「今度は愛妻家」を2回観た。



    どうしても2回観ようと思った。

    そう思ったら、その気持ちがなくなってしまわないうちに、、、と

    1週間も間を空けずにもう一度観た。

    なぜ、どうしても2回観ようと思ったか、、、は、またあとで。


      さて、まず2回観ての感想である。

      明らかに違うことは、泣けるシーンが明らかに違うのである。

      1回目では、まったく涙が出なかったシーンで、泣けた。

      それに、2回目で新たに気付くシーンが幾らかある。

      例えば、さくらが飲んだはずなのに、減っていないニンジン茶が入ったカップ。

      しかし、そんなことよりも私にとって重要だったことは、、、


        前回書いたように、私に強烈に残った一言は、

        「オレの想像も出来ないようなことをひとつでも言ってくれっ!」である。

        そうなのである。ここ1年間現われているのは、さくらの幻影なのである。

        それは、さくらのすべてが、彼の作り出している「思い」でしかないのだ。

        そういう前提でこの映画を見返すと、彼の内面、本当であろう気持ち、いろいろなものが見えてくる。

        さくらが言った。この10年で私が知っているだけでも浮気相手が10人もいる。

        私は思う。さくらは本当にその10人を知っていたのだろうか?

        本当は、彼の浮気のことをさくらは知らなかったのかもしれない。けれど

        彼がきっと、10人くらいがバレていたのだろうな、という思いが

        幻影としてさくらに言わせていただけではないのだろうか?


          そんな観かたをしだすと、この映画、2回目に観ると全然見え方が違ってくる。

          いざ浮気のチャンスに遭遇しても、さくらが戻ってくるのは、彼の良心の呵責である。

          さくらが戻ってきて、シャワーでも浴びようか、と言い出したのも

          浮気相手の彼女が、シャワーを浴びているからである。

          さくらが、何かあやしい、、、と言い出すあたりだって、

          実は、彼自身が思っていることなのだ。

          こんな言い訳バレるに決まってるじゃないか、、、と。

          そうなのだ、さくらは、明らかに本当の正直な「彼自身の思い」なのだ。

          そして、それを証明しているひと言が、彼自身の口から発せられる。

          「オレの想像も出来ないようなことをひとつでも言ってくれっ!」

          このセリフが耳に飛び込んで来た時、実に私は耳が痛かった。

          もう一度、この映画を最初っから見直さなければ、

          彼の本当の気持ちが私にはわかっていないんだ、、、そう思った。

          それが、私に2回観させることになったのである。


            しかし、つくづく思うことがある。

            このタイトル「今度は愛妻家」についてである。

            今度は愛妻家、であるからにして、逆に言えば、それ以前は、愛妻家ではなかったのだ。

            二人が一緒に生活しだして10年。当然マンネリも訪れよう。

            本来、幸せなはずのことだって、見えなくなってくるのは、ある意味仕方がないことだ。

            けれど、ある日突然、彼はそれを失くしてしまった。

            そして、彼は、気付くのだ。それまでの平穏な平凡な幸せを。

            この物語のモチーフは、失くしてしまって初めて気付く大切なこと、であろう。

            そうなんだ。無くなってしまわないと、気が付かないことへの反省の促しなのだ。


    それにしてもあのベランダでの撮影のシーンには泣けた。

    1回目には全く泣けなかったのに。

    あのシーンでのあの会話は、沖縄での最後のひと時の会話だ。

    けれど、彼は、沖縄のその時には、1枚も彼女を撮らなかった。撮れなかった。

    せめて残った1枚は、離婚記念と言いながらの撮影中に

    急いでホテルへ指輪を取りに戻る、彼女の後ろ姿だ。

    その時は、誰だって、それが最後になってしまうことなんか、想像なんか出来ないはずだ。

    しかし、それが彼の多大なる後悔のひとつになる。

    なぜ撮ってやらなかったのだろう?なぜ一緒にホテルに戻ろうとしなかったのだろう?

    それらが彼のすべての反省へとつながってゆく。

    そして、その反省からのリカバリであるはずのベランダの撮影シーンは、

    現像という経過を経て逆に、もう彼女が世に居ないことへの再確認へと導くのだ。


      ちょっと気になるのは、

      この映画の後、彼は悲しみを乗り越えて、自分自身の再生が出来てゆくのだろうか?

      映画の中では、明確には、言い切っていないような気がした。

      けれど、きっと出来ていくはずだ。私は思う。

      映画の中盤でさくらが言う。「もう一人で暮らせるね?」

      幻影であり、彼の思いを表現しているはずの、このひと言は、

      彼自身の中に、彼女への決別と再生への覚悟がもう既に芽生え始めている。

      そうなんだ、寒い朝、彼はすでにもう目覚めていて、起きなきゃいけないのに

      ただ単に、あったかい布団から出られないでいるだけなんだ。

      私は、そう思うことにした。


        まぁ、そんなこんなの感想を書いているとキリがなさそうなので、あとはスルーして、、、。

        ただ、最後にどうしても書いておかなければいけないことは、

        この映画の自分自身への相対である。

        彼は、なぜ「今度は愛妻家」になったのだろう?

        彼は、本当に愛妻家だったのだろうか?とも思う。

        だって10年に少なくとも10人もと浮気をしていたわけで。

        ひどい言い方をすれば、単に彼の性格が、

        失くしたものを大切だったように思い込む単なる日和見的性格だっただけじゃないか?

        とも思ったりもする。

        けれど、きっと私にもあるはずだ。

        失くしてしまってから初めて気付く大切なもの、が。

        それは、なんだろう?

        そんな反省をこの映画は、私に促してくれている。

        そして、その迷いを、この映画は、その中で鏡のように見せつけてくれている。

        さくらが玄関から戻ってきて言う、、、

        「まだ忘れモノがあるかなぁ、、、。」

        彼女が、彼が、私が、気になっているのは、

        それは決して、ガスの元栓でも、指輪でもなく、自分がまだ気付いていない、

        きっと見えなくなってしまっている「幸せの忘れモノ」なのである。


                                  2010.1.24 AM 3:25





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