富士市立岳陽中学校自主公開研究会参加報告
                             平成19年1月18日(木)
    本年度研究主題 活動的で協同的で表現的な学びの追究
                 −「背伸びとジャンプ」と「かかわり」−
文責 土 井

この記録は、土井によるメモから作成したものです。従って、誤字脱字や主観的な解釈、誤解もあり得ます。文責はすべて土井にあり、主催者や講師には一切責任はありません。そのため、引用や転載はご遠慮ください。また、問題の箇所は修正しますのでお知らせください。  
はじめに

 岳陽中学校は初めての訪問である。道中、あいにく富士山は見えなかったが、タクシーの中で富士山の話を聞いた。とにかく「汚い」そうだ。小中学生を使って清掃をさせたいと言っていたが、観光客ではなく、産廃業者が暗躍しているので、小中学生の手に負えそうにない。産廃を出せないシステム作りが必要であろう。
 学校へ到着。学校への一般来訪者へは、プリント2枚とアンケートだけの必要最小限の接待である。公開授業の時間割すら掲示である。自主公開なのでそれでよいと思う。こういったところにも、年中多くの来訪者を受け入れているだろうことを感じた。学ぶものが自分で感じればよいことだ。
 教頭先生による説明会があった。なんと、佐藤学さんが欠席。NHKの取材が入ったそうで、フィンランドに行っているらしい。
 代わりに元岳陽中校長の佐藤雅彰先生の講演だ。佐藤学先生の話は何度も聞いているので、これもよかったのかもしれない。
 ちなみに04.11.25に岳陽中で行われた佐藤学先生の講演は次で要旨がわかる。
  http://www.tcn.zaq.ne.jp/akahj701/school/manabi/gakuyo-manabu-koen.htm 
 このサイトには、佐藤学先生、佐藤雅彰先生関係の講演等が集められている。
  http://www.tcn.zaq.ne.jp/akahj701/ 
 6年目の一番古い先生が高校へ研修に行っているそうだ。6年目で一番古いこと、中高で交流を行っていることなど、愛知県と静岡県とのシステムの違いを感じる。
 昭和49年開校。生徒数、800名。24学級。1年8クラス、2・3年が7クラス。富士市で2番目に大きい。校区の小学校が2つ、新興住宅地が多く市営住宅もある。人口増加地域である。かつては指導困難校だったそうだ。
 平成13年、佐藤雅彰校長が赴任。何とかしたいと考え、学校で一人一人すべての学びを保障していこうと考えた。何をしたらよいのか。そこで佐藤学氏の理論を取り入れた。
 教室の生徒の配置はコの字。男女混合4人のグループ学習を取り入れた。関わりを大切にしている。いろんな生徒がいるが、それでも授業は大切にしている。1年間で1度は公開研究をしている。そんな様子を見ていただきたいとのことだった。
 チャイムは3回しかならない。韓国から学校の先生が50人団体で視察に来ていた。同時通訳をイヤフォンで聞いていた。
 
授業参観
 ざっと全体を参観する。教室配置、グループ学習の形式がどの授業でも共通なので、生徒も慣れている。スムーズな話し合いができている。  
 各教室には、次の掲示が張ってある。
 第1ステージ ひらく(心と心をひらく・学びをひらく・喜びをひらく・歌声をひらく)
  この「ひらく」の部分がステージにより替わる。 
 第2ステージ つなげる もっと輝く
 第3ステージ ふかめる もっと明るく
 第4ステージ のびる  もっと大きく
  
 さらに校訓「最善を尽くせ」、そして、「聴き合い 何かができる人になろう」 の額が並んでいる。
 1年生の廊下には、ホワイトボードに次のようにかかれていた。
  自分が人の役に立てる喜び
  自分がしたことで人が喜んでくれる喜び
  この味を知ると人生が少し変わってきますよ
  さわやかな1年生、挑戦する1年生、あたた かい1年生
 
1年社会科を見学する。
 課題は、「静岡県って、どういう県だろう」
 グループ学習は課題がポイントだと佐藤学氏は言う。少し上の課題が、学びをつくる。この課題がよいのかどうかは、前後がわからないので何とも言えないが、多面的に話し合いは進んでいる。しかし、まとめ方がわからないので、ゴールが見えないことに困っているようだった。「○文字でまとめよう」などの具体的な指示が必要だろう。
 やはり全体に、話し合いの声も、先生の声も小さい。しっとり感がある。
 2年2組に「学びの作法」が貼ってあった。どの組にもあったかどうかはわからないが、紹介する。
−−−−−−−−−−−−以下紹介−−−−−−−−−
「学びの作法」
・人の話を十分聴く。聴くことが最初の行動。話し手に体を向ける。
  :うなづいて聴く。わからないときはわからない顔をしていい。
  :「ハイ」「ハイ」言わなくていい。
  :楽な姿勢で聴き、考える。
  :居眠りは厳禁です。
  :授業以外の私語は慎む。
  :素早く班をつくり、素早く班を解体する。
  :班で考えたいと感じたらそっと隣に声をかけていい。
・班でわからないときは「ここ教えて」と尋ねる権利を誰もがもつ。わかったときは「ありがとう」とお礼を言う。
・尋ねられた人はきちんと答え、教える。
・隣近所が授業に集中しないときは迷惑していることを伝え、注意する。
・授業と全く関係ない発言やつぶやきは授業の妨げになるのできちんとたしなめる。
・好きな者同士で並ばない
−−−−−−−−−−−−紹介終わり−−−−−−−−−−−−−−−
 全体での発言も声は小さいが、他の生徒が実によく聞いている。佐藤学氏の考えは、この点では定着していると言ってよい。 
 
4校時
 2年6組歴史の教室へ行く。ノーチャイムで2分ぐらい前には自然と着席している。時間に対する意識がよく育っている。同じく社会科の授業を行う2年4組はまだ着替えの途中だった。2年6組に戻る。
「やりましょう」「お願いします」で始まる。
T「今、何時代やっている?」S「明治時代から大正時代。」
T「明治時代で印象深い出来事は?」S「明治維新」「殖産興業」「文明開化」
T「では大正時代は?写真を見ればわかると思う。」写真を提示「わかった人」S「グリコ」
T「グリコのマークは何を表している?」S「ゴール」
T「何でグリコって言うの?」S「グリコーゲンから来ている。」
T「今日は大正時代らしいものを探してもらいます。グループにしてください。資料集取りに来て。」
 一人1冊ではなく、グループに数種類の歴史資料集がある方式だ。
T「そんなに時間かけないように。」
 各自が資料集を探している。
 
 ここで4組に移動。
 グループ学習が始まっていた。プリントの写真を見て、気づいたことを出し合っているようだ。教育出版の教科書P152の写真と同じものだ。
T「机直して。この写真からどんなことがわかった?」以下指名発言が続く。
S「兵器の工場で働いている」
S「推測だけど、これだけの砲弾をつくっているということは戦争をするということで、男が戦争をしているので、女の人ばかり働いている。」
S「同じで、男の人が戦争を女の人が働いている」
S「女の人が働くほど大きい戦争がある。」
T「みんな戦争と言った。こんなにたくさんの砲弾があるということは、ここはどういう場所か?」
S「兵器工場」
T「兵器工場で爆弾を作っているんだね。戦争が始まるといってくれたのだけど、これを全部使ってしまった。女の人が働いているけど、最初の頃は誰が働いたかというと?」
S「男だと思う。」
 声が小さい。しっかり聞いていないと聞き逃してしまうほどだ。ここで「第一次世界大戦」と板書。
T「ここで地図あげるね。」ヨーロッパの白地図を配付。「どこかわかる?」
S「ヨーロッパ。」
T「そう、この戦いの主な舞台になったの。これは、当時の戦争の頃の地図です。今と違うでしょ?違いがわかった人?」無言「これは第一次世界大戦の地図です。あ、みんな地図帳もっているんだ。じゃ、4人グループになって確認してごらん。」
 確認を始めた。多くは、教科書の資料で確認している。
 
再び6組へ移動。
 黒板に投票している絵の写真が張ってある。
「25歳以上男子 15円以上納める」と生徒の発言を板書。
T「これが明治時代の絵。これから大正時代の写真を配ります。何か発見してください。」
T「何で並んでいるの?」
 すぐ前の男子2名が、「投票できる人の数が変わったね」とつぶやいている。「税の制限がかわったのかも…」「あった。納税額の制限がなくなった。何でだろ?」「阪神大震災と関東大震災でどっちが大きかった?」などと話している。女子の声は聞こえない。
 発言から 1900年 男の人が10年以上納税。
      1925年 制限なしになっている。   と板書。
 明治と大正の2枚の写真の比較から、その意味を考える授業はおもしろい。
 
4組に移動。
 白地図に第1次大戦当時の国名を書いている。連合国側と同盟国側を色を変えて斜線を引いている。ぼそぼそ相談の声も聞こえるが、基本的には個別の作業だ、
T「机を元に戻してくれる。」教師は進行状況を確認している。じっと待っている。
T「まだやっている人がいるから、できた人は地図を見ていてくれる。」
T「今ね、色塗りをしてもらいました。実は。」
 ここで、声を出すのをやめ、じっと全体を眺めている。まだ作業をしている人を待っているのだ。その間、誰も何も言わないで待っている。教師の信念と、それを理解している生徒の姿があった。 
T「今、大切な話をしようとしたのに、書いている人がいるから待っていました。こんなにたくさんの国が戦争をするようになってしまった。一つの国が戦うだけでもすごいことなのに、多くの国が戦う。みんなに考えてほしい。どうしてこんなに多くの国が戦争に参加したのか?それを考えてほしい。4人グループになって。」
「どうして、こんなに多くの国々が戦争をしたのだろうか」と板書。
 発問のたびにグループになっている。やや多すぎるような気がしないでもない。
 
再び6組へ。
 大正時代の写真の下に、「男だけ、服装が同じ、有権者が増えた、行列している」黄色で「普通選挙へ」と書かれている。
T「今現在を考えていると、20歳以上。男女。当時の他の写真を探してみたけど、どれも同じ様なんだ。他の写真でも行列している。なぜこんなに並んでいるの?」
S「そこしか投票する場所がなかったから。」
T「並んでいる人の気持ちは?」
S「早く終わらして。」
T「他のクラスでこんなことを言っている人がいた。選挙しなければいけないようになっている。罰が下る。どうですか?投票所に行かないと罰が下るに賛成の人?」なし「反対の人?」大勢
T「みんな反対か…、何で?最後に、4人で。選挙に行かないと罰が下るに、賛成か反対か
。」話し合いを始めた。ほぼ全員反対に手を挙げたのに、グループで話し合う意味があるのか?それより、反対の理由を考えてみようの方が考えやすかっただろう。
 課題が現代に跳んだ。心なしか、多くの子の目がとろんとしている。生徒にとって、課題の必然性がないような気がした。
T「賛成の人いますか?反対の人ばかり?もし誰も投票に行かなくなったら?」
S「…」(聞き取れず)
T「今の投票率の状況は?そうではない。将来どうかな?必ず行くという人。」なし「わからない人?」大勢挙手。「でも、罰はいや?いい方法ないですか?」「年齢はどうなっているの?」20歳の声。「今は20歳だけど、変えようと言う動きは?」
 「机を元に戻して。調べてみると。国によって選挙年齢が違う。未来の選挙はまたくぁってくるかもしれないね。今日はここまで。」 
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 この時間で何をどこまでやろうとしたのかがよくわからない。大正時代のイメージをつかむはずなのに、途中から現代の投票率を上げるための方策を話し合っている。また、生徒の追求意欲も感じられない。学びの姿は感じるが、意欲は感じない。常に教師の指示で動いており、生徒のこうしたいという思いが感じられない。というより、思ってはいけないような雰囲気がする。
 グループ学習も、わからない生徒がわかる生徒に聞くのが理想。しかし、みんなわかっていない時は学びにならない。話が課題からそれていく。もっと、全体の場で考える根拠となる資料を与えて、論点を明確にしてから話し合いにしないと、時間がかかりすぎる。
 
 廊下に出た。自習のクラスを覗く。話し声が聞こえるが、基本的に落ち着いている。音楽室では、大地讃頌の合唱練習していた。音程がよく、声はまずまず出ていた。
 廊下ですれ違うどの生徒も「こんにちは」を声をかけてくれる。義務的ではなく、笑顔だ。気持ちがいい。
 
全体授業 13:10〜14:00
1年歴史
 「始めましょう」で始まった。
T「江戸について勉強したい。午前中に江戸の町を考えた。」ここで一人1枚カラーコピー配付。江戸絵図で日本橋付近の絵である。 
T「これまでのイメージと実際の江戸の町とどう?じっくり見て」「どこ?」日本橋の声
「どう?」S;人が多い。イメージと違っていた。糞尿を回収するところがない。にぎわっている。すばらしい。にぎわっていていい。
T「実は、これが江戸の町全部ではない。4人グループになって。」次のカラーコピー配布
を班で1枚配付した。「じっくり見てくれる?」S;じっくり見ている。
T「日本橋探してごらん」「江戸の様子、人がいないという声もあったけど細かくて書けないから。前の時間にぎわっていると出してくれた。なぜそんなににぎわっているのか、今日はそれを考えてみよう。はじめ。」
 課題が出された。江戸の町がなぜにぎわっているかの理由を考える課題だ。答えはいくつか考えられ、多面的に江戸の町を見ることができる良い課題である。
 あるグループでは資料集を見ながら、参勤交代があり人が集まる、五街道が集まり人が出やすい、政治の中心だからここから東京ができあがった、長屋が多い、など男子の二人が多くの意見を出した。女子の一人は少し発言したが、一人はほとんど声を出していない。
 
T「前を見て。どうぞ。」S;店がたくさんあるから、物を売りに歩いている人が多いから、
大名たちが一年おきに来て付き人が多いから江戸の人口が増えた、?(聞き取れず)、江戸の近くは五街道が通っていて交通の便がよいから物を売りにくる人が多くなった。
 多くの意見が出たが、教師は言い直しをしない。聞こえない生徒もいるはずだが、「聞こえません」という声は出なかった。
T「本当に江戸の町は人がたくさんいるの?4人グループで考えてみよう。資料集を見てもよいよ。」2回目の話し合いだ。課題が戻った。江戸の人口の多さを確認してから、「なぜ多いのか」を考えるべきだ。生徒は資料集を見る。話し合っているグループもあるが前に進まない。
 かなりの時間をかなりとっているが、「本当に人が多いのか」という課題が悪かった。「当時の江戸の人口はどれぐらい?」と聞けば、だれでもすぐに探せたはずである。それで当時の世界の大都市と比較すれば、世界一の都市であったこともわかる。何をさせたいのかが曖昧だ。
T「机直して」ここまで24分経過。「どうでした?多かった?」S;多かった
T「どれぐらい?」S;すごい。T「すごいではわからない。」S;100万人くらいでいいのかな?T「100万人いてにぎやかになる?」「じゃもう一回、なぜ人がいるとにぎやかになるの?4人で話し合って。」
 グループ活動は3回目だが、これも何を考えて良いのかわからない。
 「100万人いてにぎやかになるか?」これについて、「なる」「ならない」を話し合う必要があるのか?さらに、追い打ちが次の発問。「なぜ人がいるとにぎやかになるの?」人がたくさんいることをにぎやかと言わずに、なんと言えばよいのだろう。
 始めに、「なぜ人が集まるの?」という良い課題を出し、生徒もそれについて多面的な良い意見を出しながら、なぜこのような発問に変えたのか?残念だ。
 先ほどのグループの話し合いの様子を観察した。「店が多い。」「現金掛け値なしって何?」
「何だろう」「越後屋さんって呉服屋さんだって。」「呉服って、服?」ここに教師が近づいてきた。「先生、現金掛け値なしって何?」教師は答えなかった。さらに自分たちで続けた。「物々交換のこと?」「現金を使わないことかな?」「問屋って何?」「あった!」一人の生徒が読んで説明している。「そういう意味か。全く逆だった。」グループの力で、「現金掛け値なし」に対する疑問は解決できた。しかし、課題は「なぜ人がいるとにぎやかになるの?」であり、まだ到達していない。「儲かるから支店をオープンする。」
 進まない。ここまで35分。
T「机なおして。人がたくさんいる以外ににぎやかな理由ありました?」
S「新しいことがたくさんあった。歌舞伎とか。」「越後屋という店がすごい商法をして支店をオープンさせてより人が集まった。」「川とかがいっぱいあって、他の土地からいろんなものが来た。」「越後屋がすごくて人が集まった。」「お金があったからたくさんお店がたくさんでき、買い物もできた。」「お金ができた。」
 ほとんど何も考えていないだろう子もいる。自分が「にぎやか」という意味を誤解しているのかもしれないと思い広辞苑で調べると、「にぎわしいさま。盛んなさま。繁盛するさま。」
とあり、経済的な視点があった。
 生徒からも、銀座という言葉ができた。
T「本当にお金があるか考えて。グループになって。」4回目の話し合いだ。「本当にお金があるか考えて」というのは、何を答えればいいのか?わからないが、生徒は考え始めた。
S;資料集にあるからあった。新しい野菜などを作って農家は儲かってきた。年貢の代わりに、貨幣で納めた。
T「最初の質問何だっけ?いや、さっきの。あっ、金だ。」これで50分。
T「前を見てください。お金のことで、江戸にはたくさんあるということだったけどどうだった?」
S;都市では貨幣が流通していた、鉱山ができて江戸には金や銀があつまった、リサイクルなどもしていた、参勤交代で大名たちがお金を使った
T「いろいろでてきたけど、お金をつくっている人と、使う人がいるという意見が出たけど、次回話し合います。今日はここで終わり」55分だ。
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授業の感想
 とにかく声が小さい。おそらく聞こえていない生徒もいたはずだ。聞こえないので目が輝かない。「聞こえない」という意志表示もできない雰囲気だ。
 発問が課題の表現になっていないこと、せっかく良い意見が出ながら展開に結びつけられなかったことが残念だ。時間のロスが多すぎた。
 しかし、ここではこれ以上問題にしない。大テーマである、生徒全員に学びを保障したかについて、研究協議会のやりとりを聞いた後で考えてみたい。
 
研究協議会 14:18〜
 授業者反省
 岳陽に来て10ヶ月。どんなところが違うか研修しながら考えてきた。まだまだグループの使い方も不十分だと思うが、グループの中では話し合える状態が確保できるかなという段階。今日のことでは、江戸時代のことをあつかった。幕府の成り立ちを少ししかやっていない。なぜにぎわっているのかから、いろいろな仕組みを広く学んでほしかった。
司会 生徒の様子、関わり方、背景にあるものを出し合う機会にしたい。(以下●印が職員の意見。★が土井の感想)
● 話し方が優しくて心地いい時間だった。発問内容が単純で子どもたちが自由に話し合いができていた。この頃の身分とか税について男子が中心になって話し合い、学びが深まっていた。★ 発問内容が単純だとは思わない。
● 4人の関わり方を見ていたが、最初は堅かった。男子が話し始め、女子に移っていった。4人の中で解決したいことを出し合い、話し合いができていた。
● 最初にいい雰囲気で入れた。生徒の意見を聞いているときに、交通の便、街道も出たのに、本当に人がたくさんいたのかな?という発問でぼやけてしまった。人数が多い=子どもたちは何人が多いのかどうかわからなかった。みんなで一つの資料を見ることで学ぶ楽しさを味わっていた。参勤交代だけでも深まったと思う。せっかく生徒から出た意見が、うまく結びつかなかった。★ 鋭い意見だ。子どもの意見をよく聞き、展開にどうつながったかを理解している
● 一生懸命考えていたが、何を考えているのかわからなかった場面もあった。あくびをしたり、考えが止まっている気がした。最初の発問あたりから意見がつながらなかった。生徒には、よくわかんない、何考えるの?と言ってほしかった。★ これも当たっていると思う。
わからない時は「わからない」と言える雰囲気のクラスにしたい。
● 「お金があったのか」について、経済的なことでおもしろくなったはずだが。
● 一人は参加できていなかった。今回は出た意見に対してつなげることが少なかった。
● 発問の意味が分からなかった。どこへ向かっていいのか見えていなかった。トイレの話とか、つながらなかったので、意見がバラバラになった。
● N君はかなりつらかったようだ。資料を見るだけで、書くこともないのでつながらなかった。
● 声が聞こえなかったので、何をしているのかわからなかった。江戸を絵から入ったのはおもしろかった。★ やはり聞こえない人もいた。職員からこの声が聞けて良かった。
● 語りかけるようなところがよかった。時間をかけて考えさせようとしたところがよかった。★ これも同感だ。ただ、時間で終わるように進めるのも重要な技術だ。
● 「人がいるとなぜにぎやかになるのだろう」あたりから、商売や参勤交代でお金を貯めさせないようにしたとか、かんばって話し合おうとしていた。
● つないでいくのは難しい。時間をかけて聞き合うようにするのは大事。
● つなぐ、課題の出し方が勉強になった。初めに、なぜにぎわっていたのかで、意見を言ったのに反応がなかった。そこで、「ほかに」と振ってしまったので、不安になった。
 「お金があったから」でつながった。このときは言ったことが取り上げてもらって生き生きとしていた。 
 課題の出し方。2種類の課題があった。なぜ、江戸はにぎわっていたか?本当に江戸の町に人がいたのか?
 なぜ、では多様の意見が出て時間がもつ。しかし、本当に、では時間が余った。なぜに対して、つないでいくと、部分がでて全体像がつかめないことに苦労された。最後まで課題意識が持続できたのでよかった。★ この人も授業をよく見ている。
● 意見をつないでいくと、疑問が全体に広がる。意見をつなげることが、疑問につながる。
● 最初に絵を見せて、絵からどうかと言った。その後、絵がどう活用されたのか。また、言ったことの根拠が示されていなかったので、絵と自分たちがつながっていない。先生が入りすぎて、全体が見えていなかった。つなぐというのは、資料と生徒をつないであげないと、知っていることを言って終わってしまう。
授業者 絵を一人に一枚用意した。その理由は?最初はグループに1枚だった。活用方法を考えたときに、江戸の町はにぎわっていると言うときに、常に戻る資料だったので。後からも使える資料として見てほしかった。江戸の人が明るく生活することがよくわかる資料だと思った。一人一枚渡してよかったと思っている。★ なるほど、深く考えている。
● 最初の課題が、なぜにぎやかだった。2枚の資料を比較したときに、こんなにでかいのだととらえさせたかった。100万人都市だったのでに対して、「資料のどこからわかったの」と返したかった。
Q 参勤交代、五街道など意見が出たときにさらっと流したのは?
授業者 子どもたちの前の時間を見ていて、資料にのたうち回っている子と、江戸の町について調べて自分なりにつかめている子と、その間の3種類の子がいた。授業をやる前の段階として、表面的に知識がでてしまうと、ついてこれない子が出てしまうと思った。
★ これもわかる。であるなら、知識的なことを押さえた上で「なぜにぎやかだったか」と問うべきではなかったろうか。
● 最初の絵を見たときに学びが開かれたと思った。ところが、「にぎやか」という言葉を出して、課題が変わってしまった。今日は、同じような課題を3回話し合った。
 お金が出たときに、雰囲気が変わった。「お店がたくさんあるから」という意見に対して、絵からどんなお店があるかを調べることでお金につながったと思う。学びが開かれたが、つながらなかった。★ これも鋭い。
● 最初の資料がおもしろく、いろいろな発見があった。しかし、発問は難しいと思った。中学生に漠然とした発問はいいにくい。絞り込んだ聞き方をすればできないこにも参加しやすかったと思う。「どうしてにぎわっているのか」は答えにくい。
 子どもの発言を返すのがうまく出来ない。店が川の近くにあると言った子がいた。取り上げて返したかった。 
● 今年はつなぐ、もどすに気をつけている。チャンスはあったのに惜しかった。いつもあんなに静か?班をつくるスピードが早いときは意欲があるとき。遅いときは、発問の意味が分からないとき。
● 「もどす」について、最近、本当の効果を実感している。リタイアしかけた子を引き戻す時に効果が絶大。もどすのは生徒のため。
● 資料、ものをどう関わらすか、何を気づかせるか。疑問が出てから、グループで話し合わせる。
● 発問の難しさを感じた。お金のことで話題に出たときに、うれしそうな感じだった。「聞こえなかったので、うまくつなげられない」ということを言っている子がいた。
● 先生や生徒の声が聞こえなかった。子どもたち同士が聞こえたか疑問。
● グループでの話し合いが多すぎた。二つ目の大きな写真で日本橋を探し、1枚目とつなげるとよかった。
● おだやかでしっとりしていた。グループの入り方を見ていたが、耳を傾けているところや、この班は支援が必要だと思っているところに支援に入っていた。
● 最初の資料が面白かった。「人が多い以外ににぎやかな理由がある」で、歌舞伎、食料、船が入る、越後屋など子どもの意見はおもしろいと思った。
● 資料への思いが感じられた。だからこそ、待つことができたのだともう。
● 人がいる以外ににぎやかな理由は?と聞いたとき、人口に変わった。だからもたもたした。しかし、うまく戻れたが、また同じことをいった。だから、「戻す」がおこった。そういう戻しもある。
 戻しすぎると、学びがとぎれてしまう。スモールステップになると、切れてしまう。任せるところは任せる。一人の生徒の発言を重要だけど理解していないと思ったときに、もどすしてつなぐ。
 何でもかんでも聞きすぎると、安直になる。つなぐときに、聞き流すというところがあってもいいと思う。
● 何を聞いているのかわからないところがあった。授業者は子どもの中から気づいてもらいたいと我慢していたのではないか?だとすると、チャレンジした授業だと思う。
A「にぎわっていた」は子どもの中から出てきた言葉。
 前の授業で出た言葉から入ったので、出てくると思って待っていた。
● 子どもの中から出た発問として、我慢していたと思う。  
● 1年目から300人の前で授業をしたことがすごい。この資料は本当に面白い。一人一人に持たせてくれたので、いろんな人がいることがわかる。この資料を選んだことがポイントだった。言葉は大事だ。
 
感 想
 ほぼ全員の教師が発言した。多様な意見が出ておもしろい。なかでも質問に対する授業者の回答は、なかなか奥深いものだった。結果的にはうまくいかなかったが、よく子どもをとらえていることはわかった。
 
講 演(要旨)佐藤雅彰先生
 本当は、佐藤学先生の予定だったが、NHKの取材でフィンランドへ行ってしまった。そこで後を頼まれた。他の学校が入っていたが、そちらをキャンセルしてきた。
 6年前にこのやり方を始めた。この学校は教師が47,8人いる。6年前の第1世代をくぐり抜けてきた人はたった一人。退職した時にいた人が7,8人。人事異動で人がどんどん替わる。だから継続することが大切。挑戦するときは活力がある。しかし、維持する事はかなり大変。この学校が直面していることは、ある程度安定してきたところで、どう学びを形成するかである。
 当時は困難校だったが、「授業を変えることによって子どもたちを変えていこう。一人残らず学びに参加させよう。誰一人として遊んでいる子がいない学校にしよう。」こういう学校をつくりたかった。
 子どもが参加するためには、教え込みの授業ではだめだ。だから、グループ活動を取り入れた。常に、学びを追求すること、子どもたちをケアするという二つのことをやってきた。
主役は子どもたち。子どもたちを研究対象としてきた。子どもたちが楽しい授業をする。こうしたことを3年間やってきた。2代目の校長が藤田校長で、私が校長時代の教頭。
 今日の授業を振り返りながら、学びとはどういうことか考えてみたい。
 最初に資料が出てきた。その出会いのさせ方。資料と出会って、どう自分が対話するか。この時間が少なすぎた。今日の授業はグループ活動が4回あった。最初に大きなグループ活動がある。そして全体に返りまたグループ、さらに最後にと、私はホップ、ステップ、ジャンプと3段階で考えている。
 最初にあんないい資料があったのに、もったいなかった。ただ、最初に資料を与えた時に、「じっくり見て」と言った。それではだめ。この中で、何に気づくか。もう一つ、気づいて疑問を持たせること。なぜ、川の近くに蔵屋敷がある?なぜ武士と町人が一緒にいる?
 疑問は子どもによってみんな違う。だからグループで摺り合わせる。いろんな疑問があるが、すぐに解決できる疑問もある。クエスチョンとプロブレム、疑問と問いは違う。疑問を焦点化して、全体の課題にしていく。
 数学では、最初は練習問題。まず個人でやらせる。その後、グループでやらせる。最後に全体でやる。スモールステップ。グループを入れると、時間が冗長になると言う人がいる。グループ分だけのびるのは当たり前。だから洗練しなくてはいけない。個人作業とグループを一緒にやらせればよい。時間を計って追ってやると、子どもが追われてしまう。だったら、初めからグループを作ってやればいい。しかし、初めは個人でやる時間を保障してやる。グループを作って、いきなり話し合わなくてもよい。気づくことは違うので、話し合いはできない。それでいい。
 グループ活動は、自分がわからないことがわかっていくこと。話し合いではない。学び合いにしてほしい。話し合いにすると司会がいる。リーダーもいる。
 グループ活動は、教えてほしい、すごいな、それが大事。人の話を聞く、友だちに伝える。だからリーダーはいらない。
 スモールステップにしない。
 今日の授業の中で、2番目のグループ活動。見ていて、たいてい話し合いが起こる。困るから。しかし起きなかった。これは、課題がわかっていなかったから。まず自分の考え方を持つところに時間がかかった。
 全体に戻した。ほとんど固定したものだった。できる子がいっただけ。できる子だけで進んだ。私たちは、できない子をどうしようかを考えていた。そういう子のケアを考えてほしい。そう考えると、まだまだ。しかし、1年目の中で、何とか取り入れて追いついていこうと努力をしている。気持ちだけでもすごい。
 いろんな学校にはいろんな先生がおり、授業を公開しない人もいる。たいてそこから始まる。「俺が作ってきたのをぶち壊すのか」。つくったものを壊す、それを繰り返す。それで教師は成長する。
 今日の協議会を聞いていても、いろんな先生が、子どもの事実を元に話し合いをする。だから、わかる。また、今自分はこういう課題だとか出るから、安心して聞いていられる。それが学び合い。この学校の売りだ。
 見に来る方もいろんな人がいて、午前から見て、「俺の授業の方がうまい」といった人がいる。そんなことはどうでもいい。教師と生徒がどう関わっているのかを見ていない。中には、指導案を集めている人がいる。子どもを見ようとしていない証拠。
 教科の壁を取り去ろうと言うのがこの学校。子どもを見る視点があるから、話し合いになる。ここで生き生きしたのはなぜか、自分の教科の中に振り返って考えられる。
 次の点、グループの生かし方。実はこういうこと。
 グループ活動の目的は、一つにまとめることではない。グループでまとめて発表させると、できる子が皆やってしまう。学級はたいてい3つの層がある。一つにまとめると、Aの層がやってしまう。できない子がじっと見ているだけだ。
 どうしたらよいか。課題を与えるときに差をつくることだ。できない子とできない子の差をつくる。教師はその差をどう埋めるかを考えてほしい。いろんな学校に行って、課題をつくるが、この子たちは出来ないとかと行って、ハードルを下げてしまう。そうするとできてしまう。グループにする意味がない。だからおしゃべりをする。
 高いレベルの課題を出してほしい。大きな差を付けて、埋める努力をする。そこにジャンプがある。
 埋めるのに、どうするか?先生が丁寧に説明をする。先生はいい気持ち。ところが、テストをやると出来はよくない。子どもたち同士の方が記憶に残る。そう言う場をつくる。差ができるので、じっと黙って座っている。恥ずかしいから声をかけない。こういう子に気づいて、ケアをする。先生が近くに行って背中を押してやる。仲間に近づけてやるのだ。
 そこで、先生が教えてはだめ。「友だちに聞いてみなよ。」の方がよい。言うだけで次へ行ってもだめ。聞くまで確かめる。
 先生の一斉授業だけではCの子が伸びない。グループで、できない子から教えてほしいと言わせる。早く終わったから教えてあげてはだめ。上からものを見るようになる。そうでなく、できない子から聞くようにする。納得するまで教えてやる。そうすると、できる子が頭打ちになる。しかし、できる子は、教えている中で、自分で問い直している。さらに自分の知識を強化している。
 脳科学者の茂木健一郎氏( http://www.qualia-manifesto.com/kenmogi.html )は、「教えた方がいい気持ちになる。そして知識が強化される。」と言う。伝える中で自分のものになる。教えられる子も、発見する喜びができ、いい気持ちになる。いわば、互恵的学習だ。
 たしかにそういう良さがあるが、教科書レベルでは頭打ちになる。だから、高いレベルの課題をだす。しかし、これは簡単ではない。
 英語では、高いレベルとは長文読解かな?と言われた。教科の本質に迫ることをやらなければならない。教科の本質を研究してほしい。
 高いレベルというのは、一つは、発展問題。高校の問題でもいい。理科なら分子、原子レベル。最近は、グループ活動は2段ロケットと考える。最初は、低学力の子をジャンプさせる。次は、高いレベルの子を背伸びジャンプさせる。
 小学校の3年生の詩の授業を見た。すごいことを考える。
 第1連であいさつされて蓑虫が恥ずかしくて隠れる。間があり、第2連に夜、第3連に明くる日になる。子どもがなぜ間があるかを疑問に思った。学び合いの中で、昼から夜、今日から明日への切り替わりと言うことを見つけた。子どもは育つようになる。教え込みばかりではだめだ。
 
 最後に、グループのまわり方。今日は動きすぎた。あまり動かない方がいい。話し合いは子どもに任せて、教師はどの子を支援したらいいのか、どのグループを支援したらよいのかを探してほしい。だからこそ、全体が見える場所に立つ。
 ネル・オディングというアメリカの女性心理学者が言っていた。「私はあなたのそばにいますよ。そういう教師になりたい。」しかし、「あなたはここよ」と場所を決めている。そうではなく、「私はここにいます。」こういうことが大事。
 どういう学びにするか、どういうグループ活動にするか、だけでなく、どうやってジャンプさせるかが大事だ。
 
総合的な感想
 最も印象に残った点は、生徒が落ち着いて学んでいたことだ。先生の言葉もしっとりしており、学校全体が温かい雰囲気で包まれていた。かつての指導困難校が見事に立ち直ったこと、さらに、人が替わりながらもそのシステムを守っていることに敬意を表したい。
 その価値を認めた上で、批判を覚悟でいくつか指摘したい。
 生徒の反応が物足りない。目が輝いていないのだ。ある人は「目が輝いていないという曖昧な評価をする人がいる」と批判していたが、私は教師なら目の輝きは誰でもわかると思う。
知的好奇心に輝く子どもの目、感動した時の目は確かに通常とは違う。
 今日見た授業の中では、その目があまり見られなかった。むしろ、参加していない子が目につき、すべての子の学びを保障したとは思えない。
 その原因は何か?私には、グループ学習という型にはまって、そこで留まっているような気がしてならない。発問→グループというパターンがマンネリ化している。時には、形を変えた授業があってよいのではと思う。グループ学習が軌道に乗り、よい授業のための基礎はできてた。そこから次の段階へ進む手だてが必要ではないだろうか。
 グループ学習は、どのクラスも50点の授業をするにはとてもよい方法だ。しかし、80点の授業をするには、他にも工夫が必要となる。それが教授力だ。子どもが「はっ!」とする資料の提示、身近な事象から生まれた疑問、知的好奇心を揺さぶる発問、内発的に生まれた学習意欲は一人一人の学びを保障する。
 近頃の佐藤先生は、教師の立つ位置や目線の高さなど、きわめて具体的な話をされる。これは、教師の教授力を高めないと、次の一歩へ行けないと考えているからだと思う。
 生徒の学ぶ姿勢はできた。これより先は、教科の専門性に関わる生徒の興味関心を高める指導と具体的な指導技術を高めないと、これ以上伸びていかないというのが正直な感想だ。
 よく「授業は学級経営」という。もちろんそれは正しい。しかし、学級を把握していなくても、技術の高い人はよい授業ができる。その技術の部分を分析しなければ、教師の指導力という文化は育たないだろう。
 もう一つ、生徒の聞く力について。
 生徒が人の意見を聞こうとする集中力は見事であった。しかし、聞こえていない時に、「聞こえません。」と伝えることも大切な聞く力ではないのか。
 最後に生徒の力を育てるという観点で。
 社会科なら、資料をどう見るかなど、ある程度教えないと力がつかない。グループ学習という子どもだけの世界では到底無理だ。基本的な力は一斉授業で育て、そこで生まれた課題についてグループで話し合い、さらに全体で話し合うのがよいだろう。