第17回授業実践フォーラム
平成21年6月6日(土)・7日(日)
羽島市文化センター
テーマ 新学習指導要領とこれからの教育U
        〜「習得・活用・探求」を具現化する授業づくり〜
 
 以下は、土井による主観的な要約です。講演者、主催者には一切の責任はありません。
 
基調講演要旨
「確かな学力」に支えられた「生きる力」の育成を
                 中教審教育課程部会長   梶 田 叡 一 
 このフォーラムは今回で17回目。この会は、生活科が始まるときにどうするかを話し合うために始まったのがもと。東の筑波大附属、西の附属池田小の先生が、この岐阜に集まって、岐阜の実習校長良小、長良東小などの先生も参加して協議した。文部省から依頼されて、低学年の社会科・理科をどうするかを議論した。「私と自然」「私と人々」「私と自分自身」について、自分なりのこだわりをもって追求・探究する子、体験が経験になり財産になるという、新しい夢を持った教科になるように話し合った。東京や大阪でもやった。
 それが岐阜に落ち着きフォーラムの形になって17年。生活科から、教科全般に広げてきた。
 大阪の橋下知事が教育についていろいろ言っている。自分の子が公立学校に通っているから。大阪の校長はたいへんだ。大阪では校長で定年までもたない人が多い。
 気をつけたいのは、自分の実践をやるときに独善的にならないようにしようということ。すべての教科で、広い視野で、新しい動向をキャッチして、いろんなことに目配りをしたい。
 大阪では、百マス計算の人を各学校に回らせている。それは極端な話だ。
 新指導要領では「習得」「活用」「探究」を言った。「活用」だけでもダメ。この3つをどううまく絡ませて総合的な「知」になるか。
 「子ども中心」か「教師中心」か。実はどちらも大事。「出」と「入り」を一つの単元の中でどう組み合わせるか。すなわち、子ども中心の活動の場面、教師が出て説明したり、まとめたりする場面、どちらも大事。新指導要領も、そういった目配り、バランスを大事にしている。それは、今回が初めてではない。教育とは、もともとそういうもの。知・徳・体のバランスが大事だという論はオーソドックスな理論だ。
 
 もちろんそれぞれの時代にポイントはあった。それが強調されすぎてバランスを崩した。
 例えば理数教育。昭和43〜45年改訂では、教育内容の現代化として理数系を詰め込みすぎた。小学校で確率や集合を教えた。
 これはアメリカでブルーナーが言い出した「カリキュラムの現代化」というもので、欧米では先にやって先につぶれた。
【コメント】
 「カリキュラムの現代化」とは、いわゆるスプートニク・ショックにより、初等・中等教育における数学や自然科学などの教科内容を,科学・技術革新の時代的要請に応えて根本的に改造することを目指した教育運動のこと。日本でも、遠山啓の水道方式、理科の仮説実験授業、白井春男「人間の歴史」など独創的な教科書づくりが進んだ。しかし、子どもの問題意識や発達段階を軽視したためにアメリカでは70年代にすたれた。 
 小学校は具体的な操作の時期。5,6年生で形式操作ができるようになり、中学・高校で概念、記号で考えることができるようになる。小学校低学年は、算数セットで具体的に学習するのはそのため。確率や集合は概念的。小学生には早すぎた。
 アメリカで一時期「どういう課題でも工夫があれば分からせることができる。」という言葉がはやったが間違いだった。
 こうして、昭和52年改訂では理数を減らした。平成元年改訂ではさらに減らした。
 さらに問題は、次のことを同時に言ったことだ。
 @ レベルを下げすぎた、A 「子ども中心に」と考えすぎるようになった
 
 「これからの教育はメダカの学校で」と言った人がいる。「誰が生徒か先生か分からないほど生徒が動くように」という意味だが、これで先生の出番がなくなった。教師の発問の研究がなくなった。それでは教師はいらない。
 90年代には「目がキラキラ」という言葉がはやった。「目がどんより」よりはいいが、目がキラキラしていても分かっていなければ何にもならない。
 大阪では、吉本の芸人を講師に研修をした。そうではない。大事なのは、学習に対して目が輝くことだ。
 明らかに日本の教育が間違った。もちろん、その間でも勉強会をやっている人たちがいた。心ある教師は、納得できる実践をしていた。
 
 このような状況を危惧していた人たちがいた。科学者だ。そして平成8年につくられたのが「科学技術基本計画」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/kihonkei/honbun.htm である。
 小中学校ではゆとりの時代に、京都大学など大きな大学の理工学部では入学した学生に補習を始めた。「どうして補習?」と尋ねると、「京都大学はインターナショナルスタンダードを目指している。卒業時に勝負するのは、国内の大学ではなく、スタンフォード大などの海外の学校だ」と答えた。
 世界で通用するかどうかは、理数の世界でははっきりしている。論文が引用されるかどうかだ。最近は大阪大学の評価が高い。
 こうしているうちに、平成10年(1998年)の指導要領ではさらに内容が削られた。
 しかし、文科省と永田町では意識が違っていた。永田町では「このままではダメ」ということで、平成12年に教育改革国民会議が開かれた。そこには、当時文科省を批判していた人もたくさん入っていた。私もその一人だ。
 そこで出た話は次のようなもの。
 アメリカの70年代と日本の90年代はよく似た状況。共に、個性を伸ばす教育が盛んになった。オープンスペースもはやったが、アメリカでは80年代にすたれた。1983年を中心に『危機に立つ国家』(A Nation at Risk)を初めとする教育改革レポートが相次いで発表され、学力の向上をめぐって全国各地でさまざまな取り組みがなされた。『危機に立つ国家』が意識していたのは、実は日本やドイツの教育だった。
 そこで、国民会議では、日本の教育を本道に戻そうという意見で一致した。
 
 カウンセリングの第一人者、河合隼雄先生が「ゆとりでなくたるみ」と言った。河合先生が言ったからみんなが驚いた。
 心理学の世界も変わっていく。かつてのように、何でもふんふん聞いていればいいのではなく、言うべき時には言うようになった。
 これは、カール・ロジャースの初期の理論である「カウンセラーは、クライエントを無条件に受容し、尊重することによってクライエントが自分自身を受容し、尊重することを促す」というものを受け入れたから。しかし、ロジャース自身が後に修正した。「言わなければいけないこともある」と。畠瀬 稔さん(京都女子大)が晩年のロジャースについて書いている。ユングは言うべきことは言う。(そのユング研究の第一人者である)河合先生がそう言ったから価値がある。教育の本道に触れた。
 新指導要領は、このような中でつくられた。国民会議が、平成12年に「教育を変える17の提案」http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/houkoku/1222report.html をした。そこでは、初めて「教育基本法を変えよう」と提案した。国民会議はいろいろな人がいるが、提案はニュートラルに納まった。会議をまとめた牛尾さん目配りの人で尊敬している。
 新教育基本法には、それまでなかった「大学」や「生涯学習」、「伝統と文化の尊重」などを入れた。「伝統と文化」は、旧基本法の原案にあったがGHQが削ってしまった。
 
 難しいのは、大幅に厳選した前指導要領とのねじれ。文科省としては、運用の中で手を打った。2つある。
 一つは「指導要領は最低基準」としたこと。時間数も設置者と協議とした。静岡県東部は夏休みを減らした。京都府の一部は土曜日にも授業を行っている。
 そしてもう一つは遠山大臣の「学びのすすめ」(確かな学力の向上のための2002アピール)http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/01/020107.htm ここで勉強は大切と言ったこと。
 私はブルーム理論で勉強した。日本にも来て講演をしてもらった。
【コメント】
 ベンジャミン・ブルームが日本に与えた影響は大きい。形成的評価の理論やマスタリー・ラーニングの理論(完全習得学習=学力保障の理論)を見直すべきだとか、総合的な学習などの評価手法としてのポートフォリオ評価、基礎・基本の徹底を図るための到達目標・基準、教育目標の分類体系の見直しなどである。教育実践を単なる印象論・心情論から解放し、評価が可能で総合的な視野に立った合理的な授業づくり、カリキュラムづくりにしていこうというブルーム理論は、今後も影響を与えるであろう。 
 その時の文科省の課長と先日会ったら、「学びのすすめ」がよかったと言っていた。
 「最低基準」と「勉強は大切」、この流れの中で新指導要領が現実に今年から始まる。
 
 免許更新制や教職員大学といった教員の資質向上、全国学力学習状況調査での子どもの力の把握、新指導要領の改訂、私はこの3つとも世話役をやった。そこには明確な意図がある。この3つはトライアングルの関係にあり、同時にすすめて成果があがるというもの。
 学力状況調査の結果は7月中には公表できるかも。B問題の無回答が減っていると聞いた。先生の努力のおかげだ。
 キーは教師。指導要領は系統立てているので、自分の学年だけでなくその前後にも目を通して欲しい。小学校の先生は、幼稚園と中学校のも読んでほしい。
 勉強は子どもにとって難行、苦行。だからプロである教師がそれを楽にしてあげる、楽しくしてあげる。それが教師の役目なのである。
 「家庭がしっかりしていないから…」と家庭の責任にする教師がいるが、そんなことはない。昔はもっとしっかりしていない、ほかり放しであった。    
 
 現在、PISA2009年調査が行われている。来年秋に発表されるが、日本はよい点を取るのではないかと思う。「学びのすすめ」以来の成果が表れる頃だから。2003年読解力1位はフィンランドで、日本から大勢見に行った。2006年は韓国が1位だがあまり話題にならなかった。そんな順位に一喜一憂しないことが大切だ。
 欧米は日本の教育を見に来て学んだ。その時にはフィンランドもいた。もちろん、他国のよいところは取り入れればよいが、大切なところは、日本のあり方、日本の授業論でありカリキュラム論、これをきちっと押さえた上で、他の制度を取り入れてほしい。
 最後にもう一度、指導要領を読んでほしい。教育者としてのプロ根性を再確認して欲しい。教師は、普通の仕事とは違うのだから…。