日教組第50次教育研究全国集会リポート
2001.1.27〜30
土 井
新たな発想を生み出すには,いろいろな考えにふれることが大切です。1月27日より東京で行われた,日教組第50次教育研究全国集会の参加報告をします。あくまでも,土井の主観的なものです。
1月27日
会場(有明コロシアム)に到着したのは昼過ぎ。それまでの様子は日教組新聞などを見てほしい。
午前中に,オープニング・アトラクション,開会行事,基調報告,記念講演が行われた。記念講演は,李 仁夏氏。そして,午後より,国際シンポジウムがあった。
【土井の感想】
・ 品川プリンスでIDを受け取り,高速臨海鉄道で有明コロシアムへ向かう。車中の窓からは,延々たる右翼の街宣車。大音響が雪雲に反射して,異様な空間。
・ 東京は3年ぶりの大雪。コロシアム前の陸橋では恐怖すら感じた。
・ シンポジウムのテーマ「平和・人権・環境・共生の世紀へ」は崇高だが,やや難解。会場の反応はやや鈍い。パネラー2人が英語なのもネック。会場では,レシーバーを装着しての参加だった。ただし,同時通訳の係の人のテクニック,翻訳した日本語も見事であった。
・ 会場の参加者が少ないのが残念。午前だけで帰ったのか,雪の影響だろう。
・ 基調報告は,組合の立場での現状分析だが,それなりに参考になる。
・ 分科会には,総合学習,体験学習,子ども参画の学校づくりというのが目を引く。愛知県には総合はなかった。
1月28日
2日目は,渋谷区道玄坂のフォーラム8で行われた社会科教育分科会に参加した。
入り口では,革共同・革マル派 教育労働者委員会がビラを配っている。
初めに,共同研究者の田渕五十生共同研究者(奈良教育大学)が挨拶で4つのポイントを挙げた。
1 教育をめぐる情勢
冷静後の一元化,競争原理による勝ち組・負け組に二極分化。
教育国民会議も競争原理の導入,排除の論理を教育に導入しようとし,教育基本法の改悪もねらっている。
2 私たちが求める社会科教育
自由主義史観との対決
歴史認識−名もなき民衆が歴史をつくったこと
人権の尊重−差別の克服
3 地域学習とは
中央中心から地方へ
地域とグローバルで国家中心主義と対決
地域の歴史を学ぶ意義は
リアルな社会認識
地域の教育力の掘り起こし
事実を洗う−原因と結果を追究する
4 総合的な学習と社会科との関係
これまでは教師が体系化されたものを教えてきた
これからは子どもたちがどう体系化するか
体験の重要性が叫ばれているが,大切なのは体験の振り返り
考察することにより認識する
体験の持つ意味をどう構造化・体系化するか
鈴木 裕子共同研究者(早稲田大学)
女性誌の視点(フェミズム)から4つの反省があった。
@ 女性史の叙述を被害者の一点からとらえた。フェミズムが戦争に協力したことを不問うにしている
A 一国史的史観のみに終わっている。
B 女性を聖なる母性として扱い,買収問題を避けてきた。売春を道徳としてとらえ,階級問題としなかった。
C 天皇制研究が弱かった。
平塚雷鳥も市川房枝も天皇制を容認していた。
次に,前半約1時間半は,いわゆる「つくる会」の教科書問題。
実際に,産経新聞と扶桑社,「新しい歴史教科書をつくる会」を独禁法違反で公正取引委員会に申告した高嶋琉球大学教授が意見発表した。実際に提出した書類をもとに説得力のある話であった。
組合としては,「今は戦時体制に向かっている。ガイドライン法などはもちろん,ブッシュ政権の誕生,教育国民会議,都の防災訓練,そしてこの教科諸問題等々も一連の流れである」という認識のようだ。ただ,個人的には,1つの流れの上に諸事象を強引に乗せてしまうこの考え方の方が,本質を見落とす危険性を感じる。一つにできるものも中にはあるが,基本的にはそれぞれを独立させて考えた方がよいと思う。
このあとリポートごとの発表に入った。
発表を聞いたものの中から,印象に残ったものだけを紹介する。
未来を創造する力を育てる社会科教育〜「どうする?首都機能移転!」(中2)
春日井の清水先生の実践。基本的な考えがしっかりしている。
@ 「共存・地球市民」というグローバルな概念
A 未来社会の設計者としての「主権者意識」
B 価値観が混在する社会において自ら“自分はこう考える”「意志決定能力」とそれを内包する「自己教育力」
この3つを機軸とする資質・能力を「未来を創造する力」=生きる力
総合と社会科の関連
総 合: 知の総合化・実践化(これまで社会科で行ってきたものを総合で)
社会科: 社会認識の育成
授業展開
第1時 東京についてのイメージの掘り起こし
第2時 東京と周辺地域の関係
第3時 首都機能移転について調査
第4・5時 いろいろな立場の人になりきって移転の是非をまとめる
第6時 首都機能移転フォーラムをする
限られた時間に,よくこれだけ学習できたと思う。
地域に目が向く教材の開発〜4年開発単元「長万寺池をつくる」〜(小4)
岡山県久米郡高岡先生の実践。
何の特徴もない町で,ため池に目を付けて教材化していった姿勢がよい。社会科教師としての醍醐味である。古老や郷土研究家への聞き取り,見学と池作りの体験などダイナミック。まとめを劇で演じている。
調査内容の情報交換を行い,共に高め合う工夫をしている。
くらしと政治−厚木基地を教材にして−(小6)
神奈川県松村先生の実践。
厚木基地のできる前,土地の強制接収,米軍機墜落事故,家屋移転陳情書,騒音裁判,市の努力,という流れで基地の問題点に迫っている。
家族が基地ではたらいている児童への配慮が話題になった。
有権者トレーニングとしての政治学習の工夫
−衆議院議員選挙の動きに関わりながら,模擬投票を取り入れた公民授業の有効性−(中3)
新潟県後藤先生の実践。
実際の選挙に合わせて,新聞で公約を読み,政見放送を見て,生徒が模擬投票するもの。どこかで問題になり,先生自身,地教委から問い合わせがあったという。
しかし,生徒の政治に関する興味は確実に高まっており,やはり本物に勝るものはないと感じる。実際の選挙で使うかどうかはともかく,この発想は大切にしたい。
首都機能移転の実践と同じく,シミュレーション学習は有効である。
1月29日
午前中は,半蔵門のダイヤモンドホテル・プラザビルで行われている,総合学習部会・小学校分科会へ参加した。
資料はすでに品切れ。社会科部会はかなり余裕があったに,関心の高さがわかる。
しかし,全国集会の資料は後ほどCDで各単組に配布される。手元にもこの2年分がある。
しかし,資料があって説明を聞かないのと,資料がなくても説明を聞くのとでは,圧倒的に後者の方がよくわかる。 これは,学校での学習でも同様である。児童・生徒に,問題意識さえあれば,(その種さえまいておけば)実際に人とかかわる方がはるかに有効なことがわかる。情報というのは,テキストだけでなく,声の表現,雰囲気,その他の総体なのである。
初めは,岩手県の実践だった。砂鉄を集め,鉄をつくり,刀鍛冶の職人に鍛冶を教わるものである。小規模校で,3年から6年の合同の実践だが,ふるさとのを見つめるのに効果的であったようだ。課題は発達段階によって異なるが,共通の体験をベースに,その子なりの課題(川の汚れ,炭焼き,森林資源など)が作れたようである。
ここで思ったことは,やたら多い「初めに体験ありき」という実践である。
環境学習で体験学習法を根付かせた,西田真哉氏の有名な「体験学習法の循環過程」は,
体験の後を大切にしている。いわば,体験は導入である。
今回の岩手の実践も,体験の後から児童の疑問が広がり,本当の学びが始まっていた。
富山県の6年生対象の実践もおもしろい。
自分の思いを大切にする力
人とかかわる力
ふり返り自分の生き方を考える力
資料集めに走り回り,街の人や他の地域と情報交換をする姿が見られたそうだ。
きっかけは,大型店の進出。アピタの実践と同様である。
ゲストティーチャーに商店街の人を招いて,これまでの歴史を振りかえる。アンケートを校区すべての世帯に実施し,まとめを商店街に届け,そのご褒美として職場体験をさせてもらう。
ここまでが導入で,この後,グループに分かれ,商店街のイベントを考えたり,ちらし,ポスター,行政への提言,など商店街振興策を考えていった。
ただ,大型店に反対する気はなく,共存を考えている点は,高橋先生と同様である。
職場見学を「商店の人にとっては迷惑」という考えを徹底し,感謝の気持ちで臨ませている点は聞いていてうれしいものだった。
米の学習の時には,その大切さを学ぶために,全員が一週間米を断った(給食も変更させている)ことなど,おもしろい。ただ者ではない。
この後,茨城,三重と,地域の歴史と産業を素材にした実践が続く。体験と追究のバランスがいい。
佐賀は,子どもの実態をじっくり見つめ,内容を練っている。自然を生かしたもの作りに取り組んでいる。
ここで共同研究者からまとめがあった。
・ 総合は,小・中・高と続く。長い目で考えたい。地域は最も有効な素材だが,それが毎年続くのは,子どもにとってどうであろう。
・ いつも人権の意識は忘れないように。
・ 戦後のコアカリキュラムがなぜつぶれたかというと,「ごっこ学習」に終わってしまったことだ。そのためにも,本物をに出会う姿勢を大切にしてほしい。「生活者」「生産者」「文化の継承者」としての地域の人に出会うことは,生き方を学ぶ上でも価値がある。
・ 子どもたちは将来市民として自立する。地域を作り出す主権者としての自覚を。
ここで,都の横山教育長についての意見が続出。紛糾する。組合らしい一場面だった。
休憩の後,高知の実践の発表があった。
全校児童21名中6名が被差別地区から通っている。総合で「差別のない社会」,ひとりひとりの安心・自信・自由をめざしている。
この校区では秋祭りに御輿が出るが,これも以前は被差別地区だけ御輿が出なかった。これは中学校が立ち上がり解決したのが,いまだに地区の御輿は神社に入れない,稚児踊りに参加できないという差別が残っている。
そこで,解放劇をつくり,地域に問題提起した。
さらに,子ども御輿をつくり,神社を初め各地区をまわった。それを見た被差別地区のお年寄りが涙を流して手を合わせていたそうだ。それに大人も教師集団も加わっていた。 しかし,地区以外の人の声は厳しい。応援もあったが,「開放は学校で取り上げなくてもいい」「差別していないのに,なぜ御輿を出すのだ。」「なぜまたぶり返す」
また,被差別地区の幹部は,「(なぜ神社に入れないかには)ふれてくれるな」と言ったそうだ。過去の事実の重さを感じる。
最後に共同研究者から,地域に出かけることによって差別に向き合った貴重な実践である。全国には,総合で神社・仏閣に女性が入れない理由,後継者がいない問題をとりあげた実践がある,という話があった。
午後からは,この日唯一都内で研究発表会があった,江東区立第五大島小学校へ行った。巨大マンションが建ち並ぶ地区にある。全11学級
平成11・12年度江東区教育委員会インターネット活用調査研究校
研究主題「子どもの興味・関心から始まる学習活動−インターネットの活用と総合的な学習−」
公開授業と研究発表,講演があった。
【授業より】
・ 前の四谷第4小に続き,ここも土足で参観。教室の天井が高い。備蓄倉庫が1階でなく3階にあるところが,土地の低さを物語る。
・ PC−SEMIで結ばれた12台のパソコンという環境だった。主要ソフトは「一太郎スマイル」「はっぴょう名人」。やはりスマイルとPC−SEMIの相性は悪く,画像を転送すると故障するそうだ。
・ コンピュータ室時間割は各クラス2時間続き。放課も3年生以上に学年別に開放している。
・ 授業内容は,雪国・南国の人々のくらしで調べたことについてプレゼンを作っている場面だった。もう9割ほど完成しており,となりの部屋でプロジェクターを使いリハーサルをしていた。
・ 朝の会に「名札をつける」,帰りの会に「名札をはずす」というのがある。東京では,これが普通。
・ 自己評価・相互評価を大切にしている。他チームのリハーサルを見て,すぐに感想を交換していた。
・ 児童が作るHP1面には,すべて「※ 写真はインタ−ネットから取り込んだものです」と書かれている。ことわる必要があるのかな?
・ 周囲の掲示にマナーが書かれている。デジカメを持ってくればよかった。
【研究発表会より】
・ 校長が若く美しい女性だ。
・ テーマ・研究内容は高望みせず,いたってシンプル。それでいい。
・ リテラシーの学年別の育成目標が示されていない。確かに導入時期は1年生も6年生も同じであるが,やはり必要ではないか。
・ 研究発表の中で,参加者のアンケートを紹介し,質問に答えている。めずらしい方法である。
・ 江東区指導室長以下指導主事4名が若い!
【講演より】
「子どもが生きる情報教育−総合的な学習の時間と情報教育−」静岡大学情報学部助教授
堀田龍也氏
〔今日の授業より〕
・ 東京都のコンピュータ普及率は全国で下から2番目。
・「はっぴょう名人」は子どもなら与えれば誰でもできる。操作そのものより,何を載せるかなどの内容の指導が大切。必要なことは,きちんと指導することが大切である。
・ 大人から見ると子どもはパソコンに向かっているようにみえるが,子どもにとってはその中のメール相手やHPを作った人などの‘人’に向かっている。
〔情報教育とは〕
・ 操作方法は覚えてもハードが変わると役に立たない。それより,調べる体験が大切。パソコンはあくまでも道具として使い,必要な情報がわかり,引き出し,正しいかを見抜けるかが育てたい能力。
・ IT革命は,革命である。社会を変える,企業のあり方・求められる能力を変える。保護者は乗り切ろうとしているので,学校も乗り切らないとすぐに見抜かれる。
では情報化に対応した学校とは
・ 情報リテラシー(コンピュータだけでない)
・ 学習の中での情報手段の活用
・ 校務の情報化
情報化で新たに求められる学力は
・ 覚えていることより,課題解決に情報を上手に使うこと
・ そのために情報手段を上手に使うこと
・ 情報化社会のメカニズムと特質
・ 情報化社会のモラル・マナー
後半2点は,高校の「情報」で行う。
静岡大ではパソコン持ち込み可の入試を導入する。知識はある程度必要だが,覚えていることの価値よりも,知識を仕えること,多くの人を知っていることが大切な時代である。
では,情報活用能力とは(文部科学省のHP内にあるから見てほしい)
・ 情報活動の実践力 … 経験すればわかってくる
・ 情報の科学的理解
・ 情報社会に参画する態度
〔実践のポイント〕
・ 子どもが必要でないとき情報を与えてもしょうがない。子どもをどう追い込むかがポイント。ほしいときに情報を与える。
・ デジカメは教室に何台も置いておく。朝の会のスピーチでもデジカメを使う。
・ パソコンはいつでも仕える状態にしておく。パソコン室に鍵をかけるのはもってのほか。
・ パソコンだけの部屋にしないで,多目的の部屋にパソコンを置くつもりで。
・ 図書館にも,パソコンソフトを置いておく。
・ 表現指導でも
@伝えたいよさ A証拠あつめ B表し方 C伝え方 を繰り返し指導している学校があった。
・ 本質は,子どもの力をつけること。
日常の「話し方指導」のようなものが実に大切。
・ 学習内容を,単元ごとに一枚の画用紙にまとめている学校があった。1年やれば,どの子も伸びている。
・ 自己評価ができない子は相互評価もできない。いつも「ふりかえり」を組み入れたい。
調べる
ふりかえり
かかわる 表す
土井の感想
・ 堀田氏はおそらくまだ30代〜40代前半。江東区の小学校で教壇に立っていた。それだけに,具体的で明快。直前の授業をデジカメで撮り,具体的に授業をふり返っているのでわかりやすい。
こういった研究会の講演としては,これまで聴いた中でもトップクラスである。
来年度は,東大大学院・情報学環の助教授になる。期待したい。
・ 静岡大学で行われる予定のパソコン持ち込み入試はスゴイ。これで知識暗記型の大学入試観は根底から覆る。逆に,限られた時間でインターネットを使いこなせないと大学には入れない。「社会に出て役に立たない」とまで言っていた。
1月30日
昨晩銀座で飲み過ぎ?たため,午前中は,ホテルでこのまとめを作成した。
午後からは,中央区立佃中学校の研究発表会に参加した。
平成11・12年度 中央区教育委員会研究奨励校 研究主題 社会の変化に対応した教育課程のあり方
かつての天領としての漁師町であり佃煮で今も名が残る‘佃,,もんじゃ焼きの月島という,数百年前から伝わる町と,日本屈指の超高層マンション群という対照的な世帯で構成されている。昭63年に分離開校し,佃島小と隣接,共通のグランドをネットで仕切って使っている。運動場は狭く,サッカーグラウンド半面程度。その中で,部活では,サッカー,テニス,野球部が共有している。校舎は5階建て,体育館は4,5階の一部,プールは屋上。光画部は番組を作り,週1回昼放送で流している。
部活の成績はよく,合唱は東京でもトップクラス。同じ顧問の先生がオーケストラも指導しているのはすごい!廊下に掲示してある美術の作品のレベルはまあまあ高い。
制服は男女ともブレザー。生徒は落ち着いている。あいさつもできる。
その他気付いたこと
・LL教室には,英字新聞,Nevsweek,英語の絵本などが多数積まれており,外国の英語の地図も豊富。
・体育館,校庭は学年別に長放課に開放している。
・学校全体の時間割を毎週印刷して生徒に配布している。
〔公開授業より〕
・総合的な学習の時間を全校で公開した。
総合的な学習は,1年生が基礎講座(コンピュータ,新聞を読む,土と生活の3つを学級ごとで行う),2,3年生が本講座である本講座は生徒の選択で,「佃・月島研究」「共に生きる」(福祉),「土と生活」があり,それぞれさらに細かくグループがある。
・「共に生きる」はほとんど外部講師であった。
・校舎にオープンススペースが広くとられており,生徒がいたるところで活動している。
〔研究発表より〕
・講演の講師は授業を見てほしい。全体会の途中で来校。やむを得ないこともあるが・・・・
・指導主事は中央区も若い。男性は30代?
・紀要がややわかりにくい。テーマを砕いた部分がない。柱らしきものも絵が一枚あるが,説明されていない。
「紀要をご覧ください」という割には会場は暗い。
・総合は,要するに講座選択制。これって,総合と呼んでいいかやや疑問だ。2期制,2時間続きで行っている。課題は,すべて教師のライン上にあるがそれでいいのかも考えなくてはいけない。
「土と生活」はおもしろい視点である。
・成果と課題で,はじめて理論っぱいものが説明されている。
総合は,“新しい基礎・基本”だそうだ。「21世紀の東京に生きる基礎・基本」は,情報活用能力と表現力だそうである。
.オープンスクールという名で,学期に1回,今ての授業を地域に公開している。中には,保護者が授業に参加するもの,体験的なものも含まれている。
参考にしたい。
〔講演より〕
「新しい学校教育の創造と教師の役割」森 隆夫(お茶の水女子大名誉教授)
森氏は,教育国民会議 第1部会(人間性部会)のキャップである。第1部会は,いわゆる奉仕の義務化で一躍有名になった部会だ。専門は生涯学習論。
この演題には二つの意味があるという。前半は子どもの教育であり,後半は大人の教育である。
始めに奉仕について話があった。
大人の教育と子どもの教育は違う。大人は意識してまねるが,子どもは何でもまねる。大人が奉仕していれば子どももまねるのだが,周りの大人がやっていないから子どもはやらない。だから学校でやるのだ。
奉仕活動は日常化しなけれはダメで,特定の日だけではいけない。
本題
教育改革が押し寄せる。学掛に対応する能力があるか。文部科学省の「21世紀教育新生プラン」をうけて,各学校ごとに「○○学校の新生フラン」を作ることができるれそれが対応能力だ。一つずつやっていってほしい。
ポイントは3つ。
1 新しいときほど不易を忘れない
新しいものにはリスクがある。世田谷の学校選択も,希望が集まり抽選になってしまった。学枚による生徒選択だ。
教育の基礎・基本は3R’sと人間性教育。
(話が急に総合に変わる)
学校教育全体が総合なのに,全体を構成する部分に総合がある。これをホロニツク思考という。
教科との関連を考えない総合はあり得ない。
教科は系統,総合は思考力を付けるためのものと割り切ればよい。
知識と知恵のアンバランスが世の中を悪くする。知識だけあって知恵のない者がいけないのだ。それを解消するものが総合。
学校の特色を
学校目標が毎年同じなのはなぜ?できないから変わらないのか?
規制緩和で得た自由の代償は大きい。
学校の特色は・努力していること
・できないからがんばっていること
・現時点での長所
この中から選べばよい。
ところが,学校の特色=歴史があるとか,川があるとか・・・それは町の特色だ。
理念があり,理論ができ,方法が考えられる。3つのステップで,学校の目標,学校の特色を考えてほしい。
個性は,型に入って型から出るもの。
型があり,努力し,自信となったものが個性。
本当の個性は努力しなくちゃわからない。
学校の特色も努力しなくちゃ出てこない。
3 ????(何がポイントか分からない・・・)
叱るときも個性に応じて叱りなさい。
「町の子も自分の子と同じように叱りなさい」というが無理。
大村はまさんは,叱るときは自分の体調を考えたという。自分の体調が悪いときは,きっと叱りすぎてしまうから叱らない。体調の良いときだけ子どもを叱る。
これが,ゆとりのある教育と言うことではないか?
そもそも「ゆとり」などとあいまいな言葉ほどマスコミに広がる。学力低下の「学力」も同じ。学力の定義をしていない。
教育はサービス。奉仕で批判を浴びたけど,公務員は奉仕者と憲法にも教育基本法にも書いてある。
ユーモアは,相手を傷つけない。笑って叱れるかが大切。
ユーモアの日本語訳はないことからも,日本人はユーモアが苦手なのことがわかる。笑って叱れる余裕がほしい。
教師論に踏み込めなかったが,要は,人間担任機能を高めたい。人間は好きな人の言うことを聞く。好かれる,尊敬される,の2つを満たせばいいのです。
好かれるためには?=嫌われないこと=悪口を言わない,みんなの前で叱らない,など尊敬されるには=軽蔑されないこと=努力する人,・・・・
こう考えると簡単。信念を持ってやってほしい。
全体を通して,パワフルで,脱線だらけの講演であった。おそらく,普段は2時間ぐらい話しているのを45分で話そうとしたからであろう。ユーモアたっぷりの話しぶりに,時間はあっという聞に過ぎていった。
〔発表会全体を通して〕
豊富な資料に,先生方の日ごろの努力を感じる。じっくり目を通したい。
ただ,総合の内容としては,小学校との温度差を感じる。確かに教科担任制のもとで総合を行うには,
1 行事とリンクする
2 個人研究を中心にする
3 講座選択制にする
ぐらいしか方法がないのかもしれない。選択教科では,遅れを取り戻すための補充にあてている学校も多いと聞いた。
東京都では,小学校教員と中学校教員は別物で,人事交流がないそうである。むしろ,互いに学校崩壊の責任のなすりつけ合いをしているようにも感じられるそうだ。これは不幸なことだ。それぞれの良いところを取り入れると,ずいぶんと変わってくると思われるのに。