平成18年度愛知県社会教育連絡協議会 中央研修会講演会要旨
演題 豊かな時代の教育
中部大学教授 梶田正巳 先生(14:57〜16:01)
                                  記録 土井
この記録は、土井によるメモから作成したものです。従って、誤字脱字や主観的な解釈、誤解もあり得ます。文責はすべて土井にあり、主催者や講師には一切責任はありません。そのため、引用や転載はご遠慮ください。また、問題の箇所は修正しますのでお知らせください。   
 今日は知っている人、お世話になった先輩がたくさんいるので、教育実習をやっているような感じがする。落語家が落語家の前で落語をやる感じかもしれない。
 今日は豊かな時代の教育という演題で話をする。
 今、学校が映っている。松本市の開智学校。明治6年に開校された。2,30年前に2回くらい行った。当時の資料が展示されている。
 こういう学校が設置された明治初め頃、先輩の方々は厳しい時代に生きてきた。貧しい時時代だった。今は豊かな社会。現代の教育の問題の根本的な原因は何か。その背景には「豊かな社会」という時代背景が大きな影響力を与えていると考えるようになった。今日は、このことを社会教育委員のみなさんに話をしたい。
 私自身も名古屋市で10年間社会教育委員をやった。東海市でも生涯学習大学の構想・企画に関わった。そのように、施策の研究をしたことはないが、現場や行政で生涯学習の経験を積んだ。今日は、そこで学んだことを話したい。
 
 社会教育委員の仕事については、個人の経験から、結局、どういう立場で場に望むのかだと思う。専門家とか、ベテランとかではなく、素人の自分、市民、県民の一人として参加し、率直に意見を述べるのがよいと思った。現在の県の教育委員は、素人として参加している。素人としての意見を積極的に発言すればよい。いわば、Layman(俗人)の役割を果たすことだ。
 会議では、事務局から提案があり承認をする。今の思いは、「言い放し、聞き放しにしないこと」である。
 自分が意見に対して、その後どうなったかを確認することが大事だ。私も、最初、社会教育委員の時は自覚が薄かった。言い放しだった。それがどうなったか分からないので、自己効力感が得られなかった。どう変化したか、変化しないならその理由は何かをはっきりさせるべきだ。できれば、施策の形成過程に参加するとか、評価を伺うなどの活動をするのがよい。意見を言い、それに対してのフィードバックがある中で施策に入っていける。
 その意味で、よい意味で、施策担当者と緊張関係を保つことが大切だ。こんな関わりをどうしてつくり出していくか。社会教育委員の長い伝統があったが、それにとらわれずに、素人として働きかけをするのが求められると思うようになった。
 近頃、教育委員には批判もある。謙虚に耳を傾けなければいけない。そこから脱却するためには、施策担当者との緊張関係を保ち、施策の形成過程に少しでも参加するこがポイントとなる。これまでは、机を囲んで意見を交流することが多かったが、今後は、意見に対して次の変化があるか、変化しない場合は理由を求められることになる。
 施策担当者の仕事に対して、社会教育委員として何を期待するか。結論は「創造的」にやってほしいということだ。基本的問いは、「どんな仕事の仕方か。」これが大きなテーマになる。「出羽の守」か、「創造的」かである。  
 「出羽の守」;アメリカでは…、韓国では…。東京では…。文科省では…。これらが「出羽の守」外部基準による判断であり、ダメだ。自分の足元を見ているかが大切だ。机上の仕事?かそうでないかだ。
 「○○では…」こういう発想だと、外部基準になる。外のあり方に左右される。「…では」と言えるためには、情報通、勉強家出なければならないが、もし勉強するなら、自分の足元を勉強することが大事だ。足元をどれだけ見ているかが大きなポイントになる。 
 これは研究者としてよくない例を紹介する。          
 私は教育心理学を勉強してきたが、学者の多くは、「Psychological Review」(サイコロジカルレビュー)を読んでいる。世界で発表される主な理論や研究が載り、心理学の流れを展望しているので、これを読んでいれば、何がメインかわかる。また、最近は、オンラインで見ることができる。私も駆け出しの頃は、レビューを一刻も早くみたいと思っていた。理解し、参考にしようとした。これを読んで研究すれば、学会賞程度はもらえる研究はできるかもしれない。しかし、創造あるものにはならない。
二流の研究にとどまるという問題に問題点に気づいた。
 ではどうするのがよいか?
 足元の現実を見るべきだ。ボトムアップ、自分の眼で見て、創造の芽を見つけるべきだ。
 昔の言葉に良いものがある。「学びて思わざれば則ち罔し」(論語)学ぶと思うのバランスが重要だ。
 学校教育でもこういうことはよくある。「文部科学省では…」「再生会議では…」「教育委員会の施策では…」などと動向をふまえて具体的なテーマを決めるのはいけないわけではない。しかし、足元をしっかり見つめて、自分たちの方針が固まった段階で他の動向を見るのがよい。
 ある学校の例を紹介しよう。総合学習が始まった時、教科書も何もなかった。自分で考え、自分でまとめ、自分で学習し、ものを考えるのが総合的な学習。その学校では、英語でやってきた。英語はよろしくないということで、研究主任が先進校を調べて、訪問して、それに基づいてテーマを決めた。夏休みに職員会議で伝達し、環境、国際理解などがテーマになった。しかし、困ったことに、生徒が関心を示してくれない。どうしらよかったのか?
 問題の立て方が間違っていた。自分の学校の子どもの状態、興味関心の高いものを調べるべきだった。学者がなんと言おうが、先進校が何をやっていようが、それは後の後。自分の学校から、子どもの現実からテーマを見つけるべきだ。
 
 いかに創造的に仕事をするか。みなさんは創造性というと何を思い浮かべるか?日常の創造的なあり方を考えてみるのもよい。施策の創造性をいかに高めるかと関係が深い。足元を見て、創造的な仕事をする。
 仕事の創造性というと旭山動物園を思い出す。『「旭山動物園」革命』(角川新書)という本も出ている。82年度から2004年度まで、最初は50万人、95年に30万人、それからどんどん増えてきた。今年は200万人が来た。上野動物園や東山動物園より多い。
どうしてそうなったか。いかに、興味ある、多くの人が関心を寄せる関心のあり方を追求してきたかがその答えだ。創造的に、現状を見つめ、試行錯誤をし、あり方を求めた。
 これまでの動物園は形態展示だった。小杉園長は、動物の行動の様子を見せたいと考え、行動展示にしようと考えた。アザラシも楽しんでいるのではないか。人間との関わりで積極的に見せていくことで、園の看板になる。これも苦労の結果だ。創造的仕事の一つの例だ。
 これはおもしろいと感じたことがあると思う。たとえば、腹話術師のいっこく堂。彼は俳優になりたかったらしいが、今や腹話術を越えている。ストラビンスキーの音楽劇を自分でやっていた。新しい劇を自分が創造することから、多くの人が注目して、豪州や米国でもやっている。英語でもやる。音楽劇のパフォーマンスを一人でやる。腹話術を越えた。創造的な人といえるだろう。
 
 私の言いたいことは単純。ボトムアップに考えてはどうだろう。何が問題なのか?困っているのは何か?を考えると、「個別的問い」になる。そのためには、現場をよく知らないといけない。事務所の中にいてはいけない。外に出ることだ。
 どう解決するか?答えは単純ではない。最初は20点、30点で満足すべきだ。いずれ150点にするぞというエネルギーが大切だ。これがクリエーションの最大のポイントである。
試行錯誤で失敗をおそれないのが創造的過程である。粘る、持続力、考え抜く、そうすると幸運に恵まれるチャンスも出てくる
 これは、一緒に考え、創造するチーム仲間がいるとなお良い。
 
 これまで、社会教育委員の仕事について考えてきたが、豊かな時代の教育について話を戻す。教育の難しい時代だ。いじめ、不登校、単位未履修問題。そもそも家庭教育が成り立っていないし、教育委員会形骸論も出てきた。
 昨日も、たけしの番組で教育がまな板に載っていた。いずれにしても、教育について、課題山積で、困難な時代に入った。
 確かに学校教育、家庭教育、地域の教育を指摘されることが多い。しかし、問題の少ない家庭もある。経験的に知っていることを紹介したい。学校の先生やカウンセラーの子どもに非行が少ないとは言えない。世間並みだと思う。私の先輩も、自分の娘をどう育てるか困っていた。しかし、他のカウンセラーにお願いもできないとつぶやいていた。教育は難しい。 一方、問題の少ない家族もある。いつも浮かぶのは船員さんの子どもだ。
 私の知り合いは、商船で航行している。遠洋航海に永年乗っており、世界中に行っている。アメリカへ行くとすぐには帰れない。行って帰って月から3ヶ月。今では、一度飛行機で帰って来るらしいが。だから家を空ける機会が非常に多い。普段は母子だけだ。しかし、あまり子どものことで心配したことがないという。父が様々な港にはいると家へ電話を入れる。父親の入る港に、家族一緒に会いに行く。場所は実に様々だが、たまに会うので、けんかすることはない。互いに大事にできる。うらやましく感じた。また次の航海に出る。父親の代わりをしなければと言う心も子どもの中に育つ。どの船員もそうかはわからないが、参考になる。
 別の人で、娘とうまくいかない人がいた。悩んでいたが、ある時から関係が変わった。きっかけは、父が転勤したこと。単身赴任で週末だけ帰ってくるようになった。娘との関係も良くないので困ったと思い、娘にメールを出したら返ってきた。それをきっかけに、頻繁にやりとりするようになった。転勤で離れたら、会話が戻ってきた。船員の子どもと似通っている。
 中学、高校時代は心配なことがいっぱいある。ある人は、全く心配していなかった。彼は囲碁が好きで、息子にも囲碁を教えた。1年くらい囲碁をやったら、自分が負けるようになってきた。息子はやりたくてしようがないので、碁会所に連れていった。めきめきと力を付け、囲碁に打ち込んだ。中学校で県の代表になり、全国大会に出場した。その息子は、上には上がいっぱいいることがわかった。
 そういう、打ち込む世界を見つけた子どもは心配なく過ごすことができる。うまく、そういう世界に巡り合えると幸せだ。ほっといても伸びていく。
 
 文化庁長官だった河合隼雄さんから聞いた話。ある中学生男子の母親が家庭内暴力で相談に来た。相談に乗ったが、全然止まなかった。その子が、高校生の時。ある出来事があった。
ある時、息子が母にバイクがほしいと行った。そんなお金があるわけがないと言ったら家の中が荒らされた。玄関の机の上に父親の給料袋を見つけて持って行った。取り返そうとしたが離さない。息子は中を見た。明細を見て、給料があまりにも少ないことを知りショックを受けた。これが契機で、家庭におけるあり方が改まっていった。
 自分で考え方が変わらないと人は変わらない。家庭内暴力が止む契機も同様だ。何があるかわわらない。
 
 明治の女子留学生。今から130年から140年前。貧しい時代に暮らしていた。立身出世の時代精神だった。当時の学校の果たした役割は大きい。私益にとどまらず、日本を背負って勉強使用としていた。岩倉使節団で明治5年に5人の女子大学生がアメリカへ行った時の津田梅子は7歳、山川捨松12歳だった。日本の女子教育に貢献しなさいという目的だった。
 貧しい社会の教育力には注目すべきだ。ハングリーな社会にハングリー精神が宿る。昔は寺子屋で勉強した。現代の教育が批判を受けているが、基礎・基本は今も昔も大事。その後が問題だ。定着しない。明日になると続かない。これが今日の学習の特徴。寺子屋の素読は、意味は分からなくても言葉は正確に覚えた。反復練習がないのが今の問題だ。
 
 アフガニスタンの難民キャンプの写真。アフガン戦争で大きな被害を被った。日本のテレビが取材し、そのテレビクルーが今やりたいことを聞いた。子どもたちは「勉強をしたい」「字を覚えたい」と言った。学習環境は乏しいが、意欲が非常に高い。豊かな時代になると、ハングリー精神を失う人がいる。一方、豊かさを利用して、より伸びる人もいる。
 豊かな時代は個人差が大きくなる。子ども、家庭だけの問題ではなく、高齢者の生涯学習も同じ。学ぶ人はどんどん学び、両端を生み出している。
 富山平野の写真。農業は多くの人の生活の一部あった。土地を媒介とした地域がある。今は、地域という言葉はあるが、地域として機能しているかというと多くの問題を抱えている。農作業という仕事を中心とした社会には、密接な人間関係があった。今は、仕事を中心とした関わりが消えた。仕事を中心とした社会の中に、地域をからめるのが今後の課題である。生涯学習の課題といる。「職場」を「地域」に変える。職場を現代のコミュニティーにしよう。終わります。