中等教育研究協議会主観的参加レポート
                                                       文責 土井
 テーマ 青年期のキャリア形成につながる学びの力
−多角的なアプローチを通して−
平成18年2月10日(金)
名古屋大学附属中・高等学校
 名大附属には久しぶりの訪問である。
 4年前には、ソーシャルスキルのための大学とのカリキュラムの共同開発、選択教科における数研への挑戦など、発想の柔軟性に驚いた。
 ソーシャルスキルでは、名古屋大学大学院発達心理学科の吉田教授らと連携し、大学側スタッフによる授業も含めて、合同の授業研究を積み重ねてきた実績には重みがある。
 構成的グループエンカウンターなど、ソーシャルスキルの教材開発は進んでいるが、ここはさらに王道を歩んでいるという感じだ。大口町生涯学習課に派遣されていたときに、名大大学院発達心理学科の協力のもと、大人向け講座を開いたのが懐かしい。よく練られた中学生向けのカリキュラムは、大人相手でも十分通用した。
 数研などへの挑戦は、選択教科では、自分のなかにも以前からアイデアとしてあったものだ。
 自分の努力を「級」として評価されるのは、だれにでも強い意欲付けになる。聖徳太子の冠位十二階ではないが、日本人はそうしたランク付けにきわめて弱い。かつて、オーム心理教は、修行の度合いにより、または朝原への貢献度により階級を細かく分け、一部の若者の心を急速につかんでいった。
 囲碁・将棋や空手、そろばんも例を出すまでもない。落語のような芸にもランクがあるくらいだ。
 しかし、欧米はその発想が弱く、英検に級があるのに、TOEICやTOEFLは点数がそのまま評価になる。
柔道や剣道に段や級があるが、レスリングやフェンシングでは聞いたことがない。西洋では、身分的な区分けはあっても、努力で上がれる級分けは少ない。このあたりの文化の違いはどこから生まれてきたのか興味深い。仏教とキリスト教の違いかも・・・ 
 実際に数研を受けるのは、費用がかかるために個人参加になる。もちろんそれでよい。地理研、歴研、漢研など種類は多く、他教科への応用は可能だ。
 こうして考えると、通常の公立学校だけでは発想が限られる。今日の目標は、中高一貫校を見て、発想を広げるヒントを得ることとした。アンテナを高くして情報を収集し、充実した1日にしたい。
 
 名大附属は、中学校各学年2学級の計6学級、高等学校が各3学級の9学級、計15学級、生徒総数7百名ほどの学校である。
 高校卒業後はほぼ全員が進学で、国立:私立:専修=2:4:1 ほどである。 
 受付では、北海道から九州まで、400名ほどの参加があった。受付終了後、指導案を見ながら、全体を見て回る。自動ドア、購買部、校内の警備員など、とても新鮮だ。
総合人間科
 まず、佐藤先生のいる教室へ。佐藤先生は、かつての古野高校吹奏楽部顧問で、いっしょに練習や演奏会などをやってきた人だ。
 ここでは、「総合的学習を活用した『キャリア教育』の取り組み」として、進学先を決めた高校3年生3名が3教室に分かれて中学校1年生にスピーチする。その一つの教室をのぞいてみた。Aさんは、大学の心理学科に進学が進路が決まり、6年間部活に生き、6年間皆勤賞をとったさわやかな女生徒だ。
 はじめに中学生15名が自己紹介。その後、Aさんが自分を語りはじめた。「総人(総合人間科)」の学習で何をなぜ学んだか。中2、高2で調べた尊厳死が、自分の進路に影響を与えたこと。ホスピスを見学して学んだことなどを、中学生の顔を見ながら語っていた。中学生も真剣に聞いている。
 「総人」とは、いわゆる総合的な学習の時間のことと考えてよい。
 
 中断の後、再び総合人間科、後半の部に移動。
 3名の高校生と卒業生による座談会をしていた。中学・高校6年間で学んだ総合人間科での学習が、大学の研究でどれほど役に立っているかということを、熱く語っていた。
 自分でテーマを見つけて調べたり、校外に出ていって情報を集めたり、プレゼンしたりする能力は、確かに研究向きであろう。
 他の高校では、総合的な学習の時間でもここまでやる学校は少ないという話を聞いている。情報検索の方法や、訪問マナー、アクセスの方法など、他の高校では教えない。しかし、大学では知っていて当たり前だと思われている。
 名大附属は小規模だからこそ、すぐに取材・見学に出かけ、実質的な学習をしやすい環境にある。他の学校との単純比較は難しいが、大規模な高校、しかも国公立進学者の数を競うような進学校では、総合的な学習の成立は難しいことがうかがわれる。
 それにしても、佐藤さんの進行はうまい。さわやかだ。
 
高校1年新教科群 自然と科学
 次に、高校 自然と科学(近代科学の出 発点を探る)に移動。近代科学成立期を様々な観点から学習することを通じて、科学的な考え方を身に付けることを目指している。指導計画にはニュートンやアルキメデス、ライプニッツなどの名前が出てくる。
 理科、数学、社会の3分野に分かれて学習している。数学分野では、12名が曲がった面積の求め方、極限について学んでいた。見ている限り、教師主導、生徒は受け身だったが、一部では、模造紙に作業しているグループがいた。この後で、図形の面積を求めることの難しさを歴史を追って発表をするようである。また、運動法則の説明にもかかわっていく。
 
 理科分野の授業に移動。9名が学習している。
 ニュートンの運動第2法則について学習している。アリストテレスの落体論にニュートンの立場から反論を試みるようだ。重いものほど早く落ちると考えていた人々にどう反論するかをしようとしている。おもしろそうだ。
 
 社会分野へ移動。
 社会の発展と自然科学との関係について発表の準備をしている。古代ギリシア哲学からデカルト、ニュートンまでの自然科学の発達について発見したことをまとめている。集英社新書 池内 了『物理学と神』が置いてある。
 自然科学が、神の意図を理解し神の存在を証明しようと考えていたのに、それが神の不在を導き出す。この過程を学ぶのであろう。
 デカルトとベーコンは、それまでのキリスト教的な世界観から近代科学への道筋を開いた偉人である。デカルトは、普遍的原理から論理的に推論しながら結論を導き出す演繹法を、ベーコンは観察・実験を通して集めた事実から普遍的法則を求める帰納法を唱えた。特にデカルトは、代数幾何の創始者としても知られている。どちらも科学の進歩に大きく貢献した。
 なるほど!今日の大きな発見だ。
 数学で微分を、理科で運動法則を、倫理社会でデカルトやベーコンをバラバラで学習するよりも、ここでやっているように一つのくくりで学習する方が、はるかに実際的でわかりやすい。運動法則の理解は、代数幾何が不可欠だ。ここで、哲学・数学・物理学が一体化する。
 バラバラで学習すると、「なぜ微分なんて難しいことやるんだ」「デカルト?昔の人のことを勉強してなんになる」と、学ぶ意味が曖昧になる。しかし、この密接に関係している三者を学ぶことで、近代科学とその生まれた背景の全体像が分かる。何より、それぞれを学ぶことの意味が分かる
 1クラスを3つに分けて行う授業は、中身が濃くて効果がありそうだ。
 
高校1年理科総合
 グループごとで実験で調べたことを発表している。あるグループは、酸化銀により モル比率を調べた経過を発表した。
 大学受験のためには、教師主導の一斉授業の方がはるかに効率的だと思うが、グループごとにテーマを持って実験をする姿は頼もしい。発表は特別うまいというわけではないが、やり慣れている。質問する側も自然に、それでいてポイントを突いてくる。
  
中学校1年地理
 沖縄について調べたことを発表している。米軍基地への思いやり予算についての質疑応答をしていた。活発な質疑だ。
 教室は、社会科教室。周囲は、一面地図や模造紙が貼ってある。その模造紙を示しながら説明している姿は、資料活用○だ。新大口中学校の教科教室はこんな感じになるのだろうか。
高校2年 新教科群「共生と平和の科学」
 39名が5グループに分かれて、付箋紙を類別している。
 『子どもの人権』(子ども就学率)、『環境』(CO2排出量)、『ジェンダー』(議会女性議員率)のデータを読み、データから見えてくる諸問題を書き出し、ちがう観点からカテゴリーに分け類別している。
 通常は、この3つのグループに分かれて活動しており、今日は3グループが合同ですりあわせる時間のようだ。
 3つのカテゴリーからでてきた問題を異なるカテゴリーに分け直すことで、『世界の王様アメリカ』『コミュニケーション』『経済・教育などの格差』など新しい問題が見えてくるのがおもしろい。このアイデアはいただきだ。 
 
 中断の後、再び「共生と平和の科学」に移動。さきほどのカード分けの後考えたアクションプランの発表が始まった。アクションプランでは、より現実的な視点で発表されていたことに好感が持てる。 発表のいくつかを紹介する。
 ・ ジェンダーは、心の問題。レディースデーなどの一方を高めることはやめた方がよい。
 ・ 教育格差は下を高めるしかない。先進国の援助が必要。
 ・ 高校生としてできることは、よく知ること。
 ・ 先進国と途上国が日常的に話し合える国際コミュニケーションの場を増やす。
 これら、確かに現実的だが、もっと若者らしい発想があってもとも感じた。「女性はもっと立候補して女性議員を増やせ」という男子生徒の意見や「先進国の独身はどんどん結婚しよう」レベルの意見が出て少しホッとした。
 
分 科 会
 参加したい会がいくつかあった。今日は、ソーシャルスキルの授業を全く見ることができなかったので、「教室で学ぶ人間関係構築スキル」の分科会を選んだ。
 中村先生から発表
  各学年の目標

中1 自分や身近な他者の理解と相互作用:30時間(総合人間科、生活、道徳、学活)で隔週、学年担 任団(2クラスで5名)でやっている。
中2 他者と集団についての理解:10時間、保健体育で2クラス同時に担う。
中3 自分と集団、自分が関わる社会:10時間、保健体育で2クラス同時に。
 
 内容は次のものである。それぞれ簡単に説明があった。

1 豊かな人間関係を目指して:・記者会見ゲーム
2 記憶の曖昧さを体験する:・信号の色…情報さえ伝わればよいのは記憶に残らない。・伝言ゲーム
3 ものの見え方・見方:・同じものがちがって見える  ・人の行動や出来事の見え方・見方
4 人に対する印象:・K君ってどんな人ゲーム  ・クラスメートの印象は1年でどうなったか。
5 原因理由を探る:・人によって情報がちがうと
6 人付き合いのスキル:「頼む」スキル・「断る」スキル
7 みんなで考える:・NASA さあ、どうすればいい? ・コンビニ前での座り込み
8 「他者の立場に立ってみると」
9 「まとまり」として見る心
10 グループにすること グループになること のメリット・デメリット
11 グループの中で活動するとき
12 ゲームで学ぶ協力活動
 
木下先生(英語科)から
 社会的コンビテンスを高める授業実践
  −ソーシャルライフを導入して−
 授業実践の経緯
  2000年 吉田研究室による授業、2001年 伝達講習、2002年 TTによる授業、
  2003年以後 担任、副担任がソロで授業
 木曜5,6時間目に主に総人とソーシャルを隔週で 
 
授業の様子
 自分らしさの主張、相手の尊重、役割分担と責任を与えるシステム、個別的に内省する時間の保証
現在の課題
・時間数が減少するとき、何を残していくのか。
・道徳なのか、人権教育なのか、コミュニケーションスキルなのか?
・6年間やってきた。数字的にはどうなのか?
・ソーシャルも中高一貫にできないか 
    
名古屋大学大学院教育発達科学研究科 吉田俊和 教授より「授業開発の理念と背景」
○心理学 人が何を考えて行動したのか法則的に明らかにするもの
子どもを取り巻く環境
 核家族と兄弟数の減少
  家庭内の人間関係を限定
   3人家族 → 3通り、4人家族 → 6通り、5人家族 → 10通り
・サラリーマンの増加 → 家庭における父親不在
・テレビゲーム
  準拠集団 と 遊び、他者とのやりとり、ルールの合意
仲間関係で養われる社会性 
  一人でテレビ、CD、マンガ、テレビゲーム
  友達同士ぶつかり合って人間関係のルールを形成することは苦手
  他者とのつながりは、都合のよい携帯メール
 
「他者」の機能の重要性
  社会的比較
    類似した他者を必要とする(考え方・能力)、自分の正しさを確認、自尊心を保つ
関係づくりとしての社会的スキル
 葛藤解決スキルの低下
   対人的なストレスの増加、いじめ、 二者関係 仲間関係 クラス集団への適応
社会的迷惑の日常化 
  ・価値観の多様化 社会規範のゆらぎ
  ・共同体社会の崩壊と生活空間の拡大
  ・相互監視システムが機能しなくなった
  ・情報化社会への移行により個人の価値判断が優先
  ・価値判断のルールを決める社会的合意が形成されていない。
自分と仲間以外への他者への無関心
  小さな社会への安住、社会考慮の低さ、自分が「社会」の一員であるという意識の欠如
学校教育の役割り
  教科中心の学習 → 自ら学ぶ力や意欲を高める総合的な学習の導入
家庭や地域の教育力の低下
 人間や社会について考える能力を高める教育の必要性
 優先席に座ってはいけません → 知識としてではなく、なぜ必要かを考えさせる 
 
全体講演
「21世紀型の学力とキャリア形成」
    梶田 正巳(中部大学人文学部心理学科教授)
 12月までは、教育課程審議会に参加してきた。21世紀はまだ5年しか立っていない。野依先生なら何か言われる。本学の教授。学部長の同級生。いろいろな話をした。21世紀の学力の話もした。
 附属に貢献してきたつもり。榊校長と併設型中等教育学校を作るきっかけを作った。98年、都道府県では中高一環教育学校は進んでいる。国にはないのでやってもらえないかという話があった。
 昭和20〜24年に岡崎高等師範学校、これが名古屋大学教養部、教育学部になる。この附属が今の附属。
はじめに浮かんだのは、松下村塾。少数で師匠との関わりの中で成り立っている。日本の伝統は、藩校などでも見られた。会津若松に日新館という藩校がある。復元されて展示がある。日本に300近くあった藩校は少人数で個別的に行われていた。
 オックスフォード大学には、39のcollegeがある。有名なTrinity Collegeは1学年80人。16世紀創設。80人の専攻は文系・理系バラバラ。1978年から男女共学。基本的に寮。学びのコミュニティがある。生涯の友達がここでできる。附属も、日本の中等教育の中では制度的に近い。また、これを目指してほしい。
 教える−学ぶ 機能的関係のベースに教育的人間関係が保たれる。中学2クラス、高校3クラスの理想的条件が整っている。そのメリットを最大限に生かしながら運営する。
 中部大学では、学生に評価される。1,2年生は5段階の3が多い。少人数の3,4年生は4以上。教育的人間関係の違いとしておもしろい。青年期教育では、少人数の方がふさわしい。学年に3クラスまで。
 大きな学校では、たとえばABに分けてはどうか。それぞれ、生徒、先生が分かれて、しかも目が行き届くように。児童生徒と先生の人間的な関わりをベースにして、その上に指導が成り立つ。それを制度の上に具現化する。
  
 ここからが本題、学力を問う。
 学識を高めて高い品格に:論語、孟子
  古典を読み、漢籍を理解して、品性を高める これが昔の学力
 明治にはガクリキとよんだ。
  暮らしの知恵・技能を学んだ。読み・書き・そろばん 寺子屋以来の伝統
 今の辞典で学力を引くと違う。
 → 戦後教育の所産 achievement test の影響。
    東京教育大学 篠原教授 の教育学辞典には「学力」という項目がまだない。知能はある。
    戦後の教育改革の中で出てきた概念。
 アメリカ教育使節団の報告書
  1946年3月6日 アメリカから27人日本各地を調査して回る。
     4月6日 調査書提出…学力は評価できるものとしてとらえる。信頼性のある学力テストが大事
 教育行政 鈴木英一著「日本占領と教育改革」1983,勁草書房によると27人の専門家の中に、有名な心理 学者もいた。「セオリーズ」、「ラーニング」アーネスト・ヒルバーも来ていた。→ 学力は新しい概念。
          
学力は、学問的には
 1)学習内容 教える内容から学力を規定する
 2)機能   記憶力、等  機能的学力観
  通知票には、国語・算数などの内容の下に、話す・聞く、読むなどの機能が載っている。
 さらに評価から考えると
 3) 再認の学力(見てわかる、聞いてわかる)、再生の学力(記憶の再生・創造によって再生される学力) 、他問自答の学力。自問自答の学力?卒業論文等はこれ。「問い」を立てる力・・・自問自答の力 
  知的好奇心の問い、問題を克服する問い、願望を実現する問い、生き方を問う identity
  再認の学力は重要 テレビや新聞からの情報をすぐに理解する力。膨大な再認の学力があるからこそ、 人の力は偉大。再生できるものは一部。
  時間軸からの学力
   過去の文化遺産が重い、未来を拓く力   近未来を予測できる力が大切
    松本清張の逆説日本史は、現代のテーマから過去をさかのぼる。
 
 もう一つのテーマ「キャリア形成」
  附属 = 社会の中でどう生きるか?
   「働いて生きる」          「ともに生きる」
     村上 龍              イソギンチャクとやどかり
     十三才からのハローワーク
 働いて生きる
  一時代前は 児童労働、手伝い・家事労働
    生活の中に埋め込まれてきた 働く=生きる
  現代は、楽しみを得る手段
    働く と 生きるの乖離、意味(identity)が見つからないと働けない?    
 ともに生きる 
  平和 争いのない、対立を克服した状態 動的相互調整活動
   お題目、朝礼  認知心理学でいう 抽象と具象
 対処方法
  抽象をいかに具象に結びつけるか。教育も抽象 いかに具象化し、生活化するか。社会的に妥当性の高い主張・論理、生涯をかけて学ぶ課題
(例)脚気 食事に原因か?細菌か?理論派は細菌説、経験派は食事説を唱えた。
  理論か経験か?結局は食事だった。日露戦争では4万から5万の死者のうちの半数が脚気でなくなった。
 論旨明快な理屈が正しいとは限らない。   
 
附属学校の使命と課題
1)働いて生きる(社会の中の役割)、ともに生きる(人とかかわる力)という根元的課題に対峙する
2)総合的人間科はユニーク 
3)スクールコミュニティは中等教育の基本モデル
4)学校の使命を自覚し生徒が励んでいる
5)社会にアピール
 実践成果 目先の結果に一喜一憂しない。地道に、しかし、堂々と実践する。
      生徒の生涯にわたるる人生で検証する
      具象と抽象(実践と理論)