8月16日(水)晴れ(富良野、帯広、十勝川温泉、阿寒、弟子屈) 某Patioのオフもつつがなく終わり、もうみんながそれぞれ の旅へ…と思っていると、某D氏が現れた。何でも日が落ちてから 鳥沼について、Patioのメンバーを見つけられなかったとか。 ちょっとした落ちがついて、ようやくそれぞれがそれぞれの旅にか えって行った。私のこの日の旅は、ひたすら東に向う移動の旅であ る。 富良野から南富良野、狩勝峠を越え、一路帯広を目指す。幹線国 道なので交通量も北海道とすれば結構あり、走ってて別段楽しいわ けでもないけど、まあ移動日だからいいかぁなどと自分をごまかし ながら走る。いきなり片側2車線になった道にとまどいながら帯広 に入り、ひとまず帯広駅に向う。帯広駅でさてどうしようかと考え ていると、VTに乗ったライダーがやってきたのでしばらく話をす る。彼が「先輩に教えてもらった」という店(豚丼の店)に一緒に 行こうかとふとその店を見ると(帯広の駅前にある店なので)、 いきなり行列ができている。それにめげて行くのをやめ、VT氏と 別れる。彼はこれから襟裳岬の方を目指すと行っていた。 さて、というところで再び「鉄」の虫が疼きだし、すでに廃線に なって久しい旧国鉄広尾線の廃線あとをたずねることにする。この 広尾線、「愛国から幸福」の切符で有名になった路線である。当然 その愛国駅と幸福駅をたずねるのであった。まずは帯広に近い側の 愛国駅。駅舎はちっさな鉄道記念館になっており、ホームもホーム 部分の線路も残されていた。駅前は当時もこうだったんだろうな、 という具合に適度に寂れており、土産物屋兼売店が1件あったくら いだった。さて一方幸福駅はというと、こっちはちょっとした観光 地になっていた。そこそこの広さの駐車場もあり、いかにも観光地 的な土産物屋も数件ある。もともと愛国駅にくらべ規模の小さかっ た幸福駅の小さい駅舎は今ではいろんな名刺や定期やその他もろも ろを貼りつけるためのオブジェと化していた。廃線後も残され保存 される事自体は駅としては幸せな余生であろうが、この2つの駅の 保存のされかたの違いは、はたしてどちらが良いのだろうかとふと 考えた。ついでにいうと、愛国と幸福の間にある大正駅も駅舎は現 存していたが、こちらの方は特に何もなくひっそりしていた。 ミーハー廃線の旅を終えて、阿寒方面に向う。その途中に十勝川 温泉に寄ることにする。ここの温泉、世界的にも珍しいモール泉と いうことで(ほかにはドイツにしかないらしい)、一度入ってみた いと思っていた温泉である。外湯ができるところを探して行くと、 温泉街のはずれのホテルがOKだったので、そこで入る。人もほと んどいなくて広々としており、お湯もヌルっとした感じで気持ちい い。 さて、気持ちよく汗を流したところで再び阿寒に向う。天気もよ く道も気持ちよく流れているので、こういうときはもしかしたらね ずみ捕りが出てるかも…と気をつけて走ったが、結局何の取り締ま りもなく阿寒湖畔につく。以前行った「えぞ鹿」で鹿肉の鉄板焼を 食べようと思っていたのだけれど、なぜかその店が見つからず、し かたなく頼まれていたマリモだけを買って、阿寒湖畔をあとにする。 阿寒横断国道を抜けるとそこは弟子屈の街。摩周駅近くのスーパー で買い出しをして、幕営地の多和平に向う。すでに北海道の最後は ここで連泊して釧路からフェリーに乗るというのが恒例になりつつ あるが、今年は去年よりも連泊日数が多くなることになる。 多和平に到着し、さてどこにテントを張ろうかとあたりを物色し ていると、テーブル(実は配線材を巻いていたものの廃物)を囲ん でいた一群から「ご一緒しませんか〜?」と声がかかった。この出 合いはその後北海道から帰ってきてからも続くつながりとなるなど、 その時は思いもしなかった。 そしてその夜も旅人の宴会の中で更けていった。 -- to be continue --