第2回せわやきおばさん養成講座 Q&A

                           大口町生涯学習課
                               土 井 謙 次

 2月4日の第2回せわやきおばさん養成講座では、みなさんの熱気の中で、あっという間の2時間が過ぎました。予定の半分程度しかお話することはできず、まとまりもなかったことをお詫び申し上げます。ただ、その時に述べたように「あくまでも第一歩」。これからも、他の方々とかかわりながら、私自身も含めて、共に学んでいけたらと思います。   
事前にいただいた質問、また最後にいただいたご質問等に対する私の考えを述べたいと思います。

Q 中学生の時期に、ゆっくりと人生を考える機会にどのようなものがあるか?
A 学校によっていろいろ工夫されていると思います。ここでは私のかつての在籍校の 様子を紹介します。
  1年生は、道徳の資料として、生き方を取り上げられたものが年間を通して計画的 に組まれ、全クラスがそろって取り組みます。杉原千畝や星野富弘さんなどの生き方 を通して、「生きる意味」について考え、校外学習には八百津の人道の丘・杉原千畝 記念館へ出かけます。
職業調べも始まり、秋には職場見学に出かけます。しかし、これも職業そのものの知識よりも、そこで働く人をクローズアップします。生きがいや働く意味について考えるのです。
 2年生では、働く人の話を聞く会を行い、じっくりと話を聞く機会を設けます。秋には、1日汗一杯になって働く、職業体験を行います。
 冬には、立志の式を行います。かつての元服に習って、これまでの生き方を振り返り、お世話になった人に感謝し、そしてこれからの生き方を考えます。
 いろいろな職業とその職業に就くための進路学習も本格化します。
 もちろん、道徳では、1年生に引き続き人の生き方に焦点を当てた資料を扱います。
3年生では、東京で大都会ならではの職場を訪問します。生徒は、これまでかなり 先まで見通した学習をしてきました。しかし、これ以後はだんだんそのゴールが近づ き、話が具体的になってきます。いわゆる進学指導になるわけです。
しかし、あくまでも行ける学校ではなく、将来の夢から行きたい学校を考え、自分の力と合わせて希望を修正していきます。

人生を考える機会は、テレビのドラマやドキュメンタリー、映画、伝記の本などいろいろあります。親子でいっしょに見たドラマの「人物」に対して、ちょっとした親子論議がおこるだけでも意味のあることです。

Q 新成人の社会人としての自覚が問題となっているが、何が原因か?
A まず、マスコミの姿勢を問題にしたいと思います。
マスコミに大きく取り上げられましたが、問題があった自治体は全国の中で何割あったのでしょうか?またその中で、問題を起こしたのは何人でしょう?
 正確なデータはわかりませんが、問題となる成人は、全体の中のごく一部であることは確かです。新成人でなくとも、問題となる大人はいます。
大口町でもマスコミの取材がありましたが、「静かな中で終わった」と答えるとがっかりされました。このことからマスコミの報道姿勢が分かります。
ご質問の答えとしては、「原因は、マスコミのあり方。」とお答えします。昨年の成人式報道が明らかに煽っています。
もし、成人式のよい姿がたくさん報道されたらどうでしょうか?「私たちの頃より、しっかりしているわね」という声が聞こえるでしょう。マスコミには、バランスの取れた報道を望みます。

ただ、一つ言えることは、中学校時代の友人に会うと中学生時代に気持ちが還ると言うことです。その点で、成人式は通常よりも気持ちが幼くなることは事実でしょう。
また、今年の成人式で、実行委員と話をして気づくことは、社会人と学生の差です。年齢ではなく、社会での経験が人を大人にするのだと感じました。

Q 病気の子に対する偏見が気になるが?
A これは重要な問題ですので、ここで改めて取り上げさせていただきました。
  こうしたことをなくすのが、教育の目的でありたいと思います。

当日にも述べましたが、勉強だけならパソコンなどを利用して独学でもできるでしょう。しかし、学校は、共に生きる心を学ぶところなのです。この心は、人とのかかわりの中でしか学ぶことができないのです。(ですから、今の形の学校は将来もなくなることはないと考えます。)
子どもの頃から、障碍のある方とかかわり、できれば友だちになるぐらいであれば偏見はなくなります。前任校(木曽川東小)では、6年生が授産所でいっしょに作業を行っていました。その後も作文や自作のプレゼンとなどを持って交流しました。互いに名前で呼び合えるようになった子どもたちは、偏見をもつことはありません。
私自身も、かつては偏見が全くなかったというと嘘になります。しかし、視覚に障碍のある友人ができてからはなくなりました。特に意識せずに、当たり前の友人として付き合っています。
これは逆の立場から見ると、多くの友人を作れば作るほど、障碍に対する理解者が増えるということになります。五体不満足の乙武氏がよい例でしょう。彼に偏見を持つ人は、まずいないのではないでしょうか。
 病気に関しても同様のことが言えると思います。ぜひ、体調がゆるす範囲で多くの人と交流し、たくさんの友人を作ってほしいものです。

※ 「身体しょうがい者」の「しょうがい」は、「障害」と書きますが、最近「障碍」 と書く人が増えてきました。人に対して、「害」を使うことは適切でないという趣旨 です。ここでも「障碍」を用います。

Q 思春期の男の子の接し方はどうするか?話をしたがらない。
A ほとんどの子は思春期になると無口になります。思春期でなくても、「風呂、めし ・・・」という父親が多いのではないでしょうか。
 男性は、言葉が少ない中で分かり合えることをよしとするものなのです。
 最近、男性ホルモンと女性ホルモン(ごめんなさい!染色体だったかも?)が脳の言語中枢に及ぼす力を解明した学者がいましたが、女性の方が言語中枢が発達しているということでした。
  
 というわけで、男の子が無口になるのは自然現象であることを理解しください。

 さて、その解決策ですが、スポーツや映画、好きな歌手などの共通の趣味をもつ。例えばイチローをいっしょに応援する親子は会話が弾みますよ。
 かかわりが話題をつくります。子どもから話したくなるような話題の多い親子であってほしいものです。

Q 過干渉の見極めどころは?
A ご質問には「過保護はよくて過干渉は悪い」とありましたが、私はそうは思いませ ん。過保護と過干渉はほぼ同じです。精神面が前者で、それが現象となって表れたの が後者です。
  また、「過保護の善悪」は、3歳までとそれ以後でまた異なります。3歳頃までは、 子どもが愛されていると実感できるほど、愛を注ぐべきといわれています。しかし、 それでも「自立を願って行う干渉」と「そうでない干渉」では、何年かすると結果に なって表れます。
  今やっていることが、「この子の自立のためになっているか?」と客観的に振り返 ることがポイントです。
  心の余裕がないとつい手を出しすぎてしまうので、まず心の余裕を・・・・

Q 「自己主張があってしかも協調性がある子」はどうすれば育つか?
A どこまでと線が引ける問題ではありませんが、小学校高学年にもなると、7〜8割 の子は「自己主張」もできるし「協調性」もあるという感触があります。
では、どうするとそうなるのでしょうか?

  「自己主張」と「協調性」は、教えて備わるものではありません。かつての子がそ うであったように、人とかかわり、時には傷つきながら、経験的に学習するものなの です。
  しかし、かつて多くの兄弟や近所の友だちといっしょに群れていた時代と違って、 今の子は人とかかわる機会が減ってきました。少子化、塾やおけいこごと、そして何 よりテレビゲームの普及が子どもの孤立に拍車をかけたのは言うまでもありません。
  人とかかわる機会を積極的に求めていく姿勢、人のいる環境をつくっていくことは、 バランスの取れた成長のためには重要なポイントです。
  協調性のある子は、次のようなポイントがあります。
 1 相手に心を開いて、自分から先に相手を好きになれる
 2 相手の立場に立って考えることができる
 3 相手とうまくつきあうための社会的スキルを持っている
また、自己主張ができるかどうかも多くの要因があります。
発達段階のそれぞれの時期で、十分に自己主張の機会をもつこと、さらにそれが完全には実現しないことを経験することが大切だといわれています。その他、何かに自信をもっている、論理的・合理的に物事を考えることができる、なども重要です。

ご質問では、自分自身も「自己主張」「協調性」を身に付けたいとありました。近年、心理学に基づいた人間関係学が急速に発達し、「エンカウンター」「セルフエスティーム」「セルフディフェンス」「交流分析」などの講座も多く開かれています。名古屋大学附属中・高等学校では、これらがカリキュラムにも入っており、中学1年生では年間30時間学習しているほどです。
  心理学の進歩はめざましいものがあるのです。

Q いじめについて、「いじめる子」にも「いじめられる子」にもなりそうな気がするが?
A こう思えることは、親として正しいと思います。どの子でも、状況によってどちら にもなりうると考えてください。
  心の小さな行き違いは、大人社会でもあります。ただ大人は、これまでの経験でそ れを処理する能力を持っていたり、いろいろなかかわりの中で薄められたりしまうの で、大きな問題になることが少ないのです。
  しかし、子どもは人生経験は少なく、生活の場は広くありません。いわゆるいじめ られたことによる影響が大きいのは当然です。 
  とにかく小さい頃から「いじめは悪だ、ひきょうだ」ということを繰り返し、繰り 返し教えることが大切です。

Q 障碍のある子の親として、「普通学級」「特殊学級」を選択するポイントは?学力を 優先するか、多くの子とのかかわりを優先するのか?
A 私自身、4年間の特殊学級担任と、2年間の交流学級(特殊学級の生徒が一部の授 業や給食・清掃等で交流する学級)の担任をしていた経験からお話しします。

  ケース、その子の障碍の程度や性格によって違うので一概に言えないことはご理解 ください。
 特集学級の目的は「自立」にあります。将来、自分だけの力で生活できるようにするのが第一の目的です。もし普通教室の授業が全く理解できないのなら、毎日机に向かっているのはかわいそうです。能力が大きく発達する大切な時期なので、もっとやるべきことが他にあると考えます。
私が以前受け持った子は、分数の足し算、引き算もできました。「100+50=」は当然できます。しかし、「100円のノートと50円の消しゴムを買うと合わせていくらでしょう」はできません。記号としての計算はできても、生活に結びつかないのです。これでは、買い物に行けません。
 次に、かかわりの問題ですが、普通学級なら多くの子とかかわれるとは限りません。その子の性格にもよりますが、大きな集団の中では閉じこもってしまうのが普通です。もちろん、まわりも気を遣ってくれるのですが、少人数で人とかかわる練習をしてから、徐々に人数を広げていく方が適切な場合が多いのです。

Q 幼児のお手伝いはどのようなものがあるか?半端に終わってしまう気がするが?
A これも発達段階によるので、一概に言えないことをご了解ください。
“かかわる力を育てる”という観点では、お手伝いは確かに有効です。これは、青年期も同様です。高校や大学に入り、接客業のバイトを経験すると、人とかかわる力が大きく伸びることに気がつきます。
 幼児期では、お手伝いの内容より、親の構えが大切です。
  幼児にお手伝いをさせると、むしろかえって手間と時間がかかると思いますが、そ こは我慢が必要です。お手伝い=体験学習だと考えてください。親は、そのコーディ ネーターなのです。
 
次のような例があります。
 ご近所に「これから○○がおつかいに行くことがあるからよろしくお願いします」と声をかけ、一度目は親がついて行きます。2回目以降は、事前に電話をかけておき、1人で行かせます。お手伝いの内容は回覧板を届ける程度ですが、相手のほめ言葉は子どもを成長させてくれたそうです。地域で子どもを育てている好例ですね。
 この例は交通事情がよいことが条件ですが、朝の新聞とり、電話の受け答えなど、
できることはいろいろあると思います。

Q 4月から入学する子に、これだけはしておかなければならないこと、また親の心構えは?
A 第一に、「学校は楽しいところ」と思えるような魔法をかけていただきたいのです。
新しい世界に、子どもたちは不安があることでしょう。それを取り除くのは、家族のちょっとした言葉かけです。
  また、学校や教師に対する不満がある時もあるでしょう。でも、子どもには言わな いでほしいのです。評価は肯定的にが鉄則です。

  ご質問の意図は、たとえば1人でトイレに行けること、体育や水泳の後に服を着替 えることができること、牛乳1本を飲むことができること、ひらがなが大まか読めて 自分の名前が書けること・・・・・ということかもしれませんが、まず何より、学校 へ楽しく通うことができることが何よりです。

 十分なお答えにはなっていませんが、これ以後ご質問等あれば土井(syaraku@tcp-ip.or.jp)までメールでおよせください。