以下の記録は、土井が参加しながら記録したものです。言葉足らずのもの、誤解があるかもしれませんが、主催者や講演者には全く責任はありません。ご了承ください

愛知県社会教育委員連絡協議会総会 記念講演会 
                               平成17年6月14日(火)
                              於 中小企業センター
       記録 土 井
    『義務教育改革等について』
               文部科学省初等中等局視学官 吉野弘一氏
 
 私は、昭和23年長崎県生まれ。最初に勤めた高校は上対馬高等学校。韓国は竹島だけでなく対馬も日本の領土と言っているが、その島の一番北の町にある。プサンまでは40qなので、住民は、買い物によくプサンに出かけていた。その後島原商業高校に8年間勤めた。
 その次は壱岐高校。私は壱岐で生まれ、小学校から高校まで壱岐で学んだ。当時は、自分の町の学校で学ぶのが当たり前だった。
 ただ、そのやり方が不満だったので、将来母校で教師としてがんばるように大学へ行った。そして、壱岐高校で10年間、OBとしてがんばった。指導難関校だった学校がよくなった。
 ゆるんだ学校だったが、いわゆる強い指導ができた。そこでがんばったためか、県の指導主事になった。そして4年後、文部科学省に入った。平成7年には教科調査官、平成13年には省庁再編があった。省庁の人員を削減するために、9教科で60人いた教科調査官を、独立行政法人の国立教育政策研究所の職員とした。そこで研究するようになった。
 組織も半分になった。今はみんな大変だ。人だけ減って、組織はたいして減っていない。中教審等の会議、会議の毎日で、事務方の人は本当に一生懸命やっている。
 私たちは国研に移った。文科省は今立て替え中。あの赤煉瓦は前面だけ残っている。ぜひ見に行ってほしい。前面だけ残して高層ビルを造る。しかし私は、3年後にできる新しい文科省の建物にもどって1ケ月で退職する運命。私はそういう巡り合わせである。
 今、大きな変革の時代の中で、教育に対しても大きな改革を要求されている。国庫負担金の8500億円を、地方に移譲するかの結論を秋までに出す。さらに、教育内容をどうするかを、秋までに結論を出さなければいけない。これまでにない急激な変化が教育界に求められている大きな時代である。
 
 今日は 資料をもとに義務教育改革について説明する。
 中教審について、17ページに書かれている。実は、中教審のことはHPに全部出ている。みなさんはネットワークを見ているか?私は、若いころはそろばんが得意だった。よく使われたが、電卓、そしてパソコンが出てきて、そろばんを使わなくなった。
 新任が上対馬高校で、彼女は東京にいた。電話するのに、固定電話で当時2時間かかった。今は携帯ですぐ、しかもメールもある。情報の手段は大きく変わった。そろばんによって物事を処理する時代に育った者と、携帯やパソコンで育った人の教育の在り方は、違って当たり前だ。
 俺たちの頃はこうだった、という団塊の世代の人の育ち方の尺度で昭和50年以降に育った人を見てはいけない。団塊の世代の人は威張っているのでつい自分の見方で見がちになる。
 55年が高度経済成長。『ジャパンアズナンバーワン』という本が書かれたのがこの頃。戦後の日本の経済復興の原動力を分析し、ビジネス界における「日本から学べ」という社会現象の源となった。これ以後に生まれた人が何を考えているのかが、アメリカの関心である。これをY世代と言う。これに対して、団塊の世代がX世代 。50年以後に生まれて、父母が共に戦後生まれのY世代は、安くても買わない、こだわりがある。私の娘もそうだが、シャンプーや化粧品も自分用のを使う。安ければよいのではなく、質にこだわる。
 このような世代が、教育の在り方、受ける施設設備がX世代と同じであっては育たない。
 どうです?かつては教室に45人入って勉強していた。私はもともと高校だが、今は、よく小中学校にも行く。かつての経済成長期と違い、豊かな経済成熟社会を生きている子どもを、昔と同じ基準で教室に入れて、教師が一方的に知識を伝える、こういう授業で育つわけがない。明らかにミスマッチである。そうしたことが、子どもたちにフラストレーションやストレスを高める原因にもなっている。増えてきたオープンスペースの子どもたちは、確かにのびのびとしている。逆に30人以上が一斉授業をしていると、よく先生の話を聞くなと思うほどである。時代に対応した学校教育ができているかどうかが問われる。
 
 社会教育と学校教育の関わりはどうか考えてみたい。
 学校5日制になると、社会教育のウェートが高くなったが、その分、手だてが十分であるかを検討しなければならない。5日は学校教育だが、2日は社会教育だ。社会教育が重要になった分、人・もの・金が余分についているか?
 いろいろ話題の中山文部大臣はわかって言っている。確信犯的なところがあるかな?
 私は、大臣の好きなところがある。彼は、挨拶の中で、現在の学習指導要領、すなわち、自ら学ぶ意欲、自ら考える力、すなわち生きる力が大切だという今の学習指導要領の方向性は正しいといつも言っている。私もそう思う。しかし、大臣は、その生きる力を身につけさせるための手だてを検証してほしいと言う。
 学校教育と社会教育の重要度の割合が変わった今、その手だてを検証するべきである。
 今は、お金がかかるようになった世の中である。私たちが子どもの頃は自然で遊べた。山や川で遊べたが、今は昔と違う。自然に出ると、すぐに危ないと言われる。しかも、今の子は余裕がない。
 そのためにゆとりを求めたが、すぐに学力低下と騒がれ、今は、少し元に戻った感じがする。
 子どもたちのために、人・もの・金が必要な時代に、少子化社会なのに、政府は縮小経済の時代。国は固いから、教育は大切だからと言っても、財源を増やせない。
 市町でもそうだが、一度決まった予算配分はなかなか変わらない。減らすときは一律。建築でも土木でも、自分のところにマイナスがくると反対する。市町村合併も同じで、自分の町にメリットがあると賛成し、そうでないと反対する。わがままだ。予算配分は変えられない。
 学習指導要領の時間数の削減もそう。5日制の時に内容を減らそうとした時もそうだった。土曜日の分が減ったことはみんなわかっている。でも、いざ減らすとなると、科学技術の発展のためには理科が大事、いや国語が大事、国際化社会のためには英語が大事と減らすのをいやがる。その結果、一律削減になる。
 こういう時代だからこそ、政治家のリーダーシップが必要となる。選択と集中がキーワード。もう企業はやっている。どれに集中するかを選択し、それに向けて改革をしている。
 公は、つい平等をねらうから改革が進まない。これまででいいという意識を持ちやすい。 
 中山さんに次のような話しがある。ある中学校に行ったら、生徒が「大臣さん、私たちは授業時間が4時間減ったよ」と言ったら、「すまんな」と素直な言い方で言った。そしたら、「中山大臣、中学生に謝罪」と記事に出た。素直に感想を言ったら記事にされる。そんなマスコミの姿勢も問題。
 教育改革は、戦後一番危機的な状況にある。そのためには、現場の教育委員会、学校が元気であること、地域に信頼されていることが一番である。今度は、制度そのものが議論の対象になる
 
 17ページ を見てほしい。
 島原商業高校時代には、サッカーの国見監督と8年間いっしょだった。家族ぐるみのつきあいで、小作りも競争してきた。共に女が3人だった。実は、私は5人目で長男。私の父も同じ5人目の長男。だから3人目でやめたら周囲が許さない。そこで私もがんばって、やっと5人目に長男ができた。親子3代で5人目の長男はめずらしい。その息子も今度大学3年生。子どもが多いことはいいことだ。情報通信機器の使い方も学ぶことができる。職場のパソコンでゲームやチャットはできないので子どもに聞くと、その場で見せてくれる。すごいと思うのは、ゲームもよその人とやっている。全く知らない人とそこで競争している。
 息子はネットのゲームを大学生になってから始めたが、あれを小学生から一人でやっていたら危険だなと感じる。あれは疑似体験の世界。直接体験が少なくて、疑似体験が多いと、疑似体験が判断材料になってしまう。そうなると危険だと思う。
 最近の新聞を読むと想像できないことが起こる。長崎の事件も、・・・・・。これらは、疑似体験の中で育ったことが何らかの障害になっている。
 
 17ページ 中教審の検討体制
 左が以前の中教審で、右が今の中教審である。今までの中教審と大きく違うのが、かつての中教審は教育の大きな方向についてゆっくりと審議する場だったのが、今は変化が激しい世の中になって、恒常的に開くようになった。それほど急激に義務教育の改革が進んでいる。二つの大きな違いは、大きな方向についてゆっくりと審議する場から、その時々に対応する場へと変化していることだ。
 義務教育特別部部会の中で審議されている。その結論が秋ぐらいまでに出る。是非とも、その結果はパソコンで見てほしい。概要も載せる。もしできなければ、事務所の人にプリントアウトしてもらってほしい。昔は、審議会の報告を読めるようになるまで何ヶ月もかかった。今は、どこにいてもその日のうちに審議結果がわかる。さっと情報を取って、地域の役に立つ考え方をもらって、よいように実践をしていくことが必要である。
 今まで通りだと一旦国が決めると、地域の特色通りにできない。国が決めたことを県に落として、市町に落として・・・この結果、全国同じようになる。
 でも、現場ではいろんな良い考えを出せることを知っている。それを国へ相談すると、国ではこうなるよということになり、ほとんどどこへ行っても変わらない内容になってしまう。 
 文科省が「教科と関係のある総合的な学習をしてほしい」というと、全国一斉に同じことを始める。都会と田舎の学習内容が、同じはずがない。
 これは社会教育でも同じ。東京都と名古屋が同じはずがない。今の時代は多様化、特色がキーワードである。これは、自分たちで考える訓練ができていないからおこる。
 人から聞くときは考えなくても良いが、そうでないときは自分で考えて学ばなければならない。これは、ニート、フリーターなどの問題行動と関連する。ニートは、この世の中で一番大きな問題だと考える。
 
13ページの右下を見てほしい。
 不登校の児童生徒数のグラフが載っている。不登校とは、年間30日以上出席がない者として統計を取っているが、小野市は年間10日以上でやっている。小野市は、市をあげて不登校ゼロを目指している。そのために実態を精査し、その原因を取り除き、方策を決めて実行する。
 国のいうことを待っているようではいけない。小野市は、1日休んだらこうする、2日休んだらこうする・・・・、などと、担任がどう動くか、学年主任はどうするかなど、児童生徒の欠席に対するそれぞれ教師の対応が決まっている。プログラムされているので、その成果として不登校が減った。
 問題行動も複雑化、多様化している。以前から思うと、想像もできないことがおこっている。手だてが必要なのである。
 小学校1年生の授業を見た。軽度の障害がある子がみんなと一緒に授業を受けている。それ自体はすばらしいことだ。良いことなんだけど、もしこの子が外へとび出ると、先生は探しに行かなくてはならない。すると他の子は授業を受けることができない。一見良いことだが、現実はそうでない。この前は、母が一緒に授業を受けて、その子に目を配っていた。担任も安心して授業ができていた。そういった支援が大事になるのである。
 そこらにある問題行動や不登校児道。これらがフリーターやニートに結びつく。調べてみると、19歳、23歳にニートになりやすい。高校、大学を出た年齢である。
その何割かが、それまでに不登校の経験がある。これらにも手だてが必要なのである。
 手だてと行っても、お金が必要となる。財政を縮小している今、どこにお金を使うかが、首長の責任である。首長を選ぶ方も、どこにお金を使うかを見極めて選ばなければならない。
 
 14ページの7「メディアの使用状況」を見てほしい。携帯とインターネットの使用状況が載っている。意外なのは、高校生のインターネットの使用量が少ないことだ。これからはインターネットを使えないと学習ができない。就職ができない。ところが使っていない。これは受験勉強に目がいきすぎているからだろう。インターネットの使用が日常化している大学に行って戸惑うことになる。ネットワークができないから大学の勉強ができないのである。
 さらに、英語、特に英語でコミュニケーションをとることができない。今、英語が小学校から必要かどうかは審議中だ。しかし、中学校の先生が真剣にコミュニケーションに必要と思えばできるはずである。ここでも、学習が高校入試対策になっている。ある程度やむを得ないが。
 
 6の「自然体験等の状況」を見てほしい。今の子は、自然体験が少ないと思われるだろう。
 ここにいるみなさんはある。だって昔はそれしかなかった。周りがみんな自然だったから。今は友達がいない。いっしょに遊ぶ人がいない。自然はあっても危険で、川で遊ぶと叱られる。
 しかし、自然体験は重要である。これは、地域としていかに子どもたちの自然体験活動を多くするかを考えてほしい。いわゆる自然体験教室である。自然体験を小中学校に任せてはいけない。特に小学校に任せすぎである。小学校では、もっと基礎的な学習をゆっくりやらせたい。
 「学校はしっかり勉強して!土日は社会で面倒見るから」というふうにならないものか。近年は、各地に親父の会などができて、地域の子どもに関わろうとする大人が増えてきている。土曜、日曜は、スポーツ少年団や、田植えなどをやらせてほしい。
 前行った小学校の前で、田植えをやっていた。子どもを田植機に載せたり、機械でできない隅の方を手伝わせたりりしないの?と聞いたら、「しない」と返事が返ってきた。田んぼばかりの町でも、その環境はあるができない。そうなると、なんか地域で工夫が必要だ。学校の先生も地域の人として活動させるべき。
 
 いま、学力低下のおかげで、発展学習が課題となっている。発展学習なのに、「やりなさい」というようにとらえられている。もともと授業時間数が減ったので内容を減らしたのに、発展学習までやる、さらに体験学習もやる、いろいろな報告文書も多い。現場の先生は本当にたいへんだ。こうなると、分担しないとできない。私たち、団塊の世代が仕事をやめるときは、お年寄りからゲートボール場を取り上げて、子どもとの遊び場にしてあげたい。
 私は、今、体力作りをしている。90まで生きないといけないので、30年間をどのように過ごすかを考えている。ゲートボールだけでは意味がない。地域社会の活動を求めて、今から活動する、そういう人たちを組織化するべきである。そういったグループはいっぱい出てきている。少子化を嘆くより、高齢化を活用することが大切である。
 
12ページ 少子化の数字を見てほしい。生徒数の推移では、団塊の世代、昭和33年の小学生が1,340万人でピーク。その子どもたちが生まれた昭和56年の小学生 1,182万人が第2のピーク。平成16年は、708万人、およそ6割に減っている。そして、この傾向がこれからも続く。その子が20代〜30代になるころには、子どもの人口は半分になる。
 伊藤忠の社長は、「少子化を前提にゆっくりとものを考えるべきだ」と言っている。これを前提にして様々なものを事前に準備をすることの必要性を説いている。その時になってからあわてることのないようにしたい。小学校もそう。これからは、学校の統廃合が進む。
 
 15ページには、義務教育改革の方向がまとめてある。
 1 教育基本法の改正〜新しい時代の日本人像〜
 2 学力向上  〜世界のトップへ
 3 教員の質の向上 
 4 現場主義
 5 義務教育国庫負担制度の改革
 
 16ページには、学力向上を大きな目標にしている。ことが書かれている。しかし、そこには学力とはいったい何か?という話し合いがない。昔はペパーテストで学力を測っていた。いわるゆ「知識理解」が学力だ。今は違う。「自らものを考え、・・・・・ 」を学力とし、現場では、新しいものを取り入れて取り組んでいる。今まで通りの学力でなく、そういう学力を育てるのが新しい方向である。
 次に教員の資質の向上について書いてある。学力は、意欲・関心、思考判断力、表現力も含まれる。これは、私たちが戦後行ってきたような一斉授業では身につかない。
 そういうような力を身に付かせるにはそうした学習活動が必要となる。教師は、今まで以上に学ばないといけない。ここのところの理解が進んでいない。
 生徒をどこかの大学へ入れることが目的な先生は、何の努力もしない。これまで通りのことをしていればよいからだ。そうではない。先生方が今まで以上に学ばないと教えられない。 
 表現も学力であり、これは実際に表現活動をしないと力を測れない。何らかの制度が必要である。
 これからの教師は、自己投資が必要だ。自己投資力、自己教育力がない人でないと教えられない。これが次の改訂のポイントになる。
 次が現場主義である。国はこれまでは現場を見ないで、全国同じようにやってきた。「画一と効率」がキーワードだった。目的が同じなので、今まではそれで良かった。企業は違う。消費者が何を必要としながらを感じてやってきた。安いものから、顧客感動が目的になってきた。サービスの不足を埋める時代から感動させる時代へ、現場主義、これが改訂のポイントである。
 A3版の資料は、「初等中等教育の課題と動向」をまとめたものである。これまでの教育の背景をまとめたものだ。新しい教育を理解してもらうために、先生用に使う資料である。
 第1の波は、昭和40年から農業人口と工業人口が逆転し、44年に大阪万博が開かれた頃までを言う。
 昭和54年と55年には、『ジャパンアズナンバーワン』が書かれた頃だ。サービス経済社会への移行が始まった。そして、第3の波が平成6年。製造業人口よりサービス業人口が増えた。サービス・知識社会の到来といえる。製造業人口が減るが、なくなるわけではない。高度の製造業が残る。
 戦後の社会の流れを見てきたが、それぞれ時代に育った子どもたちの判断が違う。私が育った第1の波の頃の判断の仕方では通用しなくなっていることを理解するべき。そのための資料である。経済社会の動向や世の中が大きく変化したことを後で見てほしい。社会は大きく変わった。様々な変化は、変化の中で様々なものを求められている。
 学習指導要領は、約10年に1回改訂している。
 
● 昭和22年の学習指導要領(試案)
 ・ 「日本歴史」「日本地理」を統合して「社会科」を新設
 ・ 「家庭科」を新設…男女が一緒に学習
 ・ 各教科の年間総授業時数と週授業時数を示した。
● 昭和33年の改訂(教育課程の基準として規定)
 ・ 経験主義教育を是正し,系統的学習の重視と基礎学力の育成をめざした。
 ・ 学習指導要領は教育課程の基準として文部大臣が公示するものであるとした。
 ・ 道徳の時間を特設し,道徳教育の徹底を図る。
● 昭和43年の改訂
 ・ 小学校の教育課程を,各教科・道徳・特別活動の三領域と定めた。
 ・ 授業時数を,最低時数から標準時数に改めた。
  ※ 何をやっても10%成長していた高度経済成長寺の改訂。学習内容を増やした。
   すぐ批判が来た。欧米からも、働き過ぎの批判が出る。
● 昭和52年の改訂
 ・ ゆとりと充実した学校生活を実現するために,各教科の標準時数を削減した。
  ※ 欧米からの批判もあったため、「ゆとり」の言葉を入れた。
● 平成元年の改訂
 ・ 新しい学力観に立つ教育と個性重視の教育
 ・ 低学年に新教科として「生活科」を新設し,社会科・理科を廃止した。
 ・ 学級会活動と学級指導を統合して「学級活動」とした。
  ※ 中曽根臨教審の時の改訂で、自ら学ぶ意欲を前面に出した。 
 
 この後、平成4年に週1回の休み、7年に週2回の休み、11年に週5日制が実施される。
自ら考え、自ら学ぶ力をつければ、授業時間が削減されても大丈夫という考え方である。
 次の新しい学習指導要領では、どういう力を身に付かせたいのか。
 
 義務教育費を国から県へ委譲せよという要求が強い。しかし、かつて国からつけていた図書費を地方に移譲したが、一般財源にしたため、十分に使われていないのが現状である。また、地方に移した場合、やっていけるのは愛知県など数県しかない。
 愛知県は、愛知の市町は、例えば兵庫県小野市のような、何か特色ある活動に取り組むことが大切である。
 社会教育もそうだ。今は、子どもが遊ぶ場所もない。地域が積極的に子どもと関わらなければ行けないが、国は縮小経済だ。だから地方なのである。愛知を愛する子どもたちを育ててほしい。
 
 愛知は注目されている。私も、名古屋を注目している。中部空港ができた。500機近くもっているFedEx は中部国際空港を拠点にするといっている。愛知には、トヨタ自動車やシャープの液晶など世界を代表する工場がある。東京優位の勢力図が変わるだろう。民間会社が私立学校を作る時代になった。
 社会教育も愛知から考えて発信してほしい。子どもとアイデアを絞って関わってほしい。とりとめのない話しだったがこれで終わる。