第57回生活教育研究協議会参加報告
平成18年5月30日(火)
愛知教育大学附属岡崎小学校
  以下の記録は、土井がその場で要約しながら記録したものです。言葉足らずのもの、誤解があるかもしれませんが、主催者や講演者には全く責任はありません。したがって転載はご遠慮下さい。                                  
【講 演】   
講 師  千葉大学大学院教授  上杉 賢士 氏
演 題  学習者中心の学び
 
 附属小には6年目の訪問。最近、アメリカの高校生がプロジェクト学習の日本ツアーを行った。先週1週間、いろいろ連れていった。
 今日は、すばらしい授業、というよりすばらしい子どもを見た。堂々と自分の意見を述べ、楽しんでいた。これが学習者中心の学びの一つの現れと感じた。もう一つ欲張ってみたいと思い、このテーマを選んだ。
 毎年アメリカに通っていた。今年は9月に延期。ヘンダーソンのミネソタニューカントリースクールでプロジェクトベース学習を開発。日本はここから何を学べるかを考えたい。
 はじめに、断りたい。なぜ学習者中心か?
 そこで第1問。
教育学を英訳するとどんな単語になるか? 
 答えは Pedagogy 。 Peda は子ども 、gogy は教育
 しばらく前から、生涯学習の必要性が叫ばれている。生涯学習では Andoragogy という。
Andora は大人である。
 ここで、二つの概念が出た。
 生涯学習では 「いつ、どこで、なにを、どのように学ぶ」かは学習者に選択権がある。
 こうした公開研究会も自分の意志であろう。
 したがって、生涯学習の発想に行き着いた時に学習者中心といえる。学習者中心の学びということは、生涯学習にシフトするということ
 
 子どもたちは、定められたことを学ぶ、大人はいつどこで何を学んでも自由。理不尽ではないか。
 日本でも46答申から生涯教育が言われた。すでに学習者中心でなければならなかった。
日本のカリキュラムは、下の学年ほど区分が大きい。上に行くほど細かい。学びの経験が重なると、広がらないとおかしい。理不尽だ。
 一つは時系列的な広がり。成長に沿って学ぶことをどのように考えるか。
 「学習」と「研究」をどこで区別するか(稲垣忠彦氏)も問題である。今日の授業では、研究に近いものもあった。もっといろんな意味で配慮をしなければならない。
 もう一つは、学びの水平的な広がりの必要性。
 多様なレベルのラーニング・コミュニティが必要。グループ、学級、担任と子ども、学年・学校、地域、できることならより広いコミュニティが全国にできて、それがネットワークになれば理想。
 この縦、横の関係が必要。
 学習者中心の学びは、より自立的な存在になると言うこと、さらに水平的な広がりによって関係性を獲得すること、できるだけ高く、できるだけ広くという学びを実現する。その初期的段階を小学校が担う。
 こう考えると、どのように見直さなければならないのか、その例をこれから見せる。
 
ミネソタ・ニューカントリースクールの挑戦
・1994年に設立されたチャータースクール
 チャータースクールを1週間で9校見た。その中でピントきたのがここ。
 チャータースクールとは、あるグループがこんな学校を作りたいと意気投合し、書類、設計図、カリキュラムを用意し、教育委員会に提出。審査を受けて認められれば公立学校として認められる。既設の学校と並んで、選択肢の一つとして選ばれることができる。ただし、選抜試験はできない。抽選。現在、全米で3000校。学習指導要領などの拘束はない。
 公立なので、チャーター、契約条件を満たさないと廃校になる。結果責任で保証する。
これまで40校ほど見てきた。
 チャータースクールで生まれる教育的内容は多彩。学校の数ほどある。
 うまく言っているところもあれば、そうでないところもある。軍人上がりが作ったところは、鍛えすぎて嫌われて1ヶ月でつぶれた。
 コンテンツがどうかが問題になる。
 
 このミネソタに通い続けて5年。向こうからも2回日本に来た。ここに課せられたミッションは「有能な社会人の育成」というもの。関係性の中で自立性を育てようとしている。
 私たちは、「元気で明るく何とか」などという目標を作る。しかし、ここは、有能な社会人。明白だ。 
 ここは、プロジェクト・ベース学習を開発した。中・高一貫校である。 
 環境問題を調べたら、足が変形したカエルが見つかった。そこから州議会で参考人になった。さらに詳しく調べてほしいと州が援助金を出した。
 ビルゲイツ財団がここへ通い、「アメリカで一番かっこいい学校」と呼んだ。そして、白紙の小切手を差し出した。金額を書いたら1週間後に振り込まれた。そのような学校が現在16校ある。37校まで計画しているそうなので、その中の一つを日本にもってきたいと密かにねらっている(笑)。
 プロジェクト・ベース学習は、確かな育ちを保証する評価システムの開発につきる。評価規準に基づく自己評価によってドライブする。学習を進めていくことを「ドライブ」と表現する。
 学校の校舎は、元スーパーマーケット。低いパネルで仕切られ、学級のようなやわらかいグループを作っている。生徒は自分のスペース(机)とパソコンを与えられる。ビルゲイツの支援を受けながら、パソコンはマックだった(笑)。そのへんはおおらかだ。
 17人の子どもたちをサポートする。教師ではなく、アドバイザーと読んでいた。
 基本的な流れは次の通り。

評価基準の明示 → 興味・関心に基づくテーマ学習 → 企画立案 → 追求 →
評価委員会 → プレゼンテーション
 
 この流れが1サイクルは100時間。年間10プロジェクト実施される。年間1000時間。
 評価基準は一般にテスト問題で、最初に示されて、次にテーマ設定する。1000時間というと多いが、週末や長期休業の時間もカウントされる。 
 毎朝30分数学、昼に読書がある。それ以外はすべてプロジェクト学習。
 以前は数学はなかったが、州の統一試験で、数学だけ悪かったので特別に学ぶことにした。後は高い点数だった。
 アドバイサーは、すべての段階で関わり、すべてに評価をする。

評価システムの特徴は次のもの。

1 目標 ○ 有能な社会人を育成する
     ○ 州の履修基準を満たして卒業する
2 二重の評価基準
     @ 自立学習のための評価基準表 (スタッフが作成)
     A 州の履修基準 (日本の学習指導要領に相当)
したがって生徒は学習指導要領を熟知している。
 
 評価委員会は、生徒が開催を要請する。生徒、二人のアドバイザー、専門家が参加する。
準備が整い次第、生徒が開催を希望する。州の履修規準、自立学習者評価基準への適合を評価する。
 不合格にはリトライのチャンス(必要に応じて複数回)があり、どうしたらもっとよくなるかも一生懸命考えてくれる。
 そしてプレゼンテーションによる外部評価行われる。ここまでが、アドバイザーとしての責任の履行範囲となる。
 
 この流れを見ていると反省させられる。
 私たちは、子どもによい成績、悪い成績をつける。悪い成績をつけたのは誰の責任か。教師の責任はないのか。すべての子に成長を約束すること、よい成績を上げることを保障することなのに、最後に評価し序列をつけて終わっていないか。 
 評価委員会(写真左)は、いわば生徒が被告、アドバイザーが弁護人、専門家が検察みたいな感じである。周りの大人たちは、プロジェクトを少しでも良くするために真剣で、本気でアドバイスしてくれる。だから、子どもは待ち遠しくてしょうがない。
 
 プロジェクト企画書には次の要件が必要だ。

1 興味・関心に基づくテーマ設定
2 ゴールの意識化
3 価値の意識化(自分にとって、社会にとって)
   日本では、学んだことが自分の役に立つかを考えるが、ここでは社会の役に立つ   ことがポイントになる。
4 ウェビング・マッピングによるアウトライン
5 異なる3つの情報源(うち一つは実在の人物)
   インターネットだけでは関係性を豊かにする学びにはならない。だから、実在の
  人物を条件にする。人捜しから挨拶、言葉遣いも重要な学習になる。
6 履修規準への適合、時間数・単位数の設定
7 アドバイザー、専門家、保護者の承認
       (追究後)
8 必要書類の提出
9 アドバイザー、専門家、保護者の承認
10 プレゼンテーション(in Night)
    地域の人に対してプレゼンをする。鋭い質問が飛び交うが、それに答えるのも要   件。しっかりと準備してくる。夜に開催する。
 
 プロジェクトにはバリエーションがある。
・個人による追究 強い問題意識に基づくあくなき追究
・グループによる追究
  グループテーマによるもの、個人プロジェクトに協力するもの
・学級による追究
  コンセンサスの形成に重点をかける→コミュニケーション力  
 
 今日もバリアフリーの授業があった。バリアフリーは少数意見の尊重。多数決ではない。合意形成に時間をかける。
 ミネソタでおもしろいプロジェクトがある。一つは足の変形がえる。もう一つが、長期に渡る栽培飼育。リンゴを植えてビジネスをやると本気で考えている。
 以上が方法論。
 
 次の教師の役割を考える。 
 これにより教師の役割が変わる

講義をする意図、指示する人 → 情報提供者、学習活動の参加者
専門家           → アドバイザー、ファシリテーター
結果重視、情報の複製    → プロセス重視、パフォーマンスに着目
 
 生徒の役割も変化する。

教師の指示で活動 → 自発的な学習、
           役割や時間の管理;時間の管理はきわめて重要
           コミュニケーションの仕方
テストでいい点を取る → 生涯学習者としての資質・技能
 
 アドバイザーと学習者の関係は対面者から同行者へと変わる。
 
 プロジェクト・ベース学習の意味
  @ 目的的な学びの生成、A 社会的・現実的文脈の中で学ぶ、B 学習者中心の学び
 
 トライヤル最前線について紹介する。現在、次の実践を試みている。
1 プロジェクト・ベース学習で法学習(法務省委託)
 授業では、「給食のおかわりのルールづくり」、「中学校における携帯使用のルールづくり」、「学校における個人情報保護法の適用」に取り組んだ。
 法律って偉い人が決めるものなの?さあみんなで考えようという考え方。
 憲法99条を読んだことがあるか?
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
 すなわち、この憲法は国が守るもの。法律は行政のために作るのが原則。
 携帯のルールづくりは中学生は乗ってこない。ルールは先生が作ってくれればいいという感覚がある。ルールを破るのが楽しいようだ。ルールは作ることに参画すると、守るようになる。
 陪審員制度のためには、適切な法感覚を身に付けることが求められている。まず、大人が適切な法感覚を身に付けなければいけない。
 
 学校は、個人情報をどこまで知らせるのか?これも問題となる。
 ある子の病気は、緊急時に備えて全員が知っていないといけないが、他の担任に知らせてよいのかという問題がある。そこで出てきたのが、集団守秘義務。しかし、破られるのはたいてい酒場。実名を出してはいけない。
  参考文献『はじめての法教育』
 
2 中学生による政策提言(千葉県旭市委託)
 新・旭市の総合計画に中学生の意見を取り入れたい。プロジェクト・ベース学習による追究と提言をし、7年後の成人式で、政策実行状況の評価をしてもらおうとする計画である。
 
3 キャリア教育としての意義
・目標は「有能な社会人」の育成 →「学校の出口」を想定した逆算プランニング
・社会的・現実的文脈の中で学ぶ →「純粋培養」から「免疫療法」へ  
・多様なプロジェクトに挑戦 → いろいろな体験から、そこから適性探しが始まる
 
 あらためてプロジェクト学習からの示唆をまとめると

・評価観の再検討
  EvaluationからAssessment へ
・教師役割の再検討
  「アドバイザー」に必要な条件
・「次世代を育てる」ということ
  「伝導効率」の目減り分をどうするか。子どもは将来自分を越えなくてはいけない。  そういう子どもを育てるのが教師の醍醐味。この視点が重要
 
 
【感 想】
 興味深い話だった。
 例えば、「数学1日30分、昼に読書、後はすべて総合的な学習の時間」の学校に自分の子どもを入学させたいと思うか?
 この学校では、州の教育課程をクリアし、ビルゲイツが高く評価、さらに試験で好成績を修めているという。総合的な学習に対する評価が揺れている日本こそが、こうした事例から学び、マネジメントの参考にしなければならないだろう。
 そこには、今回のテーマ「学習者中心の学び」が大きな意味をもっていた。「有能な社会人の育成」という明確な像があり、有能な社会人=生涯学習者 という理念上に成り立っている。生涯学習なら、学習者中心の学びであることは当然だ。
 日本では、学習者中心、生涯学習社会への移行と口では言いながら、なかなか実現しない。このような具体例を見せつけられると、少なからずショッキングでもある。本当の学力とは?について考えさせられた。