シベリア鉄道の旅

これは1989年3月、浅井聡が香港をからスペインのバレンシアに至る陸路約13,000km

の旅行で収めた写真を展示したものである。

これら写真は全てBWフィルムで撮影されている。これは決して芸術的な技巧を

意図した訳ではない。単にフィルム代を惜しんだだけである。

また撮影した枚数は旅程の割には極端に少ないと思われよう。

これは単に壮大な風景に圧倒されシャッターを切る自信が無くなったことが原因である。

そうそう。寒くてポケットから手が出せなかったことも一因であろう。

旅の軌跡

東京から香港までは飛行機で。

そのままフェリー2等で先ず広州へ向かう。

広州から上海はいわゆる硬座。この時のごとく堅い椅子に30時間も座りっぱなし。随分たくさんの駅で降りて散歩した。

上海から北京は張り込んで最高の寝台特急。

北京からいよいよシベリア鉄道、5泊6日かけてモンゴルUlaanbaatarを通りMoskvaへ。

地下鉄に乗るだけで楽しい。ところがMoskva滞在中にリトアニアが独立宣言。

その日の列車でエストニアの首都Tallinnへ。

中世そのままの面影を残している。

ラトビアを通りそのままリトアニアの首都Vilnius入り。

独立したので独立運動は終わっている。

若干の危険を感じたが1泊して様子を見た後、夜行でポーランドのWarszawaへ。

その後Vilniusではすぐに戦車が侵攻してきたそうだ。

インフレでお札の0が多すぎて暮らしにくい。

次に東ドイツ側Berlinにたどり着く。物々しい警戒だ。

しかし西側に出るのは簡単で西のBerlinへ。

綺麗な2等車でHamburgに向かうが、物価が高く食費が出ない。

FW GOLFを借りて憧れのアウトバーンを180km/h。しかし追い越し車線には出れず。

地図を買えないままカンだけを頼りにAmsterdamへ。

帰りの切符を安く買えたら今度は南下、Utrechtでゴッホと出会う。

Dusseldorf、Koln、Frankfult a.M.とRhein川沿いを高速ドライブ。

Heidelbergを通りStuttgartでポルシェ、ダイムラー美術館見学。

スイスへ入りZurich、Bern、Geneveをまたぎ自然を堪能。物価は高い。

フランスではLyonで休憩。

地中海を左手にみながら一路スペイン、Figuerasで目の錯覚。

Barcelonaではサクラダファミリアで自分が高所恐怖症であることを発見。

Tarrgonaで泊まった後はいよいよValenciaの火祭りを見に。

ここで飛行機の日程もあるので折り返す。

Parisで意外にも3日滞在。本能に背いて美術館巡り。

Bruxelles、Rotterdamと駆け足で周りAmsterdamへ戻る。

車を乗り捨て飛行機に乗り込むが。

フィリピン航空は南回りでDubayyで砂漠を見てしまう。

さらにBangkokを通り終着はManila。

ここで飛行機の乗り継ぎは無く町中へ。

翌日ようやく次の飛行機がつかまり東京へ30日ぶりに戻った。

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