これは、1991年4月1日発行の「現代日本−特集 静岡県」に掲載された初陣を制した直後の私のインタビュ−記事です。当時熱海市選出の初当選県議(但し熱海市議7期28年の実績あり)渡辺行久氏も同様に、「伊豆圏を100万地区に改革」というインタビュ−記事が掲載されていました。この雑誌は、私の手元には残っていませんでしたが、平成15年6月、渡辺氏のご好意により送付していただいたものから転写したものです。
やらまいか精神」で

  農林水産を基盤にしたテクノポリスを目指す


発展著しい遠州・浜松市選出のヤング県議の
 
「21世紀に向けた浜松:」の未来像
              
浜井卓男県議会議員に聞く
発展の中心となるテクノポリスの建設の仕方が問題

-−−政令指定都市化に向けて躍進中の浜松市ですが、浜井先生は今後の浜松の 課題をどうお考えですか。−−−

浜井
 「浜松の三大産業といえば、楽器、オ−トバイなどの輸送用機器、繊維だったのですが、これらが全て成熟産業になり、何かここでひとつインバクトを与えようとしていた時、国の施策に呼応して計画されたのが浜松テクノポリス構想でした。
 現在浜松テクノポリス建設は進行中ですが、これが完全に機能を始めると、わが浜松市もハイテク都市として新らたな時代を迎えることになります。
 
 そうした中で気になるのは、農業や水産業など第一次産業とどう整合性を持たせていくかが問題です。
 しかもテクノポリスだけでなく、アクトシティ計画や、浜名湖畔の音楽公園構想、民間によるテーマパーク建設構想などもあり、今まで〃農林水産省型〃の都市であった浜松は"建設省〃型の都市に変わろうとしています。
 そういう「農林水産」と「建設」両面の整合性をどこでもたせるのか。これが今後の浜松の都市づくりの大きな課題ですね。」

 -−−なるほど、確かにそうですね−−−

浜井
「浜松市は、これまでの流れから言っても広域的な都市計画を考えていかなければならない時代がくるでしょうから、政令指定都市という問題も頭の中においておいていいと思うんですけれども、政令指定都市というのは、ある意味で第三次産業つまりサービス産業が主体となる都市なんですね。
 みんないきなり政令指定都市と言いますが、一足飛ぴにそこまで行ってしまうと、従来から第一次産業に従事していた人たちの生活を踏みにじることになりはしないかと思うんです。政令指定都市を目指すことも重要だが、ここでワンステップ置かなけれぱならないと思いますね。
 例えばどの地域を農地として残すか、どの地域の自然を残すかなどの計画をきちっと立てて、それから政令都市を目指す。浜松の場合、農業の担い手と彼らが安心して耕作できる農業基盤を確立してから物事を始めるべきだと思います。」

-−− あまりに急な発展は確かにひずみが生まれてきますね。−−−
浜井
「ここら辺は昔、遠州と言っていたのですが、遠州人の気質はとにかくせっかちなんですよ。(笑)
他の地方の人と同じゲタをはいてても、遠州人のゲタの先だけが早く減ると昔から言われていたぐらいですか
らね。「やるぞ」と決めたら、とにかく、突っ走ってしまう。(笑)
 それが「やらまいか精神」といって、今日の浜松の発展を支えてきたのも事実なんですけど。ここはひとつどっしり構えて浜松百年の計を考えていくべきだと思います。」

-−−浜松にとりましても静岡県全体にしましても、今後、激動の時代が訪れるかと思われますが、ズバリ先   生の目指す政治とは。−−−

浜井
「おっしゃるように21世紀への最後の10年というのは、先に行けばいくほど世の中の変化が激しくなるだろうと思うんです。世の中の変化が早過ぎて、法律をはじめとして社会のあらゆる制度が硬直した考え方ではとてもついていけない時代が来るでしょう。
 だから激しい変化に柔軟に対応できる政治を行なわなければならないということを私は一貫して言ってきているんです。それを今後とも目指していこうと思っております」

-−−浜井先生が政治を志されたのは、どういうきっかけで…、学生時代の頃でしょうか。−−−
浜井
「私は学生の頃は弁護士になろうと思っていたんですよ。それで中央大学の法学部にいったんですけど、そこで日本拳法に夢中になってしまいまして4年間ずっと格闘技をやった。1年生の春のリ−グ戦からずっと正選手で 体育会系の学生に仕上がっていった。
 勿論、法律の勉強も一所懸命やったんですけど、やはり司法試験は、そう簡単なものでもないですから、自然と弁護士の道は遠のいてしまいましてね。(笑)」

-−−拳法ではかなりの腕前で・。−−−

浜井
「拳法では当時の学生界では最高の3段まで取得したんです。全日本個人選手権大会に2度出場しました。無差別級(体重制限無し)しかありませんでしたから、ベスト8止まりでしたが…。現在は5段ですけどね。
 だから弁護士になれなかったんですけど、いま県議会議員として「県民の弁護人」という気持ちを持って政治を行っています。 
 私がそもそも政治と関わりを持ちましたのは、大学卒業後、当時、浜松の市長だった平山市長の後援会事務所に入ったことでした。
それから自然と政治に興昧を持ち始めたんです。」

−−−座右の銘としていらっしゃる言葉はございますか。−−−

浜井
「初心生涯」、「初心忘るべからず」です。一番苦しい最初の選挙でいただいた皆さんの情けは生涯忘れてはいけない。また、自分が目指した理想の政治を生涯貫き通したいと思っています。」

−−−本日は、大変有意義なお話をありがとうございました。−−−

 

1991年 陽春号 現 代 日 本