平成16年度児童生徒の学習状況を適切に評価するための指導者の養成を目的とした研修
 
 以後の記録は、土井がその場で要点をメモしたものです。まだまとめてありませんので、断片的な部分は憶測してください。例によって聞き間違いや誤解もあると思いますが、文責は土井にあります。間違いはご指摘をいただければ幸いです。
 
 家を6:45に出て東名を走り、休憩込みで9:10に到着。朝の東名は名古屋周辺はさすがに渋滞したがそれ以後は順調。浜名湖で時間調整をし、紅葉を見ながら走る。掛川を降りると、ミカン畑とお茶畑、そしてヤマハの工場と静岡気分満点だ。
 会場の静岡県総合教育センターは初めてで、かなりモダンな建物。平成7年に完成。
 開会に先立ち、非常口の確認の案内があるのも、さすがに静岡県。このあたりも土地柄が出る。参加者は450名。あちらこちらにどこかで見た顔が見える。

 会  場
  静岡県総合教育センター

 日  時  平成16年12月13日(月)〜14日(火)
 

内 容
 総  論  文部科学省初等中等局教育課程課視学官 板良敷 敏
 特別活動   文部科学省初等中等局教育課程課教科調査官 宮下和己
 総合的な学習の時間 国立大学法人信州大学教育学部 澁澤文隆
 道  徳  文部科学省初等中等局教育課程課 教科調査官 柴原弘志
 社 会 科  文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 大倉泰裕

10:00
開会挨拶 独立行政法人 教育研修センター理事 戸田春夫
 絶対評価になり、いくつの課題も見えてきた。
 一つは評価に主観が入るという信頼性の欠如の問題。二つめには客観的の尺度にも個人差があるという問題。三点目はには説明責任が生じるという問題。
 そのために、毎日の授業の中で的確に把握し学習指導を進め、評価の改善に努める必要がある。国研は資料を作成した。http://www.nicer.go.jp/guideline/ 
 教育研究センターも研修会を実施している。また、各教育委員会においても実施しているが、これらの資料は十分活用されていない。
 そのためにこの研修を実施している。各学校で、学習状況を正しく評価する手段を実践してほしい。
 
10:10〜
総 論
 文部科学省初等中等局教育課程課 視学官 板良敷 敏
 
大きく3点について話したい。
1 生きる力の育成とその実現のための評価
2 評価の基本的な考え方と進め方
3 評価を進めるための留意点
 
1 生きる力の育成とその実現のための評価
 H8中央教育審議会第二次答申
 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/chuuou/toushin/970606.htm 
 ここでは、生きる力とそのため知の総合化、新しい学力観を示した。
「学ぶ意欲や自分で課題を見つけ自ら学び主体的に判断し・・・」
 生徒が持っている知識や技能を働かせたり、興味関心を持って自分で働きかけることが大切。ここで、「自分、自ら、主体的に」というのは、あらためて子供が持っている力を引き出すことを示した。
 学習指導要領の一部改正
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/03122608.htm 
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/03100701.htm 
(「初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について」)
 マスコミは学力観の転換と報道したが決してそうではない。新学習指導要領の趣旨の一層の実現を図ることにある。
 
  的確に把握し、評価を適切に行う その方策 指導を工夫改善するか
 評価は一律に知識を覚えさせるだけなら相対評価で対応できた。自ら学び自ら考え・・・・・になると、これまでのような相対評価では対応できない。むしろ、絶対評価、個人内評価が大切になる。
 
評価の具体的な重要性
 指導要録の考え方
 自ずと日常の評価も指導要録の考え方になる
 
指導要録の改善ポイント
 生きる力の育成をねらい H12,12 答申 
 絶対評価、個人内評価、基礎的基本的な内容、自ら学び自ら考える がはぐくまれているか
 基礎的基本的な内容 が正しい。 基礎・基本 は略称。指導要領の内容を示している。知識を示しているという誤解がある。もっと広い。
 基礎・基本は資質や能力を指していると考えることができる。
 各教科の学習の記録 観点別学週の状況評価
  H3 から示されている。
  基本は、評定においても絶対評価。中学校でも同じ。
その理由
  自ら学び、自ら学びよりよく問題を解決する資質や能力を伸ばし・・・・が一層重要であること  
  学習指導要領には、個に応じた指導を重視しているため 
  児童生徒の減少で、相対評価の意味がない。

2 評価の基本的な考え方と進め方
観点別学習状況調査
 結果だけの評価にならないように。まず学習指導を改善するための評価だという意識ををもつことが重要
 
評価だけに目がいきすぎ。評価のための評価に陥る。
指導があって評価がある。指導の結果を評価に生かす。
教科の目標、育てたい資質や能力があって、それを実現するために指導をする。
これら一連の関連を通していきる力を育みたい。
 
評価の研究開発をする上での留意点
 1 いきる力・確かな学力を 児童生徒の学習状況を適切に判断
 2 指導に生かす評価の充実
 3 教師の過大な負担にならないこと
 4 学校における評価の研究を生かす
 5 児童保護者にわかりやすい評価
 
特に3 厳密に一人の教師ですべてを評価するのは不可能
 1時間に1場面 など現実的な工夫と改善が必要。
単元題材 のねらい 各館点がバランスよく設定されることが重要
ちしき・理解だけに偏らないようにする
 
内容のまとまりごとの評価とその具体例 p10
 
H13 指導要録の改善通知
 
 内容のまとまりごとの評価基準とその具体例
  戦後に出したのは初めて
 評価基準 学習指導要領に基づいて作成
  学校ごとに作成してもある程度似る
  地区ごとに作成するのも客観性のために重要
 学校ごとのばらつきは保護者の信頼を失う
 特色ある教育のためには、全く同じ必要はないが、考え方、手続きは信頼を得るようにするには、学校間での取り組みが求められる。
 
評価基準と評価規準
 H3の改訂以来 基準の研究が行われてきたが、知識・理解が多かった。
数量的な処理が多かった
 そのために規準が登場
 今回から規準が中心。    
 基準はひとによってかなり違う。
Bを評価規準
 Aは十分満足の様子を具体的に示す。
 
評価の評定の総括p15
 
評価方法の工夫改善 p17
 これまでペーパーテストに頼りすぎた。これからは、方法として観察がかなりのウェートを占める。様々な評価方法を行う必要がある。活動の様子を評価する方法を開発する必要がある。
 
3 評価を進めるための留意点 
○ Cの子どもへの指導
  努力を要すると判断する子には、個に応じた指導をはかる。基礎基本を身につける必要があるため、補充的な学習をする必要もある。
  ただし、評価を子どもを格付けする手段としてはならない。
 
○ 目標に準拠した評価と個人内評価の重視 
 この両者に混乱がある。進歩が見られからといって、BにいたらなくてもBにならなければBをつけてはならない。励ます意味では、所見や面談で伝える。
○ 発展的な学習の評価  
  所見や諸事項に記入。その後の指導に生かす。しかし、発展的な学習をしなかっといってAをつけないと言うわけではない。
○ 習熟度別指導の評価
   レベルの違う評価規準を設定するものではない。補充的な学習によって向上すれば補正してもよい。
○ 選択教科の評価  
   あくまでも教科の目標の実現を目指して、目標に準拠した評価
○ 総合的な学習の時間の評価 
   評価の観点を定め、顕著な面があれば記述する。
   観点の設定に当たっては、ねらいや教科との関連を検討。各学校で定めた観点べつに資質や能力が身に付いているかを評価する。
  
これらは、事例集が出ているので参考に
 
 評価の工夫改善に当たっての留意事項
1 基礎・基本の確実な定着
2 教員の共通理解と力量の向上
3 保護者や児童生徒への学習の評価についての情報の提供
4 学校間の連携・協力
5 自己点検・自己評価の利用
 教師の主観が入るのはさけられないが、研修をして専門性を高めて信頼性を高めてほしい。
 
総 括
 
○ 評価の前に評価するにふさわしい学習指導がある
○ 評価の客観性、信頼性を高めてほしい
○ 指導と評価の改善に向けた取り組みを学校ごとや教育委員会ごと行ってほしい
○ 学校教育の改善は評価にある
 
11:30
特別活動
文部科学省初等中等局教育課程課 教科調査官 宮下和己
 (主に進路指導を担当している。森嶋調査官が生徒指導の担当)
教科の評価は定着してきたが、特別活動の評価は進んでいない。
 
H9公表のアンケートでは、イやオが10%代。
  評価の考え方のポイントになることが10%代の意識しかなかった。
H13の調査では、問26の2 33.5%、 5 50.0%
 問27 3 62.6%
 意識の変化が見られる。評価の観点や評価規準を明確にすることは特別活動でも必要だという意識が共有されてきた。
 
 ポイントは、各活動のねらいを明確にすること。その手だてが4つの観点からの評価の視点である。
 
1 特別活動の評価とその特質(特別活動の主たる評価対象や評価内容の特質)
(1)個々の生徒の活動の状況とその成長・発達の評価
  教科は実現状況を測るが、特別活動は個々の活動の状況と発達の様子を見極める。
 生徒会活動では、リーダーシップを発揮する者もいるし、もり立てる者もいる。それぞれの自己をどう発揮しているかが評価の対象である。そのために、それぞれが活躍できる場づくりが教師の仕事となる。    
(2)が特別活動の評価ならではのもの
  望ましい集団活動、集団形成が評価の対象になる。
(3)は個々の指導のありかただけでなく 教師集団のあり方が評価の対象になる
 
2 特別活動の評価の課題
(1)評価の意義やねらいの共通理解と実践
(2)評価の客観性・信頼性の確保
    客観的多面的評価がおこなわれているか
(3)評価システムの構築 
    学校全体として、評価をどう組織的に取り組んでいるか
付け足し
   生きる力 特別活動ではなにができるか
    生きる力育成の視点から特別活動の評価を考える
      ↓
3 特別活動の評価の改善
 具体的にはH14年に示した。
(1)教育活動の時間 特別活動では限定されている
     質を高めることが重要=ねらいを明確にする
      4つの観点でどう生かすか
(2)評価の観点、評価規準の明確化
     学校全体としてどう共通理解するか
(3)評価体制の見直し 
     多面的・総合的な学習、評価体制、評価の伝達
      たとえば伝達の工夫として研究校では通知票の研究をしている
       通知票がどう意欲をもてるものにするか
3つの課題に対して、学校全体としてどう取り組むか
 
4 特別活動の評価の意義
(1)活動や指導のねらいとその結果の明確化
    学校全体の計画を組み立てること、子どもたちや保護者、地域の方にも明確にし、説明できる。
  特別活動も外部評価の対象とするべき   
   例 公立中学校の職場体験の実施率 89%
      兵庫や富山県としての取り組み
   活動をこなしているだけではないか。ねらいを明確にすることが必要。
(2)個々の生徒の成長・発達の一層の促進に寄与
    あまりに厳正化すると評価のための評価になってしまう。
    生徒の成長発達の全体を見落とすことの内容にする
     特別活動は全人的な発達をねらっている → 自己評価、相互評価を活用
      → ワークシート:評価だけでなくふりかえりの記録 
          子どもに返すことで、次の指導に生かすことができる。
           指導と評価の一体化のために有効      
(3)望ましい生徒集団や人間関係の推進
    現状は希薄な人間関係 → 特別活動の大きな役割
 
(4)教師集団の指導のあり方の見直し、改善など
    指導と評価の一体化のために必要
 
例 p11
  p13
    
中教審答申 H15年10月 を読んでほしい。
  http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/03100701.htm 
  初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について(答申)
 
  特別活動でも事例が載っている
   総合との関連がもたれていない例
  総合的な学習の時間の充実が特別活動の充実につながる   
 
進路指導がキャリア教育の面で重視されているその主な舞台が特別活動
 文科省HPにも載せた。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/career/index.htm 
 
学校は「小さな社会」。しかし、今の学校は小さな社会になっていない
  大きな社会で必要な学力を学ばせること。そして、大きな社会で太刀打ちできるような力を身につけること。その意味で特別活動が大事である。
 
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 大変明瞭な内容であった。
 特別活動についての評価に、自分に甘さがあった。4観点を示してもどうせ一人一人評価できないと思っていたが、そうではないような気がしてきた。
 まず4観点の評価規準を示して全体像を組み立てることが重要。それにより意識が変わる。
 また、特別活動は集団に対する評価が重要なので、それならできる。そうするべきだ。
 最後の、「学校が小さな社会になっていない」という見方は、自分の中で新鮮だった。忘れていたことを思い出させた言葉だ。学校は、学力養成機関だけの機能ではない。人間関係を学ぶところだということを。
 
13:30
総合的な学習の時間
国立大学法人 信州大学教育学部 澁澤文隆
 
 評価に悩むということは、目標の設定に悩むということ。それは、総合的な学習の趣旨がわかっていないということ。
 
総合的な学習の時間の位置づけ 
 今日的意義 
  高校生の5割が学校の授業以外に勉強していない。誰が勉強しているのか?受験生か資格取得を目指している学生だけ。テストを通過するための勉強になっている。 「勉強はテストのため」という価値観が高校生にまんえいしている。
  その意識は、中学生の時期に生まれる。勉強の目的はテストのためになっている。よって、テストを受けない人は、勉強は授業に限られる。テストを受けない人がは勉強をしなくてもよいのか? 
 
  勉強は何のためにするのか?入試もその一つにすぎない。実際の生活に役に立つんだ、という思いで各教科でがんばっているが、実際の生活は教科のように系統だっていない。もっと未分化、総合的だ。
 教科の立場でいくと、教科の枠の中だけで考えてしまう。しかし、未分化のものを対象にするのなら、未分化の枠で学習した方がよい。テストのためだけでない役の立ち方がある。
 教科の学習を指導しようとすればするほど、ある意味では実際にやってみながら学んでいくことが必要だ。総合の時間がなぜ教科等の学習の上に位置づけられるかの理由である。
 総合的な学習は、各学校の創意工夫が求められる。生活の中で、地域の中で学習しなければ、成果が表れてこない。だから、画一的に内容を決められない。言わば、学校知である。総合的な学習の時間が充実すれば、教科で学ぶ意義もクローズアップされる。教科学習の意欲もわく。
 逆に、教科学習の価値を理解させる場が総合的な学習の時間である。意識をして、教科の学習の成果を確認する場が、総合の時間にあってよい。
 学校知がテストのためにしか役立たないように思わせてはならない。そのためにも総合の時間が大切なのである。
 
 今は、次のような流れだ。
 学力の低下 → 学力向上のための対策をとる → 成果の検証がもとめられる → テストで行う。

 しかし、テストの作問の技術がまだまだ知識重視 → ペーパーテストでとらえられる力が学力 → 古い学力観に回帰 → 文科省はこれを確かな学力と言っている 

 (はたしてそうか?)
 現実の課題を追求する方が、確かな学力(新しい学力観)を測りやすいのである。だからこそ、総合的な学習の時間が測りやすい。総合こそが、確かな学力観を測ることができる。
 (新しい学力観の)核は総合的な学習の時間なのである。
 
 総合をしっかりやると、確かな学力が伸びる。総合を教科に変える動きもあるが、それは逆で、総合を充実すれば学力が伸びる。
 
 学力低下論争がおきている。大学の先生が「分数ができない」と言う。新しい学力がの伸びていないので、知識の不足だけが目立ってしまう。岩波新書が読めない、レポートが書けないのはなぜ? 
 大切にしたい学力を育てていない。同じように教えてもうまく育たない。
 
 山形県になぜたくさんの雪が降るかを知らない受験生がいた。理由を聞くと、「習っていない」という。確かに、直接教えていないかもしれない。では、大人はなぜ知っているのか?学校で習ったのではない。日々の生活の中から学んだ。
 子どもたちは、授業で習ったことは身につける。そうでないことは身につけなくてもよい。と思っている。生活の中で学ぶ意識を捨ててしまっている。
 
 『学ぶ力』に次のようにある。
 『学ぶ力』
河合隼雄/工藤直子/佐伯 胖/森 毅/工藤左千夫
岩波書店 定価(本体1,600円+税)
 本書は2003年11月に小樽にて開催された本センター主催の第8回文化セミナーの講演録。生涯にわたって楽しく学び続けること。本書は、その意味と秘訣を、それぞれの学びの現場でユニークな活動を続けてきた5人が、深く問い、語りあう。困難の中にある学びの状況をゆり動かす、生きる糧にみちたメッセージ!
 目が見えなかった人が40歳になって見えるようになった。どうしたか。風景が認識できない。コップを見てもわからない。しかし、さわるとわかる。犬と猫もわからない。さわればわかる。音と触覚で見分けてきた。急に光が与えられてもわからない。結局、目が見えることが憂鬱になって目を閉じてしまう。
 
 目でいろんなものを認識してきた。その経験の積み重ねで、認識に影響を与えてきた。子どもの成長の中で、どんな体験を積み重ねていくとよいのか。
 小学1年生で50音が書けない子が3人いた。共通点はテレビゲームだった。言葉が足りない。言葉を知らない。文字を意欲を持って学ぼうとしない。多くの人との関わりが言葉に対する関心を高め、文字に対する関心につながる。テレビゲームがそれを奪ってしまった。
 偏った体験はいけない。学びの素地をうばってしまう。
 学力低下の責任は学校だけのせいではない。生活経験不足がある。
 
 指導の仕方も問題。
 関心・意欲・態度の評価は難しい。よく、挙手の回数やノートの提出で測ると聞くが本当か?
 私は目立つのがいやだったので手を挙げなかった。でも学習意欲がないと思われるのは不本意。それは性格だから。宿題の提出も性格。几帳面かどうかである。性格はもって生まれたもの。それで評価してよいのか?
 他の3つの観点は、育てて評価するのに、関心・意欲・態度はもって生まれたものである。評価の対象にならない。
 それでは育てる関心・意欲・態度とはどういうことか?
 
 ワールドカップ以後、サッカーに対して興味を持つようになった。その理由はオフサイドがわかってきたから。オフサイドがわかればサッカーがおもしろくなる。このように座標軸になるような知識が、興味・関心には必要だ。野球のルールがわからないと関心もわかない。
 逆に、知識の詰め込み過ぎも問題だ。大学入試で勉強したものを、大学に入ると勉強したくなくなる。辛さだけが残るからだ。
 
 座標軸となるような知識の習得が、育てる関心・意欲・態度のポイントである。
 
 クラスの中で存在感がある子は、自分で期待されるていることがわかっている。そのために前向きに取り組む。疎外感・孤独感のある子は逆で、消極的になる。
 教育学部は教員になるという目的のある学生が多い。一方、経済学部や法学部の学生は就職活動はめちゃくちゃ。入れればいいからいろいろ受ける。だから目標があいまいになってしまう。
 
 NEET http://www.sodateage.net/mainpage/NEET/Top.htm が増えている。
 NEETとはNot in Employment, Education or Trainingの略で、「職に就いていず、学校機関に所属もしていず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない」若者を指す。
 すなわち、働きたくない、勉強したくない、トレーニングしたくないという若者が、60万人以上もいる。しかも、失業者に入らない。
 これは先進国病。どうしてか?青年期の過ごし方が問題なのではないか。
 進路に向かっている時は何事にも意欲的だ。これも関心・態度につながる。育てる関心・意欲のもう一つのポイントは、自分の進路に向き合うことである。
 
 これら育てる関心・意欲・態度を検討し、それを発揮させる学習活動を組むことが必要だ。
 
 「体験をすればいい」、だけではいけない。その象徴が総合的な学習の時間。
 総合的な学習は重要な意味を持つ。その趣旨をふまえたときに、どういう能力をどう育てるのか検討する必要がある。それができて、評価を議論できる。
 この活動で何を伸ばすのか。それがあって評価規準ができる。
 教科の学習が、生活を営む中でいかに生活する上での基礎になっていくかを理解する。それができて、教科学習の意欲向上につながる。
 総合の中でも、教科学習の成果を生かす場面を作る。
 学習したことが、人生でどんな意味を持つかを振り返る。
 
 職員研修では、総合とは?、だけでなく、各教科が何をめざし、どんな力を伸ばすとしているのかをアピールする必要がある。また、総合では、各教科の内容、育てた能力を主張して、取り入れていくことが必要である。
 教科の学習成果を核にして、いろんな活動を考えていくことが今後求められる。
 
 総合的な学習の評価の基本的な視点は p27の(2)の・4つ
 その二つめの「知の総合化」について。
 大学の卒論指導をしていて、いろいろなことに気づく。卒論は、狭いことを深く追究する。一つ書き上げるためにはいろいろな力が必要となる。それが「知の総合化」である。
 知の総合化を意識して総合を組み立てる。
 
総合的な学習の評価を成り立たせるための条件
 明確な指導目標が必要。学習目標も必要。
 教師主導の一斉指導は、指導目標があって学習目標がない。子どもの主体的な学習を重視する総合的な学習では、同時に学習目標も必要。
 指導目標がない総合は、遊びの時間になりやすい。学習目標しかないと、子どもの自己評価に頼らざるを得なくなる。
   
 では、いつ、どの時間に評価するか?それは学習のスパンの問題。
 自分が育てたいものはどれぐらいの時間が必要なのか。その意識が必要。たとえば 読図の能力は、学習の積み重ねが必要。それは足し算ではできない。現象を学力と見ては困る。能力の現れと性格の現れを区別すべき。
 知識理解は短いスパンで図ることができる。
 それに対して、積み重ねによって育むものがある。これは、現象で見ないこと。時間 をかける。その例が読図。 
 1学期後の読図能力
 2学期の読図能力 = 1学期の能力に2をプラスしたもの
 3学期の読図入力 = 2学期の能力に3をプラスしたもの  
  よって、3学期の能力だけで全体を表す。(1+2+3 をする必要がない)
  もっと、育てた能力を分析する必要がある。
 
 私は、学力の評価と学習の評価を分けた方がよいと考えている。←大賛成!
 形成的評価は学習に対する評価で、小刻みにやる必要はない。毎回全員を個別に評価する必要もない。できるわけがない。
 学力の評価は評定につなげる評価で、全員を評価する必要がある。
 この2者は分けるべきだ。能力の中味に応じて評価すべき     
 
総合的な学習の時間の場合
 規準を基に実現状況をある程度とらえていかないと遊びの時間になってしまうので
培いたい能力が培えたかをはかるべき。総合的な学習設置の趣旨をふまえて評価をする。
 パフォーマンス評価の導入も有効。総合的な能力として、測ることができる。 
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
澁澤先生の社会科の話は何回も聞いたが、澁澤先生が総合について語るのは聞いたのは初めてだ。
自分にとって、新しい視点だった。
「総合で学校教育はかわる」という言葉は力強いが、それだけの総合が実際に行われているのはどれくらいなのだろうか。今後、実例を見ながら澁澤先生の言葉を検証していきたい。
 
15:15
道徳
文部科学省初等中等局教育課程課 教科調査官 柴原弘志
 
 道徳も教育活動である以上、評価がある。評価がある以上、評価規準もある。では、どういう根拠で評価をしているのか。最終的には総合評定をするが、途中では分析的にやっている。
 たとえば、楽天と巨人ではどちらが強いかを決める場合、投手力、守備力、走力、攻撃力などに分けて分析する。それらを総合的に判断する。
 道徳では、次の3点を評価する。
@ 道徳性の評価、A 道徳の指導計画の評価、B 道徳の時間の指導に関する評価
 だが、教科の4観点のように横並びではなく、道徳性の評価が大切である。
 
 では、道徳性とは何か。
「人格の基盤をなすもの。人間らしいよさ。人間としての本来的なあり方やよりよい生き方を目指してなされる道徳的行為を可能にする人格的特性。道徳的諸価値が一人ひとりの内面において統合されたもの(一つとして同一のものは存在しない)」
 
 道徳は文化、どうすればその人や集団が幸せに生きられるか。文化だから国によっても違う。ここでは、道徳的諸価値を23に分けている。その一つ、生命尊重だけでも一人一人違う。その違うものが23組み合わせる。当然価値観は異なる。よって、道徳の授業では、ある場面、ある状況で同じ行動をとるべき子どもの育成を目指していない。 また、その道徳性は切り分けられるものではない。問題は、そのブロックが子ども達にあるか。ある程度の大きさの、ある程度の形のブロックがあるかが問われる。
 
長崎へ行った。例の加害女子児童が詩を書いていた。
◇詩@嘆きの賛美歌

闇夜の空に沢山の星がちりばめられる、夏の空
心地良い草の香りのする草原、リンリンと鈴虫の鳴く音
田舎だが、私はこの環境がすきだ。
都会に無いモノがあるのだ。
人間は自分たちの生活が豊かになるために、
木を沢山切ったり、ゴミ、不燃物などを平気に捨てたり…
そんな事をしているらしいが本当に豊かなのだろうか?
熱帯雨林、環境破壊、有毒ガス、生活が豊かになる一方、
数え切れないくらいの自然破壊が多数ある…
川が汚れ、魚たちが死にいたり、森も破壊され
生き物たちの生きる場を失っている。
聞いて欲しい、人間の生活が豊かになるのはいいが
私たち、生き物・自然に迷惑をかけないで、
この地球に住んでいるのは、人間だけではないのだから。
わかっているのでしょう?
自然や生き物のこのままでの未来が。
わかってよ…
今では人間が生き物を殺すと何もならないことが多いけれど、
私たちは人間が生き物と同じ、
虫も 魚も 動物も 木、花も
たった一つだけのかけがえのない、
「命」をもっているのだから……
殺さないで、沢山殺して殺して殺して殺して……
森の木も人の手によって焼き払われたりしたよ。
「自然も生きているのだから、息をしているのだから」
木や花も動いたり、話したりはしないけど、
生きているのだよ……。
生きているのだから、全て生きているのだから。
神様はいるのですか……助けて下さい…
 
 この詩から、加害女子児童は「命」にたいする知 はあったことがわかる。
 教科は子どもに比べて教師が上の関係にある。
 でも、道徳は、子どもと教師の道徳性がどっちが上かわからない。でもいい、ベクトルだから。子どもといっしょに自分を見つめながら進めればいい。
 数学ができなくても人でなしとは言われない。でも、「生命尊重」の価値観がなければ人でなしと言われる。
 思いやりが大切と言われたから、大切と思っているわけではない。これまでの人生で、いろいろな場面で思いやりに接してきたから、初めて思いやりの大切さを内面化できる。
 三角形の内角の和は180度。学校で習ったからわかるけど、そうでなければおそらくわからない。生活経験の中で、三角形の内角の和を利用する事はほとんどない。多くは学校で学習する事柄だ。
 でも、道徳性は、道徳の時間よりも、その何百倍の生活がバックにあるから、一概に評価できない。加害児童は言葉は持っていた。しかし、何かが足らなかった。
 教科で一番難しいのは関心・意欲・態度の評価。その一番難しいことを、道徳でやろうとしている。道徳の評価は、ほとんどが関心・意欲・態度だから。
 
評価の観点の例
 道徳性の諸様相をもとにしたもの
@ 道徳的心情:道徳的に望ましい感じ方や考え方、行為に対して、どのような感情を持っているか。
A 道徳的判断力:道徳的諸価値についてどのようにとらえているか。道徳的な判断場面において、どのように考え判断するか。これは評価しやすい
B 道徳的実践意欲と態度:道徳的によりよく生きようとする意志の表れや行動への構えがどれだけ芽生え、また定着しつつあるか。これは、道徳の時間+日常の生活に表れるので評価しにくい。         
C 道徳的習慣・行為:基本的な生活習慣などをどの程度身につけ実践できているか。
  
 レディネス 事前にアンケートをすることがある。
   
 道徳は道徳性をはぐくむ
  道徳性を観点に分けて   
 100%は無理。どれだけ近づけるか。
 限られた場面で、限られた部分を
 
どのように受け止めていると思うか
 感じている      アオカ
 感じていないだろう  クケコ
 
 教科の授業が上手な人が道徳の授業が上手とは限らない。しかし、道徳の授業が上手な人は間違いなく教科の授業が上手だ。道徳の授業には指導技術のエッセンスが詰まっている。授業の中に、方法知がある。
 
道徳の時間に王道はない。
 すべての道徳的な価値、子どもたちの実体に万能な理論はない。
 たとえば、資料から離れて、後半で価値の一般化を組もうとする理論がある。しかし、中学生になるとすでにそれまでにやっており、わざわざやることがない。
 
目標に準拠した資料の条件
1 学習指導のねらいが明確になっていること
   道徳は目標という言葉を使わない。
    
  道徳の時間の補充深化統合:誰でもわかっていることにあらためて気づくこと
 
2 学習指導のねらいが実現されたという
   評価規準の設定
 
3 そのための手だてが示されていること
 
「たったひとつのたからもの」人の幸せは、命の長さではないのです。
 明治生命CF   http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/event/dear/2003/ 
  p5
 
Y=aX  Y=体験 
体験を増やしてもaがゼロならばだめ
aが心
 
  子どもたちに聞く 音声でも観察でも、
それをどう日常的に取り入れることができるか
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 何や、この人。関西なまりでめちゃわかりやすい。説得力抜群。さだまさし調。関西系の大学の落研にまちがいない。教科は社会科だそうだ。チェックしていく必要がある。
 道徳についてもよくわかった。ただ、道徳の評価は難しいと言うことがわかったが、その具体的な方法はよくわからなかった。もう一度、資料を丹念に読み返す必要がある。
 
2日目 社会科分科会
《評価の概要》
 文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 大倉泰裕
専門は中学校では公民、教育の情報化も担当している。
 評価について
 授業があって評価がある。どんな授業をしているかが問題になる。古い授業を新しい評価方法では評価できない。知識注入型授業では、関心・意欲は測れない。
 それではどのような授業が求められるのか、子どもたちにどのような力を付けなければならないのか。 
 21世紀は、20世紀とは異なる。21世紀に生きる子どもたちに必要な力は何か。
 企業経営者・人事担当者に聞くと、問題を発見する力、・・・・・と続く。
 大学学部長は、今の大学生に対して、自主的、主体的 に課題に取り組む意欲が低いと見ている。
 保護者、教員が子どもたちに望むことは、友達を作ったり、・・・、社会の一員としての幅広い学力。
 これらが「生きる力」。文科省のパンフに解説している。
 確かな学力、豊かな人間性、健康・体力
 
ホワイトヘッドはこういった。
 「あまりおおくのことを教えるなかれ。しかし、教えるべきことは徹底して教えるべし。」
 名言だ。
 これからは、「生きる力」が身に付くような指導 → 生きる力が身に付いたかどうか → 目標に準拠した評価 
 イメージは、たとえば自動車教習所。教習所は各時間の目標がはっきりしている。できたか、できていないか。評価の規準が事前に決まっている。そして、知らされている。車庫入れは、周囲のポールにさわったら失格という明確な規準がある。
 
 分析と統括が問題になるが、これは評価をするとき、自然にやっていることだ。来年セリーグで優勝するのは?考える時に、投手力は?、守備力は?などと自然に分析している。  
 中学校社会科の目標(略)がある。
 目標の中に、関心がある、考察がある、理解がある。それぞれについて、できたかできないかを考え、まとめて出す。
 目標に準拠した評価をするためには 
1 目標は何か      … 文字にする、書くことでわかる。
2 目標の実現状況の想定 … 例えば、車庫入れができる
3 評価する方法が事前に明示されていること … 車庫入れのポールにさわらない
 
観点別評価の考え方
  四観点   性格の異なる目標を一緒に書いてある。
 Bを規準に考える。Aはさまざま、青天井。Cは努力を要すると判断される状況
4観点別の評価  総括は評定(5段階)
観点別
・重み付け 均等に25%にしなければいけないことはない。単元に応じて
・総括   BCAAなら3など  計算ソフトを使う人が多い
  しかし記号を数字に置き換えたとたん、算数の処理になる。
・評価の伝え方  午後はここを話題にしたい。
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 若い!話は明瞭。教科調査官って、昔からこんなに若かった?自分が歳を取ったのか?
 評価については、自動車教習所の話がわかりやすかった。なるほど、到達度目標がはっきりしている。そのための教え方もマニュアル化されており、評価基準も明らかだ。運転と同じように、社会科も必要な力を分析し、教習課程のようなものをつくることができればいいのだが・・・それが難しい・

実践事例1 
地理的分野
指導と評価の一体化を目指した社会科授業
−「世界の国々の調査」の授業展開例−

 −略−
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 アメリカ・フランス・マレーシアの単元での発表。
 具体的に評価A、評価Bについて事例を紹介してもらえた。
 事前に評価規準を生徒に伝えたかが疑問。回答には、「ABを具体的には伝えていないが、望ましいイメージは話した」とのことだった。
 作品には、その良いところを口で告げているそうだ。
 
 指導と評価の一体化のためには、Cの子にはどのようにしているのか?
 回答には、「個に応じる指導」を行っている。特に、指導案にも提示するそうだ。
 
 生徒に評価基準を示すことは難しいが、評価規準は学習目標として示すべきだろう。
 指導案のねらいはB。実際はBすらつけ方が難しい。BとC、あるいはBとAの区別をどう付けるかが難しい。
 難しい、ばかりで、こうだ!という結論が出ないのがもどかしい。
 
歴史的分野
「学習者のための評価」を意識した実践
−2年生「日本の開国」の単元を例として−
 
丁寧な授業と豊富な資料。すばらしい実践だ。
 
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 とても参考になる。評価の一つのモデルなりうる。
 相互評価について質問が出た。授業のねらいに即した相互評価はあるか?
 回答は、あくまで補助的な評価。子ども同士が認め合うことに相互評価の意味がある。したがって、そのまま成績に利用するわけではない。
 また、作品にABCを書きこむかどうか、という質問が出た。
 波線を引いたところが先生が認めたところ。文章で書くこともある。ABCで認めるのではなく、線や書き込みで認めることをやっているそうだ。本当は一人一人声をかけたい。
 結局は授業。学習したという実感をもてるかどうかが評価に直結する。
 
 ここまでみて感じたことは、「評価」の概念がやはりあいまい。評定のための評価と、指導に生かすための評価は、やはり分けたいというのが本音。 
   
11:20〜12:00
公民的分野
生徒の学習状況を評価する授業づくり
 
関心もつ→関心を高める
評価規準にあげたものは評価する必要があるか?
 
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 矢澤先生の実践でも感じたが、関心・意欲・態度の評価がわからない。
 小宮先生は、現場のふつうの先生の感覚で行っているので、身近に感じられる。
 
ここでは、意欲的にノートをもってきたから関心意欲が○と言われたが、それはあくまでも性格だろう。
『静岡県評価規準モデル 実践編 中学校』には具体定期に総括化のシステムがのっているので、ぜひ手に入れたいものだ。
   
 質問が出た。現実的な質問だ。
 親への説明責任
 3段階を5段階にする上での矛盾。 
 
 普段との信頼関係で評価は納得できるもの。数字は厳しいが、温かみが含まれてるかどうか。それは、人間関係しかない。
 
13:00〜
グループ討論 略
 
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 静岡の先生4名と土井の5人グループ。愛知の話にいちいち「すげー」という声が出た。
愛知の卒業式の早さ、私立公立含めて5校受けられること、卒業式が終わってから受検があることなど、愛知では当たり前のことが、隣の県では驚きらしい。
 
中尾敏朗調査官(歴史専門)
4時間×3 良くできている。
 さまざまな方法で評価しようとしている。また、ABを具体的に示している。私たちは、今、「どんな授業をし、どんなことを書いたらこんな評価になる」、こうしたことに今取り組んでいるので、こうした実践はありがたい。教員の財産になる。
 授業で3カ国取り上げる場合、子どもの自由度を広げるやり方もある。

 歴史は圧巻。丁寧な実践である。子どもたちとの姿勢が現れている。中学生の真剣な姿が、とても印象的だった。序盤の指導が生きていた。課題がスタートする、この指導が大事。
 44pの年間指導計画がすばらしい。「古代の日本はどんな国づくりを目指したのだろう。それで、人々は幸せになったのだろうか」など、授業の勘所が示されている。
 
人物ミニロールプレイ
 Bを越えたかどうか。これがポイントになる。Cの子を見つけだす目は、BとAの違いより大事。「こんな子にはこんな支援をしよう。」と、あらかじめシミュレーションしている。
 
 指導に生きる、生徒に還る評価
 35年前に、数ある教育活動の中でもっとも大切なものは生徒による自己評価である。と書かれている。(東京教育大学 橋本先生)
 トラックを回っている選手に対して、コーチが秒読みをしている。どちらが評価しているのか。選手である。
 
 深い生徒理解
 生徒学習型、課題解決型 共感的評価、授業改善
 
 生徒は、自己評価、学習改善
 自己認識が育って、はじめて評価成立。
 
 評価の客観性について
 客観性より信頼性が大事
 活動のすべてを成績化する必要があるのか?
 絶対評価は子どもの力を基礎から積み重ねようとしたもの。出口から見過ぎない。
100%客観的な評価は可能か。主観的でなぜいけないのか?
シンクロやスケートの芸術点はまさに主観。でも信頼性があるから受け入れる。
100mだって、スタートは主観。フライングを瞬時に判断する。
 今までの先生はスピードスケートの審判。これからはフィギアスケートの審判に。
 主観が恣意になってはいけないが
 
 あと3点
1 生徒保護者に事前の説明を
   春に示す
   学習目標を示す
2 実力を高める。アメリカはそういう社会になっている。
   主観の信頼性を高める。
  アメリカは論述の問題。10人の生徒を採点し、はじめに評価規準をそろえる。
3 ペーパーテストの工夫
   考える問題、始めてみる資料で考えさせる問題。
 
大倉調査官
 良い授業はすべての観点が入ってくる。でも実際にすべてに評価できるか。表に出ると、出ているのになぜ評価しないの?という疑問が出る。書くなら評価する、しないのなら書かない方がよい。
 
 指導と評価の一体化、評価と指導の一体化、これらは必ずサイクルとして動く。評価を指導に結びつける。そのために、生徒のせいにしない。自分の反省に生かすことが大切である。
 
 社会科の授業とITについて 
 ITは道具である。だからどう使うべきかよく考えよう 
目的は二つ
 1 学習目標の実現状況を高めるため
 2 生徒に情報活用能力を身につけさせるため
   
 授業で必要な情報を集める。
 授業で教材を提示する。
 
 具体的には、略
 
    ※ これ以後、情報活用能力、情報モラルについてふれる。
☆★☆ 土井のコメント ☆★☆
 たいへん初歩的な情報教育の説明があった。このような話が今頃出てくるのは、あまり行われていないということか。
 そういえば霞ヶ関の経済産業省別館を使って催された文部科学省初等中等教育局国際教育課主催「初等中等教育における国際教育推進検討会」で発表を要請されたJEARNの高木さんが、会議室に情報コンセントはもちろん、スクリーンやプロジェクターもなかったと嘆いてみえた。しかも、パソコンを持ち込んでいたのは自分1人だったと。日本の省庁のレベルはこんなものか?と嘆いて見えたが、今どれだけ進んでいるのだろうか疑問に思う。
 それはそうとして、評価についていくつか疑問が解けた。
○ 「トラックを回っている選手に対して、コーチが秒読みをしている。どちらが評価しているのか。選手である。」このたとえは、自己評価を明快に説明している。使わせてもらおう。
○ 客観性より信頼性が大事。これもありがたい言葉だ。スピードスケートの審判ではなくフィギアスケーとの審判に。これも言い得て妙だ。ただ、フィギアスケートも複数の審判で評価している。教えながら評価することが難しいのに・・・・
○ 「活動のすべてを成績化する必要があるのか?。」これは、絶対評価は積み重ねた結果を測ればよいのだから事細かに評価しなくても良いと受け取れる。その通りだろう。
○ ペーパーテストの工夫。考える問題、始めてみる資料で考えさせる問題を出題する。これが、わたしたちが取り組む課題だである。
○ 指導案に書くなら評価する、しないのなら書かない。これも明快だ。