平成元年1月24日発行 自由新報 掲載

県連青年議員の有志9人  東南アジアを精力的に視察

 昨年、昭和63年9月8日、自民党静岡県連の青年議員の有志が「東南アジア視察団」を編成し、6日闇の日程でシンガポール・マレーシア・タイの視察を行った。                       
 これは、アジアNIESの優等生として成長著しいシンガポールをはじめとする諸地域の現状把握と、同年7月に静岡県のシンガポール駐在員事務所が開設されたのを機に行われた。                
そこで、視察団員の一人、浜井卓男県議にレポートを寄せてもらった。    

自由民主党静岡県練青年部 東南アジア視察団
団長 小島 善吉(静岡市=3期 団員 和田淳一郎(天竜市=5期) 団員 土屋 純雄(清水市)=4期
団員 浜井 卓男(浜松市=1期) 団員 佐野 康輔(静岡市=1期) 団員 大橋 正巳(磐田郡=1期)
団員 芦川 清司(庵原郡=1期)  団員 田中太四雄(浜名郡=1期) 団員 竹内  清(浜北市=1期)
                
 ☆ 21世紀はアジアの時代
 
 第二次大戦の敗戦の廃虚の中から世界第一の債権国へと成長を遂げた日本は、ここに到達する過程で全世界からせん望と、やっかみの目で見られ、「エコノミック・アニマル」などとたたかれた。せいぜい、あの東京オリンピツクで大活躍した女子バレーボールチームが「東洋の魔女」といわれたぐらいのものだが、「魔女」という呼称に好意を読み取れるかというと、そうでもないように思える。
 いま、史上最大の参加規模を誇った88”オリンピツク大会の主催国 韓国を筆頭に、香港、シンガポールなどのアジア・NIESといわれる新興工業国・経済群を「四匹の龍」あるいは「四匹の虎」などと半ば畏(い)敬をこめて呼ぶことについて、日本人としての私には少しこだわりがある。
 これらの国々に対するこうした呼称には、アジアで最初に先進国の伸間入りを果たした、わが日本国に対するものとは違う感情が、そこにあるように思えるからである。
 確かに、韓国、台湾、番港はもとより、シンガポール、マレーシア、そしてタイといった東南アジアで急成長を続ける国々の実質経済成長率は、1970年代に日本の2倍強に達し、その後、1986年にかけて足踏みしたものの、ここ2年闇は8%近い成長率を誇っている。韓国と台湾を別として、これらの諸国が一時ヨ−ロッパ先進諸国の支配下にあったという歴史的事実のもとで納得しなければならないのかもしれない。

☆パ−トナ−シップをより強固に 生き残りへ アジア経済圏構築を

 それはともかく、アメリカ・カナダの自由貿易圏の結成を来年に控え、またEC(欧州共同体)の統合市揚形成など、世界経済の胎動は、地域経済圏の再穫築という方向へ進みつつある。
 しかしこうしたすう勢の中で、私たちは巨大なマーケットを擁して「アジアの巨龍」へと大変化をしつつある隣国の中国はもちろん、NIES,ASEAN諸国とともに、同じアジアの一員としてのパートナーシッブをより強固なものにして、お互いの生き残りをかけたアジア経済圏を構築していく必要があるように思う。


 ☆ 政治的安定が強み
   シンガポ−ル・マレ−シア・タイの素顔

 今回訪問したシンガポ−ル、マレ−シア、タイは、ASEANを構成する諸国の中でも、政治的には比較的に安定した国々で、すでに進出している日系企業はシンガポールに約850社、マレーシアには16ヵ所の工業団地に製造業の主な企業だけでも100社を数え、またタイ政府のBOI(投資委員会)の承認件数は、この5年閻に全世界から実に500件に達したという。
 こうした背景には、低い労働コストと金利に加え、原油価格の低値安定と円高・ドル安という風向きが、輸入マーケットとして
のアメリカ、そして日本への追い風となっているようである


 ☆ 資源エネルギ−の隣国依存が弱点   シンガポ−ル

 19世紀の初め、イギリス統治下での貿易の中継港としての繁栄を礎にして、今日では東洋一ともいわれるチャンギ国際空港と港を擁し、電力、水道、道路、そして通信や運輸にいたるまで、インフラの整備は最高だが、小さな島国であるだけに資源工ネエルギーのすべてをマレーシアをはじめとする近隣諸国に依存しなければならないところが弱点だ。


 ☆ブミプトラ政策の推移に注意  マレ−シア

 
マレ−シアには大小約100の島々と、多くの森林資源、そして、錫をはじめとする豊かな鉱物資源、野菜や紅茶や果樹などの農産物の実り豊かなかな丘や高原もある。
 アジアで最も整備されているハイウエーを基軸に立地する工業団地は魅力だが、電力や工業用水などについては、まだ十分ではないとのこと。
 更に、この国の人口の57%を占めるマレー人を優遇しようとするマレ−シア政府のブミプトラ政策の推進は、進出企業が心しておかなければならない重要なな点だろう。


 ☆ インフラ整備が緊急課題   タイ

 タイは、かってシャムと呼ばれた時代、日本人それも静岡県にゆかりのある山田長政が活躍した国である。またタイは、戦後間もない昭和24年、インドと共に日本の子どもたちのためにと「象」を贈ってくれた友好の歴史を持つ国でもある。
 初めてこの国を訪れる者は、これほどに表と裏の表情が違う国もないだろうと思われる。この国の経済を引っ張る首都バンコクの悩みは、慢性的な交通渋滞と、雨期におけるメナム川の氾濫、そして過度の人口集中、とりわけ国境を越えて流入するラオス、カンボジア、ベトナムなどからの難民対策だとのこと。
 事実、私たちの目に触れたスラム街は、パンク寸前の様子。道路は車と人の波で麻痺状態。更に聞くところでは、港は積み卸しを待つ船でイッパイだという。こうした現実を見ると、タイはインフラ整備への対策が緊急の課題だと言うことが分かる。


          精神の”現地化”… 骨を埋める覚悟が必要
 ☆ 進出企業の成功には

 今回、シンガポールでの企業訪間は、日本のスーパー業累で初めての海外進出を果たし、当地の5店舗が素晴らしい成績をあげている「八百半百貨有限公司」だった。
 シンガポールの流通部門の先発は、現在当地に3唐舗を擁する伊勢丹デパートとのことだが、このシンガポール・ヤオハン・オーチャード店は、基幹道路に面した立地に加えて、国内随一の売り揚面積と豊富な品ぞろえによって順調なようだ。

 また、昨年からマレーシアに進出し、この秋には同国内に4号店をオープンさせ、さらに来年はタイに1号店をオープンさせる計画だという。
 ボーダーレス・エコノミーの時代といわれるが、ヤオハンのめざすところは、それぞれの進出先の国民のためのファミリーマーケットであり、と同時こ、それぞれの国の生産物のチェーン店舗間の流通機構の確立にあるという。


 マレ−シアとタイで、それぞれ本県からの進出企業の訪問先は、ヤマハ発動機合弁会杜、タイ・スズキ・モータース株式会社およびアロー・プロダクト株式会社の3社。
 ヤマハとスズキのオ−トバイ関係の2社は、それぞれ進出後およそ20年を、アロー・プロダクト社は15年の歳月を数えようとしているが、いずれの国でも、製品輸出の比率の高い企業にはパイオニア・ステータスとして、出資比率や税制など、いくつかの優遇措置が与えられるようだ。

 しかし、多民族国家という特殊事情による人種構成比率にもとづく雇用比率の達成や、使用部品の国産化率の引き上げなど、多くの問題を抱えている。今後アジア経済の中心は、NIESからASEANへ移行していくものと思われるが、それにつれてASEAN諸国内の労働コストの上昇と熟練技術者の不足が心配である。
 東南アジアにおけるオ−トバイは、アンダーボーンと呼ばれる50CCら150CCクラスまでの車種に限定されているようだが、1970年代を通じて順調な亮り上げを続けてきたものの、1983年から85年にかけて大きく落ち込み、昨年から再び上昇に転じ始めているということだった。

 オ−トバイの2杜とも、不況のトンネルを抜けたという安ど感とともに、今後の需要予測についても、等しく極めて強気の生産販売台数を読んでいたのが強く印象に残っている。一方、こうした強気の裏にも、前述した問題に加えて、後発で進出を果たした日系企業、あるいはこれから進出してくるであろう新規参入企業問との賃金競争と技術者の引き抜き、そしてもっと大きな視点からは、アメリカと、それに追随すると考えられるECの、これらアジア新興工業地域を対象にした輸入課徴金などの保護主義への動きに対する警戒意識を感じた。
 アロー・プロダクト社については、ワイヤー・ハーネスの部門でイギリス、アメリカに加えてオーストラリアなどへの輸出比率が80%を超えて、タイ国内での超優良企業として位贋づけられているようで、ここの首脳部の言によれぱ、海外立地する企業の存立は、企業自らの努力に加えて、その国の政治的安定に委ねられているということだった。

 東南アジアに進出する企業は、その国に同化し、痛みを分けあい、そしてその国の産業の裾野を広げ、輸出に貢献することが望まれている。
 極端な言い方をするなら、海外へ進出する日本企業と日本人は、精神の現地化を心がけること。つまり、進出国に骨を埋めるくらいの覚悟が必要ではないだろうかと痛感した次第である。



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