研修10日目 3月7日(水)                             

 15:30〜17:00
 地方教育行政制度
                文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課課長補佐
                                                  今泉 柔剛氏
 
 千葉県でH6年入省した。
 
 「教育」「教師」は、教育行政の中には、法律という形で存在が規定されている。給与・服務・勤務時間・休日・教委との関係など、すべて法律で規定されている。
 しかしあくまでも法律は土台で、そのうえに実践がある。
 今、教育改革が行われている。
 文科省が行っている教育改革。都道府県が行っている教育改革。市町村の行っている教育改革。学校の教育改革、教室の教育改革というのもあるだろう。 
 文科省が行っている教育改革は、法律の改正という形で実現する。全国的な環境整備は国がやる。
 県は、広域行政や人事行政、高等学校、特別支援学校の教育改革。
 市町村は、小中学校の設置者、就学事務などの教育改革。
 学校は日々子どもと接する場としての教育改革、それぞれの立場での動き方がある。
 
 福岡での2年間、高校教育課長として多くのことを学んだ。のべ220校を訪問し、それ以上の数の授業を見た。
 印象に残っているのは、「学びのスキル」を教える英語の授業だった。そこでは、ノートの使い方まで指導していた。ノートの場所ごとに、何を書くかが決められていた。
 こういう風のノートのとり方を知ってるかどうかで、学びの効率化になる。何を聞けばいいのか、授業の要点がわかる。復習のポイントもわかり、予習から復習まで効率的に行うことができる。これを3年積み重ねれば、例え能力が同じで勉強時間が同じでも、きっと差がつくだろうし、成績にも表れるだろう。
 これに対して、学ぶスキルを教えてもらえない子は不幸だ。これは、教員の知恵でできる教育改革だ。学び方を教える教育改革もある。
 
 今日は、教育改革の中でも国の話をする。
 その前に、表紙の森 信三の言葉を紹介したい。
 
 教育とは、流れる水に文字を書くようなはかない仕事なのです。しかし、それをあたかも岸壁にノミで刻みつけるほどの真剣さで取り組まなければならないのです。教師が己自身、赤々と命の火を燃やさずにいて、どうして生徒の心に点火できますか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。
 
 国の施策もあるが、何はともあれ、教師が己自身赤々と命の日を燃やさずにいて、どうして生徒の心に転嫁できますか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。
 
 「戦後義務教育改革の流れ」を見ていただきたい。
 ここでは、戦後の教育を大きく5つに分けている。
 @ 戦後教育の再建(概ね昭和20年〜27年)
 A 経済社会の発展に対応した教育改革(概ね昭和27年〜46年)
 B 安定成長下の教育改革(概ね昭和46年〜59年)
 C 臨時教育審議会以降の教育改革(概ね昭和59年〜)
 D 教育改革国民会議以降の教育改革(概ね平成12年〜)
 
 教育の流れは、警察のもつ少年非行の流れと一致する。少年非行には、これまで4つのピークがあった。
 昭和26年 戦後の浮浪児たちの犯罪
 昭和39年 高度経済成長 東京オリンピック
 昭和58年 詰め込み型教育への反発
   卒業式では、全国で3000人動員された 
 平成12〜14年が第4のピーク。
 
 戦後教育の再建期の終盤に第1のピークが来た。
 昭和27年〜46年では、教員組合との闘争があり、学習指導要領の改訂、義務教育国庫負担等、現代の基礎が固まった次期である。
 昭和41年の勤務実態調査があり、昨年40年ぶりの勤務実態調査を行った。  
 次の時期は、人材確保法、給特法などで教員給与が改善され、昭和49年には教頭を規定、昭和51年には主任制が始まった。昨今、ゆとり教育が議論されているが、指導要領にはこのころから「ゆとりと充実」と書かれていた。
 そして、昭和58年が第3のピーク。昭和59年に臨教審が設置され、国際化や生涯学習が言われた。
 平成12年は、教育改革国民会議の報告があった。
 このように、子どもたちの動きに合わせて教育改革が行われた。
 
 子どもたちの数が減少している。このまま行くと、2055年には日本の人口が9千万人を割ると言われている。女性が生涯に生む子どもの数が1.2人。
 これからは、小規模校が増える。校務分掌は変わらないので、教師の負担感が増える。教員数は横ばいのままである。
 昨年6月に、行政改革推進法が成立した。
ポイント http://www.kantei.go.jp/jp/singi/gyokaku/kettei/051224housin_s.pdf 
正規の手続きで成立した、国民の意思である。
 ここでは、教員の数を、平成22年までに子どもの自然数の減少以上に減少させなさいとある。現場の教員は増えないことになる。
 10年後の図としては、教員数のピークである今の40代後半が定年を前にやめることになるだろう。新採教員の確保がたいへんになる。倍率も下がる。ベテラン教員の知恵と経験のノウハウをいかに後輩に伝えるかが学校の課題だ。
 校内研修組織も重要になる。高齢教員が増える一方、中堅職員の割合が減少する。中堅職員の多忙化により、自身の研修機会も減少する。
 
 学校を取り巻くいろんな課題がある。
 軽度発達障害の問題がある。4月から特別支援学校が始まり、特別支援コーディネーターが配置される。今後、学校と医療との関係、学校と福祉との連携、虐待を受けている児童生徒の早期発見と通告、家庭の問題等、問題は多い。
 外国人児童生徒も急増している。太田市では人口の16%が外国人である。就学義務はない。
 今後、いかに学校と福祉・医療・警察が連携するかが課題となる。
 
 このような状況で学校ができることは何か。
 全国4万校、100万人の教師、2,000万人の子供がいる。子どもの面倒を親がみるのは当たり前である。しかし、親がだめなら学校の教師しかいない。
 民生児童委員は22万人いるが、常勤の主任児童委員は2万人しかいない。保護士は5万人、児童相談所の職員は7,000人、人的キャパが足りない。警察も5万人で、教員の100万人にはとても及ばない
 これが学校の大きなアドバンテージである。
 学校は先生・生徒、先輩・後輩、同級生、地域の人など、いろいろな人間関係のバリエーションがある。児相には手がつけられなくなってから来るが、教師はその子の周辺情報を持っている。日頃からの指導や言葉かけができる。
 さらに教師は一人ではない。組織として動けばいい。教育という大義名分がある。
教師は家庭に入り込みやすい。ポジティブな形で入り込める。児相や民生児童委員が家庭に入るのは簡単ではない。 
 
 しかし学校の限界もある。他の児童生徒など、学校全体をみなければならない。教育以外では必ずしも専門家ではない。情報が豊富なため、逆に中立的に見えない。
 虐待での早期発見の義務がある。毎日同じ服、朝食を食べてこない、風呂に入らない状況があると、この背景に何を感じるかが大切だ。虐待を見分けるのは専門的な知識が必要になる。背景に虐待があると、例えば「なぜお風呂に入らないの?」などと軽々しく声かけができない。ここに教師のセンサーが必要となる。そのセンスが問われる。
 
 国がどうしようとしているのか。
平成17年10月に中教審答申「新しい時代の義務教育を創造する」が出された。
  http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05102601/all.pdf 
 ここには、義務教育の構造改革について書かれている。
 学校は教員の創意工夫で行われる。その環境整備を国がやろうというものだ。1400万人の子どもたちに個に合った教育を実施しようとする。これは、ある一定の優秀な教員と施設と教育内容を与えれば予定通りの成果が上がるだろうというものではない。チェックがいる。
 また、教育を受け取る側の土壌が整っていなければうまく行かない。目標設定をして基盤整備は国がやる。
 
 4つの教育国家戦略をたてている。
 
戦略1 教育の目標を明確にして結果を検証し質を保証する。
→ 義務教育の使命の明確化、学習指導要領の見直し、全国の学力調査の実施、義務教育に関する制度の見直し
 
戦略2 教師に対する揺るぎない信頼を確立する
→ 教員養成・教員免許制度の改革、採用・現職研修の改善・充実、教員評価の改善・充実、多様な人材の学校教育への登用
 
戦略3 地方・学校の主体性と創意工夫で教育の質を高める
→ 学校の自主性・自立性の確立、学校評価の充実、教育委員会制度の弾力化、市区町村への教職員人事権委譲、市区町村・学校への学級編成に係る権限の委譲
 
戦略4 確固とした教育条件を整備する
→ 義務教育費国庫負担制度、公立学校施設整備費負担金・補助金の改革
 
 教員の資質向上のための施策として、免許更新制が強く打ち出されているがそれだけではない。より質の高い教員養成課程のために、学位・単位を国が準備している。
 今は都道府県が免許を授与しているが、授与権者はそれまでは教員養成に関してはノータッチだった。文科省は認可でチェックするが、中身はより実践的にするべきではないのかと考えている。
 さらに中堅どころの育成も考えている。
 
 平成2年から虐待のデータをとっている。当時は年間1,100件、それが15年後に33,000件、なんと30倍に増えた。基準の変更もあるが、先生の見る目が肥えたのも事実だろう。
 昨年7月に中教審答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」が出された。
全  文 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910.htm 
ポイント http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910/022/001.htm 免許更新制や人物重視の採用、教員評価、一人一人の資質の向上、学校の組織体制の整備など、多方面から述べられている。
 管理面では、主幹、副校長といった新しい職を設置する。
 現在、すべての学校にもうけるべきとされているのは校長・教頭・教諭・事務職員だ。たとえば全日制定時制のある学校では、一人の校長が昼も夜もすべて見ている。
実際には不可能だ。そこで副校長が活躍する。
 指導教諭は、一つの職としてスタッフになる。知恵と経験とノウハウをすべての職員に伝える。
 主幹制は8都道府県で実施されている。これまで、学校が一丸となって当たれない現実があった。主任の仕事は、指導・助言・連絡調整というが、指導は強制力はない。
そこで、より権限を強めたのが主幹である。
 文科省と教育委員会の関係は、地教行法に「指導、助言、援助」と決められている。
すべての学校に主幹、副校長、指導教諭を設ける必要はない。必要だと思うところが設ければよい。
 一人一人の教育の力量が問われる時代になってきた。そこで問題となるのが、指導力不足教員だ。特別な仕組みで対処する必要がある。そのためには、頑張っている教員に給与上の処遇を考えることも手である。先生方の事務絶対量の軽減も考えなくてはならない。
 勤務時間は、労基法上、超勤4項目のみ超勤が可能で、そのために教員調整額が付いている。しかし、実際は超多忙だ。教師の自発的行為に支えられている。しかし、そいれでいいのか?
 今、専門職に合った勤務時間も考えてはとも検討している。例えば、中学校の先生は、部活動の指導を終えてから会議に入る。毎日7時、8時は当たり前。そうした時間を勤務時間にして、その分夏休みの勤務時間を減らしてはというのが、1年間変形労働時間制。
 18年7月の中教審答申は、4つの具体策を示した。
1 教職課程の質的水準
2 教職員大学院制度の創設
3 教員免許更新制の導入
4 その他
 
 3の更新講習免除はどこまでか?指導主事は?主幹、指導教諭は?学校の組織運営について必ず置かなくてもよいので、議論しなくてはいけない。
 資料には、学校の組織運営のイメージが載っている。 
 
 優秀な教員の表彰については、この2月に765名を表彰した。だめな人を責めるばかりでなく、がんばっている人を褒めようという制度である。現在、人事権を持っている教委(都道府県・政令都市)が62あるが、そのうち8つが優秀教員に給与上の措置(特別昇給・ボーナス増額など)をしている。
 先日の表彰では、優秀教員が自分の親をつれてきて、看板の横で写真を撮っている姿を何人も見た。これを見てやって良かったと思った。教員は、処遇で働くわけではない。子どもとのかかわりが生きがいだ。ただ、こうしたことで、それで現場がやる気が出れば続けていきたい。
 校長の人事権の拡大とFA制。これがすべてでやるとうまくいかない。
 教員の処遇について
 平成18年6月2日の行革推進法では、人材確保法の見直しが出された。この2.76%減らされる部分を財源として使えないかという発想だ。
 教員の数は増えない。教員が行うべき仕事は何か。外部人材は?時間外勤務の軽減はどうすればよいか?これを説明するためのデータが必要なのである。この40年間、組合対策もあり、データを取っていなかった。
 トータルで考える必要がある。
 事務量の軽減、時間外勤務の処遇は、処遇上で反映する。 
 号級は、現在4級制をとっている。職の複雑制は、困難制になる。職が増えれば新たな級が必要だ。現在、校長が4級、教頭が3級、主任が2級だが、副校長は3.5級、主幹が2.5級となる。
 普通、1年で1号上がる。これを4つに分けて上げるのはどうか?
 国は勤務評定ですでに行っている。年8号報昇級が5%、年6号が20%、年4号が50%、年2号が20%、昇給なしが5% 。
 教員の時間外勤務は、40年前は8時間だったので、今は5倍に増えている。それを訴えるためには、きちんとしたデータが必要なのである。
 
 教員評価制度が始まった。指導力不足教員の人事管理システムも整いつつある。希望降任制度と条件附採用制度の運用も始まった。
 教育委員会のあり方の見直しについては、次の点が話し合われた。
1 教育委員会の目的の明確化
2 規模の見直し
3 地方分権
4 国の関与
 
 最後に、「教師が己自身、赤々と命の火を燃やさずにいて、どうして生徒の心に点火できますか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。」という言葉を繰り返したい。
文科省も、「文科省が己自身、赤々と命の火を燃やさずにいて、どうして教師の心に点火できますか。」と自答して終わります。