  (2) 人間らしい心が感じられる学校環境
   ・明るい(笑顔、元気、まごころ)が満ちあふれている
・清々しい精神文化(環境)
   ・と的好奇心をくすぐる掲示 …学校は子どもが世界をのぞくところ
  (3) 人間としての成長、生きる喜びの実感
 2 安らぎの心と躍動感をはぐくもう
  (1) ヒーリング(いやし)
    大宇宙に包まれている自分を自覚することが癒しにつながる。自分は大きな生命の一部だと捉えられ、安心感が生まれる。
  (2) ケアリング(思いやり)
    相手のことを考え、相手のために尽くす精神
  (3) ドリーミング(夢)
    夢を育んでいくには、自分は必ずよくなる、よりよくなろうとする心を持っている、価値を求めていく存在なのだという気持ちを育てること
 3 一人一人の豊かな自分づくりを支え励まそう
  ○生き方の自立を柱に生活の自立(生活習慣を身に付ける、楽しい生活)、学習の自立(学習習慣が身に付いて、学習が楽しい)を図るのが道徳教育
 4 道徳の授業を丁寧に積み重ねよう
  (1)主資料だけでなく補助資料や補助教具等も含めて資料開発ととらえ、それらをひとまとめにした「教材ユニット」を創っていこう。
  (2)一人一人との会話を重視しよう。
  (3)事後のかかわりを工夫しよう。
・気になる子とは授業後に話し合う
  (4)協力体制を確立しよう。
   ・校長の参加 ・学年での協力 ・保護者や地域の人々の参加、協力
 5 総合単元的道徳学習を子どもたちと一緒に創っていこう
  (1)簡単なオリエンテーションをしよう
   ・ねらいについて話し合う。 ・およその学習計画を示す。
  (2)総合単元的道徳学習用のノートを創る
   ・計画表を貼ったり、学習計画等も書いておく。
   ・思ったこと、取り組んだこと等も自由に書けるようにしておく。
  (3)ねらいにかかわる道徳学習で多様に行えるように工夫しよう
   ・朝の会や帰りの会、掲示、家庭や地域での学びなどを工夫する。
   ・道徳の時間での価値の自覚がぐんと深まるようにする。
   ・「心のノート」を活用する。
 6 『心のノート』を活用し、学校・家庭・地域の連携を図ろう
  (1)学校経営・学級経営での活用
   ・環境づくりとの関連 ・日常的に話題にする  ・学校便りで紹介する 等
  (2)「心のノート」を楽しもう
   ・歌(作曲)     ・朗読         ・ゲーム(クイズ)  等
  (3)「心のノート」でつながりを広げよう
   ・ホームページ、インターネット等を活用
・「心のノート」のホームページを作って地域へ発信
  (4)「心のノート」を子どもたちが自主的に活用し、一人一人の「心のノート」を創っていこう
   ・「心のノート」日記  ・「心のノート」の積み重ねの工夫       等
  (5)保護者や地域住民も一緒に使えるようにしよう
・「心のノート」を持ち帰り、家庭の文化づくり
・「心のノート」で子どもたちと語り合おう。              等
 
 
 
 
 
 
 
 

課題協議3 『道徳教育の充実に向けて』
        文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 柴 原 弘 志

 
ネットワークを大事して欲しい。
 「心のノート」(中学生)。主として他の人とかかわる視点、内容項目ページ引用。








 
 出会い                             P36
 私たちはいままで、多くの人たちと出会ってきた。そしてこれからの人生で、もっともっと多くの人々との出会いがあることだろう。
 この永い永い時間の流れの中で、人間の一生など、まばたきほどの瞬間だ。その瞬間に同じ時代に生まれて出会うということは、不思議な縁があるとしか思えない。そして、その人との出会いは、悲しみや切ない思いをもたらすこともあるだろうけれど、それよりもたくさんの喜びや感動をもたらすに違いない。
 とても不思議な、人との「出会い」。このことを、より大切なこととしてとらえることで、いまあなたのまわりにいる人たちとのかかわり方を、深く考えよう。
  道徳の時間に使う読み物資料を中心とするものとは、まったくコンセプトが違う。 名人はこれだけで道徳の授業をするが、我々はそんな思いでこれを作ったわけではない。イメージとしてはポスター。アメリカで1983年『危機に立つ国家』というレポー トが出た。学力が低下して大変だという。学力の低下をなんとかしないとかん。どのレポートも異口同音に、学力を向上させるためにはその基盤、品性の陶冶。道徳性の はぐくみが必要だということ。…教育課程調査でも、基本的生活習慣できている子どもたちの学力について比較しても優位な差があった。 内容項目1−(1)基本的な生活 習慣一つをとっても学力との関係は明らか。強い意志をもって、信義を求めて、そう いう諸々の道徳性と一緒になって、はじめて高い学力ができてくる。
  今求めようとしている「生きる力」、さまざまな能力。能力っていうのは、いろいろ求めようと、育もうとする力。その力は、いったいどういう目的に使おうと、その ことが同時に学習されなければ、力とならないだろう。
小学校低学年15内容項目、中学校23内容項目、一つの内容項目に道徳的価値が一つとは限らない。いろいろな価値を入れている。ところが、アメリカでよくされているのは六つから八つぐらいの価値。たとえばrespect(尊敬・尊重)は思いやりを含む。respectについて学校が取り組むということは地域のコンセプトを得ている。うちはこの価値について考えていきますよ。地域の人も知っている。音楽をやっていてもrespectにかかわるような歌詞であったり、あるいは思いやりにかかわるような行為が見られたらジェーンやスミスのカードに書き込む。地域の掲示板にもrespectについて書いてある。学校でも、どの教科でもrespect・相手を尊重する・相手を思いやるということを教師は頭に描いて自分の担当する教科にあたっている。見えないようで見えるのが心の内側。だからなおさら、それに寄り添って、それを見るためにどうしたらよいか。
 その一つがスミスやジェーンの記録。道徳性にかかわる記録。これを一つにまとめて本人と家族に返す。これがcharacter education。
  このポスターを入学式の後ぐらい、拡大して廊下・各教室に貼ってある。先人の言葉が入っている。『どんな人間でも、なにかのキッカケで知り合うまでは、未知の人である。そんなことは、あらためて言うまでもないことだが、未知の人が未知でなくなるその線には、言うに言われる摩訶不思議なところがある吉村淳之介「未知の人」』 未知から既知へ。出会いといのは、ずっと心の中に残るもの。
● 小中いっしょになって道徳の内容全体について理解を図る研修の場面。フットワー ク。ちょっと学校から外に出た。道徳教育で高等学校の先生方も集まって中央で研修
 をし、全国5ブロックでやるのは戦後始めて、歴史的なことである。









 
「道徳の内容」3−(2)
第1学年及び第2学年
 生きることを喜び、生命を大切にする心をもつ。
第3学年及び第4学年
 生命の尊さを感じ取り、生命あるいものを大切にする。
第5学年及び第6学年
 生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する。
中学校
 生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する。
     小学校学習指導要領解説 道徳編 平成11年5月文部省 P134
  かけがえのなさをどれ程実感をもってその子どもたちは、授業を受けているのか、そこの見取りをどうするかということを抜きにして本来の評価はできない。そして、中学校では生命の尊さを理解し、…小学校と同じような授業、同じ観点だけでは。
  「心のノート」は、道徳的価値にかかわる問いをつくっている。道徳の時間は、それを考えるんだけど、常に道徳の時間が日常化することがよい。どんなことを自分がやっていても何か問いが生まれる。…プレゼンで<地域の掲示板に掲示された「心のノート」に記入する地域の人>の様子を提示。「友とはなんですか。」小学校のとき何 を書くか。中学校のとき何を書くか。大人になって何を書くか。地域の人は?「えっ あそこの煙草屋のおばちゃん、あんなこと考えてるんだ」ということになる。保護者 の方、地域の方がかかわっているということ。もう一つ言いたいのは、他職とかかわ りたい。道徳教育はもちろん道徳性を育む教育なんだけれども、言ってみれば人間と しての在り方について子どもと一緒に考えようとすること。他職の方は発想とか観点が違う。フットワークを大切にし、他職の方とかかわる機会をもって欲しい。…Aちゃんの保護者としてだけ見るのか。その人は私の教師。自分と違う世界を知る人、そういう対象として。いろんな方と交流していくこと。
● ホームワーク

 
  たったひとつのたからもの
              「人の幸せは、命の長さではないのです」
  一人の教師である前に一人の人間で、一人の父親・母親です。たった一つの家族。 道徳教育を本当に充実させたければ、家庭での自分の子どもとのかかわりがどういうもので、だってそこでいくらでも観察が可能なのだから。そこで得られた情報は、子どもたちが本当に考える必然性のある、考えたくなるような問いをつくるときに生かされる。道徳教育は、学校だけの限られた世界だけでは大きな成果を得られない。地域や保護者と一緒になってはじめて大きな力を得る。あなたは学校に対して何ができ て、何ができないのか。一地域の住民なんです。何ができて、何をすることが難しいのか。どういうことで支えてもらっているのか、そういう実感なくして、「学校で協力してください」といっても……説得力をもたないでしょう。
● ハードワーク。
  道徳教育は内面を見つめる。それは、子どもたちに内面を見つめさせるということ と同時に、それにかかわる教師・大人が内面を見つめる作業を続けていく必要がある だろう。心に響く道徳教育。「心に響く」というのは、「知」・「情」・「意」。「知」知的 に、「情」あるいは、意思・欲求・意欲そういったものが何か変容をきたすような教材を提供したり、問いを提供できたりするためには、その大人側はその心を響かせる 機会を意識しておく必要があるだろう。その前提として、大人自身が自分の内面を見
 つめる作業を繰り返す必要があるだろう。







 
ですか、あなたの心とからだ

       元気は、目に見えないたからもの。
       あなたの元気で
       きっとだれかが勇気づけられます。
       そしてだれかの元気が
       あなたの心を           「心のノート」(中学生用)
       明るくしてくれます。        P14
  教師は子どもたちから元気もらってるのかな。「心のノート」にはページシートが ある。『私の自我像』引用。自画像→自我像。「我」は色付けて、斜めにして国語の皆 さんと了解を取り付けた。中学校版、常用漢字表の音訓読み方とあえて違う読み方を してほしいところは、ルビの色を変えている。「生命」と書いて「いのち」と読んで ほしい。「地球」とかいて「ほし」と読ませている。中学校段階ではあえてそうして いる。…「心のノート」に自分の思いを書いているかどうか。「一番ほっとするとき」
 →「学校を出たとき」(笑)。…大人自身が自分の内面を見つめていくことが大切。









 
よりそうこと、わかり合うことから
  セトモノと                「心のノート」(高学年用)
  セトモノと                       P48・49
  ぶつかりッこすると        やわらかければ
  すぐこわれちゃう         だいじょうぶ
  どっちか             やわらかいこころを
                  もちましょう
                   そういうわたしは
                   いつもセトモノ
                            みつを
● ありがとう

 
 「ありがとう」と言えますか?       「心のノート」(高学年用)
         は い       いいえ        P52・53

  <さだまさしの歌から>
  ありがとう                  ※のフレーズは聴き取れず
   ……  ※
  ありがとう    元気でいてくれて 
  ありがとう    支えてくれて 
  ありがとう    愛してくれて
  たった一人で生まれてきてそれから
  たった一度の人生 不安だらけで歩いてきた
  一人きりじゃないよって君の笑顔が  孤独から僕を救い出してくれた
  あの空の高さ 海の青さに はじめて
  気付いたときに 僕は自分が生まれてきたことにはじめて
  感謝の捧げた
  忘れないで 僕は いつも君の味方
  ありがとう  ありがとう   ありがとう  ありがとう
 
  もしも生まれた意味があるのなら
    …… ※
  もっと強くもっと優しくなりたい
  君をまもって僕は生きていくために
  この夢の高さ 愛の広さにはじめて
  気付いたときに 人は心で生きると言うことにはじめて
  感謝を捧げた
  忘れないで 僕はいつも君の味方
    ……

  道徳の時間、どの道徳的価値を考えるにしても、基盤にあるものは命。命というものを子どもたちがその発達段階に応じて認知できるのか、あるいは「命は大切だ」と
 いう価値認識がどれほど実感をともなったものとして自覚されるのか、これが大事。

 
                     「心のノート」(高学年用)P63
いま 生きているわたしを感じよう
   生きる意味は何か。道徳の内容は人間を縛り付けるようなものではなく、本来は人間が自分だけじゃない、周りのみんなが幸せになるにはどうしたらよいか、人類が何千年もかけて創りあげてきた道徳。こういうものに価値をおいた方が幸せになる人が 増える。…価値は価値として子どもなりに夢を持ちなさい。持つ価値はどこにあるのか。「目標をもつっていいことやなあ」とどうやったら思わせられるのか。それを考 える。そういう体験活動を組もうとする。あるいは知的にもう少し内面をじっくり見つめて自分の思いや考え方を表出させて、自分とは違う感じ方・考え方をしている人の声を聞いて、もう一度自分の価値観形成に生かそうとする。そういう時間を設定しようというのが昭和33年以降の道徳教育である。



 
ありがとうを さがそう         「心のノート」(低学年用)P44
気が ついて いたかな。
あなたの まわりに ありがとうが いっぱい。
「ありがとう」って つたえたいね。
  道徳的価値は至る所にある。道徳的価値が出現された事象というのは。ところが、その事象に気付いていないことのほうが多い。高学年・中学校・高校、自分は支えられている、それに対して感謝、自分は何かできないだろうか、価値を見いだせないだ
 ろうか。というふうに続いていく。


 
自分をまるごと 好きになる       「心のノート」(中学生用)P30
人間は、ずっとこのままじゃない。
人間は変わっていくし、成長していく。
  これは中学生に人気にあるページ。個性伸長の内容項目。この内容は道徳ではない。 これは、柴原氏の班ノート活動からのピックアップしたもの。子どもたち自身が十何 年間か生きてきてその子なりの道徳性を形成してくる。「そっと自分に聞いてみよう」 「心のノート(中学年用)」には、「いちばんだいじなもの」を記入する欄がある。「心 のノート」は自分の心の成長が、足跡が残るように作っている。だから、別に書かせ なくても良い。「書け!書け!」ではなく。「心のノート」というのは、この「心のノ ート」そのものを意味しているのではなく、そこにあるいろいろなメッセージ、いろ んな情報から自分の<心のノート>に何か感じ取ったり、考えたり記されたり、そう いうのを「心のノート」という
 子どもたち自分自身でも捉えられるようにする。心の自分の悩みを見つめた、それを言語化する。齋藤孝『コミュニケーション力』という本がある。自分と対話し言葉を探す。それを言語化させておく。音声言語であれ、文字言語であれ。評価するには基本的に二つしかない。観察と言語分析しかない。しかも、それは100%見られないのだけれど、その時間内、あるには長いスパンの中で、どういう観点でみようとするかを書く。こういう言葉、こういう文末の文面がたくさんなってくれば、心の内面がこうなっただろうなということを整理しておくこと。
● 戦後、教育で不足しているものが、知識教育ではない人格教育であるという言葉が あった。もちろん知識は大切。だから、「生きる力」としてこの三つ「確かな学力」「豊 かな人間性」「健康・体力」をトータルにとらえて育成していく。この基本的理念は 変わらないという結論に教育課程会では達している。ただ、「生きる力」を育む手だ てが講じられているのかどうか。そのことを今後は問題にしていく必要があるだろう。 確かな学力を付けようと思えば、豊かな人間性が必要。豊かな人間性を本当につくろ うと思えば、確かな学力がなければならない。命という言葉を自然科学的な、あるい は社会科学的な認識、これがしっかりなければ。人権というものに対する認識がなけ れば、命というものをより豊かに認識できる、そのベースには自然科学的、社会科学 的な知識というものが必要なのだ。だから、教科は教科としての目標、内容をもっているが、しかしながら、それは一方で道徳性を育む上においても非常に重要なものな のだということを意識して教科の授業に臨もう。
  この社会、どういう分野に行こうが人間、倫理が絶えず問題になってくる。素晴ら しい能力が、一体何に使われるのか、どういう志のもとに使われるのかによって変わってくる。バイキンマンは、すごいでしょ。自分で課題を見つけ、自ら学び、主体的に判断し行動しうる問題解決するシステム。課題設定できる能力は非常に高い。バイキンマン、「天丼マンの天丼が食べたい」あれを食べたいという課題を設定する。彼 は調べ学習する。天丼マンの行動を日々観察して、記録をつけて。そして、彼はCQ 高いのでベトベト爆弾を作っていく。そして、それを実行し、天丼をおいしそうに食 べる。そこにいつも出てくるのが、ドキンちゃん。なんもしなで「私も…」しかし、それを見てTV見てる子どもたちは「すげいぜ、バイキンマン学力高いぜ」とは誰も思っていない。なんかイライラしている。だって、道徳性の芽生え、もって生まれてきているから。こうあるべきだ、というのが言われなくてもあるわけだ。  
● 道徳性について








 
 道徳性とは、人間としての本来的な在り方やよりよい生き方を目指してなされる道徳的行為を可能にする人格的特性であり、人格の基盤をなすものである。それはまた、人間らしいよさであり、道徳的諸価値が一人一人の内面において統合されたものといえる。
 すべての生命のつながりを自覚し、すべての人間や生命あるものを尊重し、大切にしようとする心に根ざして、向上心や思いやり、公徳心などの道徳的価値が形成されていく。この道徳性が、個人の生き方のみならず、人間のあらゆる文化的活動や社会生活を根底で支えている。
   小学校学習指導要領解説 道徳編 平成11年5月 文部省  P13
  「道徳教育は何なのか」に立ち返るべき。道徳教育というのは、「道徳性を育む教 育活動です。」というのが正解でしょう。「道徳性とは何ですか」と言われたら、教育 学者、心理学者、倫理学者によって違う。私たちは、小学校学習指導要領解説による。中学校も高等学校も道徳性については同じ説明をしている。「人格の基盤をなすもの」 「人間らしいよさ」「道徳的行為を可能にする人格的特性」だ。ですから、道徳的価 値という側面から捉えると、「道徳的諸価値が一人一人の内面において統合されたも の」これを育むという目的をもっているのが道徳。だったら、「一人として同一の道 徳性は存在しないという前提に立っている。(これは解説書に書いてない)」というこ とになる。……色ブロックによる解説。「命は大切である。」と幼稚園児でも言う。な らば、みんな同じ生命尊重という色ブロックかと言えば違う。大きさも違えば、色合 いも違う。「命は尊重されるべきだという根拠をあげてください。」「特殊性やろ」「神 秘性やろ」「偶然性やろ」いろいろあげてくるだろう。直感という認識もある。おそらく一人として全く同一の、形も色も大きさも同じいっしょの人などいるはずがない。
 子どもの立場も一緒。ましてや、それをどう組み合わせるか。私たちは、何か行為を
 選択するとき、「A」という行為を選択するとすれば、「A」=A以外のすべてものを選択しないという選択をしたことになる。人間が行為を選択するということは、それ 以外のすべての可能性のある行為選択をするということ。人間が行為を選択するとき、 他人の道徳的価値だけで行為選択することはない。その人は、それなりに既にもって る道徳性を。その道徳性がいろいろ絡み合っているのだけれど、その中で形成された ものによって行為選択する。廊下を歩くときですら、その行為選択、その中心となっているのは道徳性ではないですか。その道徳性を育むのが道徳教育。ただそれは、あ る場面でこういう行為をとる人を思っていない。大事なのは、このブロックが、本当に子どもたちの内面にしっかりとしたある程度の大きさで、ある程度の形をもったも のとして、しっかり内在化されていますか?なかったら作れない。しっかり内面化し て自分のものとなっていなければ機能していかない。…長崎での事件。あの事件で彼 女が書いた詩「嘆きの賛美歌」を紹介。彼女の詩は、次のように結ばれる。「虫も魚 も動物も木、花も、たったひとつだけのかけがえのない『命』をもっているのだ。殺さないで たくさん殺して 殺して 殺して 殺して 森の木も人の手によって焼き 払われたりしたよ 自然も生きているのだから 息をしているのだから木や花も動 いたり話したりはしないけど 生きているのだよ 生きているのだ すべて生きてい るのだから 神様はいるのですか 助けてください」彼女の中での命に対する認識、もっと言えば「命は大切だ」という価値認識、先ほどのブロックでどういう具合で、
 どういう形状になっているのか?…こんな詩を書く中学生もいる。







 
私より勉強できる人は、いくらでもいるだろう
私より速く走り高く跳ぶ人は、いくらでもいるだろう
私より力が強く体の丈夫な人は、いくらでもいるだろう
私より美しく豊かな人は、いくらでもいるだろう
私よりすべてに優れた人は、この地球の上に限りなく存在するだろう
しかし、私とまったく同じように走り、跳び、考える人は決していない  
私とまったく同じように生きる人は、どこにもいない
銀河系の中で私はただ一つの確かな実在
  ここまでの表現力をもった子は、そうはいないかもしれないけれど、「命」の持つ特殊性に気付いている。そして表現している。命の持つ特殊性に気付いたり、それを大切にしなければと思っている子が、日本中に何万といる。だって、みんなこの歌好 きなんでしょ。「世界中に一つだけの花 ひとりずつ違う種をもつ」この歌詞に盛り 込まれているメッセージに価値を見いだしている。いいですか。「資料をどうやって 探したいいですか。」と言うが、「少なくと学級の子どもたちがどういう歌が好きで、どういうドラマが好きかご存じですか」トップ10の歌詞を見てみよう。道徳的価値 がどれだけ中に入っているか。極めて彼らは健全。もしも、それが改めて何らかの道 徳教育の活動の中で、あるいは道徳の時間で、その詩が文字言語として示されたとき、 おそらくまた違ったものを彼らは感じたり学んだりするだろう。道徳の時間の終末に 流されることもあるだろう。
● 道徳教育と体験





 
体験は、道徳性育成の基盤(教育活動全体を通じた道徳教育となっているか)
豊かな体験(実践)の場の設定 と 道徳の時間の充実
         ↓        ↓
  時間的・物理的限界は?    体験の知的省察・意味付け 道徳的価値の自覚
                内的世界の拡大・充実(確かな道徳的実践力)
  「体験なき知見」と「知見なき体験」の不十分性





 
                 ↓
           真の意味での確かな体験を生む可能性
「脳内の一次方程式 Y=aX」  養老 孟司 『バカの壁』
「虫の音、小鳥の歌が美しいのも、人間の方が聞く心の支度があるからである。」
                         大仏 次郎『石の言葉』
「美しいものを、美しいと思えるあなたの心が美しい。」 星野 富弘
知見なき体験、すなわち気付いてないこと、見えてないことがあるのではないか。
 脳の中でおきるYという質量、情報提供によって何かを感じたり何かを考えたりする。 情報Xによって生じるYは、一人として同じものはないはず。なぜなのか。それは情 報Xがaという係数をそれぞれもって、そのためにYが違う。道徳的価値について、より深く道徳的価値を拓き、道徳という力を育もうとする、そういうYを創造しようと思えば、豊かなYを創造しようと思えば、Xという情報をより豊かにすること、つまりより豊かな体験を生じる可能性の高い体験活動を設定する、限られた場で。同じ体験、同じ時間を使って、より豊かな体験とするためには仕掛けをする必要があるわ けだが、たとえば一人一鉢ではなく二人で三つの鉢植えをする。同じ時間をかけても、AちゃんとBちゃんと人間関係が生じる。体験が生まれる可能性がでてくる。こうし た仕掛けを考えると同時に、Xは増大させても極端な話、それを受け止める一人一人 のaがゼロだったら、Yはゼロ。大仏次郎の言葉に「虫の音、小鳥の歌が美しいのも、人間の方が聞く心の支度があるからである。」がある。…客観的情報は同じようにある。でも、そこにこの葉(双葉の映像が映し出され)をみて、「あっ生きてるな」と 思う子もいれば、「あれ、ここから命もらってる」と考える子もいれば、そうじゃない子もいる。同じ空間にいたとしても同じ体験など、一人として生じない。とするならば、その体験の中味を子どもたち自身に自分自身で確認をさせる。そして、人がど う感じたか考えたかを交流させるなかで、より豊かなaを作り出す。
 鈴木とししげさんの『手紙』という詩。「郵便屋さんが来ない日でも あなたに届けられる手紙はあるのですゆっくりする木々の陰 庭に舞い降りるタンポポの綿毛 おなかを空かした野良猫の声ごみ集めをしている人の額の汗も みんな手紙なのです読もうとさえすれば」…理科で学習をする。「体のつくり」そのときに「命」についての意識があるのとないのとでは、言葉かけが違うということ。血脈一つを見ていても子どもたちに命を実感させる。感じさせる。…金子みすゞ『大漁』引用。
  各教科、道徳の時間で取り組まれていき、子どもたちの身に回りにあるいろんな事柄から、道徳的価値についてさらに気付き学び合いできる。
 
  某生命会社CM・小田和正「言葉にできない…」BGM。90秒。
 
  子どもたちの周りには道徳的価値について感じたり考えたりできる素材がたくさんある。それが豊かに感じられて、より深く考えられるような道徳教育を展開する
 最後に、平成14年文化審議会答申の中に載せられた詩「大地からの手紙」を紹介。
                         ※ 記録中、浪線は高田による。
 
 
 
 
 
 
平成17年度
 
道徳教育を推進するための中核となる
 
指導者の養成を目的とした研修
 
(東海・北陸ブロック)
 
 
 
 
 

還元のための手元資料
 
 
 
 
 
 
小・中学校部会
 
 
独立行政法人 教員研修センター
 
 
     日 程  平成17年10月3日(月)〜5日(水)
 
     会 場  ホテルアソシア静岡ターミナル