以下の記録は、土井のメモをもとに要約したものです。聞き間違いや要約のミスもあり得ます。文責は土井にあり、講演者・主催者に一切の責任はありません。あらかじめご了承ください。
タイトルが政治と距離のあるテーマのように感じるかもしれない。しかし13年の政治評論家の間、この問題を多くの人と議論してきた。
戦後、米国はフルブライト留学生として、多くの日本人を米国へ送った。これは日本にとっても良いことであり、日本の発展に寄与してきた。戦後は米国が日本の復興を支えたと言っても良い。
しかし、帰ってきてから、違った人間になっていた。社会主義的な考え方の強かった友人が米国へ留学し、帰ってきてから話し合ったら思想が変わっていた。
社会主義は、指導者の個人の利益は二の次、三の次で、国民の利益を最優先する考え方である。しかしその友人は、米国留学後には「個人の利益のために全力を挙げてなぜ悪い」という考え方に変化しており、「これがアメリカか…」と実感した。人間性まで変えたのだ。 私は「日本人は助け合いながら和を基本として」と考えて生きてきた。聖徳太子の十七条憲法第1条に「和を以て貴しと為す」とあるように、指導者は和と助け合いを日本社会の根本と考えてきた。
しかし、米国帰りのほとんどが「そんなことを言っているからダメだ。」「甘い」「日本社会はおかしい」「だから自立できない」「世界の中で生きていけない」とあざ笑う。
今の日本の指導層、政治家、官僚、大企業やマスコミの幹部、有力学者はアメリカ経験者だ。昔はヨーロッパから学んできた。ヨーロッパは伝統重視だ。同じアングロサクソンでもアメリカとは違う。
イギリスにはオックスフォード、ケンブリッジという13世記にできた二つの大学がある。
ケンブリッジはニュートンやケインズが出た学校だが、ロンドンから遠いので私は行っていない。オックスは行って来た。30年古い。13世紀の建物が今も教室に使われている。700年前そのままの環境の中で学生は勉強する。誇りに思っている。その中で文学や哲学を学ぶのが基本。経済はあくまでも傍系である。
米国では哲学はなく、文学も弱い。経済、経営が主流で、歴史的視点が乏しい。わずか200年の歴史しかなく、それ以前の何千年前から続く原住民を抹殺してその歴史を消した。
これが英米の違い。戦前の日本人は伝統と現実の融合を大切にしてきたが、戦後は古いものはぶち壊すアメリカ的生き方をしてきた。アメリカは、自分のために戦うのが正義だ。
今、アメリカ以外の経験者は指導者になれない。
外務省で、鈴木宗男といっしょにやってきた佐藤 優という外交官の本を読んだ。
昔は、「英語圏、ロシア語圏、中国語圏、仏語圏、独語圏、スペイン語圏、それぞれにその国で外交官として生きていこうという人がいっぱいいた。」最近はアメリカ以外はなくなった。外交官は英語しか話せない。外交能力の急速な衰えだと感じる。米国だけに向いており、米国だけがやれと言ったことを日本はやっている。
かなり前からそうだった。海外の関係者も知っていた。海外特派員協会(FCCJ)がある。有楽町の駅前のビルにあり、よく呼ばれて講演に行った。かつてはほとんど外国人だったが、2年前に行ったらほとんど日本人で外国人がいない。
90年代半ばから、日本の中心である永田町から政・官・財の取材をしても意味が無くなった。むしろ、アメリカの対日担当から聞いた方が正確な情報が得られる。
90年代、中国が高度経済成長に乗り、アジア全体が乗ってきた。相対的に日本の地位は低くなり、各国のアジア支局は北京に移った。東京にいるのはアルバイターで、本業の人は北京にいる。今世紀になり6年経つが、この傾向が特に強くなる。
クリスチャン・サイエンス・モニターの記者が「今度お目にかかりたい」と言ってきた。「どちらから」と聞くと「北京から」と答えた。「たまには東京のニュースも送れ」と言われたそうである。
日本を報道する人がいない。その価値がないためだ。
80年代前半、日本の経済力は世界第二になった。アメリカも日本に頼ろうとした。その後、日本の評価が変わる。今や、アジアの辺境で、アジア経済に日本が出てこない。日本の地位が下がった。
今は情報の社会。日本のマスコミが、世界に発信する力があるか?NHKラジオ日本は世界中に送信しているが、日本語で世界の人は聞かない。日本のことは、ほとんど報道されない。いまだに、古い芸者の話が報道されている。
日本側にも大きな責任がある。官庁の取材は制限されている。中央5紙(朝日、毎日、読売、日経、産経),NHK、時事、共同の8社が世話役で海外を加えない。誇り高くレベルの高い海外の記者は、日本が海外に向けて発信しないので、日本を去っていく。
日本の指導者は、頭を切り換えなくてはいない。日本の地位低下を認めるべきで、いまだに経済大国というのは改めるべき。
海外から見た日本についての日本人論が出ている。米国の対日政策として、CIAや国家安全保障会議、シンクタンクの研究者へのインタビュー記事を読むと、80年代から日本のアメリカ化に取り組んだと言っている。日本の社会システム、習慣、生き方をアメリカ化することだ。
しかし、日本の幹部は認めたがらなかった。自分でやっていることだからだ。これが20年にわたって行われた。
今世紀、小泉政権になってから、もっとはっきりしてきた。
ブッシュは、日本を、ヨーロッパにおけるイギリスのようにしたかった。これが日本のイギリス化という。CIAなどの国家機関は、いろんな国の対策に取り組む中で、日本にはイギリス化に取り組んだ。これは、日本と諸外国の人間的な関係、組織的な関係を整理し、ブッシュ政権のもとで再編成しようというものである。
たとえば、日本と北朝鮮の関係もそうだ。唯一パイプがあった、金丸信、加藤紘一の二人はあっという間に失脚した。
政治家は慎ましくするべきだとずっと言ってきた。米国が、有力政治家のスキャンダルのことを調べているからだ。米国にとって都合が悪いことを言うと、米国が新聞社を通して発表する。それが真実であり、それで失脚していく。
金丸事件も、金丸と金日成が通訳なしで会ったため、これがアメリカ当局やCIAの怒りを買い起こったもの。
ロシアの鈴木宗男の失脚も、中国の田中、竹下、野中ラインも同様だ。田中、竹下は若くして死に、野中は弱みを握られて引退に追い込まれた。
イラン、イラクの人脈も、日本のイギリス化のために整理された。これは、日本のアメリカ化でもある。
アメリカの経済・産業は、共和党政権=弱肉強食である。自由競争を徹底的に行う。強い企業が勝つ。弱い人はどうするか?自己責任だ。
小泉政権も、自由競争、自己責任でやってきた。最近、東京では電車がよく止まる。負け組の人が、生活にいき詰まり、死に場所に電車を選ぶためだ。小泉の後継者である安倍は「再チャレンジ」と言っているが、小泉はそれは間違いだという。
自由競争は、本来アングロサクソンの論理の一つ。アダム・スミスは『国富論』の中の「神の見えざる手」で、自然と需要と供給は収束に向かい、経済的均衡が実現され、社会的安定がもたらされると言った。しかし、イギリスでは、ほんの一握りの勝者と大量の失業者、貧者が生まれ、これが戦争につながった。
ケインズは、1930年代。失業者は政府が救済すべきと主張した。減税や、公共事業で失業者を救った。
しかし、共和党はケインズ派を追放し、ケインズは最低の経済学者とした。今はフリードマンの「自由経済」が中心で、その弟子が牛耳って政府を支えている。
友人が、「2年前に出た大前研一の『日本の真実』を読んだか?」と言った。読んでいなかったが、そのはじめの数ページに、次のように書かれていた。
政官財の鉄のトライアングルが日本を支配していると言われてきたが、今や、鉄のペンタゴンが支配している。それは、政官財と、マスコミ、御用学者だ。
すでに、政府にとって「すばらしい」という論文を書かないと国立大学に就職できない。
学者が政府の役人みたいになってきている。新聞記者も自由に活動できない。
「派閥解消」が小泉さんの功績といっているが、実体は「森派」だけが残った。新聞記者が森番になり、みんな森派になっている。
近衛内閣から東条内閣になり、大政翼賛会になっていったが、今の日本も大政翼賛体制になっている。
つまり、ブッシュのテロとの戦いは、米・キリスト教対中東・イスラム教の宗教戦争だ。日本がその一翼を担ってきた。本来日本はバチカンが日本に援助しようとしたほどキリスト教徒が少ない。ブッシュはイラクに十字軍を送ったが、日本を加えるべきではなかった。
米国はイランを叩きたい。イランに対して、日本に経済制裁をやらせたい。しかしできない。日本はイランから、14%、人によっては17,8%原油を買っているという。日本が経済制裁やれば輸入がストップ。ただでさえ原油高だからこれ以上は無理だ。
政府は「デフレ脱却」と言っているが、実体は違う。原油の値上がり分を差し引くと、実体はデフレ。デフレ脱却は政府のトリックだ。イランがやれば日本はパニックになる。
ついにここまできたかと言うことがあった。
この前久しぶりに出たクラス会で、友人が「本を読んだ」と言いこう続けた。
「どうして日本が独立国でなくてはいけないのか?米に保護してもらい、できれば一つの州になってどうしていけないのか?」「日本が頼れるのは米国か中国だけ。それなら、米国の州の一つになればよいと思っている。」
こう言い返した。「日本を我々の代で終わるわけではない。子や孫の世代、未来に向かって生きていく。子孫を拘束する権利は我々にはない。日本が独立国としての道を歩むのは当然だ。今は従属的になっている。」
彼は納得しない。しかも、周りで聞いていた誰もが彼に異議を唱えない。
このことを本に書いたら、「友人の言うとおり」というメールが多く来て驚いた。ハーバードを出た人の意見が多い。
最近役所の人がおかしい。本当のリーダーは奉仕のはず。しかし、自分の利益を上げるのに熱心だ。食事の相手が、「日本人が能力に応じて収入が上げられないような国ならつぶした方がよい」と言った。激論になったが、相手も引かない。経済政府財政諮問会議のメンバーも竹中もそう考えている。日本人の生き方が壊れている。
小泉の靖国参拝問題は、新聞にも書かれない次の事実がある。
2001年4月の橋本龍太郎と小泉の総裁選は、橋本が勝つと思われた。その父・橋本龍伍は吉田内閣の厚生大臣で、遺族会を作った。S38年に息子が出て、遺族会を継いだ。遺族は、靖国陣社の公式参拝を推薦の条件にした。当時は100万人いた。今は、8〜9万人だ。
橋本は公式参拝の後非難され、その後しなかった。2001年には、小泉が遺族会の票を持ってくるために公約し、8月13日に参拝した。中・韓は反発し、小泉はすぐに盧溝橋へ飛んだ。盧溝橋は日中戦争の発端となった、いわば聖地である。小泉はそこへ自ら行き、頭を垂れた。そこで「忠恕(ちゅうじょ)」と揮毫(きごう)した。「忠恕」とは、論語の言葉。弟子の曾子(そうし)が、「先生(孔子)は、終始一貫して変わらぬ道を歩いてきた。その道とは忠恕である」と語る一節がある。「忠」とはまごころ、「恕」とは思いやり。「まごころ」と「思いやり」のこころで、日中友好発展に全力を尽くしていきたいという意味である。
政治とはこうした解決法が多い。
そしてまた参拝した。ヨーロッパのタボス会議に対抗してアジアボアオフォーラムを開いた。ここで温家宝(朱鎔基では?)・小泉会談が開かれた。「靖国へ行くと中国人の心は乱れる」といわれ、「わかりました。適切に配慮します。」と小泉は答えた。
その後、靖国へ参拝し、胡錦濤と会談した。ここでも小泉は「わかりました。適切に配慮します。」と答えた。胡錦濤はもうやらないと判断したが、3度裏切られた。中国側は、日本の首相のことを「うそつき」と言っている。
『小沢イズム』に「中国へ行ったら日本の首相はうそつきといわれた。こんな悲しいことはない。」
日本のマスコミは、中国の突然のキャンセルがいけないと書いているが、真実はさっきの通り。
藤原正彦は「惻隠」が日本の精神だと言った。孟子の言葉で「惻隠の情は仁の端なり」とあるが、少なくとも外交でうそつきと思われるようなことをしてはいけない。
北朝鮮のミサイル実験で、安倍は制裁を強硬に訴えた。安保で7条の決議とは、従わないと国連軍を送るというものだ。アメリカは途中で降りたが、7条について日本だけが走った。世界の流れからはずれている。
ロシアサミットでは、「あくまでも外交交渉で行く」との議長声明があった。日本は完全に孤立した。マスコミは、日本が主導といったが間違いだ。
日本は危険水域に入っている。
ある人は「日本は徹底的に強く出るべきだ。オリンピック、万博は中国の弱みだ。」と言ったが、弱みにつけ込もうとするとは情けない。
我々は、大切なものを失いかけているのかもしれない。
米共和党の自由競争−自己責任は、米国以外ではみんな失敗している。米国は戦争でお金がかかる。日本の貯蓄でドルを買い、それで米国債を買う。日銀はどれだけドルを買っているか、公表をやめた。ゼロ金利もやめたが、まだ公定歩合を上げられない。日銀は市中の紙幣を20%減らして、不況経済を作ろうとしてる。ちぐはぐだ。
アメリカ化でのモラルの崩壊を正さなければならない。東京が一番乱れている。東京では少数意見だが、聖徳太子の和と助け合いをすることが脱出への道。
今日は、良いテーマをもらったので、日本人の生き方について所見を述べた。